聖書通読日記 2

2001年ペンテコステに受洗、プロテスタントのキリスト者

感謝

2006年01月26日 | わたしの思い
おとつい、火曜日は、スケジュールの忙しい日。
昨日の水曜日は、父ちゃまの予約診察日。
で、今日は、午後からウンチが出たので、ウンチの処理(力仕事)をばしておりました。
ので、ここ3日間ほど、ハードであった。。。
疲れたぞ(⌒◇⌒;)
おかげで、お仕立て物(洋裁)も、はかどってないし。。。焦る( ̄~ ̄;)

昨日の夜中は、父ちゃまの痰の吸引に、2回起きた。
マルの出し入れにも、2回起きた。
思うけど、ここ、何年も、夜中に何度も起きて、痰の吸引をする生活をしてるので、
6時間とか7時間くらい、ぶっ通しで眠ったことがない。
もう、ぶっ通しで寝るって感覚は忘れている。
でもね、それでも、人間は、ちゃんと生きてられるって、分かった。
人間はすごいね。
神さまは、ちゃんと、どんな睡眠の取り方でも、生きられるように、人を造られて、生かしてくれてる。
感謝ですm(_ _)m

マルコ福音書 巡回して宣教する

2006年01月11日 | 新約聖書日記
◆巡回して宣教する
『 1:35 朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。
1:36 シモンとその仲間はイエスの後を追い、
1:37 見つけると、「みんなが捜しています」と言った。
1:38 イエスは言われた。
「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。
そのためにわたしは出て来たのである。」
1:39 そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。』(日本聖書協会 聖書 新共同訳から)

新約聖書略解(日本基督教団出版局)をまとめて
『「朝早く」と「まだ暗いうちに」、実際には「夜の内に」、イエスは家を出る。
後を追う人々を背後に、彼は宣教へと出発する。
39節「ガリラヤ中の会堂へ行き、宣教し・・・」は、不明瞭な構文の文章の一つの解釈である。
「・・・の中へ宣教する」を密接に結合した表現と取り(14・9)、
彼はカファルナウムでと同じように、町々の会堂へと宣教した。
それによって結果的に、「全ガリラヤ」へ宣教することとなったと考えるのが妥当だろう。
特に悪霊追放が明示されるのは、
イエスが宣教する神の国の到来は、悪霊の支配の終焉を意味すると考えるとき、最も自然である。』

「悪霊」について、ちょっと分からないので、聖書思想事典で、調べて書きます。
ので、次回へ、つづきます。

マルコ福音書 多くの病人をいやす

2006年01月07日 | 新約聖書日記
(☆写真の本は、去年から、未だに読んでる本であります。わたし読むの遅いです( ̄~ ̄;)
でも、とても恵み多い本です。
まず、今年最初は、この本を読んでしまおうと思っております☆)

◆多くの病人をいやす
『 1:29 すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。
1:30 シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。
1:31 イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。
1:32 夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。
1:33 町中の人が、戸口に集まった。
1:34 イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、
また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。』(日本聖書協会 聖書 新共同訳から)

新約聖書略解をまとめて
『29~31節は独立した治癒物語である。
32~34節は、恐らく編集者によるイエスの活動描写で、35節以下に続いていく。
この二つは共に「シモンとアンデレの家」を舞台にする。
「ヤコブとヨハネも一緒」とされて、四人が列挙されるのは、既に1・35節以下の宣教旅行への出発を意識し、彼らを常時、後に従う者たちとして明確にする。

癒しでは、一定の治癒行為を通して病気が癒される。
ここでは最初の臥せた姿と最後の活動的な姿の対比の中で、癒しが実証される。
治癒行為は「手を取って、起こす」ことである。
「一同をもてなした」は「仕えた」で、食卓などの世話を意味し、
15・41(「この婦人たちは、イエスがガリラヤにおられたとき、イエスに従って来て世話をしていた人々である。なおそのほかにも、イエスと共にエルサレムへ上って来た婦人たちが大勢いた。」)とつながる。

