ヴェルソワ便り

スイスはジュネーヴのはずれヴェルソワ発、みんみん一家のつづる手紙。

一人っ子の日々

2008-01-30 08:00:53 | こども達
先週の日曜日に長男がスキー合宿に出発して以来、一人っ子生活が続いている次男。日頃、兄貴にいじめられては
”ぼくが長男なら良かった”とか
”もしぼくに弟がいたらいじめる、妹ならかわいがるけど”とか
”一人っ子になりたい”
などと言っている次男なのに、いざ一人っ子になると勝手が違うらしい。

いつもなら朝食中も二人でけんかしてうるさい時間なのに、ボーっとしてパンをかじる次男。
学校にお迎えに行ってくれる運転手のJ・ピエールも”○○は一人でポツンと待っていた”と言うし、帰ってきても元気がない。
昼食中、私が”今頃○ーくん、何してるかしらね~”というと
”○ーくんはやさしいんだ。たまに飴とかくれるんだよ”
と遠い目。
挙句、いつもなら部屋で遊んでいると呼ぶまで出てこないのに
”ぼく、今日何したらいいかなあ”
・・・って、アンタどうしちゃったの?

夜も寂しくて一人でお部屋に行かれないし、朝も5時半ごろ目が覚めて起こしに来る。一人いない分、楽になるかと思ったらかえって手がかかってしょうがない。良かったのは洗濯物が減ったのと、日本のドリルがちょっと進んだことぐらい。
いや~、一人っ子のお母さんはエライ!


さて、週末は次男9歳のお誕生日でした。

家で甚平姿はみんみん家の基本

 
次男希望のいちごショートを作ったら
”○ーくんが帰ってきたら、また作ってあげてね”

あぁ~もうっ!!長男よ、早く帰ってきてくれ~(iДi)

ボージョレは世界で一番美しい

2008-01-29 10:59:09 | ワイン(M氏より)
先週末、キンシャサの街に新しくできたワイン屋の中を覗いてみたら、フランスワインがいくつか置いてあったので、早速数本購入してみた。
今晩はそのうちの1本、ボージョレのBrouilly 2006 Selection Patrick Chabot。


ボージョレといえば、日本人の方であれば通常ボージョレ・ヌーボーを想起されると思うが、私にとってはボージョレといえば、Moulin-à-Ventであり、Morgonであり、Côte-de-Brouillyだ。
すばらしい造り手の醸したMoulin-à-Ventを飲んで、ボージョレ・ヌーボーの味を思い出す人はおそらくいないであろう。
また、普通のボージョレを飲む心構えでMorgonを口にしたら、そのあまりの力強さに思わずむせてしまう人も多いのではないか。
この二つはボージョレの格付けワインの中でもある意味、別格の「双璧」といえる畑である。

それでは、どうしてこの二つと並んでCôte-de-Brouillyを挙げるのか。
私にとってCôte-de-Brouillyが特別な理由は、10数年前、最初にボージョレを訪れた時、ボージョレ在住の友人が連れて行ってくれた造り手のCôte-de-Brouillyが、あまりに大人びた、風格のあるワインであったことに感銘を受けたから。
そして、その旅の最後にCôte-de-Brouillyの丘に登って見渡した風景があまりに美しかったからだ。
その友人のご主人(当時はまだ彼氏だった)は、ボージョレでワインを造っている生粋のボージョレっ子なのだが、そのとき彼から、“ボージョレは世界で一番美しい。”とお国自慢されたのを受けて、彼の家からの帰り道、見晴らしの良いところを探しながら一人でドライブして、たどり着いたのがCôte-de-Brouillyの丘だったのだ。

 
Côte-de-Brouillyの丘から見下ろした景色

と、過去の回想はここまでにして、目の前のBrouilly。
午後、暑い中テニスをやった後、体のクールダウンのためにプールに浸かったせいで、夜はよく眠れそうだが、さらに駄目押しをするために、開けることにしたもの。

最初は硬くてあまり興味をそそられなかったが、時間とともに、ストロベリーと木イチゴの香りがはっきりでてきて、味も次第に開いてきた。
妻との会話も弾み、ワインを二人で味わう時間もいつもより長くなった。
いつの間にか、軽く焼いたトーストの香りが出てきた。
味の方も、まろやかな、軽快な感じになった。
遠い道程を運ばれてきたにもかかわらず、この香りと味の変化の具合はフランスで飲む時のそれと変わらないものだ。

