ヴェルソワ便り

スイスはジュネーヴのはずれヴェルソワ発、みんみん一家のつづる手紙。

前の彼と比べちゃうの

2008-05-31 17:31:24 | カメレオン
我が家に到着した翌日のこと。レオは瀕死のレオナちゃんの横で朝からよく飲みよく食べた。食べた後は枝を歩きながら、まだ警戒感を持ったまなざしを投げかけてくる。




カメレオンは人間に見下ろされるのがキライ、と書いてあったので、みんなで下から見上げてみているんだけど、レオはあいかわらず警戒の目。

蚊帳の中におうちを戻し30分くらい目を離して次にのぞいたら、木の上に二匹の姿が見えない。具合の悪そうだったレオナちゃんが蚊帳の内側を登っている?もう一匹は、レオはどこに??ハテ。まさか・・・。

念のため長男と二人でベランダの植木の間を探し始めたら、やっぱりいた!シダの葉っぱの下に隠れていて、見つかった途端にとっとと逃げ出し、以前レオン君が逃亡に使ったランタナの枝をつたって降り始めた。す、すばやい。


レオの発見されたシダの茂み

レオン君の時の作戦(枝を目の前に出して移らせる)をやってみたが、彼はノドを膨らませて威嚇し、姿が見えなくなった。またまた長男を階下へ派遣したところ、垂れ下がったランタナの枝は前よりだいぶ伸びていて、レオはまだその先端につかまっていると言う。枝を折らないように気をつけながら、根元のほうから徐々に持ち上げてベランダ内に引き入れ、ようやく先っちょにつかまっていたレオの捕獲に成功!ふ~っ。
その後、垂れ下がった枝は、逃亡防止のために伐採しました。

昨日着いたばかりだしあまり動くこともなさそうだから、と蚊帳の閉め方が甘かったところを突かれた。まったくカメレオンは油断のできない生き物だ。

しかもこの時の捕獲作戦がよほど怖かったのか、レオは人間に対してやたら威嚇をするようになってしまった・・・。



レオン君は足を怪我していたせいもあるだろうけど、もっとノンビリしてたよね、棒状のものを見せるとお箸でも指でもうっかり乗っかってきちゃったりして、かわいかったね、しかもこの子は色もあんまりキレイじゃないね、等々、ついレオン君とレオ君(ややこしい)を比べて、物足りなさを感じてしまう私と長男。


しかしこんな私達の意識を変える出来事が起こりました。それは・・・。

続く。

またもや。

2008-05-30 19:18:24 | カメレオン
ショックなニュース、とコメントに書いておきながら、ご報告が遅くなってすみません・・・。どうもレオン君のときと同様、気持ちが落ち着かないと文章にできなかったのです・・・と書いたらわかっちゃったでしょうか。我が家の新入りカメレオン2匹のうちの1匹が、またお星さまになってしまいました。

来た時から元気がなく、と言うよりすでに死んじゃってるのかと思っていた、彼女(たぶん)です。名前はなかったのですが、いちおう女の子だったことにして、レオナちゃんにします。

我が家に来た翌日も、朝は良く水を飲んでました。でも相変わらず目はつぶったまま・・・。

注射器に直接口を付けて飲んでます。カワイイ。



だけどいかにも具合が悪そう。顔色(体色?)も黒っぽいし、目の前にバッタを置いても、無反応。

さらに翌朝、ベランダに出てみると木から下に落ちていました。まだやわらかいけれど、口を少し開けたまま、ピクリともしません。お口に水をたらしてみても無反応。尻尾や足に触ると、とってもやわらかいのに・・・。




お昼過ぎまでかごに入れて様子を見ていたけど、だんだん硬くなってきたので、もう間違いありません。
とてもショックでしたが、きっと売人のおじさんのところにいたら、お水ももらえずにその日中に死んでしまっていたんじゃないか、うちに来たから最後にお水を飲むことができたんだ、と勝手ながら思うことにしました。これも、何かの縁。レオン君の横に埋めてあげようかとも思ったのですが、レオン君が好きだった(よく脱走に使った)ベランダの木の根元を深く掘って、埋めました。


