聖書通読日記 2

2001年ペンテコステに受洗、プロテスタントのキリスト者

マタイ福音書 墓に葬られる

2005年05月30日 | 新約聖書日記
『 27:57 夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。
27:58 この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。そこでピラトは、渡すようにと命じた。
27:59 ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、
27:60 岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った。
27:61 マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた。』

新約聖書略解より
『イエスは午後三時に息を引き取った。
彼の遺体は間もなく十字架から降ろされた。
申命記21・22~23の規定では、木にかけて処刑された者の遺体はその日のうちに始末せねばならない。
既に夕方であったが、まだ日没前であった(日が沈むと安息日が始まり、埋葬の作業は許されない)。
アリマタヤのヨセフは「イエスの弟子であった」とあるが、ここで初めて登場するので、イエスとそれ以前の関係は分からない。
アリマタヤはエルサレムの北西約五十キロの村で、彼はエルサレムに住み、近くに墓をもっていた。
「金持ち」であったというのは、イエスを「苦難の僕」と解する立場からイザヤ53・9「富める者と共に葬られた」との関連でできた句かもしれない。
墓は横穴式で、遺体を収めた後、大きな石一つで蓋をした。
二人の女性は28・1への伏線である。』

わたしの聖書通読日記、一番最初はヨハネ福音書から始めた。
不思議にあっというまに終わった。毎日くらい書いていた。
が、このマタイ福音書に入ってから、亀の歩みのごとく。。。ぜんぜん進まない。
どれくらいかかったやろうか。。。ここまで来るのに。。。( ̄~ ̄;)
聖書に好きなとこ嫌いなとこがあったらあかんのやけど、やっぱりあるんやろうかな。。。
お祈りができるときと、できないときがあるのも、あかんね。

4年

2005年05月16日 | わたしの思い
昨日は、ペンテコステ礼拝でした。
わたしは、ペンテコステの礼拝のときに、洗礼を受けたので、クリスチャンになって4年目なりました。
今日まで、導いてくださって、神に感謝ですm(_ _)m
今回も、ペンテコステの礼拝に出ることができて、感謝ですm(_ _)m
父やマルや愛する人たちを守ってくださって、感謝ですm(_ _)m

これからも、弱いわたしの手をひいて、導いてくださいますように、
主イエスさま、わたしのそばにいてください。

マタイ福音書 イエスの死

2005年05月05日 | 新約聖書日記
『 27:45 さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。
27:46 三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」
これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
27:47 そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「この人はエリヤを呼んでいる」と言う者もいた。
27:48 そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとした。
27:49 ほかの人々は、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」と言った。
27:50 しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。
27:51 そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、
27:52 墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。
27:53 そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。
27:54 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」と言った。
27:55 またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々である。
27:56 その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。』

新約聖書略解をまとめて
『マルコによれば、イエスは午前九時に処刑され、十二時には暗闇が大地をおおい、三時間続いた。
マタイはこの異象が局地的なものでなく、全地に及んだと記すが、
これは地表のみでなく天空にまでわたって、これまで当然とされた平常の事態が破れ、終末の時が始まったことを黙示的な表現で描いている。
ここには旧約句への想起が作用しているであろう。
暗闇は神に逆らう悪の力が最後に全面的な支配を試みたことを象徴しているが、それもイエスの死とともに終わる。
ここにはイスラエルの解放となった出エジプトにおける最後の災いも示唆されているであろう。
46節イエスの絶望的な叫びは詩編22・2の言葉。
この詩編は最後に神への賛美となるので(23節以下)、彼はこの詩編全体を朗誦しようとして最初の節だけで力尽きたとする説がある。
しかしその考え方は、絶望は救い主イエスの最期にふさわしくないという考えを前提にしており、42節の見物人たちの考え方に近いのではないだろうか。
むしろ事態はもっと深刻であり、記者が記すとおりにイエスは絶望の只中で神への最後の疑問を投げかけた解すべきであろう。
それはゲツセマネでの苦闘の祈りを思わせる。
しかしイエスは「神はわたしを見捨てた」と断定的に言っているのでなく、「わが神わが神」と神への呼びかけを続け、「なぜ」と問いかける。
ゲツセマネでの祈りと同様、ここでも神からの直接的な答えは無い。
また一方、イエスのこれほどの弱さを伝承に語り継ぐことのできた初期教会の強さも指摘できよう。
51節裂けた神殿の垂れ幕とは、聖所と至聖所を仕切る隔てであり、大祭司のみが年に一回この幕を通って大贖罪日の儀式のために奥に入り得た。
これが破れたことは、祭司という特別の地位の者のみが司る祭儀的な宗教の時代が終わったことを象徴する。
マタイはさらに続けて地震などを記す。これも終末の異象を示唆する。
55節イエスの最期を見守ったのは、遠くガリラヤからついて来ていた女性たちだけであった。』

天の父なる神さま
イエスさまでさえ、苦しみと絶望のとき、神さまへの疑問を投げかけます。
ましてや、わたしたちが、疑問や絶望で、不信仰におちいるのは当然かもしれません。
神さまの御心が分からなくなるときがあります。
きっと多くの人が、この世の矛盾や苦しみから、神さまへ「なぜですか」といつも叫んでいるのかもしれません。
神さまは答えられませんが、すべては御心のままに行われること。
今は分からなくても、いつか、分かるときがくることを願います。
信仰がなくならないことを祈ります。
主イエスさまの御名によってお祈りします。
アーメン