聖書通読日記 2

2001年ペンテコステに受洗、プロテスタントのキリスト者

土台

2005年06月18日 | わたしの思い
昨日、思った。
わたしには、土台が無い。
なんかあったときには、流されてしまう。
いかんなあ。。。
最近、聖書あまり読んでないし。
お祈りも、お願いばかり。
なんだか、もっと、土台をしっかり築かないと。

と、ものすごい不安が押し寄せてきたのでありました。
イエスさまから離れると、こうやって不安が襲ってくるのか。。。

で、今日は、聖書を読んでいる。

宗教嫌い

2005年06月15日 | わたしの思い
宗教ってことばは、わたしも好きじゃないけど(なんかわけ分からん新興宗教のイメージや)、
宗教嫌いで、やけに、反抗的で、けなしてる人ほど、
あるとき、クリスチャンになるような人が居る気がする。
(わたしは、その一人やけどね(o^^o))

クリスチャンを嫌いで、けなしてる人が、
胸には十字架のネックレス、耳には十字架のイヤリング。
クリスマスを盛大に祝い、クリスマスの雰囲気にひたり。
教会で結婚式をあげて、十字架の前で、神に誓う。
。。。なにがなんだか、わけ分からん???

生きる力

2005年06月08日 | わたしの思い
人は弱い。。。と、わたしは思っています。
ほんのちょっとしたことや言葉で落ち込んだり、我慢しつづけて病気になってしまったり、
お酒をやめようとか、タバコをやめようとか、ダイエットしようとか、お金をためようとか、
たったこれだけのことでさえも、人は実行できずにいることの方が多いし、
人の気持ちは、どれほど弱いかと思います。

寂しい、苦しい、辛い、を、人にわかってもらおうと思っても、
結局は人は人を理解できません。
その人と同じ辛さを経験して、初めて、少しだけ分かるのかもしれません。
みんなが同じ条件で、同じ経験をするわけでもないし、人の苦しみは想像することや同情することや話を聞いて理解しようとすることで、分かった気になるのかもしれません。

人は弱い。人は人を理解できない。ということが分かってくると、
何を頼りに生きていこうかと思います。
わたしは、神さまがおられることを知り、イエス様がそばで導いてくださることを感じ、聖霊によって力や理解を与えられることが、救いになります。

わたしは敬虔なクリスチャンではありません。
普段、普通に暮らしているとき、いつもお祈りして、神さまと会話しているわけでもないし、聖書を読まないときも多いし、礼拝も休むことが多いです。
でも、最後の最後、わたしの力の限界を超えたところには、
神の力が生きる力になります。

人の思いはちっぽけで、思い通りに行くことはほとんどなく、
沢山の予定外のできごとがあり、今、生きていますが、次の瞬間、もう死んでいることはあることです。
地震、事故、病気、人との交わりの中での様々な被害、自殺。。。などなど、生きているけれども生きていることの不安定さ、はかなさを思います。

最後の最後、自分の努力や考えを尽くして、その限界にぶちあたったところで、
神さまが近くにおられることが、やっと見えてくるのかもしれません。

☆フォレストガンプの映画の最初に出てくる、羽根ありますよね。
風(神さま)が羽根(人)をのせて、羽根はゆられながら運ばれていく。。。そんな羽根の生き方がほんとなのかも。。。と、やっと分かってきた、このごろです。。。遅いですか?(o^^o)
(これは、フォレストガンプの映画について、わたしの大切なクリスチャンの友達に、最初におせーてもらったことです)☆