・・・ところでもう一匹の彼(たぶん)。ヤツは来た翌日からよく食べ、う○ちもし、早くも脱走まで謀りました。これからは彼(レオナルド・デカプリオ、じゃなくって、レオナルド・デカメレオン←長男命名)、通称レオ君の日々をお伝えすることになりそうです。



キンシャサの起源(ルーツ)

2008-05-28 19:51:33 | コンゴ(M&S)
ボテンベ氏によれば、キンシャサの街の起源は、キンシャサの東部、ンジリ国際空港より更に東にいったンセレという地区にあるキンポコという村らしい。

1867年というからちょうど明治維新の頃、コンゴ・ブラザビル側から渡ってきた男によって興された。キンポコという名前も、白鷺(ここの言葉で、一羽ではマンポといい、複数になるとキンポという。)のようにコンゴ・ブラザビルの方からやってきたその男にちなんで付けられたということだ。

ちなみに、今でも白鷺がブラザビルとキンシャサの間にあるコンゴ川の上を往来するのを見ることができる。


現在、その男(名前を教えてもらったが失念した。)が住んだ家の跡地には椰子の木が立っている。モブツ時代に建てられたパイナップルジュース工場(今は廃屋)のすぐ奥だ。


一本高いのがその椰子の木


その男は、椰子の木のすぐ近くにある大きなバオバブの木のある場所に埋葬された。

その昔コンゴ人は、重要な人物が亡くなると彼(又は彼女)を土葬し、その上に植樹をする習慣があったそうだ。

立派なバオバブの木。この下にキンシャサのルーツが眠る


ちょうど時期なのか咲いていたバオバブの花。直径30cmくらいありそう



さらにその近くのもう一本のバオバブは、ベルギーの植民地政策に抵抗し、ベルギー人入植者に鞭で打たれて死んだ男を埋葬し、その上に植樹されたもの。



これらはコンゴの歴史を語る上で非常に重要な史跡といえるが、そこには碑文すら置かれていない。

現在その辺りは、90年代の内戦の際に戦火を逃れてきた避難民が移り住んだ地区になっており、掘建て小屋が並んでいるだけだ。


椰子の木から見たコンゴ川の景色




そこから程近いところにある、キンポコ村の中心にいるという長老を訪ねた。


村の中心にあるキンポコ村の小学校の教室


横にある低学年生用の教室。中に入ると案外明るくて涼しい

村の広場の大きな木の下で待っていると、長老が現れた。
この女性こそ、このキンポコの村を興した男の末裔なのだそうだ。彼女は、いまでもこうして村長(むらおさ)としてその土地の人々に敬われ、大切にされている。


村長のしるしは赤い服と蠅追いの羽ぼうき

村の諸問題はすべて、この木の下で、村長を囲んで話し合われるそうだ。
アフリカの社会は、日本人が忘れようとしている大切なものを今でも大事にしているようなところがあると思う。(M)

性懲りもなく・・・

2008-05-26 18:58:44 | カメレオン
レオン君追悼の記事を書いた舌の根も、いやペンのインクも、いやキーボードの汗も?乾かぬうちに、こんな事をご報告するのもナンなんですけど・・・。

実はまた買ってしまいました、カメレオン。しかも今度は二匹。

いやね、ダメもとで前に買った場所に行ってカメレオンはいるかと聞いてみたら、いるよ~っと言って二匹出してこられちゃったんですよ。小さいからと値切って、結局二匹でレオン君一匹分の値段にしてもらいました。

レオン君よりだいぶ小さめで、ペットボトルに二匹いっぺんに入っていました。

木の枝で蓋をしてあるところがイイジャン。



今回は、水の飲ませ方もわかるし、逃走防止の蚊帳も吊ったままだし、お家となる植木もだいぶ葉が茂って隠れ場所もできたし、前回と比べて受け入れ態勢は整っています。


一匹は早速自分でペットボトルから這い出して木に登ったけれど、もう一匹は目をつぶったまま動かないので、もしかして死んでいるのかも、と心配したのですが、生きていました。