かつて味わったCôte-de-Brouillyの風格には遠く及ばないものの、その隣に位置する畑のワインがここキンシャサで手に入ったこと、そして昔訪れたボージョレの記憶を呼び起こすに十分な味わいだったことに、感謝。(M)

エジプトの余韻・その3 不思議

2008-01-28 08:44:53 | 日記
いえね、なるべくコンゴネタを書くように心がけているんですよ。でもエジプトの余韻からなかなか脱出できないんだなあ。長いようで短かった、短いようで長かった2週間。移動中などに撮った写真を見ると、遺跡だけではないエジプトの不思議が思い出されて・・・・。


カイロを車で、特に首都高みたいな高いところを走っていると目に付くのが、建てかけの家。

屋上部分には鉄骨みたいな建設資材がニョキニョキ出ていて、その周りも資材だかゴミだかで散らかっている。ところがその階下の部分の窓にはパラボラアンテナが立っていたり洗濯物が干してあって、妙に生活感がある。

キンシャサのメインストリートには、建築途中で廃墟となっている巨大な警察署(ペンキでpolice internationalと書いてある)があって、コンクリートむき出し・窓枠も入っていない窓に、ビニールやダンボールをを貼り、貼ってないところは洗濯物を干し、たくさんの家族が不法占拠してる。もしかしてこれもそう?と思ったけど、数が多すぎる。ごくフツウの家だし。家族が増えて増築中の家ばかりなのか?
ギザやルクソールなどの運河沿いの家も軒並みそうだった。

ルクソールで。ちょっとわかりにくいけど。

と道々不思議に思っていたら、カイロ在住2年・エジプト文化にとっても詳しいA夫人が、”あれは税の為だそうですよ”と教えてくれた。何でも”建築中”の家の税金はかなり免除されるらしい。でも、どうみても新築とはいえない、年季の入った家も屋上に鉄骨ニョッキリ。いくら税金免除でも一生建築中の家に住むのはちょっとやだな~。

次は、カイロのホテル・オム・カルトゥンムでの不思議。

アラビア語はわからないけどたぶん、お祈りの方向なんでしょうね。イスラム圏のホテルにはある物なんですかね。でもアスワンやルクソールでは見かけなかった。


あと、以前にも書いたタクシーの値段の安さの不思議。農業国だから食費が安いのはわかるけど。車体は廃車をもとに作っていると聞いたけど、きっとガソリンが安いに違いない。ちょうど砂漠ツアーに行くときにスタンドで給油したので、気をつけて見ていたら、やっぱり!40リットルで30ポンド(=約600円)だった。ナルホド、だから成り立つ料金だったんだ。それにしてもこの原油高の今日、約15円/リットルは安すぎる。
と、今度は砂漠への一本道に、石油コンビナートがあった!

自前だったのね~。
なんか解明できて(ホントかどうかは知らないが)スッキリ!

頑張って何かを作り出さなくても掘れば資源が出てくる状況というのは、文明の発達の妨げになるのでは、と地下資源の豊富なアフリカの国にいると思うけど、エジプトは5000年前からの文化の遺産もあるわけだし。まあ今どうかというのは別として。
100年も前にできたスエズ運河で現在も徴収する通行料収入もすごい額らしいし、農業国で、石油も出て、すごい世界遺産もたくさんあって・・・・うらやましいぞ!

食料も資源も輸入に頼る日本では、やっぱりまじめに働くしかないのだなあ、と思いつつ、引き続きクリスチャン・ジャックを読んで古代エジプトの世界に浸るのでした。


パリ発キンシャサ行きAF898便

2008-01-26 10:19:56 | コンゴ(M&S)
「降ろしてくれ。帰りたくないよー。女房も子供もパリにいるんだよー。」

場所はパリ・シャルル・ドゴール空港内のキンシャサ行きエールフランスの機内。
搭乗がほぼ終わる頃になって、本国コンゴへの強制送還処分の憂き目に遭ったコンゴ人2名が、通常の乗客とは別の後方の入り口から機内に連行され4,5名の仏人警官に押さえつけられながら一番後ろの座席に座らされている。彼らはとにかくわめき散らして、いつ止むのか見当もつかない騒ぎようである。




こうした場面に遭遇したのはこれで3回目だ。これまでの2回と異なり、今回は妻と子供は同乗していないので私は黙々と藤沢周平を読み続けていたが、しばらくしてコンゴ人乗客が色めき立った。

