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ヴェルソワ便り

スイスはジュネーヴのはずれヴェルソワ発、みんみん一家のつづる手紙。

カイロの街を歩く  オールドカイロ

2008-01-13 09:03:00 | エジプト旅行
エジプトの観光スポットは、ライトアップされる遺跡以外、閉まるのが早い。ホテルの近くにあるイスラム陶器博物館も4時ごろ行ったら終わっていたし、カイロの南端にあるコプト博物館も一度目は間に合わず、今日は二度目のトライ。大型観光バスがどんどん着いて、欧米人らしき団体がゾロゾロ降りてくる。

この界隈、オールドカイロ地区はカイロ発祥の地。ここから北へ北へと街が延びていった。

コプト博物館内は撮影が禁止。コプト語(ぱっと見、ギリシャ語っぽい)で書かれた古い聖書や、フレスコ画、彫刻などが並ぶ。建物自体もスルタンの持ち物だったらしく、光の取り入れ方なども凝っていて、非常に美しい。

隣接した聖ジョージ修道院、ハンギング・チャーチ(城壁の上にぶら下がるかのように建っているため、そう呼ばれている)は10世紀に再建されたもの。

聖ジョージ修道院外壁のレリーフ


修道院内部

壁の聖人像は通常の12聖人に加えてエジプトの2聖人が加わり、14人になっている。

ハンギングチャーチの木製の天井。ランプは完全にアラブ風。


教会の地下には、聖家族がエジプト逃避の折かくまわれていた場所、というのがある(撮影禁止)。キリスト教的には聖地みたいなもの。だから欧米人観光客がたくさん来てるのね。教会内にはエジプト逃避の道程も示してあった。


聖マルコが紀元42年にエジプトで布教を始めたと言われているから、この地におけるキリスト教布教の歴史は欧州よりずっと古く、2世紀ごろには上エジプトまで広がっていたらしい。そういえばアスワンのイシス神殿に行ったとき、神殿に隠れ住んだ初期のコプト教徒が刻んだ、コプト十字が壁にあったっけ。

今でもエジプトの人口の7%くらいはコプト教信者で、見た目はイスラム教徒と変わらない服装なんだけど、手首のところにコプト十字の刺青があって、わりとカイロでも見かける、とA夫人が言っていました。

ほかにもこの地区、古い路地だのグレコローマン時代のなんたらだの、い~っぱい見所があるんだけど、もう頭の中はエジプト五千年間の歴史が入り混じって飽和状態・・・。
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カイロの街を歩く  ハーン・ハリーリ

2008-01-11 17:03:46 | エジプト旅行
続いて同じ地区のバザール、ハーン・ハリーリを歩いた。

カイロ最大のこのバザールは14世紀末には市ができていたというから、ずいぶん歴史が長い。細い道がくねくね曲がっていて、迷路のよう。両側には金属の細工、宝石、皮細工、象嵌細工、ガラス細工、香油などの店、パピルスやガラスの土産物屋などがぎっしり並び、いろんな声が飛ぶ。観光客もたくさん来ている。
ヤパーニ(日本人)?と聞かれて、うん、と首を縦に振ろうものなら、変な日本語を連発する。

”ゴコデイチドル~”

”ノー・タカーイ”

”ガンバレ・ジャパン!”

”ヤマモトヤマ!”

・・・なんじゃそりゃ。

A氏がスッと路地の間の階段を上がったのでついて行くと、そこにも店舗兼工房が何件か並んでいた。

象嵌細工のバックギャモン盤を仕上げていたおじさん。


象嵌細工に使う貝殻の重さを量るのに、またしても天秤ばかりと分銅。

おじさんの磨いていたバックギャモン盤がとても見事で、すっごく欲しかったんだけど、ずいぶんとサイズが大きい。小さいサイズは気に入ったデザインの細工がなくて、泣く泣くあきらめる。結局、きれいな写真立てと、こども用にちょっと細工の粗い、象嵌細工の箱を二つ買う。通りの店はかなり値下げに応じるんだけど、ここは細工に自信があるのかあまりまけてくれない。箱一個分(200円)だけしか値切れなかった。

歩き回って疲れたので、マクファ(カフェ)で一息。A夫人と私、子ども達はミントティー、A氏と夫はシーシャ(水タバコ)を注文する。









甘い水タバコの煙に、少し酔う。
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カイロの街を歩く  裏道探検

