聖書通読日記 2

2001年ペンテコステに受洗、プロテスタントのキリスト者

エステル記 9章 ユダヤ人の復讐・プリムは運命の祭り その1

2009年03月21日 | 旧約聖書日記
◆ユダヤ人の復讐
『 9:1 第十二の月、すなわちアダルの月の十三日に、この王の命令と定めが実行されることとなった。それは敵がユダヤ人を征伐しようとしていた日であったが、事態は逆転し、ユダヤ人がその仇敵を征伐する日となった。

9:2 ユダヤ人はクセルクセス王の州のどこでも、自分たちの町で、迫害する者を滅ぼすために集合した。ユダヤ人に立ち向かう者は一人もいなかった。どの民族もユダヤ人に対する恐れに見舞われたからである。

9:3 諸州の高官、総督、地方長官、王の役人たちは皆、モルデカイに対する恐れに見舞われ、ユダヤ人の味方になった。

9:4 モルデカイは王宮で大きな勢力を持ち、その名声はすべての州に広がった。まさにこのモルデカイという人物は、日の出の勢いであった。

9:5 ユダヤ人は敵を一人残らず剣にかけて討ち殺し、滅ぼして、仇敵を思いのままにした。

9:6 要塞の町スサでユダヤ人に殺され、滅ぼされた者の数は五百人に達した。

9:7 そして、パルシャンダタを、ダルフォンを、アスパタを、

9:8 ポラタを、アダルヤを、アリダタを、

9:9 パルマシュタを、アリサイを、アリダイを、ワイザタをと、

9:10 ユダヤ人の敵ハメダタの子ハマンの十人の息子を殺した。しかし、持ち物には手をつけなかった。

9:11 その日、要塞の町スサの死者の数が王のもとに報告された。

9:12 王は王妃エステルに言った。「要塞の町スサでユダヤ人は五百人とハマンの息子十人を殺し、滅ぼした。王国の他のところではどうだったか。まだ望みがあるならかなえてあげる。まだ何か願い事があれば応じてあげよう。」

9:13 エステルは言った。「もしお心に適いますなら、明日もまた今日の勅令を行えるように、スサのユダヤ人のためにお許しをいただき、ハマンの息子十人を木につるさせていただきとうございます。」

9:14 「そのとおりにしなさい」と王が答えたので、その定めがスサに出され、ハマンの息子十人は木につるされた。

9:15 スサのユダヤ人はアダルの月の十四日にも集合し、三百人を殺した。しかし、持ち物には手をつけなかった。

9:16 王国の諸州にいる他のユダヤ人も集合して自分たちの命を守り、敵をなくして安らぎを得、仇敵七万五千人を殺した。しかし、持ち物には手をつけなかった。

9:17 それはアダルの月の十三日のことである。十四日には安らぎを得て、この日を祝宴と喜びの日とした。

9:18 スサのユダヤ人は同月の十三日と十四日に集合し、十五日には安らぎを得て、この日を祝宴と喜びの日とした。

9:19 こういうわけで、地方の町に散在して住む離散のユダヤ人は、アダルの月の十四日を祝いの日と定め、宴会を開いてその日を楽しみ、贈り物を交換する。

◆プリムは運命の祭り

9:20 モルデカイはこれらの出来事を書き記し、クセルクセス王のすべての州にいる全ユダヤ人に、近くにいる者にも遠くにいる者にも文書を送り、

9:21 毎年アダルの月の十四日と十五日を祝うように定めた。

9:22 ユダヤ人が敵をなくして安らぎを得た日として、悩みが喜びに、嘆きが祭りに変わった月として、この月の両日を宴会と祝祭の日とし、贈り物を交換し、貧しい人に施しをすることとした。

9:23 ユダヤ人は既に実行し始めていたことでもあり、またモルデカイが書き送ってきたこのことを受け入れた。

9:24 すなわち、「全ユダヤ人の敵アガグ人ハメダタの子ハマンはユダヤ人絶滅をたくらみ、プルと呼ばれるくじを投げ、ユダヤ人を滅ぼし去ろうとした。

9:25 ところが、このことが王に知らされると、王は文書をもって、ハマンがユダヤ人に対してたくらんだ悪いたくらみはハマン自身の頭上にふりかかり、彼は息子らと共に木につるされるよう命じられた。

9:26 それゆえ、この両日はプルにちなんで、プリムと呼ばれる。」それゆえ、その書簡の全文に従って、またこの件に関して彼らの見たこと、彼らに起こったことに基づいて、

9:27 ユダヤ人は自分たちも、その子孫も、また自分たちに同調するすべての人も同様に毎年この両日を記載されているとおり、またその日付のとおりに、怠りなく祝うことを制定し、ならわしとした。

9:28 こうして、この両日はどの世代にも、どの部族でも、どの州でも、どの町でも記念され、祝われてきた。このプリムの祭りは、ユダヤ人の中から失せてはならないものであり、その記念は子孫も決して絶やしてはならないものである。