でもとてもやせ細っていて、目のまわりがくぼんでいる。ダイジョブカナ。


とりあえず霧吹きで彼らの周囲の葉っぱを湿らせていると、葉っぱから滴るしずくに元気なほうの一匹が反応して、水をなめ始めました。のどが渇いていたのね。


下の方でじっとしていたほうの子は、いつの間にか霧吹きの水が直接体にかかってびしょびしょになっていて、目を覚ましました。やっぱりのどが渇いているようなので、注射器の先から水をたらしてみると、赤ちゃんが哺乳瓶に吸い付くように、慌てて飲み始めました。カ~ワイイ♪

でもまだ調子が悪いのか、目はつぶったまま、口だけ動かして一生懸命飲み、そのうちまた眠ってしまいました。

ともかく二匹分のエサを確保しなければ!久々のバッタ捕りだ~!!


捕ったバッタの後ろ足を抜いている長男・・・。跳んで逃げちゃうから私が頼んでやってもらっているんですけど、ねじって引っこ抜く様子は、ちょっと直視できません。

家族四人で10分あまりかけて20匹以上のバッタを捕獲。その辺で抜いた雑草と一緒にペットボトルに入れて持ち帰ります。



なんだかレオン君は初めてのこどもが生まれたときのように緊張しましたが、今回は2人目、しかも双子が生まれたって感じ。手はかかるけど勝手が知れているので、ちょっと気が楽。でもその分、前より感動が薄いかな・・・。

我が家の食卓・静洋酒家

2008-05-25 18:37:18 | コンゴでごはん
家族揃っての家メシの多いMINMIN家ですが、さすがに週末は外食しています。金曜夜と土日の昼か夜、週末で1~3回の外食のうち、必ず行っているのがこの静洋酒家(レストラン・ジンヤン)です。休暇から帰ってきて夜家に着き荷物を入れると、まずここに行く。キンシャサ最初のお食事はいつもこの店。我が家の食卓です。

でもあまり本当の名前で呼ぶ人はいません。我が家から一番近い中華、略してチカチュウ。決して地下に駐車場はありませんが、仲間内ではこれが通り名です。ちなみに別のレストランで、ピカチュウという店があって、こちらは激しく電飾で飾り付けてあるため、ピカピカ中華レストラン、略してピカチュウで通っています。(本当の名はレストラン・パールです。)

キンシャサには私達が知っているだけで、中華レストランが4件ありますが、チカチュウは我が家がキンシャサに来た直後にできた、4件のうちでは新参のレストランです。


ここの売りは(って勝手に決めているだけだけど)、前菜のスープ。毎回微妙に(あるいはあからさまに)味付けが違うこともあるけれども、キンシャサ中華の中では一番おいしい、というか、ほっとする味。まさに”我が家の食卓”たるゆえんです。


上海スープ。イカ・えび・鶏肉・きくらげ・人参・卵が具の、とろみのついたスープ。


蟹とアスパラガスのスープ。とメニューには書いてあって注文もそう言うんだけど、実際に入っているのは、エビとアスパラガスと卵。開店当初はちゃんと蟹だった気がするんだけど(゜ー゜;
ともかくやさしい塩味の、私のお気に入りです。


こちらは中国スープ?。スープ・シノワズと書いてあるけど、パリの中華で言う所の北京スープです。日本だと酸辣湯(サンラータン)ていうのかな。山椒や唐辛子が利いていて、ものすごく辛いけど日によって辛さの違いが大きい。夫やおとなりのGさんお気に入りの一品です。ガタイのでかい二人が、並んで大汗かきながらこのスープをすする姿も、すごいものがあります。


続いて我が家の定番、ジャガイモの辛味炒め。ニンニクと唐辛子たっぷりですが、見た目ほどの辛さはありません。これもその日によってお酢がとっても利いていたり、唐辛子やニンニクが少なめだったりといろいろです。


今回はカリフラワーの炒め物も。野菜の火の通り方がいい感じ。あっさりしていて食べやすい。

そして、以前から中国人客がよく食べている蟹に興味があったので、初めて注文してみました。料理名もわからないので、蟹が食べたい、と女主人に伝えると“辛いよ~”と言うので、あんまり辛くしないでねと頼んで出てきたのが、これです。