同時に、婦人たちの「仕える」は、イエスの生の基本であり、
また弟子の在り方である(10・35以下など)。

癒しと悪霊追放について、共に「多くの」が付され、「すべての」に対して限定的である。
特に悪霊に対しては簡潔だが、厳しく沈黙が命じられる。
悪霊はイエスの本質を知るが、その認識の表明は彼らの力の誇示であり、
またイエスの本質を彼の力に即してだけ理解することは、イエスにとって本意ではないからであろう。』


恵み深い天の父なる神さま
今日も、お守りください。
イエスさまに、手を取り起こされ、癒された者として、感謝します。
イエスさまがすべての人に仕える者となられ、ご自分の命をもささげられたように、
わたしも人に仕える者となることができますように。
人を愛すること、赦すこと、仕えることができないわたしですが、
イエス様によって、わたしをも変えられますように。
主イエス・キリストの御名によって、お祈りをささげます。
アーメン

百万人の福音

2006年01月05日 | 本の感想
「百万人の福音」いのちのことば社 590円
この本、毎月、本屋さんにとってもらってます。
よかですね、この本を読むと、元気がでてきます。
あまり難しいことは書かれてなくて、とても読みやすい感じです。
ので、気張って本を読むぞって感じよりも、
ちょっと開いて読んでみたら、どんどんと読めてしまう、、、そんな感じですね。
わたしには、ぴったりです。

さて、今年は、家に置いたままになっている本たちを、
読まないといけません。
毎年、今年こそ読むぞ、、、と、おもいつつ、ついつい読みそびれてる本ばかり。
今年こそ?!読みまする。

そんな本たちは、
ホームページの、ここに、載せてますm(_ _)m


マルコ福音書 汚れた霊に取りつかれた男をいやす

2006年01月02日 | 新約聖書日記
◆汚れた霊に取りつかれた男をいやす
『 1:21 一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。
1:22 人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。
1:23 そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。
1:24 「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」
1:25 イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、
1:26 汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。
1:27 人々は皆驚いて、論じ合った。
「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」
1:28 イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。』

新約聖書略解をまとめて
『ここから始まる1・21節~38節までは、イエスの具体的な働きを「カファルナウムの一日」として描く。
安息日午前中のユダヤ教会堂での悪霊追放(21~28節)、
昼ごろのシモンの家での癒し(29~31節)、
日没後、都市中の人々に対する癒しと悪霊追放(32~34節)、
翌日、他の町々へ出発(35~38節)である。
39節で、イエスが全ガリラヤへ宣教したことが短く言われるが、
読者は、ガリラヤの各町々で、カファルナウムの一日と同じような働きをしたと理解するよう期待されている。

イエスは会堂で「教え」、居合わせた人々は「非常に驚いた」という。
「律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである」
「権威」は「・・・することが許されている、自由である」を意味する動詞と関連する。
この「権威」を具体的に明らかにするために、悪霊追放物語がここに導入される。
悪霊追放は、病気の癒しと明確に区別されるべきである。
そこには悪霊とイエスとの戦いがある。
「汚れた霊」は、イエスの名と本質を見抜いていることを誇示して、イエスを支配しようとする。
特に重要なことは、「ナザレのイエス」の登場を悪霊全体の危機と認識していることである。
悪霊追放物語は、悪霊の攻撃に動じず、権威を持って悪霊を叱りつけ、追放するイエスを描く。
最後に人々の「喝采の叫び」で終わるが、ここでは「これは何か」と「論じ合う」形式である。
「・・・権威ある新しい教えだ。
この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く」でなく、
むしろ「汚れた霊たちにさえ(彼は)命令している、そして(彼らは)服従するのだ」と二重に驚く。
複数形の悪霊、現在形の作文は一つの奇跡を越えた事態を指示する。
その内、「権威ある新しい教えだ」は、冒頭の驚きとつながり、
今、生起した奇跡が、最初に人々が驚いたイエスの教えの中にあった「権威」の実証となる。』

恵み深い天の父なる神さま
権威ある新しい教えを、わたしたちへ与えてくださった、主なるイエスさま、
感謝です。
わたしたちを救うため、世へ来てくださった神の独り子イエスさまに感謝です。
わたしを救い、そして導き、いつも共に苦しんでくださるイエスさまに、感謝です。
主イエス・キリストの御名によって、お祈りをささげます。
アーメン