アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

9/29 救急搬送・受け入れ病院なし!!

2005-09-29 22:49:54 | 介護




救急車でかかりつけの大学病院へ・・
しかし・・
大変だった。

今朝9時、老健から父の様子を聞く前に
老人痴呆疾患患者を入院させてくれる病院を
探すため、電話で問い合わせた。

都立松沢病院・・・救急体制はないので、今日診察し        
           すぐに、入院は出来ないし、ベッド
           も、あるかないか分からない。
           かかりつけの大学病院に行って、
           その病院から紹介状を持ってきた
           方が良い。

昭和大学付属烏山病院
        ・・・・・痴呆と内科の合併病棟は無い。

慈雲堂内科病院・・・内科はありません。

・・・・ホームページでは何処も、合併病棟があると
書いてあるのにあっさり、断られて、
これじゃ、入院して内科治療を受けることが出来ないじゃん。

わたしは、その後、入院準備を持って
お昼のオニギリを持って午前の仕事である五反田へ原稿を届けにでかけた。

誰の手助けも得られない毎日で
必死だったけど、
けさ、長年のウクレレ友達がインターネットの日記をみて電話をくれた。
『 原稿届けてあげるよ、迎えに行く事もできるし、
  なんでもしてあげるよ 』って。
暖かい手が差し伸べられた。
口だけじゃなく、早速来てくれそうな気配だった。
嬉しかった。 遠いところに住んでいるのに
ありがたい言葉をかけてもらって、大変嬉しかった。

きっと、今日は何とかなりそうだったし、
これから先、もっと困った事がおこりそうなので
その時・・・朝死んでたときとか・・・
お願いできたらと思っている。

とりあえず、きょうで午前の仕事はしばらく休む手配をしてきた。
父の様子は見ていないけれど
悪い予感がひしひしと感じられるのだ。

11時45分三鷹到着。
バスで数分、または徒歩10分の位置に老健はある。
わたしは、徒歩で小走りに急いだ。
途中で、体を冷やす瞬間氷を3つ買って、ポカリスウェットを買って、ストローももらった。
それらを買っても、バスには抜かされずバスより早く到着したわけだけれど、緊急事態でありながら、タクシーやバスを使わずに徒歩で老健に向かっている自分を結構攻めながら、あるいたのだ。

ジェンギンスは、部屋ではなくナースステーションの前の廊下にべッドを置いて、そこで過ごして居るようだ。

初めてここを見学したとき、ありえない!と思った位置のベッドだったけど、今は、これこそ良い介護ではないかと思える。
つねに、目の届く介護はすばらしいと思う。

ジェンは、私より1時間早く到着したスーザンに昼ごはんを食べさせてもらっていた。
スーザンは、わかめの味噌汁やサラダを口に運んでいた。
ジェンギンスが噛み切れないものを知らないらしい。
全部、口から出された。

ジェンは思ったより、しっかりしているので安心した。
しかし、昨夜は9度4分だというから、史上ありえない発熱だ。

ここの老健では、やはり父の収容先の病院を探してくれている。
でも、見つからない。
老健から直接、松沢病院に紹介状を書いて入院できるように頼んでくれたけれど、内科のベッドに空きが無いと言う。

世田谷の病院にも問い合わせて、返事待ちをした。
しかし、その返事を待たず、
かかりつけの東京医大と電話で話をすすめ、
搬送する事にした。

『受け入れ先が決まってよかったですね』
と老健の人は言ったけど、
医大は、痴呆病棟はないのでどうなるかは分からないのだ。

老健では、父のために
あらゆる看護をしてくださった。
点滴の入らない父の血管を捜した跡が多々見られた。
足からも、手の甲からも試してくださっている。
皆さん優しく、介護してくださっている。
大変、ありがたかった。
良い施設だと思う。

さて、

救急車に私も乗りました。

救急車は乗り心地がとても、良く。。。なかったです。
ガタガタでした。
最初から最後までピーポーが鳴っていました。
音に敏感な父は何度も音に反応していました。
私もピーポーの音を十分に聞きました。
ピーとポーは二人の音の掛け合いであると
理解できました。

