ヴェルソワ便り

スイスはジュネーヴのはずれヴェルソワ発、みんみん一家のつづる手紙。

明けましておめでとうございます

2012-01-01 19:43:52 | 日記
今年もよろしくお願いします。

虫垂炎手術後でスキーも温泉も行けない長男と
年末にお腹の風邪をひいた次男をかかえて迎えた2012年元旦は、久々に自宅で迎えています。



お天気が悪くて初日の出は見れませんでしたが、お昼過ぎから少し雲が切れたので
清々しい風景を眺めることはできました。


湖と山と雲、空で描くしましま模様。



2012年がみなさまにとって素晴らしい年でありますように。

みんみん家一同より。

スイスの術後食

2011-12-27 00:00:00 | 日記
急性虫垂炎手術をした長男は、無事二日で退院。
手術したのに退院後の抗生剤も処方されず、ちょっとドキドキでしたが
昨日、術後10日目の抜糸(溶ける糸だったので、覆っていたものをはがすだけ^^)も終了しました。


話はさかのぼって入院中のお話。
手術から約半日の朝、何か食べれる?と聞かれ長男がoui,と答えたら
出て来たのはビスコットとバター。ひからびたパンみたいな固いやつ。
もちろん重湯やおかゆは期待してないけど、せめてスープとかそういう系かと思ってたので
ちょっとびっくり。

そして手術から一日半経った昼は、機内食のようなごはんが。

見た目は......でも、とってもいい香り。


鳥の胸肉オレガノソース、ニョッキ、インゲンのバターソテーと、ちょっとイタリアンですね。
最後にシャーベット付き。さすがにコーヒーは付かなくて、水のペットボトルがドーンときました。


でもこれ、術後40時間の食事にしては、すごい量じゃない?
健康でもお腹いっぱいだと思うよお~。味も薄くて飽きそうだよね。
ちなみに術後24時間の、前夜の食事もこんな感じだったらしい。
前日のはあまり食べれなかったみたいだけど、今回はほぼ完食の長男。
無事、退院OKの太鼓判を押されました。

repas légère(軽食)って書いてあったけど、量は軽くないよねえ。
味が軽いってことかな。

栗づくしビュッシュドノエル

2011-12-24 22:20:39 | 日記
 
どんな季節もアフリカンな空間の、みんみん家です。

さて、夏のコルシカ旅行で買って来た栗の粉を使って、初ビュッシュドノエルに挑戦してみました。


カルフールで栗ペーストと
 

マロングラッセのかけら(éclats de marrons)も購入して、栗づくし。
 

栗の粉と普通の小麦粉を使って台を焼き、
ラム酒につけておいたマロングラッセとホイップクリームを巻く。

端っこを切ってのっけた後は

栗ペースト入りクリームとチョコレートペンでのデコレーションを、次男が担当。


飾るものが何もなかったので、近所の林に病み上がり長男を派遣し採集した、
ひいらぎを添えて。かろうじて紅一点。実の付いている枝が見つからなかったらしい。

ゴメン、ちょっと枝部分が大きすぎたね...。

切り株というより、宇宙戦艦ヤマト?!
年輪というより、ナルト?!?!

...ま、まあ、見た目はアレだけど、

しっとりとした栗づくしケーキは、かなり美味かった♪



なんでまたこんな年の瀬に

2011-12-17 21:23:17 | 日記
今年もあっという間に、残すところあと2週間。
そんな押し迫った年の瀬に、長男が虫垂炎で緊急手術しました。



....現在ジュネーブ大学病院に入院中。
おかげさまで経過は良好です。




裏モンブラン

2011-10-03 21:47:53 | 日記
好天の続く今日この頃。休日の朝突然思い立ち、モンブラントンネルを抜けて、イタリアのクールマイヨールCourmayeurからモンブランを攻めることにしました。って別に足で登った訳ではありませんケド^^;。