「俺たちは金を払ってこの飛行機に乗っているのに強制送還者と一緒に乗せられるとはどういうことだ。早くあの二人を飛行機から降ろせ。」

「こんなことが起こるのは、サルコジのせいよ。サルコジにやめさせるように要求すべきよ。」

「お前ら白人は、黒人のことを動物か何かと一緒だとでも思ってんじゃないのか。」

一人のコンゴ人が席を離れて、自分は飛行機から降りるから航空賃を払い戻してくれ、と言えば、キャビンアテンダントは次のように切り返した。

「飛行機が離陸のために動き出そうとしている時に着席するのは規則です。規則を守れない人は降りたければ降りなさい。その代わり、規則を守れないために飛行機を降りる人に航空賃の払い戻しがあるわけがない。キンシャサ行きの飛行機はほぼ毎回こんな調子だから次のフライトに延期しても結果は同じです。」

・・・一本取ったな!
ああ、これで少なくとも乗客は静かになる、と思ったら然に非ず。

しばらくして飛行機が動き出そうとした瞬間に、もう一人のコンゴ人が席を立った。そして、”強制送還者を飛行機から降ろすまで皆で団結して着席を拒否しよう”と、他の乗客に呼びかけた。これにはフランス人も含め多くの乗客が賛同して乗客がほぼ総立ちの状態になった。

結局、フランス警察は根負けして2人の送還者を飛行機から降ろさざるを得なかった。乗客の抗議で強制送還者が飛行機を降りるところを見たのは今回が初めてだ。

その前の2回はというと・・・

やはり同じような騒動と会話が展開された後、キャビンアテンダントが
「皆さん、落ち着いてください。彼ら(強制送還者)が騒ぐのは飛行機が離陸するまでです。飛行機が飛べば、あきらめて静かになりますから安心して着席してください。」
と説得に回った。

私と妻は、まさか、気休めだろう、と全く信じなかったが、結果は驚くべきことに飛行機が滑走路に向けて動き出した途端、彼らは観念したのかピタリとわめくのを止めたのである。
フランス人のキャビンアテンダントってすごいな、と感心した一幕だった。

それにしても最初の時には ”こんな騒動に遭遇することは一生に一度あるかどうかだろうな” と思っていたのだけれど・・・

あと何回くらいこんな飛行機に乗ることになるんだろう。(M)



余談(しろみ)・・・

そうそう、初めて乗り合わせたときは、送還者の後ろの席にいた彼の妻(らしき人)が泣きわめいていて、その声が機内に入った瞬間まず聞こえてきました。状況が良くわからなかった私は
??お産が始まっちゃうのかしら~?
などとトボケタことを言っていたのでした。だって陣痛で痛いから叫んでると思ったんだもーん。


コンゴにおけるマネー・ロンダリングとは

2008-01-25 07:33:27 | コンゴ(M&S)
仏語圏アフリカのお金の単位はたいてい、セーファー・フランなのですが、コンゴ民主共和国には独自の通貨コンゴ・フランが存在し、米ドルと共に流通しています。レートは1米ドル=約500フラン。その日のレートは道端で商売する両替屋の黒板に書いてあります。硬貨は存在せず紙幣は現在4種類だけ。しかも最高額紙幣は500フラン札。コンゴの人の平均の生活費も一日約500フラン(1米ドル)だそうです。

まずはブルーの500フラン。流通量が少ないのでしょうか、比較的きれいであまり臭いません。


次がピンクの200フラン。きったない分厚い札束でよく見かけるのもこの200フラン。いろいろな場面でチップで使うことも多く、便利なお札です。だいぶ色づいて、臭いも出てきました。


そしてグリーンの100フラン。破れてテープで貼ってあることも多く、ヘロヘロに柔らかくなっています。おつりで受け取ったときは、早く使ってお財布から無くしてしまいたくなる、そんな手触りと臭いです。


最後に赤(たぶん)の50フラン。普段私達はあまり使う機会がないけれども、きっと流通量が多いであろうことは、色と臭いと柔らかさでわかります。すでに縁は真っ直ぐではなくなっていて、テープで継ぎはぎだらけです。


並べてみると見事にもとの色とは関係なく、グラデーションが出来上がっていますね。別にそのように選んだわけではなくて、それぞれの紙幣で一番まともなのを(これでも!)財布から出した結果なのです。