殻いっぱいに詰まったふんわり・とろりとした蟹の身の、絶妙な火の通り具合。生から火が通った瞬間に供された、という感じがします。豆鼓と唐辛子のソースも、ご飯に合う。

すっごくおいしいね!と騒いで夫に同意を求めるけれども、反応なし。後で聞いたら、あまりおいしかったので蟹をほじくるのに集中してしまい、応える余裕がなかったらしい。
いわく、”今まで食べた中華の蟹で一番おいしかった”そうです。

聞けばこの蟹、ヨーロッパからの輸入モノではなく、隣の国コンゴ共和国の大西洋岸にあるポワント・ノワール港であがったものが、生きたままブラザビル経由でここに入ったという。近海ものだったんですねえ。
この店の本店というか姉妹店がブラザにあるそうで、他の店では考えられないけどこの店では、たま~にこういう驚くべきことが起こります。

うーむ、侮れない。

レオン君について

2008-05-23 10:11:24 | カメレオン
休暇中の日本でパリで、このブログを見てくれている友人みんなが、レオン君はどうしてるの~?と聞いてくれました。

だからやっぱりお知らせしないといけませんね。つらいのでなかなか書けませんでしたが。

・・・・レオン君はお星様★になりました。


休暇に出るにあたって、その間彼をどうするべきか、だいぶ夫と話し合ったのですが、結局いつもエサ捕りに行くプールサイドのお庭に開放してあげようということになりました。一応彼はコンゴレだし、気候的には何の問題もない。ただだいぶ良くなったとはいえ舌がまだ治りきってない状態のため、自らエサを捕れるかどうか、というところがポイントでした。

”自然界では数週間、エサを捕れないこともある”というサイトの情報もあり、帰ってくるまでにやせ細って待っているかもね、とか、いや、絶食しているうちに舌が完治して自力でエサを捕りまくり太っているかも、庭の塀を乗り越えて脱出してるかもよ、などと話しつつ、やっぱりエサが捕れないと厳しいだろうな、と胸のうちではみんな思っていた。とにかく天に任せる苦渋の決断をして、出発する日の昼間、プールサイドの木にレオン君を放ちました。


あ、これはまだ家のベランダで、エサのバッタを与えているところですね。しばらく食べれないかもしれないから、たっぷり食べさせました。


慣れている植木と一緒に、かごで移動。エサ捕りの時に何回か連れてきているので場所には慣れていたはずなのですが、警備員の人たちも集まってきて緊張したのか、葉っぱにしがみついて降りようとしない。人見知りなレオン君。


でも私が手を出すと・・・


つい乗ってしまうのでした。

片目で私の手を見て片目でカメラを見ているレオン君。
この日はしろみの服のほうが、カメレオンに合わせているみたいですね。


プールサイドのマメ科の木の根元に置いてあげると、調子よく登りだした。エサ捕りに来たとき何回も登った木なのです。つかまりやすい枝の太さ、花も咲いているので、小さな蝶や小バエみたいな虫もくるし、蛾の幼虫らしき芋虫もいるから、ちょうど良さそうだと思って。


いつの間にか私達の頭よりも上に。やっぱり高いところが好きなのね。

レオン君を探せ!のコーナー。拡大して探してみてください。

見つかったかな?


名残惜しいけど、飛行機の時間もあるしそろそろ行くね・・・。






警備員がネコに狙われるかも、と言うので、夜は飼育ケースの中に入れてもらうことに。慣れない人に扱わせるのはとても不安だったけれど、仕方ない。

でも・・・・。
休暇に出て10日後に連絡があり、レオン君は死んでしまったとの報告がありました。とにかく庭に埋めておいて、と伝えました。



休暇から帰ってきて行ってみると、警備員が走ってきて、埋めた場所を教えてくれました。こども達とお庭に生えているお花を供え、手を合わせました。

警備員の彼が言うには、エサはたくさん与えていたんだけど、ケースが小さすぎたんじゃないかなあ、との事。たしかにカメレオンはストレスに弱い、とどこを見ても書いてある。慣れない場所で、慣れない人に囲まれて掴まれて、ストレスがたまったのか。彼が本当にエサを与えてくれていたのか確認できないし、昼もケースに入れっぱなしだったということも考えられる。・・・・・。