カーテンがしてあるので何処を走っているのか
分かりませんでした。
横断歩道信号ではサイレンを鳴らしました。
でも、人って救急車を優先させず、渡る人が多くて
マナーの悪さを感じました。
こういう人は、お年寄りに席を譲らない人なのでしょう。

医大病院は、救急処置の大変悪い病院です。
救急体制が整っていません。
どうせ運ばれるなら、この病院以外がいいと思いましたが
かかりつけなので、仕方がありません。

うちのチョコパンはアレジーなので、ランドセル背負って
ここの救急には長年通ってました。
救急で一晩過ごすと付き添いの私は、救急ベッドでほっとかれている
人の世話に明け暮れるわけで、
タバコを食べちゃった赤ちゃんとか、尿道結石のお兄さんとか、
結婚式で倒れたおじさんとか、厨房でやけどした人とか、
沢山のドラマを見せてもらいました。
反対に、
先輩の先生に公衆電話から処置を聞いている先生や、
薬を本で調べている先生や、
点滴の針が上手く刺さらなくて、血が吹き出たり・・・(チョコパン)
早朝おこされて、機嫌の大変悪い先生や
ひどかったな~

それに比べて、女子医大の救急は救急だった。
混んでるときは廊下で処置してくれるし。
迅速な対応だ。

それで、

この話は続くけれど

父は、いま、家で高熱をだして
寝ています。

医大では
何の検査も
処置もできませんでした。
診断も出来ませんでした。

救命救急をするに値しない
生きる価値のない人間である
と、判断された気がします。

いえ、

そう判断されました。

このまま、死ぬのを
見守るしかない と
判断された気がします。



つづく。







一言コメント (全 2 )




kappa(kapparumba@gaiax)

病院は本当に切羽詰っている人にもやさしくありません。私も父の受け入れ先を急に探したときには、残念な返事ばかり返ってきました。都立松沢病院では、「ここはどんな病院かわかっているんですか?」と言う言い方もされました。何とかがんばって探せば何か見つかるかもしれません。私は神奈川とか近県も探して見ました。確かどこかあったかと思います。すっかり失望されているみるきさんの気持ち、よくわかります。こういうときに手を差し伸べてくれるところが無さ過ぎます。行政に不満を言いたい。



ジュニタ(jyunita@gaiax)

みるきさんの失望したお気持ち分かります。でも、こんな悲しいこと言わないで!!みるきさんのパワーをお父様に差し上げたら、必ずお元気になられますから(涙)早く良くなられること、お祈りしております。



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発熱続きで迎え依頼あり

2005-09-28 09:49:50 | 介護



老健では、まさかの廊下での生活。
しかし、ナースセンタの目の届く位置に
居るのは理想的な看護だと思う。
部屋にこもってしまうのは、父にとって
危険だ。

スーザンが、ご飯を食べさせている。
食べさせてもらうなんて、今までは
ありえなかった。

2週間の予定で預けた老健から電話アリ。

発熱38度

点滴は、血管が狭くて半分で漏れてしまった
抗生物質が効かない
食事は半分

専門医に見てもらったほうがいいので
1日の迎え日を待たずに早く家に帰ったほうがいいというので、
明日迎えに行くけど、
私は、もう、てんてこ舞いだ。

痴呆患者が入院できる病院で診察を受けたい

あす、あさ、各病院に問い合わせなければいけない。

でも、初診受付が11時や11時半なので
間に合わない。

わたしは、あす締め切りの原稿をどうしても
会社へ持参しなければならないし。

仕事に行って、すぐ老健に迎えに行って
その足で病院へ11時までに行くことは
出来ないよ。

母は迎えに行くことができないし。
母は電話が出来ないし。
母の世話も焼かなきゃならないし。

午後の診察で、いつもかかりつけの
大学病院へ行くしかないか・・・
ここは、痴呆の入院設備が無いんだ。

困ったな。



わたしは、一人じゃ、全部出来ないよ!


