ヴェルソワ便り

スイスはジュネーヴのはずれヴェルソワ発、みんみん一家のつづる手紙。

お散歩中の、最近の発見 2

2011-08-28 21:02:54 | 日記

そして今日、裏山はジュラのスキー場近くで見つけて拾ってきたものは...


水晶??の入った石、

と、さすがジュラってだけあって、貝の化石。

 
写真だとわかりませんが、左の私が見つけたものは直径4cm程度の小さなアンモナイト系、
でも右の、長男がほとんど虫ばっかり探していたくせに帰りがけに見つけたのは、
何だかはわからないけど、細部まではっきりくっきりした直径10cmくらいの大きなものでした。
調べる術は無いけれど、ジュラ山脈なんだからジュラ紀のものよね?きっと。


採集中は下ばっかり見てたけど、ふと顔を上げると、透き通った青空のもとモンブラン、
レマン湖の大噴水、ジュネーヴ空港までがきれいに見渡せる、絶景ポイント。


パラグライダーも目の先を横切って行きました。


こんなふうに、パリの、文化の香る、心震わせ目を奪われる街並みは全くありませんが、
それなりに好奇心を満たせてくれて、なかなか楽しいお散歩なんではないかと。
って、すっかり田舎に染まってるわね....。

お散歩中の、最近の発見 1

2011-08-27 12:04:10 | 日記
ヴェルソワに引っ越してきた頃は、何でもパリと比べてあまりに何も無いことにがっくりしていましたが、
なかなかどうして。
人の住む歴史も古い上に、自然豊かなこの辺りでないと出来ない”発見”を、最近は楽しめるようになりました。

我が家と森との中間にある集落、Ecogiaエコジアには、ローマ時代の泉の遺跡。

歩いて15分ほどのところなのに、最近初めて知りました。

もちろんまわりは近年になって補修されたものですが、
紀元前からこの辺りには人の暮らしがあったということですね。


このエコジアの先の森で、今年もセップ茸を見つけました。
 

まだ時期が早いのかもしれないけど去年と比べると
森の中のキノコの種類も数も、非常に少ないです。
去年は雨が多かったから、キノコの当たり年、だったのかな、
セップ茸もさんざん美味しく頂きましたが、
今年は四人家族の一食分には、ちと足りないくらいしか採れません。

そのキノコ探しで先日、森を歩きまわっていて見つけたのは!!

 
イノシシの頭骨と思われる、白骨。

最初に上あごを、後から下あごを見つけたので長男が乗せてみると

あら、ピッタリ♪
なんだか、もののけ姫のオープニングを思い出す絵だなあ。”愚かな人間どもよ...."

そういえば去年キノコを探しに森に入った時は、ウリ坊を含むイノシシの家族に出会ってしまい、
ドキドキしながら後ずさってその場を離れたこともありました。

続く。

古道具市で、古いコルク抜きを買った

2011-08-24 21:35:30 | ワイン(M氏より)
週末,お世話になった職場の上司ご家族をジュネーブ空港で見送った後,しろみが冷たいものを食べたいというので,高速に乗ったついでにニヨン(Nyon)の街のアイスクリーム屋まで行ってみた。
すると、ちょうど骨董・古道具市をやっているところだったので,アイスを食べながらぶらぶら見て行くことにした。

スイスの骨董古道具市では、なるほど骨董品といえる立派なものから、「こんなの買う人いるのかね」というような正真正銘のガラクタまで、玉石混合、雑多なものが売られている。

やっぱり今回もひやかしで終わったかな、という頃合いになって、しろみが「ワインのコルク抜きをいろいろ置いた古道具屋があるからこっちに来い」という。
行ってみると、たしかにガラスケースに所狭しと古いコルク抜きが並べられていた。

これまでいろんな古道具市をみてきたが、ブルゴーニュのボーヌ(Beaune)の古道具市でも見たことも無いようなものがいくつもある。

おじさんに、「ここまで揃えるのにどれくらいの年月がかかったのか」と尋ねると、収集を始めて30年くらいという。
その間に売られたものも相当あるだろうから彼の30年のコレクションの全貌を知る術はない。しかし,30年間のこだわりがあったればこそ、今ここに並んでいるようなものが揃うのだろうと思った。


気になるものをいくつか手に取って見せてもらう。
値段を見ると、これまでの古道具屋と比べると高めの値段設定で、購入意欲が一気にひるんだ(最近スイスフランも高くなっているし。)。

しかし、取っ手が葡萄の木を模した彫刻になっているもの(しろみは真っ先にこれに目を付けたが、お目が高すぎて桁が違った。)、小さな四角柱状(細長いマッチ箱のよう)になる携帯型のもの、ハサミのような形をしたものなど次から次へと手に取ってみる。
イタリアのバローロというワインで有名な街に、コルク抜き博物館があり、そこでもいろんなコルク抜きを見たが,その博物館にも恐らく置いていないようなものまであるのではないか。