何にしても、我が家に来て舌を傷つけてしまったレオン君を、最後まで面倒見てあげられなかったことは、すごく悔やまれます。

ごめんね、レオン君。

コンゴ川に思う

2008-05-20 10:00:55 | コンゴ(M&S)
コンゴ川は、アマゾン川に次いで世界第二の水量を誇る川である。

川は最初は南半球から一度北上して北半球に入り、そこから大きく時計と反対周りに弧を描いてキンシャサに向けて南下し、そのまま大西洋に向けて西に向かう。南半球―北半球―南半球と流れるために、南半球が乾季のときは北半球が雨季、北半球が乾季のときは南半球が雨季となり、季節による水の量の変化が少ない、一年中一定の水量を湛えた川である。

1970年代、当時の大統領モブツが自分の気に入らない人間を殺害した後に、死体を大きな石と一緒に麻袋に入れて流した(沈めた?)といわれているのはこの川である。
また、1997年5月、モブツを追討するためにローラン・デジレ・カビラ(今の大統領の父親)が東部から下ってきたのも、この川である。
そして、2006年3月のカビラ大統領警護隊とベンバ元副大統領の私兵の間で銃撃戦が発生したとき、数百の死体が投げ込まれたといわれるのもこの川である。

キンシャサから見たブラザビル

たまに日本人バックパッカーがコンゴ川上流の都市キサンガニからキンシャサまでの約1700km・3~4週間の航路を、旅の一つのクライマックスと位置付けてやってくる。その筋の人には知られた川下りである。

この船のことはNHKでも特集されたことがあり、私と妻も日本にいるときに見た。
見た直後に、”コンゴにだけは行きたくない”と妻が思わず漏らしたことは、今となっては忘れられない思い出だ(これぞ、逆?言霊。)。

ブラザビルから見たキンシャサ

しかし、川下り経験者の話を聞くと、この船の乗客のコンゴ人は相互扶助の精神に溢れており、「あんたは日本人のくせに汚い服を着ているな」といっておばさんが石鹸でごしごし服を洗濯してくれたり、持っているバナナなどの食べ物を分けてくれたりと、とっても親切なようだ。

でも、止まる港の先々で、外国人と見るや港湾警察や港湾職員がやってきてなんやかんやと理由をつけてお金を巻き上げようとするので、キンシャサに着く頃にはほとんど手持ちの現金がなくなってしまう。そして、川下りをしてきた人の多くは、終着の街キンシャサの物価がものすごく高いことに驚き、かつ、人々が金の亡者であることに失望するようだ。
中には気の毒なことに、船の中での夜の雑魚寝の最中にハマダラ蚊に刺されて、マラリアを発病する人もいる。

キンシャサの夕日

しかし、バックパッカーの方々にとっては、こうしたハプニングは勲章のようなもので、そのときは大変でも、後になれば「俺はこんな面白い経験をしたぜ、どうだ、参ったか。」・・・てな具合に格好の武勇伝、自慢の種になってしまったりする。

こういう武勇伝を読んだりすることはそれはそれで楽しいことだが、これだけでは、日本人にとってコンゴはいつまでたっても”冒険好きバックパッカーの楽園”の地位にとどまってしまう。旅行者や冒険者でなく、ここに住んでいる者の視点でコンゴを語ることも、この国のことを理解してもらうためには必要であろう。

ということで、このブログが単なる我々夫婦の暇つぶし以上のものになってくれたらいいな、最近そんな期待を抱き始めている。(M)

休暇の後ってさ~ 2

2008-05-19 10:21:25 | コンゴでごはん
まだまだ休暇ボケの治らない、しろみです。

休暇の後の何がイヤって、やっぱり三度の食事の支度!日本に住んでいると考えられないけど、ここではたまに夫が仕事飯のとき以外、平日は朝昼晩家族全員、家で食事をしています。朝はまあいいとして、昼と夜を何にするかを考えるのが、結構大変。食材もそろわないし、なによりこの1ヶ月間、日本やフランスで食べたいものだけ食べて、ほとんどまともにご飯の支度をしていなかったので、何を作ればよいのやら何一つ思い浮かばない・・・・(・д・)ボー

とりあえずお昼ごはんはカレーと決めて、冷蔵庫のオクラやらナスやら刻みまくり夏野菜カレーを作り始める。

いつも行くインド系レバノン系のスーパーでは、いろいろなカレー粉やペーストが手に入ります。


煮込んでいる間にお米を炊こう。エジプト米は終わっちゃったし、日本米はもったいないから、冷凍庫のタッパー入れてあったイタリア米。でも炊き上がったら、なんだかごはんが黄色っぽい?傷んでいるわけではなさそうなんだけど・・・あ、この匂いは・・・!

