ヴェルソワ便り

スイスはジュネーヴのはずれヴェルソワ発、みんみん一家のつづる手紙。

エジプトの余韻・その2 お土産物

2008-01-17 07:45:09 | 日記
エジプトの余韻その2は、エジプト旅の記念品。行くまであまり興味がなかったんだけど、見るとついつい・・・。

遺跡のガイドさんによると、ルクソールはアラバスター(神殿等で使われていた石材の一種)とパピルスが、アスワンは金、綿、香油が特産とのこと。

で、ルクソールではパピルスにヒエログリフで名前を入れてもらって、アスワンでは香水瓶と5種類の香油を買いました。


右側がしろみの名前のヒエログリフ書きなのですが、何かかっこ悪ーい。やはり日本の名前は漢字で書くのが一番ですねえ。他に何枚か壁画がモチーフの小さいものも買いました。

香油屋さんでは、展示してあるたくさんの美しい香水瓶を見て迷ったのですが、結局みんみん家にふさわしい(?!)フォルムのこの二点をセレクト。





じゃ~ん!!


ワニと駱駝。超お気に入り。


ワニには白砂漠の砂を、駱駝にはロータス(蓮の花)の香油を入れてみました。


おまけにもらったアロマスタンドと小瓶


カイロのバザール、ハーン・ハリーリではすでに紹介したように、最初の工房で小箱と写真立てを買ったのですが、結局後から他の店で、念願の小さめバックギャモン盤を見つけて買ってしまいました。

工房で買った写真たてと小箱。


ちょっと見難いのですが、螺鈿を使ったバックギャモン盤は、駱駝の骨と水牛の骨でできた白黒の駒つき。
裏返すとチェス盤になっています。




箱を閉じたところ。

ここではおまけに、小さい写真たてと駱駝のペーパーナイフをつけてもらいました。

そうそう、もう一点。バハレイヤオアシスのホテルで買った、ベドウィン刺繍のクッションカバー。けっこうお気に入り。

ホテルだから値切れなかった・・・。

あとはアスワンで買ったヌビアの石のネックレスと、こども達用にスカラベのブレスレットもあったけど・・・これはまあいいですね。

いろいろ見るのも楽しいけど、買うときの値段交渉がまた楽しい。物価が安いのでなおさらです。

遺跡を見て、砂漠でキャンプして、おいしいもの食べて、お買い物して。キンシャサから考えるとまさに夢のような日々・・・・。あ~また行きたい!!

また、旅支度

2008-01-16 10:48:26 | こども達
エジプト旅行の余韻も冷めぬというのに、また旅支度?!いえ、今回は長男一人分。

思い起こせば新年度が始まった9月。長男(CM2=小学5年)の学校の連絡帳に

”1月のclasse de neigeに参加します。   はい・いいえ”

って書いた紙がはさまっていた。クラス・ド・ネージュて何?と思いつつ、まあ学校でやる行事だろうから、はい に○つけとけばいいよね、と、軽い気持ちで提出したら・・・。

なんと”CM2で行くスキー教室、フランス・ピレネー12日間の旅”のことだった!
(゜Д゜;≡゜Д゜;) ski なんて単語、どこにもなかったよ~?

先生や父兄の何人かが引率して、向こうでは授業や社会科見学も行うらしい。それにしても、フランスに住んでたときもスキーに行かなかったのに、わざわざキンシャサくんだりから飛行機乗り継いで行く事になるなんて・・・。

びっくりしている間に、どんどん話は進む。
10月にはCM2父兄の代表が基金を立ち上げ、12月初めには学校行事のマルシェ・ド・ノエル(クリスマスバザー)で、作ったケーキやトンボラtombola(くじ)や、いろんなものを売って資金作りをした。

年末の休暇前には持ち物リストも配られ、あわててしまいこんであった長男の冬物を出してみたけど、フランスで着ていた一昨年のものなんて、みんなツンツルテンテン。服はともかく、靴は入らないし・・・。

今回のエジプト旅行中、カイロ郊外にある大ショッピングセンターに知人のA氏に連れて行っていただいて、セーター、靴、ダウンジャケットはなんとか買うことができたけど、さすがにスキー用品はエジプトには売っていない。

冬装備をおうちで試着。

帽子は余り毛糸で編みました♪

あ~っキンシャサで着ると暑いっ!


