負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

ないものねだり

2012-06-28 17:31:52 | 原発震災避難者


散歩



「 もっと 頭のよい人間に生まれていたら 」

「 もっと 美人に生まれていたら 」

・・・ こういって嘆くのを ないものねだりと言います。



手足がある。

目や耳や口がある。

命がある。

そうやって あるものだけを数え上げ ・・・ それで勝負する。



「 澗水 松風 法を説くに委(まか)す 」


ないものねだりをしない人だけが ・・・

せせらぎの水や 風が松を鳴らす音に耳を傾け

・・・ この世に生まれた喜びを噛みしめます。










困ったことです ・・・ 遊戯三昧(ゆげざんまい)

2012-06-28 16:10:08 | 原発震災避難者


散歩



遊戯三昧(ゆげざんまい) という言葉があります。



むかしは あらゆる生活が遊びだったのですが

いまの人は なかなか そんなふうに承知してくれません。


・・・ 困ったことです。



むかし ・・・ 本来は の意味。










人生 そのものずばり

2012-06-28 12:25:54 | 原発震災避難者


散歩



「 人事をつくして天命を待つ 」 といいます。



これは するだけのことをしたから
 
その結果は 運にまかせるしかないのだと解釈されています。



だが 本当は そうではないのです。


人事をつくす ・・・ そのとき その場で 精いっぱいがんばる。

天命を待つ  ・・・ 天から授かった寿命を待つ。


つまり 人事をつくして天命を待つとは

そのとき その場で 精いっぱいがんばって

そうやっているうちに 自分の寿命がつきるということです。


これが 人生 そのものずばりだということなのです。








豪腕 ・ 汚沢さんへ

2012-06-28 07:58:35 | 原発震災避難者


遠足



豪腕 は ・・・ 剛腕 です。


剛は 短い

柔は 長い ・・・ も意味します。



汚沢さん ・・・ 

「 剛腕小沢 」 のたとえは

「 短命 」 「 一時的 」 「 半人前 」

との揶揄(やゆ)もふくまれていることを

・・・ ご承知おき下さいナ。






いつも こうありたい ・・・

2012-06-28 07:50:39 | 原発震災避難者


遠足



朝 起きます。


咲いている花を見つけます。

すると ・・・ 

ああ いい花だなあ うれしいなあ と思います。


これだけで 身も心もカーッと燃えてくる

・・・ いつも こういう人間でありたいと思います。







解決 ・・・

2012-06-28 04:11:11 | 原発震災避難者


遠足



右の手が 凍(こご)えていたら

左の手で もみほぐす ・・・ といいます。



バカなことをいうものではありません。


凍えた右の手で 左の手をもんでやったほうが

・・・ はるかに 右手の解決になるのですよ。







努力の足りない自分 ・・・ 不幸せ ・ 苦労

2012-06-27 11:36:15 | 原発震災避難者


遠足



この世に

「 不能 」 ・・・ という言葉はありません。

「 努力が足りない 」 ・・・ ということはあります。



「 努力の足りない自分 」 を認めないから ・・・

「 不幸せ 」とか 「 苦労 」 という言葉が出てくるものと思いますね。










忍耐 ・・・ 喜び

2012-06-27 08:18:33 | 原発震災避難者


遠足



忍耐とは

苦しさに涙がこぼれ出てくるようなときに

・・・ これをこらえ 辛抱することです。



ところが 忍耐が苦しくて

そのために涙をこぼしながらも これを辛抱する。

そんな ・・・ 辛い感じのものであっては まちがいです。



忍耐し 忍び こらえ 辛抱することができる自分に

・・・ 喜びが持てる。

つまり 忍耐にひきづられるのでなく
 
忍耐に立ち向かっていく自分があってこそ ・・・

忍は忍として 光を放ってくるものですよ。







呼吸を合わせる ・・・ ねがい

2012-06-26 18:20:28 | 原発震災避難者


遠足



坂村真民さんの詩です。



  わたしのねがいは

  呼吸を合わせることである

  石とでも

  草でも

  呼吸をあわせ

  生きてゆくことである



「 呼吸を合わせる 」 とは

万物 万境に 「 沿う 」 という水の姿勢にほかなりません。


石とでも 草とでも ・・・ というのですから

人間にたいしてこそ まず 呼吸を合わせるべきこと

・・・ は 当然です。


それが 愛であるし 調和ということでもあるのでしょうね。



だが ・・・ これは そう簡単ではありません。


簡単でないからこそ 真民さんは

あえて これを 「 ねがい 」 としたのだと思います。