2008-01-11 07:42:15 | エジプト旅行
またまたA夫妻の案内で、イスラム地区にあるスルタンの迷路のような豪邸・ハマムなどを見た後、近辺の裏道を歩きました。観光客はあまり通らない道らしく、生活感あふれた町並み。ちょっと問屋街っぽいかな。シーシャ(水パイプ)関連の店が続いている。シーシャの部品屋さんとか、掃除屋さんもある。



お店の角に突然、羊。道の脇のごみがためてあるところには子猫の死骸。うーん、ディープだ。そういえばサッカーラに行くときの運河沿いにも家畜らしき牛の死骸が捨ててあったっけ。乾燥してるからこういうことができるんだろう。キンシャサだったらあっという間に臭って大変だろうな。

豆の専門店、魚屋、肉屋・・・。
レモンの量り売りの荷車では、天秤ばかりと分銅で量っている。分銅なんて見たのは理科の実験以来かも。



ジューススタンドでオレンジジュースを一杯(30円)注文。ちょっと酸味があっておいしい。フルーツのほかに人参ジュースも作っていた。

行き着いた先の大通りには次男くらいの子どもが焼き芋を屋台で売っていた。

これこれ!このまえから下町っぽいところをタクシーで通るたびに見かけて気になってたヤツ。ホテルのあるザマレクなんかにはないんだよね。1本20円。一本だけ買ってみんなで味見する。少年はちゃんとみんなで食べれるように切り分けてくれた。

甘くておいしい、日本の石焼いもの味。なつかしい。

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カイロの街を歩く イスラミック・カイロその2

2008-01-10 16:32:59 | エジプト旅行
シタデルを出て、徒歩で次のモスクへ向かう。横道に入るとちょっとキンシャサを思わせるような雑多な町並みだ。A夫人から”建物のすぐ脇は、物が上から落ちてくるので気をつけて”と言われているので離れようと努力するが、ごみはたくさん落ちているし、交通量は多いしでとても歩きにくい。観光客らしき姿はなく、ちょっと不安になる。

エジプトで信仰されているスンナ派では1日5回の礼拝が義務づけられている。時間(毎日少しずつ違う)になると、各モスクから礼拝を呼びかけるアザーン(コーランの一説も読んだりしている)が流れてくるが、アラビア語の全くわからない私には、まるで歌を歌っているように聞こえる。やはりA夫人に聞いた話では、歌(?)のうまい人のモスクが人気らしい。今もこのあたりのモスクからのアザーンが聞こえる。

それにしても、毎日五回のお祈りかあ。頑張るな~。信仰熱心な人のおでこの真ん中あたりには、祈りダコ?祈りアザ?ができている。私達の見る限り、アルコールを出さないレストランの給仕頭はたいていそうだった。

ようやく着いたのは14世紀半ばに建てられたガーマ・スルタン・ハッサン。

ここは世界一美しいモスクといわれている。もともとサドラサ(最高教育機関)として建てられた。

敷き詰められた絨毯の緑の部分一つが、一人分のお祈りスペース。

床のモザイクもきれいな中庭。中央部に見えるドアはサドラサの時の寮の入り口で、中庭に面して4つある。左にある屋根つきのところは、礼拝前に身を清める泉亭。他の小さいモスクで見たものはこんなに立派ではなく、隅っこにある色気のない普通の洗い場だった。


中庭に向かって建つ説教壇


次はガーマ・アフマド・イブン・トゥールーン。9世紀に建てられた、カイロに現存する最古のガーマ(寺院)。ここは入り口で靴の上に履くカバーを貸してくれた。もちろん返すときにはバクシーシを要求される。

中庭に立つと、屋根があって閉ざされているわけではないのに、外の喧騒が全く聞こえない。
さて、ミナレット(尖塔)に登ってみようか。あれれ?


もうモスクは疲れたよ・・・。

というわけで本日のモスクめぐりはこれで終了。この後、ホテルに帰ろうとタクシーに乗り込んだら、いくら払う?、と運転手が聞いてきたので、ザマレクまでで5ポンド(100円)で、と言ったら100mくらい走って道端に下ろされてしまった。値切りすぎた?
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カイロの街を歩く  イスラミック・カイロその1

2008-01-10 08:02:26 | エジプト旅行
エジプトの世界遺産は神殿やピラミッドだけではない。実はカイロのイスラーム建築群も世界遺産。カイロのイスラム”地区”といってもすごく広くて(南北4km、東西2km)とても全ては見きれない。ましてイスラム圏に来るのが初めてでほとんど予備知識のないみんみん一家には、何がなにやら。というわけでまずは観光スポットでもあるシタデルへ。


イスラーム地区南東部の丘の上にあるシタデルは12世紀、対十字軍の拠点として建設された城塞。19世紀まで政治の中心の場所でもあった。城壁の中の広大な土地には、巨大なガーマ・ムハマンド・アリを始めとするいくつかのガーマ(寺院)、多くのミナレット(尖塔)、軍事博物館などがある。

最初に、ガーマ・ムハマンド・アリへ。
観光客が多いのでスカーフを被らなくてもいいみたい。でもやっぱり靴は脱がないと入れない。絨毯の敷いてあるところはいいけど、石の上は冷たくて冷える~!