と、先日の連絡帳に今度は、スキー用品注文書が!
スキーウェア、サングラス等々、トゥールーズのデカトロンDECATHLON(大型スポーツ用品店)に注文して、行きがけにピックアップするそうな。あー良かった・・・・。

というわけで、今週の日曜日の便で出発。2週間近くも離れてすごすのは初めてなので、あわただしく荷物を用意しながらもちょっと寂しい気分の母なのでした。

エジプトの余韻・その1 エジめし

2008-01-15 08:22:59 | 日記
カイロの知人にも、ブログコメント等でも、”エジプトでお腹は大丈夫か”と皆さんに心配していただきましたが、みんみん一家、二週間滞在中全く問題なかったです。持って行った整腸剤・抗生物質・ポカリ粉末出番なし。コンゴ菌強し!
ちなみにキンシャサに戻ってきたら調子悪くなりました(゜ー゜;

スーパーで買ってきた粉末モロヘイヤと米。
EL DOHAは知人のA夫人お勧めブランド。


それにしてもエジプトの食事は日本人の口に合いますね。いままでに紹介したコシャリなどのB級グルメだけでなく、エジプト料理(略してエジめし。勝手に命名)レストランがもうメチャクチャおいしかった~!なので、連れて行ってもらった回転寿司と、お目当てのエジめしが満席だったために仕方なく入った韓国料理屋(でもこれもおいしかった)、軽食のカフェ以外、ほぼすべて外食はエジめし行きました。では、なぜ紹介してないかというと。
・・・写真がないんです。理由は

①他で撮りまくったあとでカメラの充電が間に合わなかった
②高級なところほど照明が暗くて、撮ったけど使えなかった
③料理が出てくるまで時間がかかるので、出てきたときには写真を撮るのも忘れて食べてしまった

・・・ほとんど③かな~。

何しろ出るのが遅い上に、一口食べたら止まらないんです。ハッと気がつくとすでに食べ散らかしていて、とてもお見せできる状況にない。まあよく毎度毎度、と思うんですけど。仮にもブロガーとしてあるまじき行為ですね。

カイロのお勧めレストランは考古学博物館近くの”アラベスク”。ぶどうの葉でまいたひき肉ごはん(料理名忘れた)はここが一番おいしかった!鳩のグリル、バーバガヌーグ(なすのペースト)なども。食べるときにごはんと鳥のグリルを裂いて混ぜるモロヘイヤスープもここがおいしくて、結局滞在中2回行きました。

もう一件、ホテルのあったザマレクに本店のある”アブー・エル・シド”は大ショッピングセンター”シティー・スターズ”内に支店あり。本店が満席で悔しかったので、買い物中にあった支店には迷わず入った。店内の雰囲気が良くて、米詰めの鳩のグリルや鶏レバーも美味でした。

他にもルクソールで食べた何種類ものターゲン(つぼ焼き・とくに羊とオクラの煮込みは最高)や、スパイスが絶妙のレンズマメのスープ。普通のサラダでさえ、ハーブたっぷりで野菜の味が濃いせいか、ウマイ。添えたご飯がおいしいのも日本人にはうれしいところですね。どれも忘れられません。


他のより出てくるのが遅れたため唯一撮れたターゲン。

(´▽`)はぁぁ・・♪思い出すとよだれが出そう・・・・。

旅先で食のレベルが高いと、その旅の印象自体ものすごく良くなりますよね。しろみ的にはシチリアと争うほど、印象アップでした。

キンシャサの空の玄関

2008-01-14 07:46:04 | コンゴ(M&S)
キンシャサの空の玄関、ンジリ国際空港。
ここは我が家にとって忘れられない想い出が詰まった場所だ。

初めて家族でキンシャサに降り立った日。
大切なものを詰め込んだ新品のランドセルを次男がポーターに騙し取られた夜。
治安上の理由で半年間東京に帰していた家族との再会の瞬間。
休暇帰りでンジリ空港に到着したら、市内で銃撃戦が始まったために空港から出ることができず、家族全員そのまま乗ってきた飛行機でパリにトンボ帰りした蒸し暑い夜。
・・・・どれもこれも私にとって忘れがたい想い出だ。