9:29 さて、王妃となったアビハイルの娘エステルは、ユダヤ人モルデカイと共にプリムに関するこの第二の書簡をすべての権限をもってしたため、確認した。

9:30 クセルクセスの王国百二十七州にいるすべてのユダヤ人に、平和と真実の言葉をもって文書が送られ、

9:31 こうしてユダヤ人モルデカイが王妃エステルと共に定めたとおり、また彼らが自分たちとその子孫のために断食と嘆きに関して定めたとおり、プリムの祭りの日付が定められた。

9:32 エステルの言葉によってプリムに関する事項は定められ、文書に記録された。

9:1 The thirteenth day of Adar came, the day on which the royal proclamation was to take effect, the day when the enemies of the Jews were hoping to get them in their power. But instead, the Jews triumphed over them.

9:2 In the Jewish quarter of every city in the empire the Jews organized to attack anyone who tried to harm them. People everywhere were afraid of them, and no one could stand against them.

9:3 In fact, all the provincial officials-governors, administrators, and royal representatives-helped the Jews because they were all afraid of Mordecai.

9:4 It was well-known throughout the empire that Mordecai was now a powerful man in the palace and was growing more powerful.

9:5 So the Jews could do what they wanted with their enemies. They attacked them with swords and slaughtered them.

9:6 In Susa, the capital city itself, the Jews killed five hundred people.

9:7 -10 Among them were the ten sons of Haman son of Hammedatha, the enemy of the Jews: Parshandatha, Dalphon, Aspatha, Poratha, Adalia, Aridatha, Parmashta, Arisai, Aridai, and Vaizatha. However, there was no looting.

9:11 That same day the number of people killed in Susa was reported to the king.

9:12 He then said to Queen Esther, "In Susa alone the Jews have killed five hundred people, including Haman's ten sons. What must they have done out in the provinces! What do you want now? You shall have it. Tell me what else you want, and you shall have it."

9:13 Esther answered, "If it please Your Majesty, let the Jews in Susa do again tomorrow what they were allowed to do today. And have the bodies of Haman's ten sons hung from the gallows."

9:14 The king ordered this to be done, and the proclamation was issued in Susa. The bodies of Haman's ten sons were publicly displayed.

9:15 On the fourteenth day of Adar the Jews of Susa got together again and killed three hundred more people in the city. But again, they did no looting.

9:16 The Jews in the provinces also organized and defended themselves. They rid themselves of their enemies by killing seventy-five thousand people who hated them. But they did no looting.

9:17 This was on the thirteenth day of Adar. On the next day, the fourteenth, there was no more killing, and they made it a joyful day of feasting.

9:18 The Jews of Susa, however, made the fifteenth a holiday, since they had slaughtered their enemies on the thirteenth and fourteenth and then stopped on the fifteenth.

9:19 This is why Jews who live in small towns observe the fourteenth day of the month of Adar as a joyous holiday, a time for feasting and giving gifts of food to one another.

9:20 Mordecai had these events written down and sent letters to all the Jews, near and far, throughout the Persian Empire,

9:21 telling them to observe the fourteenth and fifteenth days of Adar as holidays every year.

9:22 These were the days on which the Jews had rid themselves of their enemies; this was a month that had been turned from a time of grief and despair into a time of joy and happiness. They were told to observe these days with feasts and parties, giving gifts of food to one another and to the poor.

9:23 So the Jews followed Mordecai's instructions, and the celebration became an annual custom.

9:24 Haman son of Hammedatha-the descendant of Agag and the enemy of the Jewish people-had cast lots ("purim," they were called) to determine the day for destroying the Jews; he had planned to wipe them out.

9:25 But Esther went to the king, and the king issued written orders with the result that Haman suffered the fate he had planned for the Jews-he and his sons were hanged from the gallows.

9:26 That is why the holidays are called Purim. Because of Mordecai's letter and because of all that had happened to them,

9:27 the Jews made it a rule for themselves, their descendants, and anyone who might become a Jew, that at the proper time each year these two days would be regularly observed according to Mordecai's instructions.

9:28 It was resolved that every Jewish family of every future generation in every province and every city should remember and observe the days of Purim for all time to come.

9:29 Then Queen Esther, the daughter of Abihail, along with Mordecai, also wrote a letter, putting her full authority behind the letter about Purim, which Mordecai had written earlier.

9:30 The letter was addressed to all the Jews, and copies were sent to all the 127 provinces of the Persian Empire. It wished the Jews peace and security

9:31 and directed them and their descendants to observe the days of Purim at the proper time, just as they had adopted rules for the observance of fasts and times of mourning. This was commanded by both Mordecai and Queen Esther.

