アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

夕食後に発熱

2007-12-31 00:43:11 | 介護
2007年12月31日 月曜 今日までもたないと言われたその日。

とうとう31日が来た。
ジェンギンスは生きていた。

とうてい生きれないと言われたけど
生きてる。
お気の毒ですといわれたころより
元気がでた。
でも、体は動かせなくなった。
ひとりでは、座っていられないと思う。
背中を背もたれから離すことはできなくなった。

食欲は有る。
水も飲む。
痰も自力で吐く。
見る。
聞く。
話す。

体力が無くなった事が問題だな。

昨夜40度も熱が出て、
今日はもう個室に移動したかと思ったけれど
自分のベッドで寝ていた。
安心した。

おでこは冷えていた。
安心した。

37度代にさがって、食事も全部食べているので
夕食も、食べていいと言われた。

3階に居た時とは大違いだ。
3階では、なんでもかんでも絶食だった。

丁度一年前のノロウイルス感染の時も
ひと月ものあいだ絶食監禁生活だった。

ジェンギンスが今日落着いているので
特効薬を飲ませたり、エキス入り蜂蜜をなめさせたり
足の裏のタコを爪切りでかっとして、血をだすほど傷つけてしまったり、
のんびりした時間を過ごして、
ジェンが寝たので、
わたしは、作業をはじめた。

年賀状だ。
まだパソコンでデザインもしていないので
とりあえず、宛名を手書きだ!
遅刻厳禁の私の性格が
今回崩れた。
37年間生きてきて
元旦に年賀状が届かないという不祥事は
今回初めてだ。
まあ、今回の家族における病気事件は
生まれて37年間のなかでも
初めての不幸な経験だ。

でも、くよくよしない性格なので
ぜんぜん前向きです。


====

年賀状を書いていたら、チョコパンがやって来ました。
夜中から今日はお出かけだそうで、
その前に病院に寄ってくれました。

家では、母が入院からの外泊で
タクシーに乗って姉と一緒に帰ってきたのを
迎えてくれました。
母は、すっかり姉に任せました。
母の食事まで作ってもらいました。
煮物も持ってきてくれました。
わたしは、全く100%正月準備をしていません。

さて、年賀状の宛名書きを
時間かかって済ませました。
ジェンの世話を焼きながら書くのでなかなか
進みません。
書き終わって、ちょうど夕食でした。

前ほどの、食欲もなく
スプーンで食べさせます。
もごもぐしてて、なかなか口を開けれなかったりしています。

どのくらいで辞めたらいいのか
ヨクわかりません。
お粥を少し残して、あとは全部食べました。

しょくご、
体が熱いとおもっていたら
どんどん熱が上がって
38度を越えました。
たぶん39度以上上がっていたと思う。

痰もどんどん湧いてきて
吐く吐く!
起きあがって吐きたそうだけど
体力が続かず、背中を背もたれから
はなすことができません。

トイレも行きたくて我慢しています。

もう

かわいそうなジェンギンス。

苦しみを表現出来なくて。
どうしたらいいか分からず、
あっちこっちいじって、苦しみから逃れる姿が
かわいそうだ。

夜8時過ぎまで
チョコパンと付き添った。
悪い盛りに置いてくるのはつらいことです。

まわりの老人は
あっちもこっちも発熱だから
看護婦さんは、慣れっこです。
あっちもこっちも、老人一人で病んでいます。
家族が付き添って甘やかしているのは
家だけです。

でも、具合の悪い時は一緒に居てあげたいものです。

夜8時。
紅白歌合戦を見ながら
帰宅しました。
夕飯はバーミヤンでガクトを見ながら
あこがれて、五目麺を食べました。

昨年の元旦もジェンギンスのノロに付き添って
夜8時過ぎまで病院にいましたが、
ことしも、病院で正月を過ごします。

それも、
なかなか嬉しいもんです。

Happy New Yeare!hinode2008
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高熱40.3度

2007-12-30 03:23:32 | 介護

家には米も野菜も無くなってしまったから
午前中に買い物して、
夕食のバターチキンカレーを作って、
門松も買って、取り付けて、

母の病院へ走る!
看護婦から正月外泊の許可書をもらいたいが
看護婦はいないし・・
病院でも走っていたら、
チョコパンが来てくれた。

記入からなにから、チョコパンに任せて
ジェンの病院へ走る!