コルク抜き以外にも,瓶中に落ちたコルクを3本の針金で取り除く器具、シャンパンのコルクの上から管を突き刺し栓を抜かずに注げる器具(蛇口に開閉用の弁があり、瓶内の炭酸の圧力を利用して必要な分だけグラスに注ぐことが出来る仕組み)、シャンパンの針金を切るペンチ(手で開けられない場合に使用する)など、次々と説明してくれた。造り手が樽に栓をするための金槌と樽に穴をあけるスクリューが一緒になったものもあった。

こんなものを次々と見せられてしまうと、今買わなければきっと一生お目にかかれないような気がして,あれもこれも欲しくなってしまい、結局衝動買いしてしまった。


ということで、今回購入したのはこの2つ。

1.鑞封した鑞を落とす箇所のついた、4本の指で無理なく引っ張れるもの。



自分はコルク抜きで最も重要な箇所はスクリューであると思っているので,やはりこの部分にはこだわって選んだものだ。



2.もう一つは,おじさんのお勧めのこれ。
この取っ手の部分に造った人の職人気質が感じられる。



そして、このスクリューを見てほしい。



今市販されているコルク抜きの中に,こんな美しいフォルムのスクリューがあるのだろうか。



最も高価とされるフランスのライヨール村のソムリエナイフでも、この部分についてはこの逸品に遠く及ばないのではないか。


・・・と、ここまで書きながら,さすがに我ながら「馬鹿は死ななきゃ直らない」という言葉が脳裏に浮かぶ。

コルク抜きなんて、コルクが抜ければ何でもいいじゃないか、日本の酒屋でワインを買った時におまけでもらえるあのコルク抜きでなんでいけないんだ、と。

でも、こんなに楽しいこと,とてもじゃないがやめられない。



そう、ワイン馬鹿のタチの悪いところは(世の中のバカと言われる人は総じてそうなのだろうが、)、自分でもどうかしてると思いながらも,それを正そうとはしない点なのである。(M)

ローマの町、アオスタ

2011-08-18 00:00:00 | 日記
先史時代からの歴史を持つアオスタは、ローマ初代皇帝が紀元前20年に町を建設。今はイタリアですがサヴォアだった時代も長く、つまりある時期ジュネーヴと同じ国だったんですね。周辺にフランス語の地名も多く、今でもだいたいの場所でフランス語が通じます。
だからか旧市街の建物なんかはジュネーヴと似ているけど、そこにドーンとローマ遺跡があるのがおもしろい。


旧市街のすぐ外に、アウグストゥスの凱旋門。

凱旋門を背に町の中心部へ向かう道はパン屋、肉屋、ワイン屋、レストラン、カフェ、お土産物屋などがならびます。

古い町並みの間に山が見えるところが、年末に日本で訪れた高山の町と通じるものが。


プレトリア門の城壁。二重構造になっています。


門と門の間を利用した?レストラン。

円形劇場跡へ。

ローマ遺跡にはやっぱり青い空ですね~。







2千年の歴史を持つアオスタは他にも各時代の遺跡や建築物が沢山あるそうですが、とりあえず今回はこれで終了。

またこの辺は工芸品も有名です。市庁舎横にあった伝統工芸品の店で、サラミ等を切るとき専用のまな板を購入しました。
 
分厚くどっしりとしていてイイ感じ。持ち手もあって、武器にもなりそう?刻印入りです。

スイスへの帰り道は険しいサンベルナール峠ではなく、いつものように簡単にモンブラントンネルで。


トンネルに向かう道でモンブランの後ろ姿、というかイタリア側からのモンブランをパチリ。この場合イタリア語読みで、モンテ・ビアンコというべきでしょうかね。あんまり白くないね。







サンベルナール越え

2011-08-17 00:00:00 | 日記
ここまでは日帰りでしたが、ナポレオンも越えたスイス/イタリア国境のサンベルナール峠経由でイタリア・アオスタまで、一泊旅行へ。

家を出て高速に乗ってる途中の景色、先日船に乗ったヴヴェイ付近。

お天気があやし~...。大丈夫かな。

ヴォー州からヴァレー州へ入り、マルティニーの町でお昼を軽くとって山越えに備えます。


アルプスの山に近づくにつれ、お天気は回復傾向。




サンベルナール鉄道と並走。

ちなみにサン・ベルナールは仏語読みで、イタリア語ではサン・ベルナルドー、英語でセント・バーナード。
古くローマ帝国から持ち込まれた大型犬がこの峠で救助犬として活躍し、この名がつけられるようになったということです。そういえばその中でも有名な、19世紀始めに40人以上を救助したセントバーナード、バリー号の剥製がベルンの自然史博物館に展示してありました。


