聖書通読日記 2

2001年ペンテコステに受洗、プロテスタントのキリスト者

エレミヤ書4章 (悔い改めへの招き)、北からの敵 その3

2010年06月10日 | 旧約聖書日記
つづき

新実用聖書注解 いのちのことば社 をまとめて。
(これは新改訳聖書に基いています。)

『神は悔いたユダに向かい、偶像を廃棄し、真実と公義と正義をもって礼拝することを求められる。
更に神は、ユダの民に心を柔らかくするよう求め、そうしなければ神の怒りが火のように下ることを警告される。

<帰って来い>悔い改めの言葉だけではなく、消極的には偶像の廃棄。積極的には公義 の実践という行動を求められる。
<国々>イスラエルが全世界の祝福の源であるとの信仰は、アブラハム以来のこと。神の 目はご自身の民のみでなく、すべての人に注がれている。
<耕地を開拓せよ>神の言葉を受け入れやすくするために
<いばらの中>かたくなな心
<割礼>神との契約の目に見えるしるしで、男性の生殖器の包皮を切り取る儀式。ここでは霊的につまずきを与えるすべてのものを取り除く、との意味で使われている。
<心の包皮>心の中にある邪悪さ。

北からの災い(4・5~6・30)
a前代未聞の災禍(4・5~18)
神は民にエルサレムへの召集令状を布告される。
神は北から災いをもたらし、国と町を廃墟にしてしまわれる。
そのようなさばきに出会う民は神の怒りを嘆かなければならない。
民の指導者たちさえ狼狽するばかりなのだから。
そのようなメッセージを聞いたエレミヤは、神がかつて約束された平安を持ち出して訴える。
それに対し神は、さばきがもっと激しくなることを予告し、民に悔い改めを迫られる。
北からのさばきはすぐそこまで来ているのだ、と。
神はエルサレムを包囲する者たちが近づきつつある、と警告される。
それは無論、民が神に反逆した結果である。

<角笛>戦闘開始を知らせる
<城壁のある町>攻略の難しい要塞都市エルサレムを指す
<旗をあげよ>人々をエルサレムに誘導するため
<北から>まだ名が伏せられているが、バビロン軍の侵略のこと。後に名が明かされる
<獅子>相手の戦闘意欲を砕いてしまう強力なバビロン軍
<荒布>悲しみのとき着用する
<全く欺かれました>神の約束と民の現実とのギャップを感じてのエレミヤの不満
本書にはエレミヤの神に対する応答が数多く出てくるが、その最初。
<熱風>もみがらを吹き飛ばして麦の実だけを残す穏やかな風とは違い、東からの暑い強風。
<つむじ風>当然住居などを破壊してしまう
<ダン>イスラエル北境界線上にあった都市
<エフライムの山>エルサレム北方数kmほどの所にあり、ユダの町々の要塞の役目を果たしていた
<叫び声>バビロン軍による侵略開始の合図
<畑の番人>絶えず監視しているので、その目から逃れることは難しい
<あなたの心臓にまで達している>罪が骨の髄まで染み込み、手の施しようが無い状態

b審判の光景(4・19~31)
エレミヤは神の審判が余りに厳しいのを見て、心臓が破裂する思いを味わう。
神もまた、民の愚かな状態を嘆かれる。
続いてエレミヤは、神のさばきは自然が全く破壊されてしまうほどの激しいものであることを幻の中で示される。
そのような中でも、神は完全に滅ぼしてしまわれるわけではないが、地上では大きな嘆きが起こる。
敵の侵略は激しく、人々は逃げ場を失う。たといエルサレムが敵に媚を売っても、役に立たない。その悲惨な叫びは大きく、神にまで達する。

<私のはらわた>ユダヤ人によれば、感情が生じる場所
<角笛の音>戦闘開始の合図
<旗>勝利を象徴する敵軍の戦旗
<茫然として何もなく>創造時の混沌状態を表す表現。ここれは写真家がズームレンズを使っているかのように、23~25節は全地球、26~27節はユダ全土、26、29節はその町々と、次第にフォーカスが絞られていく。
<ひとりもいなく>さばきの激しさを示す誇張法
<ことごとくは滅ぼさない>神のさばきは厳しいものであったが、神は神を畏れる「残りの者」を備え、捕囚後に国を再建される。
<女>バビロン軍によって破壊された町々。特にエルサレム
<緋の衣>見栄えのよい高価な服
<かいがない>敵は戦いの手を緩めない。ユダは恋人だと思っているが、実は殺人者にほかならない。』




恵み深い天の父なる神様
偶像礼拝にはしるわたしたちに、悔い改めなさいと神は言われます。
主に立ち帰ることを、求められます。
わたしたちの罪による神のさばきは厳しいものでありますが、神は神を畏れる「残りの者」を備え、すべてを滅ぼすことはなさいません。
悔い改めて、主に向かうことができますように、お導きください。
主イエス・キリストの御名によって、お祈りします。
アーメン


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