聖書通読日記 2

2001年ペンテコステに受洗、プロテスタントのキリスト者

エレミヤ書2章 イスラエルの罪 その4

2009年10月15日 | 旧約聖書日記
旧約聖書注解 つづき


『14~16節と17~19節は、イスラエルがその罪の結果、アッシリアに滅ぼされ、
またエジプトのプサメティコス一世以降は、アッシリアと同盟したエジプトによって辱められる運命にあるという。
これは、まさにイスラエルが、自分の神、主を捨てたことの結果ではないかと言う。
北イスラエル王国は、アッシリアの属領となり、エジプトへ行って、ナイルの水を飲もうとしたり、アッシリアへ行ってユーフラテスの水を飲もうとしたりしている。
それは他でもない、自分の神、主を捨てたからではないか。
そのことがいかに悪いことであり、また苦い結果を伴うものであったかを知るべきだという。

20~22節、23~25節、26~28節では、イスラエルの罪と悪を、いくつかの比喩を使って描写している。
イスラエルの固有のあり方は、神の前に各人が人間として尊重されるということである。
「異国」のあり方は、富と権力による支配である。
イスラエルは、そのような「異国」のあり方を拒否して出発したのに、いつの間にか「異国」のまねをし、その一員であるかのように振舞ってきた。
だから、異国の間でイスラエルが敗北するのは、「盗人が捕らえられて辱めを受けるよう」なものである。
イスラエルの家と、その王、高官、祭司、預言者も共に辱められる。
真の神を父と呼び、母と呼ばないとき、人間は「木」や「石」に向かって、「父」、「母」と呼ぶようになる。
自分の自由になるものを神としているが、そのようなものは、人間の生存が問われるときには何の役にも立たない。
イスラエルは、「災難に遭えば」、神に向かって助けを求めるが、そのような神々は人間を助けることはできない。

29~32節は、イスラエルの抗弁を紹介する導入である。
30節で、神はイスラエルを懲らしめたが、無駄であったと言っている。
神の懲らしめを警告した預言者たちを、彼らは迫害したのである。

33~37節の単元は、イスラエルの悪を「悪い女」と「盗人」になぞらえている。
イスラエルはそのような罪や汚れを真剣に受け止めようとしていない。
16、17節を受けて、再びアッシリアとエジプトに対する屈従が問題とされている。』




お祈りしますm(_ _)m
恵み深い天の父なる神さま
イスラエルの罪、つまりは人間の罪とは、真実の神、主を捨てて、
異国の神々や人の手で作り上げた神々や、石や木で作ったものを神々とすること。
そのように人間の自由になる作られた神々は、人間の生存に関してまったく何の役にも立たないこと。
そのことを、真実の神である主は、怒りをもって私たちに知らしめる。
主、真実の神、創造の神を、畏れ従い、信頼することができますように。
信仰をお導きください。
主イエス・キリストの御名によって、お祈りします。
アーメン



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