聖書通読日記 2

2001年ペンテコステに受洗、プロテスタントのキリスト者

クリスマス礼拝

2009年12月20日 | わたしの思い
今日はクリスマス礼拝でしたね。

わたしは、いつものように父の介護があるため、ヘルパーさんが1時間半来てくださっている間に、外出させてもらって礼拝に出席できました。

ので、いつもいつも礼拝には、遅刻・早退です。
寂しいお話。
でも、出席できてるだけでも、ありがたいですよね。

今日はクリスマス礼拝で、洗礼を受けるかたが沢山おられて、喜ばしく嬉しいことでした。
でも、途中で帰る時間になったので、早退して帰ってきました。
ので、正餐も与れず、ど~も、残念です。

まあ、父の体調が安定していてくれたら、それでいいです。
それが一番ですね。
イエスさまも分かってくださっていることと思いますし(o^^o)

エレミヤ書3章 悔い改めの呼びかけ・シオンへの帰還・悔い改めへの招き その2

2009年12月12日 | 旧約聖書日記
つづき


『 3:1 The Lord says, "If a man divorces his wife, and she leaves him and becomes another man's wife, he cannot take her back again. This would completely defile the land. But, Israel, you have had many lovers, and now you want to return to me!

3:2 Look up at the hilltops. Is there any place where you have not acted like a prostitute? You waited for lovers along the roadside, as an Arab waits for victims in the desert. You have defiled the land with your prostitution.

3:3 That is why the rains were held back, and the spring showers did not come. You even look like a prostitute; you have no shame.

3:4 "And now you say to me, "You are my father, and you have loved me ever since I was a child.

3:5 You won't always be angry; you won't be mad at me forever.' Israel, that is what you said, but you did all the evil you could."

3:6 When Josiah was king, the Lord said to me, "Have you seen what Israel, that unfaithful woman, has done? She has turned away from me, and on every high hill and under every green tree she has acted like a prostitute.

3:7 I thought that after she had done all this, she would surely return to me. But she did not return, and her unfaithful sister Judah saw it all.

3:8 Judah also saw that I divorced Israel and sent her away because she had turned from me and had become a prostitute. But Judah, Israel's unfaithful sister, was not afraid. She too became a prostitute

3:9 and was not at all ashamed. She defiled the land, and she committed adultery by worshiping stones and trees.

3:10 And after all this, Judah, Israel's unfaithful sister, only pretended to return to me; she was not sincere. I, the Lord, have spoken."

3:11 Then the Lord told me that, even though Israel had turned away from him, she had proved to be better than unfaithful Judah.

3:12 He told me to go and say to Israel, "Unfaithful Israel, come back to me. I am merciful and will not be angry; I will not be angry with you forever.

3:13 Only admit that you are guilty and that you have rebelled against the Lord, your God. Confess that under every green tree you have given your love to foreign gods and that you have not obeyed my commands. I, the Lord, have spoken.

3:14 "Unfaithful people, come back; you belong to me. I will take one of you from each town and two from each clan, and I will bring you back to Mount Zion.

3:15 I will give you rulers who obey me, and they will rule you with wisdom and understanding.

3:16 Then when you have become numerous in that land, people will no longer talk about my Covenant Box. They will no longer think about it or remember it; they will not even need it, nor will they make another one.

3:17 When that time comes, Jerusalem will be called "The Throne of the Lord,' and all nations will gather there to worship me. They will no longer do what their stubborn and evil hearts tell them.

3:18 Israel will join with Judah, and together they will come from exile in the country in the north and will return to the land that I gave your ancestors as a permanent possession."

3:19 The Lord says, /"Israel, I wanted to accept you as my child /and give you a delightful land, /the most beautiful land in all the world. /I wanted you to call me father /and never again turn away from me.

3:20 But like an unfaithful wife, /you have not been faithful to me. /I, the Lord, have spoken."

3:21 A noise is heard on the hilltops: /it is the people of Israel crying and pleading /because they have lived sinful lives /and have forgotten the Lord their God.

3:22 Return, all of you who have turned away from the Lord; /he will heal you and make you faithful. /You say, "Yes, we are coming to the Lord because he is our God.

3:23 We were not helped at all by our pagan worship on the hilltops. Help for Israel comes only from the Lord our God.

3:24 But the worship of Baal, the god of shame, has made us lose flocks and herds, sons and daughters-everything that our ancestors have worked for since ancient times.