中庭の回廊

 
モスク内部。
外から見ても大きいけれど、中に入るとまただだっ広い。豪華な天井やランプが美しい。

外に出ると、カイロの街を見下ろす見事な眺望が広がっている。
みんなして何を見ているのかな?
 



中央部拡大。ピラミッド!



人口の9割がイスラム教徒で占められる現代のエジプトでは、偶像崇拝でバリバリの多神教の古代エジプトの神々や神殿には興味がないらしく、いままで行った観光スポットでは見かけなかったエジプト人らしき観光客が、ここでは目に付く。

学校の社会科見学なのか、ちょうど長男と同じくらいの子ども達が、大人に引率されて見学していた。その中の一人の男の子が、
”ぼくはムハマンド、エジプト人です。あなたの名前はなんですか?”
と英語で話しかけてきた。習いたての英語を試してみたいのかな。
”私達はminminファミリー、日本人です。息子と一緒に写真撮ってもいいですか?”
と言ってカメラを向けたらみーんな寄って来ちゃって、長男とムハマンド君は後ろのほうになっちゃった。

元気が良くて好奇心いっぱいの、子どもらしい子ども達でした。




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ピラミッドより、シャワルマ

2008-01-09 16:34:43 | エジプト旅行
たっぷりサッカーラを見た後は、昼から用事のあるA氏にギザのピラミッドまで送っていただいて別れる。朝早くから本当にありがとうございました。

いよいよ三大ピラミッド!

なんだけど。エジプトに来てから白砂漠だの、すごい神殿や壁画だのを見てきた後なので、あ、これがホンモノなんだ~、くらいでどうも感激が薄い。そんなわけでピラミッド内部に入ろうとして、今昼休みだから45分後、と言われると、別に中は見なくてもいっか、状態に。さっきのサッカーラでもいくつかトンネルくぐって玄室に入ったし、その先には棺や壁画があったりしたけど、ここは長い上にその先に何もないと聞いていたので、余計やる気がおきない。なんだか雲も多くなってきて寒いし・・・。

積年の憧れはどうした!、“世界の七不思議“は?!と心の隅で思うけど、もう好奇心は満腹状態。ホンモノのお腹のほうが飢餓状態ということで、半ば義務的に三つのピラミッドの周囲を回り、太陽の船博物館を見学。ごめん、ピラミッド。

クフ王の大ピラミッド。
近くで見ると、くずれてしまっていて斜面(稜線?)が真っ直ぐではない部分も。

こっちはきれいな斜面、カフラー王のピラミッド。

周囲は登れないように厳しく監視されているが、それでも登る人というのはいて、年に1~2人、砂嵐の時期なんかに風で落ちて死ぬ人がいるらしい。


死後のクフ王が天空を旅するときに使うという説の太陽の船は、長さ43mの木造船。



スフィンクスあたりまで降りてくるとさすがに絵になる光景で写真を撮りまくるが、4人の目は入り口脇にあるちょっとしゃれたテントのカフェに釘付け。すごいロケーションなので高そうだな、と思ったけどスフィンクスとピラミッドを見ながら落ち着いて何か食べれるのなら、いいよね。


贅沢な背景を背負う二人。

注文してからかなり時間がたって運ばれてきた(エジプトはいつもそうだけど)シャワルマは、お腹が空ききっていたからっていうのを差し引いてもかなりイケる。中身もいろいろ入っていて、ちょっとしゃれたシャワルマだ。特にお客さんがたてこんでいるわけでもなさそうなので、ゆっくりと座ってすばらしい景色を眺める。

結局シャワルマは一人分400円(町のスタンドの3~4倍)だったけど、このロケーション、味を考えたら安いのでは。殆ど果肉のフレッシュ・マンゴージュースは120円。日本のデパ地下なら(生ジューススタンドって今もあるのかな)立ち飲みで400円というところか。

さて、甘いミントティーで温まったら、タクシーを拾ってホテルへ帰ろう。
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サッカーラを歩く