フランス側のモンブランへの入り口、シャモニーからエギュイーユデュミディ展望台往復のゴンドラは家族チケットでも160ユーロくらいかかるのですが、イタリア側クールマイヨールからプンタエルブロネ展望台往復は、100ユーロにちょっと欠ける程度。
シャモニーの近代的でいつも混雑している乗り場とくらべるとずいぶんシンプルで、普通のスキー場みたい。とても天下の?!モンブラン入り口とは思えないね。誰も並んでいないし.....。

 

係員のおじさんは、ゴンドラから降りてきて入場券のチェックをし人を乗せたらまたそのゴンドラに乗って上まで行くので、次のゴンドラが着くまで、乗り場は無人です。


牧場の上を通りすぎると、行く手に見えて来たのはダンデュジェアンDent du Géant=巨人の歯という名の、この辺のトレードマークのような奇岩。

遠く真ん中へんに見える尖ったやつが、マッターホルンcervin。



途中二回乗り換えて、イタリア側で一番高い位置にある展望台プンタエルブロネpunta helbronner(3,462m)に到着。それぞれのゴンドラが細かく往復しているので、意外に早く着きました。気温は0℃くらいだけど風もなくて晴天なので、寒くない。
ここから雪原の上をゴンドラで越えてフランス側の展望台エギュイーユデュミディーにも行くことも出来ます。


すっごい青空。

巨人の歯がよりとんがって見えます。

この先が、有名なメールドグラスmer de glasseという氷河。なんでも冬は雪があれば、ここから氷河の上をスキーで降りられるらしい。ここも展望台というよりは、冬期のスキー場としてにぎわうところのようですね。

よく見ると、雪原にオレンジ色のテントが見えます。

それにしてもフランス側から見るのと違って山に雪が無いから、これじゃ”モンブラン(mont blanc=白い山)”じゃないよねえって言ってたら、一応モンブランの辺りには雪がありました。

.....白い頂上の辺りがモンブラン、いやイタリアだから、モンテビアンコか。

反対側から見る白く美しい、女性的な眺めとは対照的に、氷河と尖った山々の荒々しい、男性的なイメージ。


パノラマで撮ってみた展望台から左側の風景。モンブラン頂きの見える方。


右側の風景。こちらは巨人の歯。



そしてこの展望台は、ちょうど国境の上にあります。

この山の稜線を国境と定めているとのこと。今はフランスもイタリアもEUだからいいけど、前はどうしてたんだろ。パスポートが無いと登れなかったのかな。

そういえばスイスからフランス、トンネルを抜けてイタリアに入り、またここでフランスに入っちゃった^^。
トンネルもすいていたから、ヴェルソワの我が家からこの頂上まで約二時間。便利な世の中です。

モンブランを眺める、という目的ならもしかしてジュラから見た方がよっぽいど”モンブランらしい姿”かもしれないけど、大晴天のもと、ダイナミックな山々を眺めつつも何だかノンビ~リした裏モンブラン、いやモンテビアンコの展望台でした。



おまけ。

ダンデュジェアン、ならぬ

ダン デュ ジナン


何だか変な兄弟。アリスにこんな双子がでてこなかった?




2011年の葡萄収穫

2011-09-17 10:46:51 | 日記
2008年から4年連続5回目の(甲子園か!?)ブルゴーニュ葡萄収穫に、今年も行って参りました。
(昨年までの収穫の様子→2008年2009年2010年

今回は土曜の夜まで外せない用事があったので、日曜の早朝にジュネーヴを出発。
日曜朝一番に収穫するサヴィニー・レ・ボーヌの畑には間に合わず、ボーヌ・プルミエクリュの収穫からの参加です。