夕方5時到着。

枕にアイスノンと背中にアイスノン。

高熱だ。

体温はみるみる上がって40.3になり、そのまま脇に入れていたら
39.7度になり落着いた。

見た目はいつもと変わらない。
お喋りもしてるし
歌も歌おうとしている。
返事もする。

お腹に、痛みが走ったりする。
痰はたまってる。
吐き出しもする。

夕食は、4分の1位あげた。
認知症だから、あげれば食べるんだ。

この日記を書いているのは
午前4時。
きょうは、スカートをはいたまま寝る。

あすは、母を家に迎えるように手配した。
私達家族は夜遅くまで父に付き添うので
母はせっかく帰ってきても一人だ。

姉に母の迎えと
母の夕食の支度を頼んだ。



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発熱37.9度

2007-12-29 02:57:35 | 介護
2007年12月29日 土曜 元気だった頃の怒り復活

今日から私は9日間仕事がお休みです。
すべて、両親に献身するつもりですが、
わたしの仕事柄、勉強しなければならないことがあって
そんなに、介護もできない時期がやってきました。

家族にだれも早起きする人がいないので
のんびり寝ていましたが、
盲目のメリージョンソンが泣くので
餌をあげるために起きました。
もう、あげる餌も無くなってきたので
スパゲッティをあげたリしてます。

さて、午後になり
まずは母の病院へ寄ります。
今日で外来診察と会計が終わるので
退院するなら今日です。

なんだかんだヨクわからず。
結局、退院はできません。
そのかわり、外泊ができます。
母は、正月も病院にいるといいますが、
苦しんで病んでいるわけじゃないし、
一人暮しでもないし、
私達のしごともないし、
替えればいいジャン! とあっさり言って
正月は家で過ごすことにしました。
でも、わたしもたいへんなので31日まで病院に
居てもらいます。
母も点滴をして、のんびりしたら良いと思います。

今日から、2人部屋じゃなくて、4人のお部屋に移動出来ました。
したがって、もう1日差額7000円はとられないので
十分入院してくれて大丈夫です。
入院保険も下りることでしょう。

母はもっと話しがしたそうでしたが、
数分で病院を後にしました。

ジェンギンスの病院に到着し、
ベッドに小さくなって寝ているジェンギンスに声をかけると
返事をします。
背中をあげてあげて、様子を聞くと
痛いところも無いみたいです。
熱も下がっていました。
安心です。

ウコンドリンクに特効薬を入れて飲ませると
喉が渇いているのでゴクゴク飲んでくれます。
暖かい日本茶もあげました。

昨日腹具合が良くなかったので、今日もおやつはやめて
エキス入りの蜂蜜をあげました。
きょうで、蜂蜜ワンボトルが無くなりました。
あと一つ残っていますが
ニュージーランドから取り寄せようかなぁ・・・
日本の蜂蜜も体に良いのでしょうか?
ニュージーのマヌカハニーは、独特のおいしさがあります。
カナダのメイプルシロップは栄養が有りますか?

昨日痰を吐きちらしていたジェンギンスですが
今日は、看護婦さんが私がいるうちにと
痰吸引をしてくれました。

これが苦しいのです。

ジェンギンスは叫んで苦しみました。
でも、100CCも痰がとれて
楽になりました。
まだまだ取れる勢いで、鼻チューブも40センチくらい奥までつっこんで
吸引しました。
つらいけれど、痰があふれ出てくるので、ずっとしていたいくらいです。

認知症のお陰で、痰吸引の苦しみもすぐにわすれ、
ジェンギンスは汗をかいて、恐怖の顔をしていました。
わたしも、必死でジェンギンスを安心させてあげました。
「 よかったね、がんばったね、もう大丈夫 」っていっぱい
言ってあげると、うんうんってイイコな返事が返ってきます。

かわいそうなジェンギンス。

歩かないのに
足の裏には皮が厚くなったタコができます。
爪切りを持って来なかったので、
ウレパールで柔らかくしてから、手でむしり取ってあげました。

手足にアロエクリームを塗ってあげて、
つるつるです。
死んだとき、綺麗な体であることが
わたしの目標なのです。

死んでから、ああ、こんなになっていた!
と思いたくないのです。
体の隅から隅まで綺麗にして生かしていてあげたいのです。

でも、最近は昔のように介護拒否が出てきて
顔にクリームをぬろうとすると、怒ります。

元気になってきた証拠だと思いたいです。

6時に夕食。

最近はもう、ジェンギンスに任せないで
口に入れてあげることにしました。
もう、一人で食べなくていいです。
おいしく、綺麗に食べさせてあげます。

海苔の佃煮、醤油、照り焼きのたれ で味を濃く付けてあげます。
抗生物質のクラビットと、粉薬がでているので
食事の後半に濃い味付けをして薬を混ぜて飲ませてしまいます。

全部美味しそうにいただきました。
背中を叩いてげっぷもしました。

雑巾にしようと思って切り裂いてあったジェンギンスの腹巻きを
病院にたくさん持参して、
首の回りに置いておこうと考えました。

痰作戦です。

痰出過ぎ!!