お天気が悪かったら峠のトンネルを行くつもりでしたが、特に問題なさそうなので普通の道で峠越えを決行。



途中でこんなナポレオンハットのついた説明書きを発見。

 

冬場は-30℃、25mの積雪も記録したサンベルナール峠は、トンネルを使わずには今でも夏場しか車の通行が出来ません。1800年5月に46,000人で越えようとしたナポレオン軍はその半数をこの峠越えで失ったとか。

私たちはおかげさまで、順調に峠の山頂に到着。




サン・ベルナール峠の名前の由来は、11世紀にアオスタ大聖堂の助祭長ベルナール・ド・マントンが、峠の山頂に遭難者の救助を目的としたホスピス(救護所、ターミナルケアを行う現在の「ホスピス」の語源)を建設し、人々に宿泊と食事を提供した(wikiより)ことから。


そのホスピス。一部博物館になっていますが、今でも救護所としての機能を持っているそうです。


国境の湖。対岸はイタリア。

 
道路脇に国境の標識(表裏)。


国境を越えたイタリア側から、スイス側を見たところ。


イタリア側にはサン・ベルナールさんの銅像が旅人を見守っています。


今回は通らなかった有料トンネルと、雲の影。

このすぐ近くを走行中、道路脇の斜面にいた野生のマーモットに出会いました!穴から出てきたところと目が合って、カメラを用意しようとしている間にまた穴に入ってしまい、残念ながら写真は撮れず。アニメでハイジが”かわいいの”とよんでいたのでもっと小さいかと思っていましたが、けっこう丸々していて大きかったです。

さてさて、峠を越えてイタリアに入りました。宿泊はローマ時代からの町、アオスタです。

続く。


モンブラン見物

2011-08-16 00:00:00 | 日記
今度はちょっと遠出して、西ヨーロッパ最高峰のモンブランへ。

モンブランの麓の町シャモニーまでは、我が家から高速道路で1時間強。ハイシーズンはとんでもなく混んでいると聞いていたのでドキドキでしたが...



シャモニーの町外れにある広い駐車場に車を置き、エギュイーユ・デュ・ミディAiguille du Midi山頂展望台きゴンドラ乗り場でチケットを買うと、思っていたより早く20分待ちくらいでゴンドラに乗り込めました。一回のゴンドラに乗れる人数ごとに整理券を配ってくれるので、とてもわかりやすくスムーズです。ショップのグッズも充実していて、ぶらぶら見てるとちょうどいい時間つぶしに。父と長男はここでサングラスを購入。


ワクワク♪


右上に見えるとんがったところが目的地。
途中、標高約2300mのところで一回乗り換え。


ゴンドラ内から、尾根を登る人たちが見えました~すごいところを登るんだねえ。

麓から20分ほどで山頂に到着!

一気に3800mまで上がると、何だか動悸とめまいと息切れでフラフラします。昔来た時は何ともなかったのになあ....。


家を出る時は曇りがちで心配だったけど、目の前にモンブラン山頂がスッキリ見えました♪



あまりに近くに見えて戸惑うほど。




横に目を移すとアルプス山脈が続いて行きます。

風があまり無かったせいか思っていたよりも寒くなくて、快適でした。




古都ベルン再訪

2011-08-15 00:00:00 | 日記
世界遺産の街並、スイスの首都ベルンを再訪。(前回の模様はコチラ


お目当ての時計塔、正時ごとのからくりを見たかったのに、ちょうど行った午後1時の回は鐘一つと鶏がひと鳴き、クマのからくりもちょろっと回っただけであっけなく終了で、集まっていた観光客も拍子抜け。見に行くならきっと一時間前の12時がいいと思います、12回鳴るはず...... 。


町のメインストリートにあるいくつもの可愛い泉が、道路工事が多くてあまり見れず。


とはいえ、古い町並みを満喫。







以前も行った熊公園が新しくなっていました。

川沿いの日当りのいい斜面で水遊びを楽しむ、クマ君。

熊公園の脇に、こんなものができてました。

もちろんホンモノではありません。

メインストリート両側に並ぶアーケード内の古本屋さんで、アフリカのお面の本を見つけて購入。


古本屋、という商売がとってもしっくり来る町です。



最後に今まで歩いて来た町を見下ろせる小高い斜面から、世界遺産を眺める。よく歩きました。



国連欧州本部を見学

2011-08-14 00:00:00 | 日記

ちょっとお天気の怪しかったこの日は、ジュネーブにある国連欧州本部の見学に行きました。


厳重な入館チェックを受けた後、英語またはフランス語のグループでガイドツアー(有料)に参加できます。
夏休みで会議もあまりないためか仕事をしている人は少なく、ガイドツアーは15分おきくらいにあるようですぐに入れました。