・・・・もち米でした(;゜皿°)


イタリア米じゃあなかったね。ハハハ。いやカレーライス用には特に問題なしだったんですが、せっかくちまきか何か作ろうと思っていたもち米、みんな炊いちゃったよ~もったいない!大ボケ。自分で袋からタッパーに入れ替えたはずなんだけど、よく覚えていないヾ(- -;)

さて無事?お昼は終わりました。多めに炊いて余ったごはんは、すり鉢でついて、まるめて、きな粉をまぶし、きな粉餅にしました。急に決めたので超シンプルな材料。せっかくのもち米、何とか日本の味にもっていきたいという、執念みたいなものです。


粘土遊び気分で手伝ってくれたこども達。


なかなかの出来映え?素朴でやさしいお味でした。おかわり希望者続出!
さ、これで今日のおやつもめでたく終了。

・・・あ~あ、夜ご飯は何にしよう。

コンゴ川を渡り対岸のブラザビルへ

2008-05-17 00:30:39 | コンゴ(M&S)
対岸のブラザビルに行く。

コンゴ川を隔てて向かい合った2つの首都。コンゴ民主共和国の首都キンシャサとコンゴ共和国の首都ブラザビルは、ローマとバチカンを例外とすれば世界で最も近い2つの首都同士のようである。

キンシャサから見るとブラザビルは小さな街に見える。キンシャサの人口が600万人とも800万人とも言われているのに対し、ブラザビルの人口は80万人。約10分の1というから驚きだ。

キンシャサからブラザビルに行くにはコンゴ川を渡る船に乗る。ブラザビルに渡る港は「ビーチ」と呼ばれていて、そこに行くと、またもやいろんな人間が寄ってくる。

こっちの人は、1往復2000フラン(4ドルくらい)の連絡船を使っているが、さすがにこれにはちと乗りにくい。汚くてすし詰めにされるし、たまに船が川に沈んだという記事が新聞に出ているからだ。
そこで、12人乗りくらいのカノーラピッドという船に乗ることにする。料金は片道22ドル。しかし、この船、一応出発時刻が決まってはいるのだが、乗客が12人揃うまで出発しない。また、一応国境を越えるのでパスポートコントロールもある。これに通常1時間、遅いときには2時間くらい待たされる。あまり時間がかかるようだと、「足りない人数分を支払ってくれたらすぐに出発してあげるよ」といって余計に払わせようとしてくる。

そこで、パスポートコントロールの手続は手間賃を払って人任せにして、人数が揃うまでの間、港の中のクーラーの効かないお店でビールを飲んで気長に待つことにする。そうだ、通貨をセーファーフランに交換しておかないと。その辺にいる両替屋さんがさっきから我々の様子を伺っているので、声をかけて、買い物に使う程度のドルを交換してもらう。

手続きが終わり、やっと人数が揃ったので、船に乗り込む。

さすがに速い

こうして船に乗って見るとコンゴ川はとても茶色い。

茶色いコンゴ川

流れが意外に速く、水草のような草がたくさん流されているのがわかる。それに対岸が結構遠くに見える。日ごろ遠目に見る分にはあんなに対岸が近くに見えるのに。

風が強く、船の中はちょっと寒い

そんなことを考えているとあっという間に対岸に着く。所要時間10分足らずか。
船から下りてまたパスポートコントロール。これにまた1時間くらいかかる。暑い中待たされるので結構きつい。

港を出たところで、タクシーの運ちゃんと値段交渉して、とりあえずスーパーマーケット・スコールへ。ここはフランス系のスーパーなので、懐かしのフランス製品が購入できるのだ。キンシャサではお目にかかれないものがあるかどうか眼を光らせる。
結局購入したのは、フランス製のソーセージと子供用のお菓子。これないんだよね、キンシャサに。思わず、買いすぎてしまった。