今回はナイロビ行きの飛行機に乗るために来た。

空港に車で入っていくと、まずはポーター達が全速力で私の車を追いかける。荷物を降ろすために後部のドアを開けると5、6人が荷物を取ろうと殺到する。これに対して、荷物は2つだから2人で十分だ、と2名のポーターを指名する。荷物を100mくらい運んでくれることに対する謝礼を手渡すが、彼らはもっとよこせといつまでも必死に食い下がってくる。
しかし、これはほんの始まりに過ぎない。

その後、パスポートとチケットを確認する警察、空港職員、飛行機会社職員、安全確認をする内務省国境警備職員に加えて、なぜだか知らないけど立ち入りを許されている関係ない連中。彼らが次々と手伝ってあげようと言い寄ってくる。

そしてその申し出を拒否しないでいると、最後に待っているのは彼らとの値段交渉。
「50ドルくれ。」
「いや5ドルだ。」
「じゃあ20ドルくれ。」
「私はあなたに頼んでなんかない。あなたが勝手にやっただけだ。5ドルで不満ならそのお金を返しなさい。支払う理由はない。」
「・・・わかったよ。ムッシュ。」

だいたいこんな会話が展開されて、彼等はしぶしぶ帰っていく。正規職員からこうした要求をされることもあるのは彼らが十分な給料をもらってないことが一因だ。

それにしても、50ドルを要求してくるとは私も見くびられたものだ。最近はこうしたやりとりに慣れてはきたものの、いつまでたっても後味が悪い。彼らの要求を満額受け入れていたらカモになってしまうし、まったくこうした努力に報いないのも気の毒な気がする。実際にコンゴ人同士のやりとりを見ていると、ある程度の金を正規職員に握らせていることが多い。こうしたお金がコンゴ社会の潤滑油になっている面が多分にあるのだ。これが外国人相手だと当然に相場が高くなる、というか、吹っ掛けられることになる。

キンシャサで働くセネガル人の友人が、”キンシャサの空港はアフリカで最悪だ”と漏らしたことがある。他の国のアフリカ人に言われるくらいだから、ある程度真実であろう。 でも・・・

”この空港を舞台に、いったいどんな新たなエピソードが我が家に待ち構えているのだろうか-。”
そんなことを想像しだすと、こんなところでも案外憎めない場所に思えてしまうから、不思議なものである。(M)

MINMIN au Congo 再び。

2008-01-13 16:00:21 | 日記
最終日はもう一回考古学博物館に行って遺跡旅の復習、食べ納めのエジプト料理を食べ、スーダン経由ケニア乗換えで無事に帰ってきました、コンゴ・キンシャサ。・・・・すごく暑いです。



ふりかえればA氏夫妻をはじめ、カイロ在住の知人の方々にはとてもお世話になりまくった旅でした。みなさん、キンシャサ生活は苦労も多かろう、と様々な心配りをしてくださる。知人のI夫妻にはご自身が転勤直前でホテル暮らしのお忙しい中、カイロ初の回転寿司屋に連れて行っていただきました。さらに、エジプト米がおいしいから買って帰りたいと思う、と言うと、夫人が注文してわざわざ段ボール箱に梱包し、ホテルまで届けてくださった。もう涙!ですよ。日本人の技術指導で作られたこの天日干しのジャポニカ米は、へたな日本米よりおいしい!しかもなんと25kg。これで心置きなく毎日お米を炊けます♪

日本やパリに行っても毎回感じることですが、ほんとうに友人ってありがたいです。


さて、空っぽの冷蔵庫をうめるため久々にスーパーに買出しに行ったら、いままで目に付かなかったアラブ世界のものがたくさん売っているのに気がつきました。白ゴマペーストのタヒーナ、豆のスープの缶詰、シャワルマ用の肉、水タバコ・シーシャの道具まで。我が家がよく利用しているのはレバノン系のスーパーだったのです。今まであんまり気がつかなかった。

