聖書通読日記 2

2001年ペンテコステに受洗、プロテスタントのキリスト者

祈る

2007年03月04日 | わたしの思い
去年の12月、今年の2月と、
2度も父が入院して、そのたびに何度も吐いて、高熱が出て、辛そうな父を心配して、精神的に疲れ果てる。
父の付き添いで一日に2度病院を往復して、体力的にも疲れ果てた。
2度目の入院の時は、わたしも風邪になって熱が出てしまって、辛かった。
父は退院してからも体調はまだまだ不安定で、その心配のせいか、わたしに目眩と耳詰まりと難聴が出てしまった。天井の蛍光灯が回る。しんどくて動けない。
耳鼻科の診察で、三半規管に水が溜まったということで、薬を飲んでるけども、いまだに、ぼつぼつしか回復しない。
こんなに長引いてしんどいものやとは思わなかった。

そんなこんなの大変な冬やったので、世間では暖冬といわれていて、なんだかそんなゆったりした感じを持つ暇もなく、この冬が終わった。

自分の体調が悪いときや、父の体調が悪くて入院しているときは、
聖書を読むこともできず、礼拝にも行くことができず。
辛いときに限って、教会や御言葉から遠ざかることになるので、なんだかよけいにしんどい。
でもね、体調が悪くて辛いときでも、祈ることはできる。
祈って叫ぶ。祈って愚痴る。祈って救いを求める。祈って泣く。祈って助けを求める。
やっぱり、クリスチャンでよかったと思う。
祈ることができる恵みを感じた。
とうてい、一人では抱えきれない状況が襲ってくるんやけども、そのたびに、祈って祈って祈って嘆く。
祈って祈って愚痴って。。。なんとかその状況を乗り越える。
その状況が通り過ぎるのを待つ。
で、あとから気がつくんやけども、やっぱり、神さまが見守ってくださってたと分かる。
イエスさまが、その辛いとき、そばにいてくださったと分かる。

祈ることができる、恵みを感じる。
一人ではないと分かる。

主に感謝m(_ _)m