先ほどから紙幣を形容するのにはあまり使われない”臭い”という言葉が頻繁にでてきますが、誇張なく本当にそこにあるだけで”臭う”シロモノ。ベトつくものも多いので、お食事前に限らず触ったらすぐに手を洗わないといけません。また間違ってもユーロや円なんかと一緒のお財布には入れてはいけない。財布にも他のお札にも、臭いその他がうつります。

ところで、チップですぐに出せるようにフラン紙幣をジーパンのポケットに入れたまま、うっかり一緒に洗濯してしまったことが何回かあります。これぞまさにマネー・ロンダリング!フラン紙幣は結構きれいになっていましたが、念のためジーパンは洗いなおしました( -_-)

先進国からコンゴにいらっしゃる方は、くれぐれもコンゴ・フラン専用の財布、お忘れなく。

香りで除菌?

2008-01-24 08:14:16 | 日記
トイレの芳香剤の話ではありません。でも遠くもないか。

フランス人の家には必ずあるといわれるランプ・ベルジェ、ご存知でしょうか。日本でも売っているようですね。このアロマ・ランプ、小洒落たグッズがあふれてるパリではスーパーマーケットのCASINOにも売っているので、特別興味をひかれなかった。ところが昨秋見たフランスのインテリア雑誌のランプベルジェの広告に

”空気中のバクテリア、カビ、病原菌などを駆逐します、パストゥール研究所認定”

と書いてあるじゃないですか。う~ん、そそられるぅ。もう、全部屋におきたい!キンシャサ生活必携?!

さっそくネットで確認。アロマ・ランプの形はシンプルなものからクラシックなもの、うっとりするような美しい色と形のもの、有名デザイナーの奇抜なものまで様々。値段もピンキリで1000ユーロを超えるものまである。本店はパリ16区のavenue Victor Hugoって・・・このブティック行ったことある!イヤホント、興味がなかったもんだから・・・。

さて購入計画。色んな香りを試したいので、ランプも複数欲しい。うっとりするような美しいのは、高いし、みんみん家のインテリアにも合わないので、シンプルなのを夫の出張時に購入してもらいました。
 
”ドミノ”シリーズ、↑白とグレー↓
もう一色・黒も頼んでいたんだけど、夫が購入したプランタンでは残念ながら売り切れ。
普通のランプと使い方が違い、火を点けるのは最初の2~3分だけなので消火後は本棚にも置けちゃう。消火後から香り始めます。


香りは、Orange de Cannelle(シナモンのオレンジ)、Thé vert (緑茶)、Herbes Folles(うかれる草?)をセレクト。
香料のボトル

ちょうどクリスマス前だったので、オレンジ&シナモンをランプにセット。目をつぶって香りに身を任せれば、気分はすっかりクリスマス。いい香り~♪

・・・あれから1ヶ月あまり。我が家はいまだにクリスマスの香りが続いています。そろそろ変えようね~。

で、問題の除菌効果は!?・・・・菌は見えないので良くわかりません(゜ー゜;
でも最近、蚊が減ったような気がするのは、他の要因なのかしらん?虫除け効果もあるのかどうかランプ・ベルジェさんに聞いてみようかと思う、今日この頃なのでした。


コンゴの若き芸術家たち

2008-01-23 09:31:48 | コンゴ(M&S)
コンゴの文化・芸術というと、リンガラ・ポップスが有名(らしい)ですが、美術の面でも才能を持った人たちがたくさんいて、La Galerie Symphonie des Arts(ギャラリー・サンフォニー・デザール)を訪れると、そういった作家の作品を見ることができます。

このギャラリーはキンシャサ中心地を少しは離れた閑静な住宅街にあり、広いセンスのいい熱帯植物の庭には、カンムリヅルや孔雀が数十羽放し飼いにされていて、キンシャサであることを忘れるようなパラダイスな場所です。ここでは絵や彫刻の他、金・銀等のアクセサリー、インテリア雑貨、おみやげ物も購入可能。

オーナーの老マダムはオーストリア出身の芸術家で、マダム自身のデザインした壷や素敵な家具もあります。たまたま彼女の孫娘がうちの長男のクラスメイトということもあり、親しくさせてもらっています。このマダムの見出したコンゴの若い芸術家たちが、今、世界へ羽ばたいているのです。

ギャラリーは撮影禁止なので、我が家にある絵をご紹介。


(約70×100cm)
今年になって我が家の玄関を飾るようになった二十代の画家、ンベンバ MBEMBAの作品 ”リズム”。わかりにくいですがコンゴ川の舟に乗る人々が題材です。赤い額縁はすでについていたのですが、すごいインパクト。日本に帰ったら飾れないだろうな~。

