つづき
『新聖書講解シリーズ2 マルコの福音書』いのちのことば社を、まとめて
『このイエスのパブテスマは、罪の悔い改めのパブテスマではなく、
宣教の生涯のスタートとしてのパブテスマであった。
イエスご自身には罪を悔い改める必要は全くなかったが、
罪の世界に生きる民衆と共に生き、彼らを罪の世界から救い出すために、あえてパブテスマを受けられたのである。
イエスの基本精神と生き方が、この時すでに現れている。
イエスがパブテスマを受けられたとき、御霊が下った。
イエスは神の子であったが、御霊を受けることによって改めて御自分の使命を確認された。
そして天から神の声があった。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」。
イエス御自身がメシアであることを確認されただけでなく、神もそのことを宣言されたのである。
このように、イエスのパブテスマは宣教の生涯のスタートであり、
罪に悩む者と共に生きることを意味し、メシアであることを宣言したものであった。』
『聖書思想事典』三省堂をまとめて
『イエスの洗礼
1事実
イエスも洗礼者ヨハネから洗礼を受けるために彼のもとへおもむく。
イエスはこのようにして、父のみ旨に服し、謙遜に罪びとのなかに身をおく。
イエスは実に、世の罪を一身に負う神の小羊である。
ヨルダン川での洗礼は、その”死による洗礼”を告知し、かつ準備していたのである。
このようにイエスの宣教生活は、洗礼によって始まり、洗礼によって終わることになる。
2意義
イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けたとき、聖霊は鳩の形でその上にくだり、天の父は彼が自分の愛子であることを宣言している。
彼の上に聖霊がくだったことは、旧約の預言どうりに一つの使命が彼に授けられたことを表すと同時に、
聖霊の降臨を予告するものだったと言えよう。
事実聖霊降臨の日には聖霊による洗礼がおこなわれ、その後教会にはいる人はすべてこの洗礼を経ることになる。
イエスを神の子として認める者は、彼と結ばれて神の養子となり、そして聖霊の賜物を受ける。
ところでイエスは実際には、”死による洗礼”を受けることによって復活へと導かれ、彼の栄光の人性は、聖霊の充満を受けて、「命を与える霊」となり、彼を信じる者に聖霊を伝えている。』
新約聖書略解(日本基督教団出版局)と、新聖書講解シリーズ2マルコ福音書(いのちのことば社)と、聖書思想事典(三省堂)とを読み比べると、
違いがありますが。。。
いろんな解説があることを知ることはいいと思うので。
天の父なる神さま
イエスさまが、わたしたちと共に生きるために受けられた洗礼を感謝します。
わたしたちの罪を救うために、罪の世に来られました。
イエスさまに感謝いたします。
最後の最後までわたしたちを見捨てることなく、
いつも共にいて生きてくださる神、主イエスさまに感謝いたします。
主イエス・キリストの御名によってお祈りをささげます。
アーメン
『新聖書講解シリーズ2 マルコの福音書』いのちのことば社を、まとめて
『このイエスのパブテスマは、罪の悔い改めのパブテスマではなく、
宣教の生涯のスタートとしてのパブテスマであった。
イエスご自身には罪を悔い改める必要は全くなかったが、
罪の世界に生きる民衆と共に生き、彼らを罪の世界から救い出すために、あえてパブテスマを受けられたのである。
イエスの基本精神と生き方が、この時すでに現れている。
イエスがパブテスマを受けられたとき、御霊が下った。
イエスは神の子であったが、御霊を受けることによって改めて御自分の使命を確認された。
そして天から神の声があった。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」。
イエス御自身がメシアであることを確認されただけでなく、神もそのことを宣言されたのである。
このように、イエスのパブテスマは宣教の生涯のスタートであり、
罪に悩む者と共に生きることを意味し、メシアであることを宣言したものであった。』
『聖書思想事典』三省堂をまとめて
『イエスの洗礼
1事実
イエスも洗礼者ヨハネから洗礼を受けるために彼のもとへおもむく。
イエスはこのようにして、父のみ旨に服し、謙遜に罪びとのなかに身をおく。
イエスは実に、世の罪を一身に負う神の小羊である。
ヨルダン川での洗礼は、その”死による洗礼”を告知し、かつ準備していたのである。
このようにイエスの宣教生活は、洗礼によって始まり、洗礼によって終わることになる。
2意義
イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けたとき、聖霊は鳩の形でその上にくだり、天の父は彼が自分の愛子であることを宣言している。
彼の上に聖霊がくだったことは、旧約の預言どうりに一つの使命が彼に授けられたことを表すと同時に、
聖霊の降臨を予告するものだったと言えよう。
事実聖霊降臨の日には聖霊による洗礼がおこなわれ、その後教会にはいる人はすべてこの洗礼を経ることになる。
イエスを神の子として認める者は、彼と結ばれて神の養子となり、そして聖霊の賜物を受ける。
ところでイエスは実際には、”死による洗礼”を受けることによって復活へと導かれ、彼の栄光の人性は、聖霊の充満を受けて、「命を与える霊」となり、彼を信じる者に聖霊を伝えている。』
新約聖書略解(日本基督教団出版局)と、新聖書講解シリーズ2マルコ福音書(いのちのことば社)と、聖書思想事典(三省堂)とを読み比べると、
違いがありますが。。。
いろんな解説があることを知ることはいいと思うので。
天の父なる神さま
イエスさまが、わたしたちと共に生きるために受けられた洗礼を感謝します。
わたしたちの罪を救うために、罪の世に来られました。
イエスさまに感謝いたします。
最後の最後までわたしたちを見捨てることなく、
いつも共にいて生きてくださる神、主イエスさまに感謝いたします。
主イエス・キリストの御名によってお祈りをささげます。
アーメン