夜のおむつ替えも終わって
わたしは帰宅です。
夜の体温は37度9分。
熱が続くのはよくないなぁ。
でも、つらそうではありません。
それが救いです。

雨の中、面会時間はとっくに過ぎた8時半。
母の病院に寄って洗濯物をもらって来ました。
母はもっと話しがしたそうだったけれど
面会時間もすぎているし、
洗濯物をもって帰りました。

今夜も年賀状を作る暇はありませんでした。

頭痛はずっと続いて
昼の12時にグアムで買った痛み止めをのみ、
夕方6時にイミグランをのみ、
深夜12時に痛みが消えました。

明日のあさも、痛みませんように。



ミキサー食なので、何のおかずかたべてみて分かります。
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夜、発熱38.8

2007-12-28 09:29:16 | 介護
2007年12月28日 金曜 はっきりしてるジェンギンス

人々が心配してくれる通り、
私は、早朝よりいつもの長期頭痛が始まり、
元気じゃなくなりました。
そうはいっても、私しかいないので
頑張るしかありません。

でも、午前中は寝てました。
寝てる時、怠惰な自分だと自分を責めました。
母が居る時は、寝ることはできませんが、
母が入院したので、怠惰なことができるのです。

寝ている間に、ジュウシマツが死にました。
犬が放し飼いなのに、門が開けっ放しで、
5匹のジュウシマツが住んでいる鳥かごの扉が
開けっ放しでした。
ということは、私が餌をあげた時から5時間も
開けっ放しだったのでしょうか?
怪奇現象ですが、

身代わり という説も在ります。

ということは、このひと月のあいだ、
ジュウシマツの産んで暖められていた卵が
一つづつ、巣の外へ捨てられて、命が絶たれていたのですが
みんな、身代わり だったかも知れません。

昨日は最後の卵が巣の外へ捨てられ、
今日は、ジュウシマツの子供です・・・

あと4羽とメリージョンソンと金魚4匹とトニーブラウン
が、生き残っています。

===========

母の入院先は、最寄駅のそばなので
ジェンギンスの病院へ行く時に、母の病院へ寄りました。

点滴をして寝ていて、すっかり元気です。
注腸や胃カメラを当然すると思っていましたが
なんか、しない・・・
尿検査もしてないみたいで、
どうやら、急性胃腸炎を治すだけの目的だったのでしょうか。
とにかく、入院したら
あっちもこっちも、調子が良いみたいで、
ぜったい、精神的な感じがあるなぁ・・
入院すれば治る! みたいな。

ジェンギンスの方は、
これまた、昨日から元気でハイテンションです。

@ 目を開けて起きてます。
@ 呼びかけると、元気に返事をします。 ハイッ!
@ ベッドを起こすと、色々なものが見えるので話しをします
@ 「一生懸命」 と言うことばが多いです。
@ 軍歌を聞かせると、歌おうとしますが、歌詞がでてきません
@ 両親の写真が目の前に貼ってあるので、親の話がでます
@ 昼間から痰を吐き飛ばし続けています
@ 下痢っぽい臭いがします

お腹の調子が悪そうなので、今日は持参したプリンはやめて
エキス入りの蜂蜜とウコンドリンクに溶かした特効薬だけにしました。
暖かい日本茶ものませて、痰を薄めました。

おむつ替えを手伝い、
やはり、下痢っぽいものが出ていました。
今日は、頑固な看護婦さんだったので
嫌味をいっぱい言われながら、ジェンギンスの抵抗を
抑えました。
頑固な看護婦には、ジェンギンスはすごく暴力的に抵抗します。
手は私が持っていましたが、足が自由なので、蹴り上げていました。

ジェンギンスにしたら、必死で逃げているのです。

かわいそうなジェンギンス。

とにかく、痰を吐き続けるので
首の回りに雑巾を置いて、
私は、走って帰宅です。
でも、頭痛の時は痛くて走れません。

家に到着したら10分後に仕事が始まり、
家の中でも走ってました。

夕方時間ができたというチョコパンは
今日もおじちゃんの所へ
夕食介助に行ってくれました。

ビデオ撮影もしてきてくれたので
様子がヨクわかります。
看護するひとによって、患者の生活が大幅に変わることも
ビデオをみると分かります。

ジェンギンスは、音楽に合わせて
手拍子をしてノッテいました。
チョコパンは元気が良い子なので
合いの手が入ります。
すると、ジェンギンスも合いの手をいれて
気合いが入ります。

面会介助することで、こんなに安心しきった
ジェンギンスがいるのです。
平和な時間が流れているのです。

きょう、初めてとなりのベッドに
面会の母子が来ました。
丁度私達親子と同じ年齢です。
50代のお父さんが寝たきりだというのに
呼びかけもせず、体位もかえず、マッサージもせず、
話しもせず、イイコイイコもせず、安心もさせず
短時間で帰っていきました。

たまに来る面会のひとはたいていこれです。
このお父さんは、体は動かないけれど
意識はしっかりしてるんだから
家のジェンギンスより話す価値が在るのです。

家族が帰った後、わーわー泣いているので
私が、話しかけて体をさすってあげました。
もう、家族がしてあげてよ!!

