聖書通読日記 2

2001年ペンテコステに受洗、プロテスタントのキリスト者

マルコ福音書 四人の漁師を弟子にする

2005年12月31日 | 新約聖書日記
◆四人の漁師を弟子にする
『 1:16 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、
シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。
1:17 イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。
1:18 二人はすぐに網を捨てて従った。
1:19 また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、
1:20 すぐに彼らをお呼びになった。
この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。』

新約聖書略解をまとめて
『2組の兄弟の召命と彼らの随従(イエスの後に従って、彼が生きたように生きること)が物語られる。
イエスが労働中の人を見て、招く。
招かれた人は職業とその上に成り立つ生活を放棄して、イエスの後に従って生きることを始める。
この基本構造は2・14のレビの召命にも見られ、福音書を構成する口頭伝承の存在を知る好例である。
構造、用語は列王記上19・19以下のエリヤによるエリシャ召命と類似し、関連が考えられる。
しかしここでは招かれた人は即座に従う。
そこに神の支配の到来に対する応答の模範的姿がある。
またこれにより、最も重要な四人の弟子が、イエスの活動の発端から、彼に同伴することになる。』

恵み深い天の父なる神さま
今年も今日で終わりになります。
この一年、父、わたし、マルを、守り導いてくださって、感謝です。
来年もまた、お導きくださいますように。
人を赦し愛することのできない私を、愛することができる者にしてください。
イエスさまに、少しでも倣って生きることのできる者にしてください。
これからも、御言葉を与えてくださり、祈りつづけることができますように。
主イエス・キリストの御名によってお祈りします。
アーメン

マルコ福音書 ガリラヤで伝道を始める

2005年12月20日 | 新約聖書日記
◆ガリラヤで伝道を始める
『 1:14 ヨハネが捕らえられた後、
イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、
1:15 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。』

新約聖書略解をまとめて
『「捕らえられる」は「引き渡す」で、洗礼者、イエス、弟子の三者に共通する運命を表す述語である。
ヨハネの活動の終了が、その後に来るイエスの活動の始まりとなる。

「神の福音」として、「神の国」の到来を宣教したイエスの使信が、短く要約される。これ以降、単に「教える」、「宣べ伝える」といわれるとき、いつも想起されるべき基本的使信である。
今の時は満期になり、間もなく永遠の代が始まる。
「神の国」つまり神が王として支配するときがすぐそこに来ている。
この事態に対して、悔い改める、むしろ向きを変え、立ち帰ることとイエスがもたらす「福音」(喜びの使信)を信頼することが求められている。』

天の父なる神様
クリスマスも近づき、イエスさまがこの世に来られたことを感謝します。
神を知り、この世にありながらも神の国に籍を置き、
イエスさまにいつも守られながら、この世で生きるができることを感謝します。
神の深い愛を知ることができたことを感謝します。
弱いわたしたちを、愛し、赦し、招いてくださる神に感謝します。
主イエス・キリストの御名によってお祈りします。
アーメン



マルコ福音書 誘惑を受ける

2005年12月14日 | 新約聖書日記
◆誘惑を受ける
『 1:12 それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。
1:13 イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。
その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。』

新約聖書略解をまとめて
『「荒れ野で洗礼を受けたはずのイエスを、神の霊が「荒れ野」に追いやる。
こちらの荒れ野は日常生活とは異なる、非日常的空間のようである。
「四十日」は長いまとまった期間を表す。
「サタン」は元来、ヘブル語で「敵対者」を意味し、初期ユダヤ教の二元論的世界観の中で、神に敵対する反神的存在となった。
「誘惑する」むしろ「試みる」は、「四十日間」継続している。イエスを、サタンは神の望む道から引き離そうとしている。
野獣と「一緒に」は、恐るべき猛獣との平和な関係を示す。
「天使」は終わりの日に、人の子として到来するイエスに伴う天的存在である。
天使たちが使えるイエスは、天的主権者である。
福音書が単に地上のイエスの生と死を描くだけでないことを示す。
むしろ福音書は神が支配する歴史とその完成への歩み、神の世界との交差を本質とする。』

恵み深い天の父なる神さま
天的主権者であるイエスさまによって、罪あるこの世の人々を救い、
神さまのもとへ招いてくださることを感謝します。
わたしは体調不良が続き、聖書を読めない、礼拝に行けない日が続きましたが、
祈りを続けさせてくださったことを感謝します。
いつも守ってくださって感謝です。
どうか、み言葉を求めることができますように、導いてください。
主イエス・キリストの御名によって、お祈りをささげます。
アーメン