2008-01-09 07:44:35 | エジプト旅行
ルクソール以南の遺跡ツアーを終え、カイロに戻った。

スーダンの首都ハルトゥムから北上してくるとき、飛行機はナイル川をなぞるように飛んでいたので、すでに空からいくつかのピラミッドは見ていたけど、エジプトまで来てピラミッドを訪れないでは帰れないだろうということで、お言葉に甘えてA氏自らの運転で、案内をしていただきました。

まずはカイロの南西に30kmにあるサッカーラへ。ここではおまわりさんも駱駝に乗って警備中。


ここのジォセル王の階段ピラミッドはエジプト・ピラミッドの基本形となった最古のもの。もっと初期の王墓はただの長方形だったのを、この王様のときから長方形を重ねてみた、ということらしい。その後、辺が滑らかになったり、より洗練されてきてギザの三大ピラミッドのような形になった。


サッカーラで見るべきものは地上のピラミッドだけではない。まわりには古王国時代(B.C.2650~2100くらい?)の墳墓群がザクザクある。ここで発掘された多くのものが、カイロの考古学博物館で見ることができる。公開している墳墓のいくつかに入るが、これまたすばらしいたくさん壁画が残っていた。

天井一面星ばかりの部屋
盆踊りのような格好で踊る人々
船に乗って魚を獲る人々
王への様々な献上品を運ぶ人々
紐で縛られて王に献上される牛
魚を飲み込む鰐
鰐の頭に食いつく河馬、などなど。

赤、青、緑、黄色、紺で驚くほど見事な彩色が施された跡が残っている。しかも先日見たルクソールの時代より、さらに1千年はさかのぼった時代のもの。信じられない。撮影は禁止なので、またまた画像なし。すみません。

とにかく一回でまわりきれる量ではない。サッカーラは5回目というA夫妻によれば、ここは毎回発見がある、とのこと。未公開・未発掘の墳墓もまだたくさんあるらしい。

歩いていると砂の上に、遺跡から出た物なのか、ただのごみなのか(たぶんごみだと思うけど)陶器の欠片や大腿骨らしき大きめの白骨が落ちていたりして、こどもたちは大騒ぎ。

ロバ引きのお兄ちゃんが“ノーマネー、ノーマネー“とか言いながら長男を勝手にロバに乗せて、写真を撮れ、と身振りで示す。

タダな訳ないよな~と思いながらも長男が楽しそうなので写真を撮っていると、その辺を勝手に散歩させて一回りし、やっぱりお金を要求された。うそつき~!

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アブシンベル--まさに世界遺産の貫禄

2008-01-08 10:26:26 | エジプト旅行
翌朝はゆっくりと朝食をとった後、プールでひと泳ぎ。
さあ、いよいよラムセス2世・最高傑作の神殿が建つアブシンベルへ出発!

現在トップシーズンで飛行機の予約が取れず、陸路で向かうことになった。切りかけのオベリスク外の駐車場には2、30台のツアーの車があちこちから集合。ナイル中・上流域は近年、外国人観光客を狙ったテロが頻発したため、最前・後をエジプト軍の車がエスコートしながら隊列を組んでスタートする。約二時間半、アスワンハイダムの発電所からのびる送電線が一本道に沿って続く以外は、ひたすら砂漠しかない。

暇なのでアブシンベル神殿の解説本や、クリスチャンジャックの小説“太陽王ラムセス4アブシンベルの王妃”を読みながら気分を高める。

午後1時、無事に到着。ここはスーダンとの国境も近い。だいぶ南下してきたので、カイロはもちろん、ルクソールとも日差・気温が違うし、空の色もますます青い。

この岩山をぐるっと回ると


山自体が神殿だった!


神殿正面は横幅、高さともに約30m。
神殿全体がその中にある像を含めて(!)一つの岩塊を切り取って作られている。


生身の人間なんて、まさに足元にも及ばない。


王の足元に、後ろ手に縛られる捕虜のリビア人とヒッタイト人のレリーフ 


反対側にも、捕虜(ヌビア人?)のレリーフ


外観も巨大で立派だけど中身もすごい。内部は撮影禁止のため画像で紹介できないのが残念。とにかくすばらしいレリーフと壁画、彫像でいっぱいで、ここ数日見た中でも最高。特にカデシュの戦いの戦闘場面はすばらしい。これを見るだけのために1日かけてきた甲斐は、十分にある。

隣り合った王妃の小神殿でさえこのスケール。これでも右半分。


すごすぎる。これぞ世界遺産の威容。
前日のわだかまりはどこへやら。やっぱりエジプトに来てよかった!