チョコパンは、ジェンギンスにゆっくりと
夕食をあげました。
食欲はあるのですが
発熱が始まったようです。
チョコパンが発見してナースに検温してもらいました。

当直の医者がすぐに診てくれて
アイスノンと抗生物質が処方されました。
すばやい対応です。

そういえば、咳も多いし、声も鼻声だ。
風邪をひいたのでしょうか

ヤバイです。

意地悪看護婦が嫌味をいった通り、
「風呂に入って急変して死んじゃうひとが多いんだから、
 風呂にはいって、暖まると思ったらおおまちがい、 
 そう、思っているのは家族だけ、本人は疲れるだけ。」

ジェンギンスは昨日お風呂に入れてもらったのです。

でも、いいさ、

天国に綺麗な体で行ってほしかった。
あとは、7日の床屋さん予約で、散髪して・・



さて、夜8時になって外は冷たい雨です。

わたしは、痛み止めを短時間で多量に飲んだためか
眠くて仕事にならない仕事をやっとすませ、
あまりに頭痛がするので、さらに
とうとうイミグランを飲んで
母の病院に行きました。

頭痛のため、ぶっきらぼうな話し方が自分でも
分かりました。笑って話ができないんです。
年末のための退院だか外泊だか
訳の分からない話しがつづき、
看護婦さんがちゃんと、先生に聞いておいてくれることに
なりました。

母は、病院にいると
めまいもしないそうです。

デパス中毒から、足を洗うにはまだ入院は必要だ。
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ジェンギンスがご機嫌。

2007-12-27 02:05:19 | 介護
2007年12月27日 木曜 死ぬひとには見えない

母が思いがけず入院したので、これを機会に部屋の掃除をするんだけれど、
だめです、ぜんぜん片づきません。

暮れも押し迫り、気にしていたジェンギンスのお金を生きているうちに
引き出して、別の口座に集めないと行けません。
しかし、最近は一回に50万円しかおろせないし、不便な時代になりました。
窓口だと、身分証明が必要だしね。

何もかも中途半端で
ジェンの病院へ面会に行きました。
お昼を食べることさえわすれ、駅で甘いパンを一つ買って
病室で食べました。
食べた直後に、婦長さんが
「 きょうはお風呂にはいるのよ、だから、おやつは入浴後にたべてね 」と嬉しそうにやってきました。
でも、もうゼリーを食べさせちゃったです。
それに、ウコンドリンクと特効薬も飲ませちゃったから、
入浴中に吐いたら、ドオレンジ色です。

入浴後の介助は時間がなくて出来なかったけれど
無事に入浴ができたか心配です。
40日以上入って居なかったと思う。

そして、今日のジェンギンスは絶好調で
しゃべる、うたう、わらう、演説する・・・
太った看護婦さんが通り過ぎると
「 太ってるなぁ ~ 」
「え? いま、なんて言ったの?」
「 ふとってるなぁ ~」

「 わたしは仕事で出かけちゃうけど、おじいちゃんは
  ひとりで、ガンバってよね 」 って私が言ったら
大笑いしてました。げらげら笑ってました。
さいきんは、笑っていなかったなぁ。

食欲もあって、大きな口を開けて
食べ物を催促します。

とにかく絶好調。
末期とは思えない。

同室の90歳のおじいさんは退院して施設に帰った。
となりの部屋の難病で人工呼吸器をつけていた70過ぎの
おじさんは、昨日あたり、亡くなった。
あの呼吸や音はかなり危ないと思っていたけど
亡くなったから、やっぱり、ああいう音を出すようになったら
駄目なんだな・・・

家のジェンが一番早く亡くなるって
宣告されているのに
まわりがいっちゃうかもしれません。

1時間半の面会を終えて、
今日は明大前の駅でバナナは食べませんでしたが
時間は分かりませんが、寝てしまいました。
起きてびっくりです。

さて、仕事を夜までして
そして、コンドは母の病院へ。

到着したら、病室にマクドウウェルが居た。
母は喜んでいる様子だった。
いつもはやる気を無くして、全身の筋肉がだれ下がっているのに
今日の顔は引き締まって、瞼も垂れていない・・・
緊張することは大事なんだ。

思った通り、夜は布団いちまいで寒かったらしく、
すぐに、簡単なプーさんのもうふと、肩の寒さよけのダウンの上着を
買った。
これでも、寒いっていういだろうな

外はこごえるくらい寒いです。
短時間で家へ帰りました。

夜中に、メーリの散歩がてら
ダイエットにはげんでみました  お腹が空いて、チャモロも食べます
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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。