聖書通読日記 2

2001年ペンテコステに受洗、プロテスタントのキリスト者

マルコ福音書 8章 ペトロ、信仰を言い表す

2009年10月17日 | 新約聖書日記
◆ペトロ、信仰を言い表す

【 8:27 イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。

8:28 弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」

8:29 そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「あなたは、メシアです。」

8:30 するとイエスは、御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた。

8:27 Then Jesus and his disciples went away to the villages near Caesarea Philippi. On the way he asked them, "Tell me, who do people say I am?"

8:28 "Some say that you are John the Baptist," they answered; "others say that you are Elijah, while others say that you are one of the prophets."

8:29 "What about you?" he asked them. "Who do you say I am?" /Peter answered, "You are the Messiah."

8:30 Then Jesus ordered them, "Do not tell anyone about me."】
(日本聖書協会 聖書 和英対照 和文・新共同訳 英文・TEV マルコによる福音書より)


新約聖書注解などへ、つづく

エレミヤ書2章 イスラエルの罪 その4

2009年10月15日 | 旧約聖書日記
旧約聖書注解 つづき


『14~16節と17~19節は、イスラエルがその罪の結果、アッシリアに滅ぼされ、
またエジプトのプサメティコス一世以降は、アッシリアと同盟したエジプトによって辱められる運命にあるという。
これは、まさにイスラエルが、自分の神、主を捨てたことの結果ではないかと言う。
北イスラエル王国は、アッシリアの属領となり、エジプトへ行って、ナイルの水を飲もうとしたり、アッシリアへ行ってユーフラテスの水を飲もうとしたりしている。
それは他でもない、自分の神、主を捨てたからではないか。
そのことがいかに悪いことであり、また苦い結果を伴うものであったかを知るべきだという。

20~22節、23~25節、26~28節では、イスラエルの罪と悪を、いくつかの比喩を使って描写している。
イスラエルの固有のあり方は、神の前に各人が人間として尊重されるということである。
「異国」のあり方は、富と権力による支配である。
イスラエルは、そのような「異国」のあり方を拒否して出発したのに、いつの間にか「異国」のまねをし、その一員であるかのように振舞ってきた。
だから、異国の間でイスラエルが敗北するのは、「盗人が捕らえられて辱めを受けるよう」なものである。
イスラエルの家と、その王、高官、祭司、預言者も共に辱められる。
真の神を父と呼び、母と呼ばないとき、人間は「木」や「石」に向かって、「父」、「母」と呼ぶようになる。
自分の自由になるものを神としているが、そのようなものは、人間の生存が問われるときには何の役にも立たない。
イスラエルは、「災難に遭えば」、神に向かって助けを求めるが、そのような神々は人間を助けることはできない。

29~32節は、イスラエルの抗弁を紹介する導入である。
30節で、神はイスラエルを懲らしめたが、無駄であったと言っている。
神の懲らしめを警告した預言者たちを、彼らは迫害したのである。

33~37節の単元は、イスラエルの悪を「悪い女」と「盗人」になぞらえている。
イスラエルはそのような罪や汚れを真剣に受け止めようとしていない。
16、17節を受けて、再びアッシリアとエジプトに対する屈従が問題とされている。』




お祈りしますm(_ _)m
恵み深い天の父なる神さま
イスラエルの罪、つまりは人間の罪とは、真実の神、主を捨てて、
異国の神々や人の手で作り上げた神々や、石や木で作ったものを神々とすること。
そのように人間の自由になる作られた神々は、人間の生存に関してまったく何の役にも立たないこと。
そのことを、真実の神である主は、怒りをもって私たちに知らしめる。
主、真実の神、創造の神を、畏れ従い、信頼することができますように。
信仰をお導きください。
主イエス・キリストの御名によって、お祈りします。
アーメン