一言コメント (全 3 )




ジュニタ(jyunita@gaiax)

お父様、やはり入院なさったのかしら?早めの対応、良かったですね。ホッとしました。そうですね、ヘルパーさん頼んでも、家族にしか出来ない事って多いですよね。しかも、被介護者のお世話以外の事は頼めませんものね。そうなると便利なようで不便ですね。どうしてもの時は、ケアマネさんにお願いしておくと、手配して貰えます。私は以前、下の子の用事で手が離せなくて、一度だけ母と一緒のお留守番を、お願いしました。お茶をのみながら話し相手になってくれました。



みるき(milkie@gaiax)

ヘルパーさんは頼んだ事がないです。どうやって頼むのかもしりません。 きょう、私と母が迎えに行って救急隊や病院に今までの経過を話したりしたので、やはり、家族じゃなきゃだめなんだろうなとおもいます。  何をヘルパーに頼めばいいんだろ?  洗濯物が3週間分以上たまってるけど・・・父のじゃなくて、わたし達家族の分。 だって、洗濯する時間が全くないんだ。 



ジュニタ(jyunita@gaiax)

ヘルパーさんは頼めなかったの?みるきさんの愛情深い性格では、頼みたくないのでしょうね。お父様も心配ですが、みるきさんのお体も心配です。



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急遽面会

2005-09-26 09:47:56 | 介護


面会に行ったら昼食を食べていました。

何から書き始めていいのかいろいろある。

ジェンギンスを老健に預ける事が出来たので
急に母を実家の長野県に行かせる事にしました。
ジェンがいるせいで、もう歳をとった姉妹には
会えないと諦めていた母でしたが、会って話が出来ました。
老健のお陰です。
私もお迎えがてら後から長野に行きました。

しかし!

話せば長くなりますが

私は、もう15年も地元の組織で宗教とは全く関係の無い健全なる活動をしています。
でも、その活動をしていて、あるものとかかわると
たいへん不吉な事が次々と起きるのです。
不思議なくらいありえない不吉な事がいっぱい起きるのです。

若い人が交通事故でなくなりました。
若い人が両足切断で病気で亡くなりました。
若い人が交通事故で亡くなりました。
板前さんが指を切りました。
若い青年が飛び降り自殺しました。
若いお母さんが飛び降り自殺しました。
そして、ジェンギンスが行方不明になりました。
それも、一回や2回じゃありません。
連絡があるたびにジェンギンスは不幸に見舞われるのです。
他にもいっぱい不幸が会員に続いています。

そんな事があった15年で、私はヒジョウに気をつける毎日でした。



長野にいる時、携帯電話がかかってきちゃんです!その人から!
『 出るな!』って言われたけど、
まさか・・って思って出ちゃった。

失敗した。

その電話の次の日、老健から電話が入った。
私は長距離バスに乗っていたので電話に出れないから、姉にメールをして連絡を取ってもらった。

父ジェンギンスは、
ベッドから落ちて、頭を打っているかも知れず、
38度の発熱があり、抗生物質によって37度まで下がっている・・との事。
お迎えも、付き添いも必要ないけれど、報告だけしておくとの事。

その、組織のあるものとかかかわったその晩に
ベッドから落ちたんだな。

偶然だと、思っているけれど、それにしては、若い人がいっぱい死んでいるからな。
会員から 『 みるき さんの言っていたとおり、妹を亡くしました 』
『みるき さんの言っていた通り、主人を亡くしました 』 といわれることが多くなってきました。

