聖書通読日記 2

2001年ペンテコステに受洗、プロテスタントのキリスト者

マルコ福音書8章 人々はしるしを欲しがる その1

2009年02月05日 | 新約聖書日記
◆人々はしるしを欲しがる

『 8:11 ファリサイ派の人々が来て、イエスを試そうとして、天からのしるしを求め、議論をしかけた。

8:12 イエスは、心の中で深く嘆いて言われた。「どうして、今の時代の者たちはしるしを欲しがるのだろう。はっきり言っておく。今の時代の者たちには、決してしるしは与えられない。」

8:13 そして、彼らをそのままにして、また舟に乗って向こう岸へ行かれた。


8:11 Some Pharisees came to Jesus and started to argue with him. They wanted to trap him, so they asked him to perform a miracle to show that God approved of him.

8:12 But Jesus gave a deep groan and said, "Why do the people of this day ask for a miracle? No, I tell you! No such proof will be given to these people!"

8:13 He left them, got back into the boat, and started across to the other side of the lake.』
(日本聖書協会 聖書 和英対照 和文・新共同訳 英文・TEV マルコによる福音書より)


新約聖書略解などへ、つづく


マルコ福音書8章 四千人に食べ物を与える その2

2009年02月01日 | 新約聖書日記
つづき

新約聖書略解 日本基督教団出版局 を、まとめて。
『再び多くの群集が集まっている。
場所の移動は10節までないので、イエスは7・31の場所に留まっている。
導入されるのは6章と同じ給食物語であるが、イエスの主導で始まり、弟子たちが反論するなど、エリシャの給食に、より忠実に構成される。
イエスの憐れみは群集の空腹状況に向けられ、食べ物がない危機が前提される。
弟子の原文で「どこから・・・?」で始まる問いは、「どの人が彼らをここでパンにより満腹させられるか」となっており、
物語全体は、イエスにはそれができることを示そうとする。
従って、七個のパンで四千人を満腹させて、エリシャを圧倒的に凌駕する方としてイエスを描くのが伝承の主眼である。
しかし7・27の「第一に・・・満腹させよ」の言葉の後では、6章のユダヤ人の給食に続く非ユダヤ人の給食と言える。
ユダヤ人の中でイエスの下に集まった人々と同じように、異邦人も既に同じ食事に与っている。
この新しい関係の下で、この食事も神の国での食事の先取りとなる。』


新約聖書注解Ⅰ 日本基督教団出版局 を、まとめて。
『これは6・30~44で報じられて大群衆への奇蹟的給食の記事の異文である。ひとつの共通の伝承から二つの物語が別々に形成されて伝えられたものと思われる。
マルコにとってこの二つの出来事は基本的には同じ意味を持っている。
すなわち両者とも、イエスが大きな奇跡的力を持つ存在であることを示そうとしている。
このように類似した物語をマルコが二つとも福音書の中に取り入れあのは、ただたんに彼がこの二つを歴史上の別々の出来事と見なしたからではない。
マルコの文章においては、五千人の給食はガリラヤ湖の西すなわちユダヤ人の地における出来事であったと思われるが、四千人の給食は異邦人の地デカポリスの地方で行われたことになる。
ここでマルコは、イエスがユダヤ人だけでなく異邦人に対しても憐れみと大きな奇跡の力を示す神的存在であると言いたいのであろう。

4節における弟子達の問いは、すでに最初の給食の奇跡でイエスの大きな力を経験した者達の言葉としては不自然であると読者には思われるであろう。
しかも、弟子達は前回に比べてパンの数がやや多く、群集の数がずっと少ないことを知っているにも関わらず、「いったいどこからパンを手に入れて、これだけの人に十分食べさせることができるでしょうか」と困惑して問うている。
しかしマルコはこの言葉を修正したり削除したりしない。
むしろこれは、イエスに対する弟子達の驚くべき無理解と不信仰を露呈する言葉として、福音書著者には重要であった。』


新聖書講解シリーズ2 マルコの福音書 いのちのことば社 をまとめて。
『前の五千人のパンの奇跡の時は、弟子達のほうが心配して相談してきたが、今回はイエスのほうから話しかけている。
ここでは群集に対するイエスの愛の配慮が、大切なテーマの一つになっているのである。
そしてイエスは、前のパンの奇跡の時と同じように、わずかのパンと魚で四千人の群集の必要を満たされた。
デカポリス地方は、ガリラヤと比べてどちらかというとローマの植民地的色彩が強く、異邦人の世界であった。
そこに住む人たちは、ローマの権力者たちに利用され、ユダヤの宗教的指導者たちには差別されていた。
そのような民衆の中に、イエスはご自分から入って行き、神の国を宣べ伝え、悪霊を追い出し、パンの奇跡を行って彼らの必要にこたえられた。
しかもユダヤ人だけでなく、他の世界に住む者たちの必要にもこたえられた。
イエス・キリストは、世界中の人の救い主である。』



お祈りしますm(_ _)m
恵み深い天の父なる神さま
イエスさまに感謝します。
ユダヤ人だけの救い主ではなく、世界中すべての人の救い主となってくださる主イエスさまに、感謝します。
無理解で不信仰な者でありますが、どうか、赦し、お導きくださいますように。
主イエス・キリストの御名によってお祈りします。
アーメン