お天気は曇り空、少し雨がぱらつきました。


今年は8月の初めに日を遮る葉は切ったそうで、ブドウの房がよく見えて収穫しやすい。


それと去年よりブドウのカビている部分が少ないので、それを取り除く手間もかからないから手早く収穫できる。
なんだか自分の収穫のワザが上達した気分^^。


ブルーベリーのようにパンパンに詰まった、ブドウのひとつぶひとつぶ。



素人目にも、昨年よりブドウの状態はかなり良さそう♪



造り手のレジスおじさんによれば、直近の当たり年、2009年に似た出来だとか。

翌日の学校のことを考えると午前中の収穫だけしかお手伝いはできず、残念ながらこの畑が終わった段階で早くも終了。


レジスおじさんの好意に甘え、いつものようにカーヴで試飲させてもらいました。

むしろこっちの方が長かったような?お手伝いだったのか、邪魔しに行ったのか.....。

お散歩中の、最近の発見 2

2011-08-28 21:02:54 | 日記

そして今日、裏山はジュラのスキー場近くで見つけて拾ってきたものは...


水晶??の入った石、

と、さすがジュラってだけあって、貝の化石。

 
写真だとわかりませんが、左の私が見つけたものは直径4cm程度の小さなアンモナイト系、
でも右の、長男がほとんど虫ばっかり探していたくせに帰りがけに見つけたのは、
何だかはわからないけど、細部まではっきりくっきりした直径10cmくらいの大きなものでした。
調べる術は無いけれど、ジュラ山脈なんだからジュラ紀のものよね?きっと。


採集中は下ばっかり見てたけど、ふと顔を上げると、透き通った青空のもとモンブラン、
レマン湖の大噴水、ジュネーヴ空港までがきれいに見渡せる、絶景ポイント。


パラグライダーも目の先を横切って行きました。


こんなふうに、パリの、文化の香る、心震わせ目を奪われる街並みは全くありませんが、
それなりに好奇心を満たせてくれて、なかなか楽しいお散歩なんではないかと。
って、すっかり田舎に染まってるわね....。

お散歩中の、最近の発見 1

2011-08-27 12:04:10 | 日記
ヴェルソワに引っ越してきた頃は、何でもパリと比べてあまりに何も無いことにがっくりしていましたが、
なかなかどうして。
人の住む歴史も古い上に、自然豊かなこの辺りでないと出来ない”発見”を、最近は楽しめるようになりました。

我が家と森との中間にある集落、Ecogiaエコジアには、ローマ時代の泉の遺跡。

歩いて15分ほどのところなのに、最近初めて知りました。

もちろんまわりは近年になって補修されたものですが、
紀元前からこの辺りには人の暮らしがあったということですね。


このエコジアの先の森で、今年もセップ茸を見つけました。
 

まだ時期が早いのかもしれないけど去年と比べると
森の中のキノコの種類も数も、非常に少ないです。
去年は雨が多かったから、キノコの当たり年、だったのかな、
セップ茸もさんざん美味しく頂きましたが、
今年は四人家族の一食分には、ちと足りないくらいしか採れません。

そのキノコ探しで先日、森を歩きまわっていて見つけたのは!!

 
イノシシの頭骨と思われる、白骨。

最初に上あごを、後から下あごを見つけたので長男が乗せてみると

あら、ピッタリ♪
なんだか、もののけ姫のオープニングを思い出す絵だなあ。”愚かな人間どもよ...."

そういえば去年キノコを探しに森に入った時は、ウリ坊を含むイノシシの家族に出会ってしまい、
ドキドキしながら後ずさってその場を離れたこともありました。

続く。

ローマの町、アオスタ

2011-08-18 00:00:00 | 日記
先史時代からの歴史を持つアオスタは、ローマ初代皇帝が紀元前20年に町を建設。今はイタリアですがサヴォアだった時代も長く、つまりある時期ジュネーヴと同じ国だったんですね。周辺にフランス語の地名も多く、今でもだいたいの場所でフランス語が通じます。
だからか旧市街の建物なんかはジュネーヴと似ているけど、そこにドーンとローマ遺跡があるのがおもしろい。


