アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

腹切って死ね

2004-12-31 23:07:18 | 介護
12/31 腹切ってしね

大晦日の夜、ご機嫌でふざけるジェンギンス


12月31日。
師走のあわただしいときも、月日も分からず仕事の無いジェンギンス。
きょうは、少しの物音で戸を開けたり閉めたりうっとおしい。

みんな忙しいから、パジャマのままでもかまう人もいない。 一度パジャマを脱いだけど又パジャマを着たからほって置かれている。

大雪が降ってきはじめたので私は自転車でやさいの買出しに出かけた。

大荷物で雪の積もる中を帰ってきた。
自転車を家の中に入れたけど大荷物で傾いてしまい自転車をとめることができない。
その物音で、早速ジェンがガラス越しに出てきた。
いいこともあるもんだと思って、『開けて!』と言っても開けてくれない。 トントンして『開けて!』と言っても開けてくれない。 『玄関に回れ』と言ってる。

スーに怒鳴られてやっと開けてくれた。
何しろ私は自転車を支えて動けないんだから。

ジェンギンスに荷物を手渡して家の中に入れてもらおうとしても、つたわらない。
又、スーに言われてやっと受け取ってくれた。

最後のひとつは私が手に持って玄関にから入った。

するとジェンは荷物を持ったまま『これをどうしようって言うんだ』 とか、機嫌悪い。
いつもは、仕事を頼むと喜んで動いてくれるのに
あぶないあぶない。

部屋に入ると
『今、どっかではたらいてんのか?』
『いいえ、はたらいていません』
『それどういうことだ』
と、馬鹿は死ななきゃ治らない攻撃が始まった。

『どうしたらいいでしょうか』
『 腹切って死ね!』

さて、おせち料理でも私は作ります。


・・・・そして1時間経過

もう2時をすぎていたけれどオニギリを作って出したら
おいしそうに、ぺろりと無くなった。
わ~~
おなかがすいていたんです。
おかわりのオニギリを作ったら、ぺろりとなくなった。
わ~~
おなかがすいていたんです。

一言コメント (全 2 )
みるき (milkie@gaiax)
オニギリのおいしさは日本人こそが実感できますよね!
sinn (sinn-kirico@gaiax)
おなかが空いてるときのおにぎりってなんであんなに美味しいのでしょうね?w


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うちに帰る

2004-12-27 23:03:53 | 介護
12/27  『 うちにかえる 』
夕方、私が2階にいたら、下でデイサービスの人やジェンギンスの声が聞こえてきた。

帰ってきたんだと思ったけど、スーの声が聞こえないし、変なので降りてみたら、スーのお迎えがないのでデイサービスの人が連れてきてくれたのだ。

『 すーがいなかったですか?すみません 』と私が言ったのがまずかった。

ジェンは、家に入っても落ち着かない。
いすに座ろうともしない。
『 もう帰ったのか? どこへ行っちゃったんだ?
 おかしいじゃないか? どこへ行ったんだ?』
『誰のこと?』
『。。。。。。』

それにしても、スーザンがいないので、トイレに倒れてるかのせいもあるので、あっちこっち探したが居ない。
もしやと思って外へでたら、いた。
バスを待っていた。 大きな車が家の前に止まるんだからわかりそうだけど、、、目がわるいのかなぁ

ジェンは、買えると言って靴をはいた。
もう、聞き分けなく、強引に帰っていく。
スーが追いかける。
外は寒いのに。

しばらくしたら、スーザンが息を切らして戻ってきた。
『坂下で、坂下で、一人で、早く、、』
ジェンに追いつかずはぐれたのか!
急いで、自転車を出して発車させようとしたら
スーがわたしに、メリーの綱を渡した。
え? メリー?

スーとジェンがあわてて外に出たので、犬のメリーが一緒に歩いて付いていったらしい。

坂下にたどり着く前に横断歩道の信号がある。
メリーとジェンはじっと立っている。
でも、メリーは信号の向こうで私に気がついた。
まだ、赤だよ!

やばい!

メリーと目を合わせないようにしたけど、メリーは信号無視してこちらに来ようとしてる。
轢かれる!!
危ない!!

・・・・走行車の間を通ってメリーは渡ってきた。
良かった!轢かれなかった。 綱をつける。

それより、今度はジェンギンスだ。
この人も、信号がわかんないから、私たちを見たらわたってきてしまう。

後から来たスーザンに
メリーより、ジェン!ジェン!と言って
ジェンが横断しないように、あせる!
ようやく青になって、こちらに渡らせた。

私とスーの焦りが伝わって、家に戻ることになった。

家に入ってから、混乱してたけど、発熱してるチョコパンに降りてきてもらって、ご機嫌を取り戻した。

最近少し控えめだった歌声が、大声に戻って歌っていた。


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床屋に行きました

2004-12-26 16:00:10 | 介護
12/26 床屋に行きました
今日は日曜日、ゆっくり起きてジェンギンスに『おはようございます』と挨拶したら、『こんな時間が早いもんか、今頃なんだ』などと機嫌が悪い。
自分こそパジャマで顔を洗っているくせに朝から悪たれついてるわ。