エレミヤ書2章 イスラエルの罪 その3

2009年10月11日 | 旧約聖書日記
つづき

旧約聖書注解Ⅱ 日本基督教団出版局 をまとめて。
『2・1~4・4までは、基本的に、長い北イスラエルに対する悔い改めの呼びかけである。

2章は、9単元に分けるのが適切であろう。
(1)4~8節(2)9~13節(3)14~16節(4)17~19節
(5)21~22節(6)23~25節(7)26~28節(8)29~32節(9)33~37節
さらに、4・4までを一連の預言と見るならば、以下の6単元を加える。
(10)3・1~5節(11)3・6~11節(12)3・12~13節
(13)3・19~22a節(14)3・22b~25節(15)4・1~2節(16)4・3~4節
以上が小見出し4つを含む、韻文の預言、「イスラエルへの呼びかけ」、全体の構造である。

 1~3節は、2・4~4・2に及ぶ長い、北イスラエルに呼びかける預言に、4・3~4と共に、二次的な導入と結びとして加筆されたものである。
エルサレムの人々に語りかける形をとっているが、内容的には、預言の主要部の導入にふさわしいものになっている。
1節は召命の記事に三度使われている「主の言葉がわたしに臨んだ」という言葉で、一章とのつながりを密接にしている。

内容は、夫としての神と、花嫁としてのイスラエルの蜜月のときの想起に主眼がある。
イスラエルの理想のときは、カナンに入る前の荒れ野の時代であった。
沃地に入ると、イスラエルはバアルに誘惑され、バアルと姦淫した。
それが、イスラエルの滅んだ理由である。
4節以下の預言の内容も、このテーマで貫かれている。
荒れ野は、蜜月の時代であり、植物にたとえれば、イスラエルは神が蒔いた収穫の初穂だったのであり、主なる神以外の何者もこれに手を触れることは許されなかった。

 4~8節は、本来の預言の一単元である。
預言は、ヤコブとイスラエルに語りかける形をとっている。
神がイスラエルを非難し訴えるのは、主を捨ててバアルに従ったということである。
バアルの名も何度か使われているが、むしろ「空しいもの」「助けにならぬもの」「神でないもの」などと呼ばれている。
4~8節は、イスラエルの背信の歴史と実態を振り返り、なぜそのようなことが起こりえたのかと神が問いかける形をとっている。
彼らは出エジプトの神のいますところが、どこであるか尋ねようともせず、
むしろ、神が与えられた豊かな地を汚し、忌まわしいものにしてしまった。
イスラエルの一般の人々と同様「律法を教える人たち」「指導者たち」「預言者たち」もバアルに従ったという。

 次の単元9~13節は、以上の罪状について、神がそれを公に告発し、当事者とその子孫に論争を挑む形をとっている。
10節は、罪状の重さを確かめるために、他の地域における類似の問題を調査させよという要求である。
キティムは、キプロス島をはじめ、東地中海の島々を指す。ケダルは、アラビアの部族の名である。
地中海の島々に渡っても、アラビア砂漠の部族を訪ねても、自分の神を取り替えたものはない。
しかも「神でないもの」と取り替えたと言うのである。
「神でないもの」とは、「助けにならぬもの」である。
真の神と、「神でないもの」とは、「生ける水の源」と「水をためることのできない、こわれた水溜め」との相違である。
イスラエルはなにゆえ、無用の業をするのか。
これこそ、自らの上に災いを招く行為ではないか。』


つづく


いか~ん

2009年10月09日 | わたしの思い
長いこと、このブログ、更新できてない。。。(⌒◇⌒;)

注解書は読んでまとめてあるんやけども、
パソコンを打つ時間が無い。
他のことに時間をつかってしまってる。
いか~ん。

介護や家事や洋裁や読書に時間が沢山必要で。
おまけに好きなロックバンドの方へものすごく興味が行ってて。。。
わたし、クリスチャンなのに、聖書中心主義じゃなくなってた(⌒◇⌒;)反省
それと体調も悪かったし。。。言い訳。
また、ぼちぼち更新しますm(_ _)m
よろしくお願いします。


聖書中心主義宣言!
。。。。これいまさら何言ってる。クリスチャンとしてあたりまえ。
失礼しましたm(_ _)m