(約120×100cm)
すでに有名になった、キトコ KITOKOの初期の作品 ”贈り物をする人”。よく彼の作品が、キンシャサの(一流?)ホテルやレストランに飾られています。現在スウェーデン在住。

(約110×100cm)
今の若手でNO.1のボテンベ BOTEMBE。キンシャサの芸術家グループを主宰し、ベルギーや南アなど、アジアでは韓国でも個展を開く、コンゴでは超有名人。我が家で最初に購入した、お気にりの作品です。最近小さい作品も手がけているのですが、やはり大きいものほど存在感があって素晴らしい(これは中くらいの大きさ)。値段もいいので、欲しいけどもう買えないでしょう。

キンシャサに引っ越してきた頃は、いつ、身ひとつで国外へ脱出することになるか、という状況でしたが、最近はとりあえず絵も飾れるようになりました。地方はまだまだ混乱しているコンゴ、早くこの国全ての地に平和が訪れますように。

ムシ対策

2008-01-21 09:14:23 | 日記
今日の虫ネタは、飼っているほうではなく害虫。

日本にもいるけど熱帯地域で悩まされるのは、やっぱり蚊です。刺されると痒いだけでなく、マラリヤにかかれば命を落とす危険もあるのだから事態は深刻。実際、コンゴの死因のトップは他を大きく引き離して常にマラリヤ。罹ったら薬を飲むしかないのですが、まず刺されないことが重要。なので蚊などを食べてくれるヤモリくんたちは、我が家では大事にされているのです。

日本に帰るたび、ドラッグストアで虫除けをワンサカ買ってます。スプレーした後パウダー状にさらっとなるもの、ジェル状でよくのびるもの、香りのさわやかなもの、シート状になっているもの。日本製はどれもつけごこちがいい。

一方、フランスで買った強力虫除けスプレーや、エールフランスのワクチンセンターで買ったものは、ベトベトしている上に匂いも独特でくさい。一回つけたら水で洗ったくらいでは取れず、シャワーに入って石鹸でごしごし洗ってもなんだか匂いが残るくらいすごい。

服や布地用は、直接スプレーするタイプと洗濯時に入れるタイプ。パリのワクチンセンターで購入。


スーパーで見つけた”危険地域”用スプレー。

ところが1年余り使ってみて、どうもさわやか系の香りはあまり効かない気がする。なにしろここの蚊は大きくて肉厚?、パシッとたたいてもつぶれないで逃げたり、殺虫剤もよけたり(!)する。ジーパンや靴下の上からでも刺してくるのだから強烈です。暑いから汗もかくし、ベトベトとしつこいくらいのものでないと役に立たない。というわけで最近は日本の上品な虫除けでは不十分な気がしてきました。強くてもかぶれたりしたことはないので、コンゴに来る機会のある方は、フランスの強力虫除けをお勧めします。

それからマラリヤにはならないけれど、とっても大変なのが、ブヨ。初めて刺されたとき、鏡餅が足にくっつているのかというくらい腫れて、しかも強いかゆみが1週間以上も続き、さらに痕がしみになって何ヶ月も消えませんでした。プールやゴルフ場にいるときが危険です。

あんまりつらいので、日本のサイトで調べて対策を練りました。で、初めて知ったのですが、結構日本にもいるんですね。ポイズンリムーバーが有効、との記事を発見、さっそくプリントアウトしパリに出張する夫に頼んで薬局で買ってきてもらいました。
ポイズンリムーバー

刺された場所にあてて毒液を吸いだすのですが、これがかなりgood。強烈なかゆみもおさまるし、腫れも少なくてすみます。ただ腕の内側など柔らかい部分にやると、内出血になって紫のあざができちゃいます。でも吸い出すのを見てるのも、けっこう楽しかったりして。吸い出したあとはもちろんかゆみ止めのお薬を忘れずに。
ポイズンリムーバーはブヨだけでなく、蛇、毒グモ、蜂、サソリにまで有効と書いてあるので、念のためエジプトの砂漠ツアーにも持参しました。



原始的ですが寝るときに蚊帳は必需品。もちろん蚊帳にも布地用スプレーを散布。けっこう臭いので午前中にはやっておかないと、寝るときツライです。

地球温暖化が進んで、日本やヨーロッパでもマラリヤ対策が必要な日が来る!?みなさんも、無関係ではいられなるかもしれませんよ。

完熟葡萄の味

2008-01-20 12:56:30 | ワイン(M氏より)
今日のワインは南アのシュナンブラン。
Ken Forrester Petit Chenin 2003である。


