散歩
月光の深雪(みゆき)の創(きず)のかくれなし
川端 茅舎
下が溝 ( みぞ ) にあたるところと思われる。
深々とつもった雪に 一すじくぼんだところがあって
それが寒月にてらされると黒く際 ( きわ ) だって
・・・ 真っ白な雪の肌に切りつけられた創のようにみえる。
ちょっと不気味な光景です。
かくそうにもかくしきれず 月光にありありと露出している創。
何とも 象徴的な感じさえするではありませんか。
娑婆 ( しゃば ) とか 穢土 ( えど ) とかいわれるのは
人間のもっている自我 エゴイズム ・・・
それが個人のであれ 集団のであれ
・・・ 互いに衝突し しのぎをけずる場所のことでしょう。
現代はことに国内にも国外にも その激突が展開され
・・・ はてしもなく くり返されています。
・・・ しかも もっともらしい理論で化粧して。
理論で事態は救われません。
・・・ 理論もまた 人間の知恵だから。
・・・ 人間の知恵は結局 穢土の塗りかえにすぎないから。
人間自身の 私たちすべての愚かさを
ひとりひとりが気づく以外に ・・・ 救いはありません。
エリートだの 知識人だのといっても ・・・ うのぼれではないか。
そこにもう 愚かさが暴露されているのではないか。
愚かさこそ ・・・ 人間の深い創であって
むしろ それをカムフラージュしようとしての学歴や勲章ではないか。
学識経験を軽侮するのではありません。
人間の愚かさを知りぬくほかには
・・・ この世に救いがないことを言いたいのです。
学識経験をどんなに積んでも
人間は のがれがたい愚かさを 本来もっているらしい。
すなおに愚かさを承認するところに
・・・ むしろ 平和はひらけてくるようです。
藤村いろは歌留多に
「 何も知らないバカ、何でも知っているバカ 」
・・・ というのがありました。
何でも知ってるバカが ・・・ 世界に充満したようです。