時事解説「ディストピア」

ロシア、イラン、中国等の海外ニュースサイトの記事を紹介します。国内政治、メディア批判の記事もあります。

ミャンマー総選挙、視点を変えると?

2015-11-11 00:18:17 | 国際政治
思えば物心が着いたころからテレビでは、アウンサン・スーチー女史は
平和と民主主義のために軍事政権に抗っている偉い人なのだという報道がされていた。

まぁ、その報道は半分は事実なのだろうが、
次の記事を読んでからはスーチー氏に対するイメージが少しずつ変わってきた。

本文は大変長いので、一部抜粋するが、出来れば全文を閲覧してほしい。

------------------------------------------------------
ミャンマーのイスラム教徒の惨状


ミャンマーのロヒンギャ族のイスラム教徒に対する人種差別と殺害に関する最新の報告で、
国境なき医師団は、この国のイスラム教徒に対する攻撃は体系化され、拡大しているとしています。

ミャンマー政府は、イスラム教徒に対する人種差別や暴力行為を隠蔽しようとしています。

(中略)

ミャンマーのイスラム教徒はロヒンギャ族と呼ばれており、ラカイン州北部に集中して住んでいます。
ミャンマー政府は、この少数派の部族を正式に認めておらず、
彼らを非合法な移民であると見なしていますが、一方で国連は、
このロヒンギャ族が最大の少数派の一つであり、これまでに例を見ない抑圧を受けているとしています。

(中略)

ミャンマーのイスラム教徒に対する攻撃の映像は、
21世紀になっても彼らが想像し難い苦しみを味わっている惨状を十分に物語っています。

ミャンマーの5000万人の仏教徒は、300万人の少数派イスラム教徒を消滅させようと
この国の軍事政権と歩調を合わせています。

ミャンマーのイスラム教徒ロヒンギャ族は、
憂うべき状態に巻き込まれており、彼らはミャンマーから追い出されています。

しかし、どの近隣諸国も彼らを歓迎していません。バングラデシュ政府によると、
現在30万人以上のロヒンギャ族が同国南東部沿岸の難民キャンプで生活しているということです。

この難民キャンプの状況や、イスラム教徒の難民が直面している問題は、
ミャンマーに住む彼らの友人や親戚が直面している状況と、それほど変わりありません。

難民キャンプに住む大部分の難民は女性や子供、高齢者や病人、身体障害者です。
これらの難民キャンプでは四六時中、生き残り、食物を手に入れるための争いが絶えません。

バングラデシュの人々によると、この難民キャンプは社会的に
最下層の人々が生活する場所であり、敬意を払うに値しないとされています。

この難民キャンプには国際的な支援が届かず、難民は耐えがたい重労働の対価として、
1回分の粗末な食事代にしかならない僅かな賃金を与えられるだけです。


これらの難民の惨状は、国境を越えて他国にも広がっており、彼らにとって安全な場所は、
ミャンマーにも、タイにも、バングラデシュにも存在せず、その他の国でも見つかりません。

ミャンマーのイスラム教徒ロヒンギャ族は、ミャンマー政府と過激派仏教徒からは
外国人と見なされており、ミャンマー政府から市民権を与えられていません。


また、ミャンマー政府は彼らに対し、移動の許可を与えておらず、
もしある村から別の村に行こうとする場合、税金として一定の額を納めなければなりません。

もしミャンマーのイスラム教徒が商店を経営しようとする場合、仏教徒の共同経営者が必要になります。
仏教徒は、この共同経営において何の資本や資金も提供せずに利益を得ることが出来ます。

このように、ミャンマーではイスラム教徒に対して最悪の人種差別が行われているのです。


ミャンマーのある優れた経営者は、ミャンマーにおけるイスラム教徒の虐殺と
彼らの基本的人権の侵害に関するニューヨークタイムズの記者によるインタビューの中で、
「イスラム教徒に人権は適応されない」と語っています。

(中略)

ミャンマーにおいて、イスラム教徒ではなく
キリスト教徒が人種差別や民族浄化の被害に
あっていたなら、西側政府は沈黙していないでしょう。



また、ミャンマーで西側政府の利益が脅かされた場合、
彼らはこのような虐殺を口実に干渉的な措置や制裁を実施せずにいたでしょうか?

また、表面上人権擁護を装う西側政府は、
ミャンマーのイスラム教徒の虐殺に沈黙を守る対応を行なっていたでしょうか?