ふと最近充実してきた雑誌のスタンドに目を移すと、フランスのゴシップ誌・PARIS MATCHを入荷している。表紙はLES AMOUREUX DU NIL(ナイルの恋人達)と書かれたサルコジ仏大統領と恋人。思わず初めて買っちゃいました。
掲載写真の多くはあのカルナック神殿のときのもの。そういえば報道関係のカメラマンらしき人たちもいっぱいいたもんな~。観光トップシーズンの一番混雑する午後3時ごろ、ほぼ全員がカメラを片手に持っているであろう観光地の、遺跡の壁もよく見えないほど混雑した中でうわさの恋人といちゃつきまくるサルコジさんってずいぶん大胆~。と思っていたけど、予定されたパフォーマンスだったんですかね。ぜんぜんお忍びって感じじゃなかったし。今までの仏大統領とはずいぶん違うみたい。

そんなこんなで、まだまだエジプト旅行の余韻にひたる、MINMIN一家です。


・・・それにしても、気がつけばエジプトネタの方がコンゴネタよりぜんぜん数が多くなってるよ~。ははは。

カイロの街を歩く  オールドカイロ

2008-01-13 09:03:00 | エジプト旅行
エジプトの観光スポットは、ライトアップされる遺跡以外、閉まるのが早い。ホテルの近くにあるイスラム陶器博物館も4時ごろ行ったら終わっていたし、カイロの南端にあるコプト博物館も一度目は間に合わず、今日は二度目のトライ。大型観光バスがどんどん着いて、欧米人らしき団体がゾロゾロ降りてくる。

この界隈、オールドカイロ地区はカイロ発祥の地。ここから北へ北へと街が延びていった。

コプト博物館内は撮影が禁止。コプト語(ぱっと見、ギリシャ語っぽい)で書かれた古い聖書や、フレスコ画、彫刻などが並ぶ。建物自体もスルタンの持ち物だったらしく、光の取り入れ方なども凝っていて、非常に美しい。

隣接した聖ジョージ修道院、ハンギング・チャーチ(城壁の上にぶら下がるかのように建っているため、そう呼ばれている)は10世紀に再建されたもの。

聖ジョージ修道院外壁のレリーフ


修道院内部

壁の聖人像は通常の12聖人に加えてエジプトの2聖人が加わり、14人になっている。

ハンギングチャーチの木製の天井。ランプは完全にアラブ風。


教会の地下には、聖家族がエジプト逃避の折かくまわれていた場所、というのがある(撮影禁止)。キリスト教的には聖地みたいなもの。だから欧米人観光客がたくさん来てるのね。教会内にはエジプト逃避の道程も示してあった。


聖マルコが紀元42年にエジプトで布教を始めたと言われているから、この地におけるキリスト教布教の歴史は欧州よりずっと古く、2世紀ごろには上エジプトまで広がっていたらしい。そういえばアスワンのイシス神殿に行ったとき、神殿に隠れ住んだ初期のコプト教徒が刻んだ、コプト十字が壁にあったっけ。

今でもエジプトの人口の7%くらいはコプト教信者で、見た目はイスラム教徒と変わらない服装なんだけど、手首のところにコプト十字の刺青があって、わりとカイロでも見かける、とA夫人が言っていました。

ほかにもこの地区、古い路地だのグレコローマン時代のなんたらだの、い~っぱい見所があるんだけど、もう頭の中はエジプト五千年間の歴史が入り混じって飽和状態・・・。

年末年始は、こんなの呑ませていただきました。

2008-01-12 10:45:40 | ワイン(M氏より)
今回のエジプト旅行では、知人のA氏宅とMO氏宅にお邪魔して食事とワインをご馳走になった。

まず、A氏宅でイスラエルのヤティールという造り手のワイン。

葡萄の品種はカベルネ・ソービニョンとメルローでボルドータイプのワイン。
色は非常に濃い。
上品な香り。
味の印象としては赤と黒の果実が詰まったローヌワインのよう。
驚くべきコンテンツ。
スタイルとしては新大陸系で、最先端の技術で醸造している感じ。