国連の役割や機構の説明をなんとなく聞き流し^^、館内見学へ。



館内の時計はすべてパテック・フィリップPatek Philippeです。
 

総会会議場。


外のフロアには、タピストリーや彫像等、各国からの寄贈品が飾ってあります。
    


日本寄贈のものは近寄れない場所に。


目を引いたのは釘でできたドイツ寄贈のモダンアート。闇から光へ、と題してありました。

旧館へ向かいます。


旧館の建物は新古典調ですが、扉やランプはアールデコ調。



クジャクのいる中庭は残念ながら入れません。

渡り廊下から見た旧館の外観(中庭側)。



かつて第二次大戦まで国際連盟の理事会会議場だった、まさに歴史の舞台。現在でも使用しています。

写真がぼけてますが、日本の議席。

アルファベット順なのでISRAEL,ITALIYの次が、JAPAN。


金とセピア色の、三面の壁と天井画はスペインの画家によるもの。


それぞれに登場している五人の巨人は、五大陸を表してるそうです。

新館に移動して

この新しい会議場の天井もスペインによる寄贈で、海底をイメージしたものらしいです。


旧館の荘厳な感じと対照的に、明るくのびやかな、現代的な印象です。

最後にBOOK SHOPへ行って約1時間の見学を終了しました。ご覧の通り見学箇所の写真撮影はすべてOK。
BOOK SHOP では国連オリジナルグッズが買えます。

門を出たら国連広場の方へ回って、人気の巨大な椅子のモニュメントをパチリ。

足が一本欠けているのは地雷根絶の会議の折に設置されたものだから。
いまやジュネーブの新名所です。


『壊れた椅子』 スイス人アーティストDaniel Bersetの作品 と足下のプレートにありました。




レマン湖のほとり、シヨン城へ

2011-08-12 17:19:03 | 日記
ここ10日間ほどは日本から両親が来ていたので、家から日帰りで行ける観光コースに出かける毎日でした。


まずは父のリクエスト、世界遺産に指定されたラヴォーLavauxの葡萄畑を見ながらのドライブ。




チャップリンが晩年を過ごした町、ヴヴェイVeveyに到着。



ここから遊覧船に乗って、ジャズフェスティバルで有名なモントルーMontreuxを通過し、シヨン城Château de Chillonへ向かいます。




遊覧船から見た城。


船着き場。

城入り口はこちら。



岩盤に直接建てられたお城なので、牢獄だったこともある城の地下はこんな風景。
ちなみにこの場所には有史以前からローマ時代を通して人が住んでいたそうで、11世紀頃の大規模な拡張工事で現在の城の中心部が完成したという、とっても古いお城なのです。(詳しくはコチラを。)


領主の部屋から直接礼拝堂に行く専用階段。真ん中がすごくすり減ってる。


大広間の古い柱。


いくつかある中庭は、古い町の通りのよう。いつでも時代劇の撮影が可能な感じですね。


塔の上から湖の向こうにモントルーの町が見えました。

サヴォア家→ベルン→ヴォー州と持ち主が変わったこの城、ベルン時代(16世紀)の地図の右上の方を見ていたら

国境の赤い線の外に、ヴェルソワを発見!

周りの地名も今と一緒で、なんだか馴染み深い^^。

うちのすぐそばまでベルンだったんだ~。

湖から近づいた時はそんなに大きくないからすぐ見終わりそう、と思ったらなかなかの充実度で、説明もあまり真剣に読まなかったにもかかわらず見終わるのに2時間くらいかかりました。ロワールのお城とはだいぶ違って、生活感があって時代を感じる古城でした。


おまけ。

次男が13世紀のトイレに座ってみたです。(拡大可)


コルシカ島にて その3

2011-08-05 10:00:00 | 日記
しつこくコルシカ報告です。日にちを変えて、無人島へ行く時に海から見たボニファシオ旧市街へ。



いったん旧市街の門を出て、石畳の遊歩道を行きます。

遠くに見える影は(たぶん)サルディーニャ島。

海の方に出っ張った展望スペースで振り向くと、

おお~♪
さっきまで居た町が崖の上にこぼれそうに乗っかっている。

しかも進行方向には

まだまだ絶景が続いている。といわけで、
日差しは強いけれども風も強くて暑さを感じないこともあり、へこたれずに歩みを進めます。


こんどは旧市街の町並みがだいぶ遠くなりました。




きれいな海と、浸食した白い岩肌のコントラストがなんとも美しいです。


でもこれ以上先に進むとさすがに戻るのが大変そうなので、町へ引き返し



試飲させてくれる雰囲気も良いワイン&コルシカ食材屋を見つけて数本購入し、満足して宿へと帰りました。