ちなみに、私は1年前からかかわらないようにしています。

~~~~~~~~~~~

それは、ともかく。

今日、急いでジェンギンスに面会に行きました。
母『 急変しないかしら?』
姉『 もう、十分看てあげたから後悔はないよ』
。。。と、BGMを沢山聞いて、仕事先から駆けつけました。

ジェンは、昼ごはんをみんなと一緒に食べていました。 安心しました。

『 おじいちゃん! おじいちゃん!  みるき だよ! 』

と隣に座りました。
ジェンギンスは、何も言わずに、泣きました。
顔がくしゃくしゃになりました。

おとなしく、おとなしく、座って一人でご飯を食べていました。

家に居れば、おかずの面倒を手取り足取りお世話して食べさせてあげているのに、ここでは、一人で食べます。
おかずには手をださず、ご飯と味噌汁だけ食べています。 だから、やせるんですね。。。。

おかずは、細かく切ってある食べやすいものだったけれど、切ればいいというものではなく、
エビは噛み切れず出していました。
野菜は少ししょっぱいといっていました。
繊維の多いものは噛み切れない。
シュウマイは、私が食べたくなかったので、あげなかった。

なぜか、皆が終わっているのに、ジェンは最後まで食べていました。 食べ初めが遅かったと思われます。 拒否していたんでしょうか?

『 頭いたい?』
『 ああ、いたい。 前の方がいたい 』
『 だるくない?』
『 うん、だるくない』
『 これから、暗くなるのか?』
『 今は昼だから、夕方になれば暗くなるよ』
『 そうか、これから暗くなるんだね』

父はタンの絡んだ咳をしていた。
水を欲しがったから、コップ3杯くらい水をあげた。
他の人も、喉が渇いているんじゃないかな~
と思った。 でも、勝手に水分を上げたらダメだろう。
ジェンはポケットを探して、ティッシュで鼻をかみたがった。
すぐ、ティッシュをあげて、ポケットにも入れておいた。

他の人も、結構タンの絡んだ咳をしていた。

看護婦さんが抗生物質を1錠飲ませに来た。

『 最初38℃でましたが、いまは治まっています。
  夕方、熱があがることもあるので抗生物質を
  飲んでいます。
  熱が高いとき、他の薬と一緒に別の薬を飲むと
  混乱を起こすこともあります。
  前に混乱が起きたのは、そのせいだとおもい   
  ます。 』

とにかく、タンは出ているけれど、その処置はされていなったので、かえって、異常行動が出ないで
良かった。


2ヵ月前とは痴呆フロアのメンバーがずい分変わっていた。
みんな、何処へ行っちゃったんだろう。

男の人は7~8人いた。

ゲンコツで自分の頭を思いっきりたたいているおじいさんが居る。
ずっと前、怒っていたおじさんはおとなしかった。
お風呂に行くというおじさんがいる。
たったり座ったり歩いたりのおばさんがいる。
『 それを持っていかなきゃいけないの?』と
みんなに聞いているおばあさん。
何でも拒否して、父みたいに、世の中の事を論じている素敵なおじ様。

自分の意思がある人、ない人。

そのうち、スーざんがやってきて、ジェンに手を振った。

『 おばあちゃんが来たよ、スーザンだよ』
と説明したけど、なんか、忘れちゃってるみたいだった。 

スーザンは、いとおしく、ジェンギンスを見つめていた。  大事な人なんだな。 つくづく思った。
50年連れ添った夫婦なんだ。

多分、ジェンは、わたしと、スーザンに囲まれて
安心した時間が過ごせたんじゃないかと思う。

私は仕事なので、1時間面会して先に帰った。
スーはそれから1時間くらいして、ごまかして帰って来たようだ。
もう、『家に帰る』 っていわないな~

ジェンはおとなしく、施設にいる。
どう、かんがえているんだろ。
『ここはどこか』なんて、聞かないし、疑問も生まれてこないのかな。
でも、おおボケではない。
ある面しっかりしている。
意識はある。

今日は、いい人だった。

おとなしいばっかりのいい人だった。

1日にかえってきたら、またもとの精神と体に戻してあげないと・・・

とにかく、熱は大した事が無かったようだ。

熱が出ても、医師の診察と薬の処方をしてくれて
、病気のお世話までしてくださるこの施設に
大変なる感謝をしている。

施設と、介護をしてくださるスタッフに
大きな感謝をしています。

ありがとうございます。



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今日から2週間老健にステイ

2005-09-17 09:46:00 | 介護


老健では、特別な集会がありました。
合唱団が来て、歌を歌っていました。
後半はまるで、歌声喫茶です。
ジェンも歌集を見て歌っていました。
うれしくなりました。


今回は家庭の事情があったわけではなく、
そろそろ限界だからと、ケアマネージャーに相談したら、老健と連絡を取ってくださって、2週間預けることになった。

それも、室料がかからないお部屋にしていただいたので前みたいに10万円もかからずに預けることが出来る。

それにしても、10月からは料金改定で、月に4万円も食費などの値上がりがあるという。

老後の生活もたいへんだ。

昨日、ウクレレ仲間のお母様が介護ホームに入居している話を聞いた。
800万円の入居費と、月々20万円の支払いがあるそうだけれど、その金額は年金でまかなっているそうだ。 年金と貯金をすべて使い果たして老後の安定した生活を確保したわけだ。

えらい。

いろいろ話していて、彼のこの方法は正しいと思った。 幸せなお母様であると思った。
彼は嫁と子供えとの大切な家庭生活をだいじにしたわけで、
息子である彼と彼の兄弟が話し合って、そうしたのだ。

正解だ。

だから、義理の両親の施設入居は、嫁が言い出してはいけないことで、息子がしっかりすれば解決するのだ。 息子の決断には誰も文句は言わないんだ。