A夫人とお母様が用意してくださった、海の幸のサラダやエジプト鶏肉の竜田揚げに舌鼓を打つ。
エジプトは鶏肉がおいしいとのこと。確かに香ばしい香りで、肉の味も濃くてジューシー。濃い赤ワインによく合った。
ごはんもエジプト産。日本のお米に似ていてとってもおいしい。人件費が安いこともあり、今では日本であまりやらなくなった天日干しをしているのだそうだ。(結局、我が家はエジプト産米を25kg(!)キンシャサに持ち帰った。)


年が明け、旅の終わりが近づいた夜にMO氏のお宅へ、A夫妻とともに。
妻は旅の疲れが出たのか、シーシャ(水タバコ)の匂いに気分が悪くなったのか、体調不良でダウン。

まず、MO氏秘蔵の満寿泉の純米原酒MASUIZUMI 2000。

ブルゴーニュの白の造り手Domaine Ramonetが使ったお古の樽の中に6ヶ月熟成させたもの。一説によるとRamonetのMontrachetが入っていた樽ということだが、定かでない。

赤茶色の澱が浮遊している。その澱を入れないようにグラスに注ぐ。
色は結構濃い黄金色。
香りは日本酒と樽香が混じってて、ちょっと不思議な感じ。
日本酒として飲むと、「上善如水」とは対極にあるような重たい感じで、通常の樽酒とも全く別もの。2000年ということで古酒のような風味も出始めている。
むしろ白ワインのつもりで飲んでみると、意外に違和感がないから、面白い。
口当たりがフルボディタイプの白ワインで、後味が純米酒、という感じか。

味を探ろうとして何杯もいただいたため、ちょっとその後がきつくなった。

次は、A氏持ち込みのイスラエルワイン、Clos de Gat 2003。

すばらしい!の一言。
先日のヤティールに比べると軽め。
香りからして風格を感じ、味も繊細さを感じる。MO氏と二人で唸りっぱなし。


MO夫人の用意されたとろけそうなBoeuf Bourguignonととてもよく合った(ちなみに写真のお皿の絵はMO夫人が描かれたもの。すごい才能です。)。
飲み切る最後の一杯で、香りも味も開花した!

旅行で来たカイロでこんなおいしいワインと食事をご馳走になるとは!
A夫妻、MO夫妻に感謝、感謝です。
今度はうちでご馳走いたします、ってキンシャサに来られることは・・・
ないですよね。(M)

カイロの街を歩く  ハーン・ハリーリ

2008-01-11 17:03:46 | エジプト旅行
続いて同じ地区のバザール、ハーン・ハリーリを歩いた。

カイロ最大のこのバザールは14世紀末には市ができていたというから、ずいぶん歴史が長い。細い道がくねくね曲がっていて、迷路のよう。両側には金属の細工、宝石、皮細工、象嵌細工、ガラス細工、香油などの店、パピルスやガラスの土産物屋などがぎっしり並び、いろんな声が飛ぶ。観光客もたくさん来ている。
ヤパーニ(日本人)?と聞かれて、うん、と首を縦に振ろうものなら、変な日本語を連発する。

”ゴコデイチドル~”

”ノー・タカーイ”

”ガンバレ・ジャパン!”

”ヤマモトヤマ!”

・・・なんじゃそりゃ。

A氏がスッと路地の間の階段を上がったのでついて行くと、そこにも店舗兼工房が何件か並んでいた。

象嵌細工のバックギャモン盤を仕上げていたおじさん。


象嵌細工に使う貝殻の重さを量るのに、またしても天秤ばかりと分銅。

おじさんの磨いていたバックギャモン盤がとても見事で、すっごく欲しかったんだけど、ずいぶんとサイズが大きい。小さいサイズは気に入ったデザインの細工がなくて、泣く泣くあきらめる。結局、きれいな写真立てと、こども用にちょっと細工の粗い、象嵌細工の箱を二つ買う。通りの店はかなり値下げに応じるんだけど、ここは細工に自信があるのかあまりまけてくれない。箱一個分(200円)だけしか値切れなかった。

