負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

不思議

2013-10-02 23:05:11 | 原発震災避難者


散歩



ふしぎ

                岩田 有史

雲が白いことも

風が音をたててふいてくることも

ささの葉が青いことも

犬が犬で

猫が猫で

あることも

不思議でたまらない



10歳のこの少年に眼に映った不思議は

永遠に また誰にとっても不思議である。

ただ 世なれたおとなだけは 無関心に通りすぎていく。


人間が不思議という場合

あり得ぬことが(人間の頭で考えて)あることを

不思議というのであるが ・・・

真実の不思議は 平凡な当たり前の事実にあるのではないか。


これを 妙ということばで讃嘆する。

存在するものはすべて 妙というより他はない。


妙と思われるのは

こちらの頭がぼけているか 何かにのぼせているからであろう。



私たちはあまりにも代用品の豊富な文化時代に生きているために

人間さえ代用品がきくと思いちがいして

・・・ 簡単にひき殺している

生きている人間よりも

・・・ そのポストの方が重要視されている。



静かに思いをひそめて

白い雲 青い笹 犬や猫の存在の不思議に

・・・ 素直におどろきたい。

そこに世界は ・・・ 無限の深さをもってくる。







不知 ・・・ よく知っているだろうか

2013-10-02 20:04:28 | 原発震災避難者


散歩



不知

               川路 柳虹

君は 俺の隣に座る

よく知っている顔だ

しかし じつはお互いに

何んにも知らない

君は 俺を知っているという

何から何まで。

だが ほんとは何んにも

知ってはいない。

顔だけみるとみんな人間

みんな友だちになれるとおもう

だが お互い なんにも

知ってはいないのだ。



一つ屋根の下に毎日いっしょに暮らしているものは

お互いをよく知っているでしょうか。

いかにも知っていそうに思われるのに 存外知っていないようです。


たしか 道元禅師のことばの中にあったと思うのですが ・・・

世界中に人間は一人しかいない つまり いるのは自分だけで

あとは自分の判断の材料が並んでいるのにすぎない ・・・ と。



いわれてみると まことにその通りです。

私の見たいろいろの人 私の想像上の各種の人がいるだけです。


お互いについて何も知っていない癖に

隅から隅まで知っているつもりでいます。


こうして誤解を拡大してゆきます ・・・ 。







身軽な財布

2013-10-02 17:03:52 | 原発震災避難者


散歩



狐は穴あり空の鳥は巣あり 人には

少しの銭あれかし

                    清水 比庵



この世の中には百億の金でも

その人にとっては 「 少し 」 という人もあるようです。



この人 ( 清水氏 ) のすこしは かけ値なしの少しなのでしょう。


あるいは すこし金のいることがあって

それには持ち合わせが足りなかった時の歌であるかもしれません。



いずれにしても つつましい庶民の願いであって

・・・ 野心的ないやしさは 感じられませんね。







厚化粧

2013-10-02 13:39:38 | 原発震災避難者


散歩



ぬぎすてて うちが一番よい という

                  岸本 水府



誰でも共感できる川柳ですね。


外出先から帰り 外出着を脱ぎ捨てていって ・・・

ホッと一息つきながら うちほど気楽なところはないと思う。


今まで外出先で張りつめていた心もゆるみ
 
  やっぱり自分のうちが一番いいなと 今さらのように感じ

  ・・・ 思わず口に出してしまうほどです。



ぬぎすててというのは 身につけた衣装のことですが

  これを「はからい」と考えてみてはどうでしょう。

私たちが衣装をつけるのは

  同時に はからいを身につけることではないだろうか。


この柄は自分に合うか合わぬかに始まって ・・・

たずねて行く先方に失礼にはならないか

  と 心をくばるのもはからいでしょう。

着ているもので自分が値ぶみされるように思うのもはからいでしょう。


となると 私たちは衣装をつけているよりも

  はからいを着こんでいるのではないだろうか。

衣装が重いのでなく 同時に着こんだはからいで

  ・・・ 身動きがとれないのではないだろうか。


衣装を脱ぎ捨てて からだが軽くなると同時に

  はからいも脱ぎ捨てるから 心も軽くなるのではないだろうか。



ありのままの私を 古人は凡夫と呼ばれたが

  凡夫に帰りつくことの なんと難しいことか ・・・

罪悪深重と呼ばれる程にまで

  私たちは「はからい」を着こみすぎ

  ・・・ 今では 私と一体にさえなっています。


はからいを捨てたら 私自身もなくなる程にさえ思っています。

それが不安だから さらに化粧を重ね 背のびして

他人(ひと)におくれをとらじと気をはりつめているのでしょうね。


ノイローゼが現代病といわれるはずです。








人間成就

2013-10-02 10:37:41 | 原発震災避難者


散歩



     壷

           坂村 真民

壷の 美しさよ


からっぽの

からっぽの

壷の 美しさよ


火を くぐった

この からっぽの 壷の美しさよ



その人の傍らにいるだけで

一語も交わさないでも 心暖まる人というのがあるものです。

そういう人は この世の辛酸をなめつくして

しかも その影すらもとどめない人です。


どんな人の どんな悲しみにも共感でき

しかも 自身については いささかの愚痴もこぼさない

それこそ からっぽの人です。



辛酸のすべてが その人をつくり上げるのに

なければならなかったものとなっているからでしょう。

苦労が その人の精神的栄養に転じているからでしょう。



壷は 黙っています。


その姿のよさ 色合いのよさ

おのずと手が出て

壷の肌をなでずに入られない魅力をもった壷

それは 黙ってはいるけれども

高熱の火の中で 幾晩も焼かれた過去をもっているのです。


中には

高熱に耐え得ないで 砕けたものもあるし

隣の壷とくっついて ゆがんでしまったものもあるから

その点では 選ばれた壷であろうけれども

高熱にきたえられ それに耐え得たことが

・・・ この美しさを生み出したのでしょう。



人生を楽しく過ごそう ということばが流行(はや)る。

・・・ なにか軽薄な響きがあります。


私たちは 一生かかって

人間とはなにか
 
  自身とはいかなるものか を身をもって学びつつ

自身を成就すべきものとして 人間に生まれているらしい。


人間の楽しみというのも

苦労に耐えてきたところから

・・・ おのずとにじみでてくるものなのでしょうね。


人生の楽しみも 深いしみじみとした味わいのものでしょう。







慈悲の唄

2013-10-02 07:35:52 | 原発震災避難者


散歩



                竹部 勝之進

モッタイナイコトデス

モッタイナイコトデス

ワタシヒトリハ

ワタシヒトリハ

モウタスカラズトモ

ヨロシュウゴザイマス

モッタイナイコトデス

モッタイナイコトデス



他の者はどうなろうともかまわん

ワタシヒトリはどうでも助かりたい

どうか私ひとりだけお助けください というのが

どうも私たちの本音としか思われぬとき

こういう詩に出くわすと とまどわざるをえない。



君 本気かとついききたくなる。


一時の気まぐれや

熱にうかされての世迷い言じゃないか

よく気をおちつけて もう一度考えた上でいってくれ

・・・ と念をおしたくなるのが本当だ。



だが これがこの人の本音らしく

・・・ 念をおしてくり返していっている。