南アのボーヌともいうべきステレンボッシュにある造り手Ken Forresterは、グルナッシュ、シラー等で赤ワインも作っているが、とりわけ白のシュナンの造り手として名高いようだ。


ステレンボッシュの葡萄畑(この造り手ではないが)。
遠景の山の形が、ヨーロッパとは全く違う。

ここの看板ワインは辛口白のThe FMC Chenin Blancと、遅摘みの甘口白T Noble Late Harvest Chenin Blancだが、さすがにキンシャサにはそんなワインは入ってこない。このPetit Cheninは、この造り手がシュナンの葡萄で作っている中で最も低価格ながら、南ア・ワインガイドによれば値段のわりにうまいと評価されているワイン。

このワインとの出会いは、お隣のGさん(また登場!)がキンシャサの町で見つけたワイン屋で購入したのを、一緒に飲ませてもらったのがきっかけ。“これはおいしい”と、さっそく翌日そのワイン屋を訪れ、残っていた3本を買い占めた。

蜂蜜のような黄金色。
甘い、飴のような香り。
昔「純露(じゅんつゆ)」(古い?)という蜂蜜の飴があったがそんなイメージ。
口に含んでみると、遅摘みでないワインにしては甘味が目立つ。
甘さの程度はVouvrayのdemi secくらいか。
完熟した白葡萄の味がそのまま残っている感じ。

以前、ロワールのVouvray村(Toursのすぐ東)の造り手Domaine Huetを収穫時期に訪問した際、搾った後の葡萄の皮と茎が庭のトラックの荷台に無造作に積まれていて、そこから結構な勢いで葡萄ジュースが滴っていたのを“ああもったいない!”と掌に乗せて飲んだことがあるが、その時の味と似ている、と妻が思い出してくれた。そういえば、葡萄も同じシュナンブランだ。


滴る葡萄ジュースをなめる長男 Domaine Huetにて。


抜栓後、時間とともに香りは開いてきた。しかし、残念ながら味の方は時間が経っても期待したほどは変化しなかった。

・・・いつか、この造り手の看板ワインを飲んでみたい。

そんな期待を抱かせるワインだった。(M)

サンタは来ていた

2008-01-19 09:51:30 | こども達
エジプトに向けて出発したのは12月23日天皇誕生日。我が家では11月中にはこども達のサンタ宛お手紙が書かれ、12月上旬には先方に受理されていた模様。封筒にはずうずうしくも

”23日からいないので、22日までに来て下さい”

と赤字で書いてあったんだけど、サンタさんも忙しかったのか、見逃したのか、23日朝もまだ来ていなかった。失意とかすかな希望を胸に旅行へ出発。





2008年元旦の夜、白砂漠で満天の星空を見上げながら
”今、死んでもいい” とつぶやく長男の横で
”あ!いま流れ星見た! お願いもできちゃった!!”
と興奮する次男。以下、しろみと次男の会話。


何をお願いしたの?

”サンタさんが来てますように、って。”

・・・もうとっくに配り終わって、サンタさんも今頃休暇とってるよ。

”だ・か・ら~、来ますように、じゃなくて、来てますように、なんだよ!”

・・・はい、はい。



さて、キンシャサに戻って家に到着するなり、ぴゅ~っとツリーの下を見に行き叫ぶ次男。

”ママッ!サンタさん、来てたよおおっ!!”

”あ、ボンボンもなくなってる!”

と長男まで・・・。
エジプトの余韻に浸るまもなく、こども達は興奮のるつぼ。休暇中、家の鍵も預けておいた仲良しのお隣のGさんにも報告。

”二人がいい子にしてたから来てくれたんだね、今年も頑張れ!”

とGさん。
も~、いい事言ってくれるな~Gさんってば。重ね重ねお世話になりました。


ネットで型番調べて指定してたレゴ・スターウォーズ。お願いしていたのが届いて大喜びの長男。

”なぜかラファイエットの包みだったよ”

そ、そう~なんだ。

”サンタさん、パリに買いに行ったのかな”
とコメントしてた次男は4時間かけてようやく完成。

おかげで子ども部屋は連日、ドロイドとジェダイの闘いが続いています。


それにしても来年は中学生になる長男のもとに、いつまでサンタさんは来てくれるのかな。