歩き回って疲れたので、マクファ(カフェ)で一息。A夫人と私、子ども達はミントティー、A氏と夫はシーシャ(水タバコ)を注文する。









甘い水タバコの煙に、少し酔う。

カイロの街を歩く  裏道探検

2008-01-11 07:42:15 | エジプト旅行
またまたA夫妻の案内で、イスラム地区にあるスルタンの迷路のような豪邸・ハマムなどを見た後、近辺の裏道を歩きました。観光客はあまり通らない道らしく、生活感あふれた町並み。ちょっと問屋街っぽいかな。シーシャ(水パイプ)関連の店が続いている。シーシャの部品屋さんとか、掃除屋さんもある。



お店の角に突然、羊。道の脇のごみがためてあるところには子猫の死骸。うーん、ディープだ。そういえばサッカーラに行くときの運河沿いにも家畜らしき牛の死骸が捨ててあったっけ。乾燥してるからこういうことができるんだろう。キンシャサだったらあっという間に臭って大変だろうな。

豆の専門店、魚屋、肉屋・・・。
レモンの量り売りの荷車では、天秤ばかりと分銅で量っている。分銅なんて見たのは理科の実験以来かも。



ジューススタンドでオレンジジュースを一杯(30円)注文。ちょっと酸味があっておいしい。フルーツのほかに人参ジュースも作っていた。

行き着いた先の大通りには次男くらいの子どもが焼き芋を屋台で売っていた。

これこれ!このまえから下町っぽいところをタクシーで通るたびに見かけて気になってたヤツ。ホテルのあるザマレクなんかにはないんだよね。1本20円。一本だけ買ってみんなで味見する。少年はちゃんとみんなで食べれるように切り分けてくれた。

甘くておいしい、日本の石焼いもの味。なつかしい。


カイロの街を歩く イスラミック・カイロその2

2008-01-10 16:32:59 | エジプト旅行
シタデルを出て、徒歩で次のモスクへ向かう。横道に入るとちょっとキンシャサを思わせるような雑多な町並みだ。A夫人から”建物のすぐ脇は、物が上から落ちてくるので気をつけて”と言われているので離れようと努力するが、ごみはたくさん落ちているし、交通量は多いしでとても歩きにくい。観光客らしき姿はなく、ちょっと不安になる。

エジプトで信仰されているスンナ派では1日5回の礼拝が義務づけられている。時間(毎日少しずつ違う)になると、各モスクから礼拝を呼びかけるアザーン(コーランの一説も読んだりしている)が流れてくるが、アラビア語の全くわからない私には、まるで歌を歌っているように聞こえる。やはりA夫人に聞いた話では、歌(?)のうまい人のモスクが人気らしい。今もこのあたりのモスクからのアザーンが聞こえる。

それにしても、毎日五回のお祈りかあ。頑張るな~。信仰熱心な人のおでこの真ん中あたりには、祈りダコ?祈りアザ?ができている。私達の見る限り、アルコールを出さないレストランの給仕頭はたいていそうだった。

ようやく着いたのは14世紀半ばに建てられたガーマ・スルタン・ハッサン。

ここは世界一美しいモスクといわれている。もともとサドラサ(最高教育機関)として建てられた。

敷き詰められた絨毯の緑の部分一つが、一人分のお祈りスペース。

床のモザイクもきれいな中庭。中央部に見えるドアはサドラサの時の寮の入り口で、中庭に面して4つある。左にある屋根つきのところは、礼拝前に身を清める泉亭。他の小さいモスクで見たものはこんなに立派ではなく、隅っこにある色気のない普通の洗い場だった。


中庭に向かって建つ説教壇


次はガーマ・アフマド・イブン・トゥールーン。9世紀に建てられた、カイロに現存する最古のガーマ(寺院)。ここは入り口で靴の上に履くカバーを貸してくれた。もちろん返すときにはバクシーシを要求される。

中庭に立つと、屋根があって閉ざされているわけではないのに、外の喧騒が全く聞こえない。
さて、ミナレット(尖塔)に登ってみようか。あれれ?


もうモスクは疲れたよ・・・。

というわけで本日のモスクめぐりはこれで終了。この後、ホテルに帰ろうとタクシーに乗り込んだら、いくら払う?、と運転手が聞いてきたので、ザマレクまでで5ポンド(100円)で、と言ったら100mくらい走って道端に下ろされてしまった。値切りすぎた?