旧市街のすぐ外に、アウグストゥスの凱旋門。

凱旋門を背に町の中心部へ向かう道はパン屋、肉屋、ワイン屋、レストラン、カフェ、お土産物屋などがならびます。

古い町並みの間に山が見えるところが、年末に日本で訪れた高山の町と通じるものが。


プレトリア門の城壁。二重構造になっています。


門と門の間を利用した?レストラン。

円形劇場跡へ。

ローマ遺跡にはやっぱり青い空ですね~。







2千年の歴史を持つアオスタは他にも各時代の遺跡や建築物が沢山あるそうですが、とりあえず今回はこれで終了。

またこの辺は工芸品も有名です。市庁舎横にあった伝統工芸品の店で、サラミ等を切るとき専用のまな板を購入しました。
 
分厚くどっしりとしていてイイ感じ。持ち手もあって、武器にもなりそう?刻印入りです。

スイスへの帰り道は険しいサンベルナール峠ではなく、いつものように簡単にモンブラントンネルで。


トンネルに向かう道でモンブランの後ろ姿、というかイタリア側からのモンブランをパチリ。この場合イタリア語読みで、モンテ・ビアンコというべきでしょうかね。あんまり白くないね。







サンベルナール越え

2011-08-17 00:00:00 | 日記
ここまでは日帰りでしたが、ナポレオンも越えたスイス/イタリア国境のサンベルナール峠経由でイタリア・アオスタまで、一泊旅行へ。

家を出て高速に乗ってる途中の景色、先日船に乗ったヴヴェイ付近。

お天気があやし~...。大丈夫かな。

ヴォー州からヴァレー州へ入り、マルティニーの町でお昼を軽くとって山越えに備えます。


アルプスの山に近づくにつれ、お天気は回復傾向。




サンベルナール鉄道と並走。

ちなみにサン・ベルナールは仏語読みで、イタリア語ではサン・ベルナルドー、英語でセント・バーナード。
古くローマ帝国から持ち込まれた大型犬がこの峠で救助犬として活躍し、この名がつけられるようになったということです。そういえばその中でも有名な、19世紀始めに40人以上を救助したセントバーナード、バリー号の剥製がベルンの自然史博物館に展示してありました。


お天気が悪かったら峠のトンネルを行くつもりでしたが、特に問題なさそうなので普通の道で峠越えを決行。



途中でこんなナポレオンハットのついた説明書きを発見。

 

冬場は-30℃、25mの積雪も記録したサンベルナール峠は、トンネルを使わずには今でも夏場しか車の通行が出来ません。1800年5月に46,000人で越えようとしたナポレオン軍はその半数をこの峠越えで失ったとか。

私たちはおかげさまで、順調に峠の山頂に到着。




サン・ベルナール峠の名前の由来は、11世紀にアオスタ大聖堂の助祭長ベルナール・ド・マントンが、峠の山頂に遭難者の救助を目的としたホスピス(救護所、ターミナルケアを行う現在の「ホスピス」の語源)を建設し、人々に宿泊と食事を提供した(wikiより)ことから。


そのホスピス。一部博物館になっていますが、今でも救護所としての機能を持っているそうです。


国境の湖。対岸はイタリア。

 
道路脇に国境の標識(表裏)。


国境を越えたイタリア側から、スイス側を見たところ。


イタリア側にはサン・ベルナールさんの銅像が旅人を見守っています。


今回は通らなかった有料トンネルと、雲の影。

このすぐ近くを走行中、道路脇の斜面にいた野生のマーモットに出会いました!穴から出てきたところと目が合って、カメラを用意しようとしている間にまた穴に入ってしまい、残念ながら写真は撮れず。アニメでハイジが”かわいいの”とよんでいたのでもっと小さいかと思っていましたが、けっこう丸々していて大きかったです。

さてさて、峠を越えてイタリアに入りました。宿泊はローマ時代からの町、アオスタです。

続く。