ヴェルソワ便り

スイスはジュネーヴのはずれヴェルソワ発、みんみん一家のつづる手紙。

MINMIN au Congo 再び。

2008-01-13 16:00:21 | 日記
最終日はもう一回考古学博物館に行って遺跡旅の復習、食べ納めのエジプト料理を食べ、スーダン経由ケニア乗換えで無事に帰ってきました、コンゴ・キンシャサ。・・・・すごく暑いです。



ふりかえればA氏夫妻をはじめ、カイロ在住の知人の方々にはとてもお世話になりまくった旅でした。みなさん、キンシャサ生活は苦労も多かろう、と様々な心配りをしてくださる。知人のI夫妻にはご自身が転勤直前でホテル暮らしのお忙しい中、カイロ初の回転寿司屋に連れて行っていただきました。さらに、エジプト米がおいしいから買って帰りたいと思う、と言うと、夫人が注文してわざわざ段ボール箱に梱包し、ホテルまで届けてくださった。もう涙!ですよ。日本人の技術指導で作られたこの天日干しのジャポニカ米は、へたな日本米よりおいしい!しかもなんと25kg。これで心置きなく毎日お米を炊けます♪

日本やパリに行っても毎回感じることですが、ほんとうに友人ってありがたいです。


さて、空っぽの冷蔵庫をうめるため久々にスーパーに買出しに行ったら、いままで目に付かなかったアラブ世界のものがたくさん売っているのに気がつきました。白ゴマペーストのタヒーナ、豆のスープの缶詰、シャワルマ用の肉、水タバコ・シーシャの道具まで。我が家がよく利用しているのはレバノン系のスーパーだったのです。今まであんまり気がつかなかった。

ふと最近充実してきた雑誌のスタンドに目を移すと、フランスのゴシップ誌・PARIS MATCHを入荷している。表紙はLES AMOUREUX DU NIL(ナイルの恋人達)と書かれたサルコジ仏大統領と恋人。思わず初めて買っちゃいました。
掲載写真の多くはあのカルナック神殿のときのもの。そういえば報道関係のカメラマンらしき人たちもいっぱいいたもんな~。観光トップシーズンの一番混雑する午後3時ごろ、ほぼ全員がカメラを片手に持っているであろう観光地の、遺跡の壁もよく見えないほど混雑した中でうわさの恋人といちゃつきまくるサルコジさんってずいぶん大胆~。と思っていたけど、予定されたパフォーマンスだったんですかね。ぜんぜんお忍びって感じじゃなかったし。今までの仏大統領とはずいぶん違うみたい。

そんなこんなで、まだまだエジプト旅行の余韻にひたる、MINMIN一家です。


・・・それにしても、気がつけばエジプトネタの方がコンゴネタよりぜんぜん数が多くなってるよ~。ははは。

カイロの街を歩く  オールドカイロ

2008-01-13 09:03:00 | エジプト旅行
エジプトの観光スポットは、ライトアップされる遺跡以外、閉まるのが早い。ホテルの近くにあるイスラム陶器博物館も4時ごろ行ったら終わっていたし、カイロの南端にあるコプト博物館も一度目は間に合わず、今日は二度目のトライ。大型観光バスがどんどん着いて、欧米人らしき団体がゾロゾロ降りてくる。

この界隈、オールドカイロ地区はカイロ発祥の地。ここから北へ北へと街が延びていった。

コプト博物館内は撮影が禁止。コプト語(ぱっと見、ギリシャ語っぽい)で書かれた古い聖書や、フレスコ画、彫刻などが並ぶ。建物自体もスルタンの持ち物だったらしく、光の取り入れ方なども凝っていて、非常に美しい。

隣接した聖ジョージ修道院、ハンギング・チャーチ(城壁の上にぶら下がるかのように建っているため、そう呼ばれている)は10世紀に再建されたもの。

聖ジョージ修道院外壁のレリーフ


修道院内部

壁の聖人像は通常の12聖人に加えてエジプトの2聖人が加わり、14人になっている。

ハンギングチャーチの木製の天井。ランプは完全にアラブ風。


教会の地下には、聖家族がエジプト逃避の折かくまわれていた場所、というのがある(撮影禁止)。キリスト教的には聖地みたいなもの。だから欧米人観光客がたくさん来てるのね。教会内にはエジプト逃避の道程も示してあった。


聖マルコが紀元42年にエジプトで布教を始めたと言われているから、この地におけるキリスト教布教の歴史は欧州よりずっと古く、2世紀ごろには上エジプトまで広がっていたらしい。そういえばアスワンのイシス神殿に行ったとき、神殿に隠れ住んだ初期のコプト教徒が刻んだ、コプト十字が壁にあったっけ。

今でもエジプトの人口の7%くらいはコプト教信者で、見た目はイスラム教徒と変わらない服装なんだけど、手首のところにコプト十字の刺青があって、わりとカイロでも見かける、とA夫人が言っていました。

ほかにもこの地区、古い路地だのグレコローマン時代のなんたらだの、い~っぱい見所があるんだけど、もう頭の中はエジプト五千年間の歴史が入り混じって飽和状態・・・。