3:25 We should lie down in shame and let our disgrace cover us. We and our ancestors have always sinned against the Lord our God; we have never obeyed his commands."』
(日本聖書協会 聖書 英文・TEV エレミヤ書より)



旧約聖書注解へつづく

エレミヤ書3章 悔い改めの呼びかけ・シオンへの帰還・悔い改めへの招き その1

2009年12月11日 | 旧約聖書日記
『◆悔い改めの呼びかけ

3:1 もし人がその妻を出し
彼女が彼のもとを去って
他の男のものとなれば
前の夫は彼女のもとに戻るだろうか。
その地は汚れてしまうではないか。
お前は多くの男と淫行にふけったのに
わたしに戻ろうと言うのかと
主は言われる。

3:2 目を上げて裸の山々を見よ
お前が男に抱かれなかった所があろうか。
荒れ野でアラビア人が座っているように
お前は道端に座って彼らを待つ。
淫行の悪によってお前はこの地を汚した。

3:3 雨がとどめられ
春の雨も降らなかったのはそのためだ。
お前には遊女の額があり
少しも恥じようとしない。

3:4 「あなたは、わが父、わたしの若い日の夫」と
お前がわたしに呼びかけるのは
今が初めてだろうか。

3:5 「主はいつまでも憤り
限りなく怒り続けるだろうか」と
お前は言いながら悪を重ねる。
それでもお前は平気だ。

3:6 ヨシヤ王の時代に、主はわたしに言われた。あなたは背信の女イスラエルのしたことを見たか。彼女は高い山の上、茂る木の下のどこにでも行って淫行にふけった。

3:7 彼女がこのようなことをしたあとにもなお、わたしは言った。「わたしに立ち帰れ」と。しかし、彼女は立ち帰らなかった。その姉妹である裏切りの女ユダはそれを見た。

3:8 背信の女イスラエルが姦淫したのを見て、わたしは彼女を離別し、離縁状を渡した。しかし、裏切りの女であるその姉妹ユダは恐れるどころか、その淫行を続けた。

3:9 彼女は軽薄にも淫行を繰り返して地を汚し、また石や木と姦淫している。

3:10 そればかりでなく、その姉妹である裏切りの女ユダは真心からわたしに立ち帰ろうとせず、偽っているだけだ、と主は言われる。

3:11 主はわたしに言われる。裏切りの女ユダに比べれば、背信の女イスラエルは正しかった。

3:12 行け、これらの言葉をもって北に呼びかけよ。
背信の女イスラエルよ、立ち帰れと
主は言われる。
わたしはお前に怒りの顔を向けない。
わたしは慈しみ深く
とこしえに怒り続ける者ではないと
主は言われる。

3:13 ただ、お前の犯した罪を認めよ。
お前は、お前の主なる神に背き
どこにでも茂る木があれば、その下で
他国の男たちと乱れた行いをし
わたしの声に聞き従わなかったと
主は言われる。

◆シオンへの帰還

3:14 背信の子らよ、立ち帰れ、と主は言われる。わたしこそあなたたちの主である。一つの町から一人、一つの氏族から二人ではあるが、わたしはあなたたちを連れてシオンに行こう。

3:15 わたしはあなたたちに、心にかなう牧者たちを与える。彼らは賢く、巧みに導く。

3:16 あなたたちがこの地で大いに増えるとき、その日には、と主は言われる。人々はもはや、主の契約の箱について語らず、心に浮かべることも、思い起こすこともない。求めることも、作ることももはやない。

3:17 その時、エルサレムは主の王座と呼ばれ、諸国の民は皆、そこに向かい、主の御名のもとにエルサレムに集まる。彼らは再び、かたくなで悪い心に従って歩むことをしない。

3:18 その日、ユダの家はイスラエルの家と合流し、わたしがあなたたちの先祖の所有とした国へ、北の国から共に帰って来る。

◆悔い改めへの招き

3:19 わたしは思っていた。
「子らの中でも、お前には何をしようか。
お前に望ましい土地
あらゆる国の中で
最も麗しい地を継がせよう」と。
そして、思った。
「わが父と、お前はわたしを呼んでいる。
わたしから離れることはあるまい」と。

3:20 だが、妻が夫を欺くように
イスラエルの家よ、お前はわたしを欺いたと
主は言われる。

3:21 裸の山々に声が聞こえる
イスラエルの子らの嘆き訴える声が。
彼らはその道を曲げ
主なる神を忘れたからだ。

3:22 「背信の子らよ、立ち帰れ。
わたしは背いたお前たちをいやす。」
「我々はあなたのもとに参ります。
あなたこそ我々の主なる神です。

3:23 まことに、どの丘の祭りも
山々での騒ぎも偽りにすぎません。
まことに、我々の主なる神に
イスラエルの救いがあるのです。

3:24 我々の若いときから
恥ずべきバアルが食い尽くしてきました
先祖たちが労して得たものを
その羊、牛、息子、娘らを。

3:25 我々は恥の中に横たわり
辱めに覆われています。
我々は主なる神に罪を犯しました。
我々も、先祖も
若いときから今日に至るまで
主なる神の御声に聞き従いませんでした。」』
(日本聖書協会 聖書 和文・新共同訳 エレミヤ書より)



つづく


ローマの信徒への手紙 1章 福音の力 その2

2009年12月10日 | 新約聖書日記
つづき


新約聖書注解 日本基督教団出版局 を、まとめて。
『この部分は、文章の流れからすれば14節に結びつき、ローマ行きの願いとその必要を内容とする「感謝」の力強い締め括りをなす。
しかし同時にこれは、それに続く本論の主題の提示でもある。
したがって、この箇所の解釈は本書全体から最終的には明らかになるわけだが、またこれをどう読むかが本書全体の解釈に重大な意味を持ってくるともいえる。

