負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

おとなになる ・・・ 1/2.自分のことは自分でする

2013-10-11 22:30:04 | 原発震災避難者


散歩



子どもが大人になるということは

・・・ 本人にとって大変なことです。


だが

本人たちは案外気にせず その時期を通ってしまうものです。

しかし

その時期に気づいていたら どんなに一生得するかしれない

・・・ ということが 幾つかありますね。



子どもが大人になると言うことは まず

自分のことは自分でする ・・・ ということでしょう。


生活の重点を 勉強におき過ぎて

自分の身のまわりのこともロクにできない青年が多くなっています。

では どのくらい勉強するかと言うと

実は ・・・ 勉強の方もロクにできません。

要するに

アブハチ取らずのグータラ青年が むやみに多くなって ・・・

この勢いでは 近いうち世の中はどうなってしまうのか

・・・ と 心細くなるほどです。


グータラ青年が大人になり ・・・

後に続く若者が グータラの後をついだら

・・・ 世の中は 一体どうなるでしょうね。


よけいな心配かもしれませんが ・・・ 気にかかるところです。







少欲知足 ・・・ 満足は最上の財産

2013-10-11 20:34:38 | 原発震災避難者


散歩



「 満足は最上の財産 ( たから ) 」

・・・ これは インドの諺になっています。


「 知足 」 です。

足( た )るを知ること

・・・ それが もっとも素晴らしい財産だといわれます。


のどがかわいたときは

いっぱいの水だけで 心から満足します。

この気持を忘れずに

欲深くならず つつしみをもった満足感をもつこと

・・・ それが 無上のたから ということです。


欲に引き回されて ・・・ いつも不満をいだいているよりも

少欲知足によって満たされる人のほうが幸せだし

・・・ 安らいでいる という教えです。



そうありたい ・・・ と願っています。







信頼 ・・・ 信頼は最上の縁者

2013-10-11 16:30:11 | 原発震災避難者


散歩



「 信頼は最上の縁者 」

・・・ ほんとうにそうです。


いくら友をもち 親類がたくさんいても ・・・

信頼をもつことができなければ

・・・ 自分とは無縁な存在となってしまいます。


信頼する人がおれば ・・・ ひとりでも充分です。

「 縁者 」 の数よりも 「 信頼 」 という関係が大切なのです。



多くの親類縁者や知人がいても

それは ただいるというだけで ・・・

おたがいに信頼しあえる人が何人いるかといえば

ごく少ない ・・・ かも知れません。


利用することばかり考えている肉親縁者や

自分の都合だけで訪ねてくるような知人は

かえって ・・・ 不愉快なものでしょうね。


肉親だから 知友だからという形式にとらわれず

信頼の人こそ縁者とし ・・・

そうした人をもつことは

・・・ ほんとうに心強く 楽しいことです。







安らぎ ・・・ 最上の幸福

2013-10-11 13:30:28 | 原発震災避難者


散歩



「 心の安らぎこそは最上の幸福 」

・・・ これには だれも異存ははさめないでしょうね。


やさしい妻や 聡明な子どもにかこまれていても

自分に安らぎがなければ

・・・ 石ころの間にすわっているのもおなじです。


また

自分に安らかさがなければ

・・・ 家族も落ちつきません。



理想として 「 静寂 」 ・・・ これが最高の幸せです。



さて ・・・ 本日

連休に 行楽に浮かれるだけでなく ・・・

老人の日に 一日だけの敬老でなく ・・・

ほんとうの安らぎ 「 静寂 」について

・・・ 考えてみましょうよ。







心の安らぎ ・・・ 健康に感謝

2013-10-11 10:35:47 | 原発震災避難者


散歩



健康は 最上の利益

満足は 最上の財産

信頼は 最上の縁者

心の安らぎこそは 最上の幸せなり

                     (法句経)



心の安らぎを説かれたことばです。



釈尊は 80歳という高齢に達するまで

教えを説かれるために歩きつづけ 托鉢しつづけた方です。


そうした力はどこからでてくるか ・・・


まず第一に 健康であること ・・・ でした。

亡くなったとき師の足は象のようだった と弟子が語るように

その脚力も逞しかったにちがいありません。


「 健康は 人間にもっとも素晴らしい利益をもたらしてくれる原動力 」

といわれることばには

・・・ 釈尊の実感がこめられているのでしょう。


と同時に

健康に配慮する心は

生命を尊しとする 「 在りがたし 」 とする精神のあらわれでもあります。



頑健を誇る必要はありません。


感謝すること ・・・ です。


そして

注意を怠らぬ自分

暴飲暴食をせぬ自制力をもった自己のあること ・・・ に

むしろ 喜びをもつということです。



釈尊は 「 迷信 」 を否定された人ですから
 
ご自分が病いにかかると

ジーヴァカ ( 耆婆:ぎば ) という医師の診察をうけられたし

弟子にも治療を頼みました。


医学をさけて まじないによって病気を治そうなどということは

釈尊のもっともきらわれたことです。



健康に留意するとともに

病人なら よき医師にかかれ ・・・ これが 仏陀の教えです。







「 待つ楽しみ 」 を味わう

2013-10-11 04:50:44 | 原発震災避難者


散歩



ヨーロッパの自然は

特別にスケールが大きいわけではなく 日本と大差がない。

しかし そこの住民は 日本人よりはかなり気が長いようだ。

とくに英国人は

私たちと同じ島国民族でありながら ずいぶん気が長い。


人口の過密ということがまた

日本人のセカセカ病のひとつの因なのであろうか?



ヨーロッパのレストランに入ると

日本人は たいていイライラさせられる。

腹が立ってくるかもくるかもしれぬ。

料理の運ばれてくるのがあまりにも遅く

一時間ぐらい待たされるなど 珍しいことではないからである。



しかし これに慣れてしまうと

いつくるのかもわからぬ料理を ゆうゆうと待つ

ノンビリした心境を楽しむことができるようになる。



そして 日本に帰って

料理の運ばれる速さに驚き あきれ ・・・

「 これでは 待つ楽しみがないじゃないか ! 」

・・・ と 怒りたくさえなってくるのである。