それから、ベトナム風中華料理屋へ行く。キンシャサでは食べられないフォー(ベトナム風うどん)を注文する。まさに、これを食べるためにわざわざ国境を越えて来ましたという感じ。

ついでに、コンゴ・ブラザビルのビール、ンゴックを注文。ワニのマークと緑色が斬新で良いではないか。

ブラザビルのビール・ンゴック

でも、味はキンシャサのプリムスやスコールの方がおいしいかな。このあたりがビールの美味いベルギーの植民地だったコンゴ民主共和国と、ビールの美味しくないフランスの植民地だったコンゴ共和国の違いかな。

とりあえず満足して、その日のうちにまたキンシャサに帰るために港に向かう。2時間くらいかけてキンシャサに戻る。

静かなブラザビルからキンシャサに戻ると、やっぱり胡散臭い連中で港がごった返している。

”また、ここに戻ってきてしまったか。”

隣の国からきても、こんなため息を漏らしてしまうキンシャサは、アフリカ人から見ても結構大変な国なんじゃないか、そんな風に感じてしまう。(M)

(これは休暇前にブラザビルに行った時のお話しでした。)

休暇の後ってさ~

2008-05-16 17:10:40 | 日記
楽しい日本とフランスでの休暇も終わり、コンゴへ帰ってきました。

キンシャサの空港でタラップを降りると、むわぁっとした空気に包まれて、息が苦しい。エジプトの砂漠にあるバハレイヤ・オアシスのホテルの日本人スタッフの方が、”いつも砂漠の乾燥したところにいるので、日本に降り立つと湿気で体が重く感じるんですよね”と言っていたけど、本当にそうですね。体が重いです。もちろん日本やフランスで本能のおもむくままに食べていたせいも、あるんだろうけど。

無事家に到着し、たくさんの荷物を持って中に入ると、スイッチを入れても玄関や廊下は真っ暗、そして何故かくしゃみと鼻水がとまらない。日本のスギ花粉も、フランスのマロニエ花粉も何とかやり過ごしたのに、何で??と思って居間の電気をつけると、食卓の椅子のカバーに、アオカビがうっすら・・・・・・・ギャ~!!!!

翌朝は何か食べようと思ったら、買いだめしておいたはずの水やコーンフレークがない。冷凍庫に入れておいたチョコレートも、空き袋だけが入っている。??おかしいな。

夕方になると雨季の最後の大雨と雷がすごい。


それまでと風向きが変わったと思うとものすごく強い風になり、その後は雷がまるで映画かドラマの効果音のごとく、ガラガラバリバリズシ~ン、と派手に鳴り響く。そのためか電力事情は最悪でブレーカーが一箇所とんだまま戻らなくなっている。これが玄関の停電の原因ね。電圧が一定しないためか、ネットは全くつながらないし、PCもまともに動いてくれない。家の明かりも、フ~ッと暗くなったり、急にものすごく明るく輝いたりする。


・・・あ~あ、帰ってきちゃったんだねえ、コンゴに。


いつもならば留守中もベランダの植物の水遣りや掃除をしてくれるメイドのナディーヌ。現在病気療養中のために代わり(実娘)が来ていたのだけれど、どうも部屋の空気を入れ替えず、もちろんクーラーもかけていなかったため、湿った空気がこもってカビが発生したみたい。いままで何回も休暇に出ているけど、こんなの初めてだもの。しかも、娘、食料品つまみ食いしてたな?叱ってやらなくちゃ。今度は体じゃなくって気が重い。


さて、ここんとこ雨も落ち着いて、ネットも常時、つながるようになってきました。ようやく落ち着いてブログも書けるワ。

でも今朝はこども達が学校に行ったら、突然、学校が休みになってた。この国は突然に国民の休日が発表されることがあるのですが、今回は前日にもお知らせが間に合わなかったらしい。学校側も困って、校門の外で校長先生が一人一人にお詫びのお手紙を配っていたそうです。

・・・まったく、毎日疲れさせてくれます。しばらくは先進国の余韻が残っているから、ツライ日々です。