「わたしは福音を恥としない」は、告白の響きを持つ宣言である。
1コリント書で語られているように、福音は「十字架の言葉」であり、「ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなもの」なのである。
しかし信仰は奴隷のみせしめの刑罰である磔刑に「神の力」を見る。
「神の力」は、ギリシアの世界では人間の力を越えた奇跡的な力を、ヘレニズムのユダヤ教では旧約の歴史の中に働く神の救いのわざを指すが、ここでは終末の時に世界(宇宙)に実現する神の支配を意味する。
この終末時に実現する神の支配は、恐れではなく「救いをもたらす」。
「救い」は個人的、内面的救済ではなく、最後の審判の際に断罪されることから免れることである。
これは信じる者すべて」に約束され与えられるものである。
「すべて」は文字通り救いが全人類に及ぶという救いの普遍性を語っている。
「信じる者」はこの普遍性を限定しない。
なぜなら信仰は律法遵守と対比され、いかなる意味においても人間側の救いの条件とはなり得ないからである。
救いは律法のわざや自己の功績に頼らない、それゆえ、ただ信じるすべての人間に与えられる。
それゆえ「信じる」とは、信仰箇条の受容に終わらず、終末時における神の支配の下に身をおく態度を言う。
パウロはすべての人間を、14節とは異なった二分法で「ユダヤ人をはじめ、ギリシア人」と表現する。
彼は明らかにユダヤ人を上位においている。
これを彼の民族的偏見と片付けることは簡単だが、ここには信仰義認という彼の福音理解と、神の救い歴史に連なるというユダヤ人としての救済理解との関連の問題が存在する。
信仰によって義とされるという福音が強調されればされるだけ、イスラエルに対してなされた神の救いの約束が揺らいでくるという否定し難い矛盾が出てくる。
神の契約に対する信義の問題である。
彼は三章と九章以下においてこの問題を直接扱っているが、ユダヤ人を上位におくのは、この神の救いのわざの連続性を真剣に受け止めているからである。

この福音によって全世界に啓示されているのは「神の義」である。
「義」はこなれた日本語ではない。
ディカイオシュネーというギリシャ語の置き換えである。
「義」には、正しい、正義あんどのほかに代用の意味があるが原語にはない。
逆に原語にが含意する、神の、また神とのあるべき関係というニュアンスは日本語の義にはない。
ディカイオシュネーは本書においては特別な鍵言葉であり、パウロ自身がこの言葉に一貫性を持たせているわけであるから、「新共同訳」ではほぼ一貫して「義」と訳している。
「神の義」は「神の救いの働き」とも訳し得るように、単に神の属性の一つとして憐れみ、愛、聖と同列に扱われたり、倫理的な意味での正義などと混同されてはならない。
それは神の救いのわざ、人間に対する賜物であり、その力を指す。
「義」は元来、法廷用語であったが、黙示文学的終末論においては神の契約に対する誠実を意味する。
この神の誠実が、神の民イスラエルの背信、さらには律法を守ることによって己の義をたてようとする人間の無知に対して、いずれも契約破棄となる断罪や黙認によってではなく、福音において貫かれるというのがこの宣言の語るところである。
神の義は本書の主題であり、本書の構造を成しており、その意味では本書全体から最終的には知られる。
パウロ自身の定義は3・21以下に展開されている。
それによれば、神の義は、神ご自身が義となり、信じる者を義とするという二重の構造を持っていることになる。
この神の力ある働きは、「初めから終わりまで信仰を通して実現される」。
信仰の原語はピスティスであるが、「義」の場合と同様に、本書の鍵言葉であるとともに訳し方についても注意を要する。
人間が主語の場合、信仰と訳しえるが、神が主語の場合、真実、誠実と訳すべきである。
原文は「ピスティスからピスティスへ」で、徹頭徹尾ピスティスによる、ということなのだが、これを神の真実と解する可能性が全くないわけではない。
カール・バルトはそのように訳している。
ルードルフ・ブルトマンはこれを実存的人間の決断にひきつけて解釈する。
いすれにせよ、問題は二者択一ではない。
パウロは両者を含み持つピスティスという語で考えている。
「信仰」は、単に神の存在を容認することや特定の教義を受容することではない。
それは、人間を救うという神の不変の決意であり、その神に全存在を賭けて信頼し続けることである。
パウロはディカイオシュネーとピスティスが最も簡潔な形で出てくる「正しい者は信仰によって生きる」をハバ2・4から引用する。
「新共同訳」の「神に従う人は信仰によって生きる」という旧約の訳は参考になる。
そもそも神との関係を抜きにして正とか聖など語れないからである。』



お祈りしますm(_ _)m
恵み深い天の父なる神さま
律法を守ることによってのみ己の義を立てようとする人間の無知を、
断罪や黙認によってではなく、
神さまの愛である恵みと赦しによって、
神さまの誠実が福音において貫かれるということに、心から感謝します。
こころから、ありがとうございます。
信じることによってのみ、義とされることを感謝します。
主イエス・キリストの御名によって、お祈りします。
アーメン