9:32 Esther's command, confirming the rules for Purim, was written down on a scroll.』
(日本聖書協会 聖書 和英対照 和文・新共同訳 英文・TEV エステル記より)


旧約聖書略解などへ、つづく

マルコ8章 人々はしるしを欲しがる その2

2009年03月19日 | 新約聖書日記
つづき

新約聖書略解 日本基督教団出版局 を、まとめて。
『10節で再び舟による移動が始まった。「ダルマヌタの地方」の所在は不明である。
しかしファリサイ派の登場はそこをユダヤ人地域とする。
原文で11節の文尾に「彼を試みて」の句が来る。これは10・2と同じで、共に3・6の協議以来、ファリサイ派が一貫してイエス殺しを追及していることを示すマルコの編集句である。
従って、「人々はしるしを・・・」の表題は、不適切である。
しるしをめぐる問題はマタイ12・38以下他にもあるが、全面的な拒絶がここの特色である。
イエスは、彼らをそのままそこに放置して、舟で対岸へと去って行く。』


新約聖書注解Ⅰ 日本基督教団出版局 を、まとめて。
『しるしの問題はすでにイエスの活動においても大きな争点であったと思われる。
11~12節「ファリサイ派の人々」は「イエスを試そうとして」、すなわちイエスが神的身分を持つ者であるか否かを試すために、「天からのしるしを求め」る。これは信仰の正反対の態度を意味する。
しるしは黙示文学的文脈では終末的の天変地異を指すが、ここでは「天からのしるし」は神がイエスの神的身分を確証するために与える奇跡的な事柄。
ユダヤ人のあいだでは、神が終末時のメシア的預言者についてそのようなしるしを与えることが期待されていた。
12節では同時代のユダヤ人一般が問題とされているので、イエスにしるしを要求したのは、伝承においては、一般のユダヤ人であったかもしれない。
それをファリサイ派の人々と特定したのはマルコであろう。
福音書著者はしばしばファリサイ派の人々をイエスの敵対者として登場させている。
ガリラヤで一般民衆がイエスを試すという伝承はマルコには受け入れがたいものであったにちがいない(したがってこの段落に関する新共同訳の小見出しは適切でない)。
彼はむしろイエスに対するガリラヤの民衆の信仰を強調しているのである。
しるしの要求を拒否する12節の発言は、マルコにとっては、奇跡そのものの拒否を意味しない。
イエスが彼を信じる民衆の願いに応じて奇跡を行ったことをマルコは繰り返し強調してきた。
ここでしるしを求めるファリサイ派の人々の要求をイエスが拒否したのは、彼らがイエスを試そうとしたからである。
その不信仰が批判される。
13節イエスは以前ファリサイ派の人々や律法学者との論争の後、異邦人の地に赴いたように、今やファリサイ派の人々の不信仰に直面し、再び舟でガリラヤ湖東岸の異邦人の地に向かう、とマルコは言おうとしているのであろうか。
しかしこの福音書では「向こう岸」はかならずしも対岸を意味しない。22節によると、イエスと弟子たちが着いた地はベトサイダである。』


新聖書講解シリーズ マルコの福音書 いのちのことば社 を、まとめて。
『このころになると、エルサレムからやってきたパリサイ人の敵意はさらに深まってくる。
パリサイ人は最初から挑戦的であった。彼らはイエスに、もしあなたが本当にメシヤなら、そのしるしを見せるよう要求した。
「天からのしるし」は、神から遣わされたメシヤであることを示す証拠のことである。
彼らは信じることができないために、何かしるしを見せるよう要求した。
とはいっても、パリサイ派の者たちは別に信じたくてそう言ったのではなかった。イエスを詰問する手段として、しるしを要求したのである。
イエスは答えて言われた。「なぜ、今の時代はしるしを求めるのか。・・・今の時代には、しるしは絶対に与えられません」。
しるしを求めるのはその人が不信仰だからであり、そのような求めに応じてしるしを与えることはできない、とイエスは拒否されたのである。
イエスはすでに多くの奇蹟によって神の国の到来を宣言しておられ、さらにこの後には死からの復活によってメシアであることを現そうとしていた。
それにもかかわらずこのように答えられたということは、彼らの不信仰と高慢を厳しくさばかれたのである。
信じない者はすでにさばかれ、ますます霊的に盲目となっていくという悪循環のいい見本がこのパリサイ人たちであった。
この論争が終わると、イエスは彼らから離れて湖の向こう岸に行かれたが、それは一つには彼らといっさいのかかわりを持つことを拒否されたからと考えることもできよう。』



お祈りしますm(_ _)m
恵み深い天の父なる神さま
ファリサイ派の不信仰を見るとき、自分の不信仰をも考えます。
不信仰ゆえにイエスさまを試して「しるし」を求めてくるファリサイ派の人たち。
わたしも、イエスさまに、たびたびしるしを求めることがあります。
どうか父の病気を治してください。
イエスさまによってなされる、人間には不思議に見える不可能に思える、神のしるしを求めます。
信じ切れていない神さまの力を、実際に確かめたいとも思います。
しっかりした目に見える確信が欲しいとも思います。
ただイエスさまを信じることができますように。
ただただ神さまを信じきることができますように。
主イエス・キリストの御名によって、お祈りします。
アーメン