いろいろなことが後世の人に言われるラムセス2世だけど、こんな場所に、こんなのを作れちゃうのってやっぱり偉大だ。彼のおかげであがってくる現代のエジプト観光の利益って莫大なんだろうな、と荘厳な神殿を後にしつつ、余計なことを考えてしまうのでした。
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オールド・カタラクトで、M氏吼える

2008-01-07 19:31:29 | エジプト旅行
ルクソールからアスワンまでは飛行機で30分くらい。着陸直前にはアスワンハイダム建設のためにできた巨大な湖、ナセル湖が眼下に広がる。

切っている途中に問題があってストップしたままの状態の、切りかけのオベリスクを見てから、この日の宿オールドカタラクト・ホテルへ。アガサクリスティーが“ナイルに死す”を書き、その映画の撮影も行われた時代を感じさせる重厚な作りのホテル。各国元首も泊まるこのホテルのテラスは、アスワンを紹介する本には必ず載っている。

ところが着いてみたらオールドカタラクトは満室。同系列の隣のホテル、ニューカタラクトのナイル・ビューを用意します、と言う。旅行会社を通じて支払いも済ませているのに!

実はオーバーブッキング(なんと24室も!)だったんだけど、それをごまかそうとした上に、差額までちょろまかそうと平気で嘘をつき、更には従順な日本人ばかりを移そうとしていた客室係に憤った夫は、上司のディレクターも呼びつけ厳重抗議。ナイルを見下ろすくだんの最高のテラスで、ハイビスカスティーやカフェを出してもらっても怒りは収まらず。ディレクターに平謝りされ、しかたなく室内は何の面白みもないけれど眺望は最高のニューカタラクトに泊まることになった。レストランやテラス、プールなどはオールドと共有である。

白い帆を張るファルーカが美しい、ニューカタラクトからの眺望。

右の建物はオールドカタラクト

ディレクターの招待ということで、お昼を外のテラスでごちそうになる。部屋に帰るとさっきまでなかった山盛りのウェルカムフルーツとガトー、生花が飾られていた。

気をとりなおして、イシス神殿見学へ。島にある神殿は、まるでナイルに浮かぶよう。


神殿正面

パピルスを模した列柱


神殿内部のレリーフ

神殿の壁に住む小鳥

ファルーカに乗り、しばし周遊。ホテルのテラスで沈む夕日を見ながらエジプト式にミントティーでのアフタヌーンティーをいただいく頃には、すっかり気も収まっていた。
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カルナックの意外な出会い

2008-01-07 10:25:49 | エジプト旅行
ルクソール2日目はまず、ナイル川西岸の王家の谷などを見学。最初の王の墓でホルス神の壁画を見た瞬間、“とうとう来た”と鳥肌がたつ。残念ながら墓の内部は撮影禁止。

王家の谷

子ども時代、“赤毛のアン”より“世界の七不思議”が好きだった私。中でもピラミッドとミイラになぜか執着していた。”ファラオの墓”だの“王家の紋章”だの少女まんがもエジプトブームだったんですよね。5、6年前からはクリスチャン・ジャックの”光の石の伝説”や“太陽王ラムセス”のシリーズを読んでハマっていたので、今回はかなり長い年月の思いがかなったわけです。

そこで頑張って、王家の墓だけでなく貴族の墓、職人の墓(真理の場=光る石の伝説の舞台)にも足をのばし、ああ、ここでパネブが、ネフェルがなどと妄想しまくる。
壮大なハトシェプスト神殿では、入れないはずの祭殿に人が入っていたので、期待してうろついていたらNHKの撮影の方々だった。やっぱり一般人は入れてもらえず。1月、ハイビジョンで三日間連続エジプト特集だそうです。

午後は生者の地・東岸にもどりカルナック神殿へ。すごい柱の数、オベリスクもごろごろある。刻んであるヒエログリフも、今まで見た中で一番大きくて深い。
長男の手とヒエログリフ

カルナックのスフィンクスは羊頭


ここにもラムセス二世像

柱だらけ


そこへすごい人数の一団がゾロゾロ。あれ?このサングラスの人って・・・。
 
フランス大統領も見学に来てらしたのですね、うわさの彼女の腰なんか抱いちゃって。

と、しばらくして今度は次男がパリの幼稚園・小学校と一緒だった、アドリアン君家族に遭遇し、しばし歓談。

パリでならわかるけど、まさかカルナック神殿で会うとは。

それにしても遺跡を見るだけでも忙しいのにいろんな人にも会っちゃって、キンシャサとは違って大忙し!しろみ、興奮しっぱなしの一日でした。
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