~~~~~~~~~~~~~~^^

さて。
ジェンギンスは、17日バスで中野駅まで行って
電車で三鷹まで行って、またバスで老健まで乗っていった。

年寄りは、近い距離もバスで行くのでたいへんというか、歩けないし。。。

マクドウウェルが車で行こうかと(もう6年乗っていない)申し出ても、スーザンが拒否するので、
私とスーとジェンと3人で出かけた。

脳梗塞のスーザンは行く必要があるかといえば、それは必要で、ジェンギンスにはスーザンが付いていないと何も出来ない。
私は微力で、ジェンのお力にはなれないのだ。

行く途中ジェンは、「 どこへ行くのか 」ばかり質問していた。 「 自分は、どこが何だか全然わからない 」と困っていた。
「 私も、わからないから、みるき~に任せて」
と、スーザンが何度も言い聞かせた。
「 三鷹で降りるからね 」 と私も優しく声をかけて、 心の奥で三鷹って、どこよ?って思って電車に乗っていた。

昼間で元気だし、天気もいいから、タクシーには乗らないでバスで老健に向かった。
私の運賃200円だけかかるのだ。

老健では、一階のスペースで合唱団がなつかしのメロディを歌っていた。
どんどん、お年寄りが他のフロアからやってきた。

痴呆介護スタッフが、ジェンに気がついて
「 こんにちわ~ 」と声をかけてくださった。
ジェンは、ていねいに挨拶をしていた。

昼間は落ち着いていい人だ。

この日も、病院の先生の診察があった。
前回の先生とは違って、ニコニコしたいい先生だった。
ジェンが、ふざけても、話しても、へんなことを言っても笑って聞いてくれた。

この先生は私のウクレレ飲み仲間の歯医者さんにそっくりで、どうしてもかぶってしまって、印象がいいのだ。

咳が出ることや、放尿が激しいことを先生にはなし、聴診器での音は、話すときも喘鳴が聞こえたようだ。

ジェンは、ご機嫌がよくて、入れ替わり立ち代り来てくれるスタッフに敬礼したり、話したりしていた。

「 夕方はたいそうに怒るのです」と私がいったら、
「 俺は、おこらないよ 」と言っている。

昼間は、本当に外面の良いひとだ。

スタッフには最近の様子をメモして渡した。

「前回、ステイして、何か変わったことはありましたか? 」と、痛いところを突かれた!!

まさか、「 呆けました 」とは言えないので、

「ずいぶんおとなしくなりました。 放尿がひどくなりました 」

「 痩せたり、太ったりはありませんか?」


まさか、帰ってきたときずいぶん痩せていました。。とはいえないので、
「 ちょっと、痩せてきたようです 」
「 あとで体重測ってみますね 」
ということです。

マクドウウェル博士から、「正直に大呆けで帰ってきて、すごく痩せて帰ってきました」 って言わなくちゃだめジャン!!

といわれましたが、そう、いえるものではありません。

====

相談員と、料金変更の説明を受けたりしているうちに、ジェンは一階でお歌です。


私と母も、ジェンを預けて、ジェンの歌っている様子を見て安心して帰ってきました。

============
家に帰ってそく、洗濯かいし!!!