大変残念なことは、ミャンマーの自由や解放のシンボルとして
世界的に有名なアウンサン・スーチー氏も、
ロヒンギャ族に対する明らかな人権侵害に対して沈黙を守り

「どちら側の損害や利益に対しても、立場を示すことは出来ない」
と表明したことです。


西側の自由主義において、人権は単に政治目的の追求のための道具となってしまっています。


つまり、西側政府はある時期にはミャンマー政府への圧力行使のために
この手段を利用しスーチー氏を自由化要求のシンボルとして宣伝しています。


また彼女も、自身の政治的な立場を守るためには、
ただ宗教的な観点から、多くの同国人の殺害や虐殺を無視してもよいと見なしているのです。


http://japanese.irib.ir/programs/%E4%B8%96%E7%9
5%8C%E3%81%AE%E6%83%85%E5%8B%A2/item/39757-%E3%8
3%9F%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%81%A
E%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E6%95%99%E5%B
E%92%E3%81%AE%E6%83%A8%E7%8A%B6

------------------------------------------------------

上の記事はイランのメディアによるミャンマー政府のムスリム弾圧を告発した文だが、
ここにおいて、スーチー氏は虚像を剥がされ、純粋な政治家として描かれている。

(一応、フォローするとスーチー氏が政治家である限り、
 世論や社会情勢をある程度考慮した振る舞いをする必要がある。
 その点では、ムスリム弾圧の容認のみを理由に同氏だけを非難するわけにもいかない。
 問題はムスリムへの人権侵害が民主化を希望する国民の間でさえも共有されている現実である)




----------------------------------------------
残念なことに、ミャンマー自由化のシンボルとして知られるアウンサン・スーチー氏も、
ロヒンギャ族の人権侵害に関しては完全に沈黙し、
「いずれの側の利益のためにも、不利益のためにも、立場をとることはできない」と語りました。

スーチー氏は、西側ではミャンマーの
反体制闘争のシンボルとみなされておりノーベル平和賞も受賞しています。


間違いなく、もし、スーチー氏がミャンマーのイスラム教徒の
基本的人権の侵害という事実を一人の人間として認めていたら、
世界の人々の注目をミャンマーのイスラム教徒の危機的状況に対して向けさせられたはずです。


おそらく、そのような場合、西側政府は世論の圧力を受け、
ミャンマーとの国交正常化を急務としなかったと思われます。

アメリカ主導のミャンマーに対する西側政府の戦略は、
中国との競争の影響のもとで、ミャンマーを東アジアの西側の同盟国に引き込むことです。


彼らは少数派の権利の支持や博愛主義を
単に目的追求の道具としている
ことを、多くの事柄の中で示してきました。

この問題が彼らの利益に沿っていれば
人類史上最も人道的な政府になりますが、
もし抑圧された多くの人々への支援が彼らの利益に反すれば、
罪のない多くの人々に対する人種差別を気兼ねなく無視するのです。


このことは、西側がチベット仏教の指導者ダライ・ラマを支援する中で明らかです。

西側は中国政府によるチベット仏教の信者に対する
権利侵害を理由として、ダライ・ラマを支援しています。
しかし、過激派仏教徒によるミャンマーのイスラム教徒の虐殺には目をつぶっています。

世界では仏教の教えは穏健・中庸の教えだとされています。残念ながら、
ダライ・ラマも仏教徒に深遠な影響を与える存在でありながら、これまで
ミャンマーのイスラム教徒の虐殺や難民化について真剣な反応も影響力の行使も見せていません。

ダライ・ラマも実際、
西側の道具に変わり果てており、西側の政策や利益に沿って、
多くの人道的悲劇や少数派の権利侵害に対して見解を表明しています。


ミャンマーのイスラム教徒の虐殺と難民化、差別に対する真剣な批判は
西側政府の人道支援政策の範疇にはなく、
ダライ・ラマもこの問題に立場を示す必要性を感じていないのです。


http://japanese.irib.ir/programs/%E4%B8
%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E6%83%85%E5%8B%A2/item/55195
-%E3%83%9F%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%8
1%AE%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E6%95%99%E
5%BE%92%E3%80%81%E5%BF%98%E3%82%8C%E3%82%89%E3%82%8
C%E3%81%9F%E4%BA%BA%E3%80%85

----------------------------------------------

大体の構図として軍事政権と民主化勢力が戦っているのは事実だが、
その説明のされ方、伝え方は極めて政治的だということである。



こうしてみると、ミャンマーの民主化勢力の圧勝は喜ぶべきことではあるが、
称えるべきことであるかどうかはちょっと保留しなくてはいけないような気もしてくる。


ここで9日のグローバル・タイムズ紙の記事をもとに、
今回の選挙を慎重に受け止めるスプートニク紙のオピニオン記事を読んでみよう。



-----------------------------------------------------------
ミャンマーが完全に米国に向き直ることは、戦略的空間およびミャンマーが
中国の友好的政策から得ることのできるリソースを破壊しかねない愚かな選択。


9日、グローバル・タイムズ紙は、ノーベル平和賞受賞者で
西側が「民主主義のニコン」と仰ぐアウン・サン・スー・チー女史率いる野党、
NLD=国民民主連盟が25年ぶりに自由に行われた全国選挙で勝利を収めたあと、
こうした記事を掲載した。

野党NLD=国民民主連盟の勝利は誰にとっても、中国にとっても意表をついた結果ではなかった。

中国ではミャンマーで勝利したのが親米的政治勢力であり、
選挙後、米国、西側、日本、豪州との連合関係の強化路線が強化される
ことは理解されている。

だが中国がミャンマーで急進的な変化が起こるとは思っていないことは明白だ。
それはテイン・セイン大統領がポストにとどまっていることだけが理由ではない。
アウン・サン・スー・チー女史の子どもたちは外国市民であるため、
アウン・サン・スー・チー女史には大統領になるチャンスがないからだ。

続きを読む http://jp.sputniknews.com/opinion/20151110/1149069.html#ixzz3r6PDhYBm

-----------------------------------------------------------

ここで政敵にあたるであろう与党のテイン・セイン大統領の経歴を見てみる。


「貧しい家庭の出身であり、18歳で軍士官学校に入った。
 他の軍高官とは違い、利権や汚職などのスキャンダルに見舞われず、
 国民にはクリーンなイメージを持たれているとされる。

 また野心がなく、上官の命令に逆らうことはない官吏タイプとも評されている。
 このためタン・シュエの信頼が厚く、「忠実な部下」「典型的なイエスマン」とも評される。
 他、タン・シュエの後に大統領として指名されたのは、
 タン・シュエ自身が引退後に、「自らの安全」も考慮した結果ともされる。

 軍出身ではあるが基盤がなく、このため大統領就任前には
 タン・シュエの意向に沿った政権運営がなされるとの指摘もあった。

 しかし、就任後はアウンサンスーチーの政治活動を容認するなど、
 民主化に一定の寄与をしていることも事実であり、タン・シュエが保守派と言われるのに対し、
 テイン・セインは改革派と称されることもある。

 アウンサンスーチー以外の政治犯も釈放しており、
 メディアの自由化の促進、国民の人権を脅かす法律の廃止なども実施している。


 特にミャンマー最大の反政府武装組織カレン民族同盟と停戦合意にこぎつけるなど、
 様々な改革を実行している。これらの改革は諸外国にも歓迎されており、
 これまで敵対的だった西側諸国との関係が改善している」
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%B3)

ソ連のゴルバチョフを連想する人物である。セイン氏が大統領に就任したのは2011年、
これ以降はタン・シュエも口出しをせず、国内の改革に着手できたものと思われる。

そもそも今回の自由選挙自体が25年ぶりに認められたもので、少なくとも
現政権には自主的に国内を改善する意志が多少なりともあるということは言える。

無論、こういう改革派ですらムスリムへの人権弾圧は気楽にしてしまうわけで、
この点は徹底的に非難すべきだと思われるが、他方でムスリム弾圧に関しては
スーチー氏も大差ない態度(少なくとも無視・軽視)であり、例えミャンマーが
「民主化」されても、この問題は解決されない
であろうことは容易に想像できる。


私が言いたいのは、テレビは無論、左翼の間ですら
スーチー=絶対善、現政権=絶対悪という単純な理解をしてはいないか?

ということだ。


その二元論がカラー革命やアラブの春が起きたときのように、
民主化と言う名の再植民地化(NATOと現地の民族主義者が結託し、新自由主義を受け入れる)や
民主化勢力とNATO諸国のつながりを無視し、支持するならば、それは大いに警戒すべきだ。


少なくとも私たちはアウンサン・スーチー氏をも政治家として冷静に接しなければならないのであり、
間違っても英雄や平和活動家として、羨望の眼差しで見てはならないのである。