ジェンとスーザンのすべての寝具を洗います。

スーザンの2週間寝るベッドを設置しました。

・・・
アレジーのチョコパンが帰国するし、
大掃除です。
こっちも、清潔ベッド設置です、

一人減ると一人帰ってくるのが
この家の慣わしです。





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おとなしい

2005-09-16 09:43:48 | 介護




小さな人形に向かって真剣に話しかけて
あやしていました。
ブドウの皮をむいて、食べさせていました。
口に無理やり押し込んでみたりして
でも、食べてくれないから、こんどはトマトを
切って食べさせていました。
タオルで口をふいてあげていました。
「おい!チョコパン、おい!チョコパン」と呼んでいました。


今朝6時、私が玄関の鍵を開けるので
家の中をそっと歩いていたら
ジェンギンスに会いました。
トイレに起きてきたのです。

廊下に出てきたということは、途中に置いてあった
ポータブルトイレには気がつかなかったんですね。

「トイレはこっちだよ」と誘導したら、トイレドアを
ぴしゃりと閉められた。
きちんとした人だ。

出てくるまで待っていた。
「 あれ? トイレはここでいいのか?」と
疑問が生じたらしい。 ポータブルトイレに多少の印象があるのだろうか?

「 まだ早いから、寝てていいよ」と部屋に入れた。
「 そうか 」と素直だ。

今度は9時に階下へ降りていったら、食事中だった。
このひと月は、マクドウウェルが早朝に出かけるので、早起きしている私は両親の朝食セットを
台所へ置いておく。
しかし、早起きも今日が最後で、ああ~~~
朝、寝れる! 
でも、学校が始まるらしい。チョコパンも、学校が始まるから火曜にニュージーランドから帰ってくるようだ。

10時にバスに乗せて、デイサービスへお見送り。
私が介助してバスに乗せるんだけれど、そこまでの老人が乗ったのだから、発車させるのは、座ってからにして欲しいな~
運転手さんによっては、すぐ発車で両親がよろけている。
どこのバス会社だかは、必ず乗客が座ってから発車させる方針を採っているんだ。
きっと、お年寄りをだいじにしている人が、考えた決まりだな。

デイサービスでは、お決まりのうがいから入るそうだけれど、ジェンは、最近うがいが出来なくて、飲み込んでしまうそうだ。
どんなに、周りでいろいろ言っても、飲むらしい。

だって、喉が乾いているんだものね。
最初に水を飲んだらどうだろか。
朝の洗面でも、水を飲むジェンギンスだからね。

夜7時半、仕事が終わって階下へ行ったら、
お人形と話をしていた。

触ると、人形だと気がついてあきれていた。
散々、人形に話しかけて、人形を持ってこう言った
「 あれ?いまここに居たチョコパンはどこ行った?」
「 抱っこしてるじゃん」
「 これは、ちがうよ~~」
と言って、チョコパンを探していた。

比較的おとなしく、歌も歌っていた。
あすから、しばしのお別れ。

お別れ間際に怒っているのも心配だけど、
こんなにおとなしいと、預けるのが申し訳ない。

だけど、この連休は母も私も予定が満杯で
たいへん、たいへんありがたいお預けとなりました。

こうして、時々父を預けて
父にも、母にも長生きしてもらいたいと思う。
わたしは心からそう思うし、
死んでくれたら・・・なんて絶対思わない。
母の姉妹も、みんな長生きして欲しい。
姉妹の家族もみんなそう思っているはずだ。






一言コメント (全 2 )




みるき(milkie@gaiax)

ジュニタさん、悲しい経験をしてきましたね。  8月 に仕事関係の11歳の少年がプールで亡くなりました。 わたしは、若い死について、自分のことに当てはめてすごく考えました。 すごく悲しい事でした。 最愛の人の若い死は、つらいです。 



ジュニタ(jyunita@gaiax)

私の両親はお蔭様で健在ですが。20代のはじめに、たった一人しかいない弟を胃癌で亡くしました。それ以来一人っ子です。そして、ビッチとジュニ汰の間の女の子を早産で亡くしました。どちらも、こんなに涙が出るものかと思うくらい泣きました。今でも思い出すと涙が出てきます。そして、何か他に打つ手はなかったかと・・・今でも後悔しています。





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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。