3人で朝食を食べる。
座りにくい席に座っているので場所を移動するように言ったって聞かない。
朝起きたときから怒っているらしい。

歌っていない。 きっと脳みそが寝てるんだ。



スーザンがメリの散歩に言っている間はずっと、お金を数えていた。
歌も始まった。
50円と50円で100円か?500円と500円で1000円か?一万円か?と何度も何度も数えていた。
そしてどうやら、正常なジェンギンスにもどっているらしく、会社に勤めて課長をしていたまでは覚えているけれどその後が思い出せない。・・・といっている。 おかしいな、と繰り返す。
俺は東京で活躍していないか? とか、今の自分が何をしているのかどうくらしているのか疑問に思ったようだ。

昼間はジェンギンスとスーの年賀状を印刷して、宛名を私が書いた。
ジェンはもう書く動作ができないと思われる。
スーは、目が見えないといって老眼鏡を急遽買いに行っていた。 でも、書いて欲しいと願ったので私がでかい字で43枚すぐに書いた。
ところが今年の年賀状だといって出してきたものは昨年のだし、今年の16年度用はまったく見当たらない。 さすがジェンの交際相手は誰か知ら亡くなっているので困った。

いちいち、この人には出していいのか?と尋ねながら書いていたんだけれど、ジェンが横で 『 誰が死んだんだ。聞いていない。初めて聞いた。 誰?何? 誰? 何? 』と混乱している。

人が死んだことに対しては敏感だから絶対口にしちゃいけないのに、スーザンはジェンに誰が死んだ、誰が死んだ、と話してしまうんだ。

あまりにうるさいせいか、スーはジェンを床屋に連れて行った。 
3800円のお金を払って、スーは付き添わずに先に帰ってきちゃうんだから困ってる。
だから、お店の人がこのごろ家まで連れてきてくれる。何年も前から、一人で帰れるかどうかずっと見守ってくれていたらしい。 そこのお客さんが教えてくれた。

ジェンが帰宅すると 『 金、金、金を払ってくれ、財布を忘れて行っちゃったよ。 』と言う。
毎回だ。
床屋が終わると自分でお金を払う習慣ができているんだ。 だから、財布を持っていなくてジェンはいつも困っている。 
毎回、困った思いをさせてかわいそうだな。

わたしは、付き添いたくてもできない。
それでなくても、たくさんの仕事が山ズミだ。

この日も、夕飯のうどんを煮て、夕方4時過ぎに出かけた。

8時半に帰ってきたら、ジェンは寝ていた。でも眠れなくて布団に上体を起こしていた。
夕飯も食べていないらしい。
きっと、また、4時半に夕飯にしたんだ。
いつもそうだ、お昼を食べたあとにすぐ夕飯にするから食べれなくて、そしてやたら早く寝てしまうから、すぐ目覚めるし、おなかがすいてうろうろするし。。。
朝は9時半過ぎに起きているんだから、夜7時には眠るはずが無いんだ。

ジェンは私が夕飯を食べる間起きてきて一緒にご飯を食べた。
寝る前は不機嫌だったそうだけれど、機嫌はよかった。たこ焼きをおいしいと言って催促するほど食べた。

しかし、からだがかゆいと言うので足を見たら、ガザガザで硬くなっていた。
これはひどい。
スーがかゆみ止めクリームをつけていたので、カサカサしているか?と聞いたら、していないと答えた。 でも近眼の私の目でさえ,色素がおかしいとわかって近くで見てみたら、紫色で、かきむしった傷がたくさんあるし、それはひどい乾燥と皺だった。
夕べ風呂に入ったせいだろうか、入浴剤か、石鹸か、、、
石鹸は上手く流していないのかもしれない。
入浴剤は皮膚に良くないのに、スーの判断で入れるのだ。
私とわたしの家族は絶対入浴剤は使わない。
激しいアトピーをここまできれいにしてきた努力は計り知れなく大きいのだ。入浴剤は禁止なのだ。

ジェンの皮膚がここまで悪化してるとは知らなかった。
時間のあるときマメにクリームを塗らないといけない。
まずは、かゆみ止めと、プロポリスのクリーム、あるいは、マヌカハニーの乾燥治療クリームで試すしかない。



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きょうもおかしい!

2004-12-25 16:05:43 | 介護
12/25 今日もおかしい



『帰るぞ!』とチョコパンを誘っているジェンギンス ↑

12月25日 クリスマス

ジェンギンスは遅くまで寝ていた。
起きると世話がかかるので、スーザンも起きて欲しくないのだ。

朝食準備をしていると起きてきた。
たっぷり寝たので起きるとすぐ歌いだした。

朝食中も、口に物が入っているのに歌っている。

もう、頭おかしいとしか考えられない。
私は精神科へ連れていくことを決心した。

近所にあるのは、経験豊かな有名なクリニック。
ケアの人たちが勧めるのは、経験の少ない若い女医さん。 ケアマネージャもケアセンターの人もこの女医さんを勧めるのだけど、じゃあそこに通っている人がいるのかと聞くと、いないという。 なのに、 どうして開業したばかりのここを勧めるのでしょうか。
大きな病院と違って時間をたっぷりとってくれるということだけれど、MRIや血流検査のやり直しは本人にも家族にも大変なことだ。
わたしは、長い経験を求める。 なぜかというと、いま、薬の副作用について老年科の先生に尋ねても適切な答えが戻ってこないわけで、副作用の症例をたくさん知っていれば私の疑問を解決してくれるはずだと思うのだ。
今回の睡眠薬も安定剤もまったく効果がでないで、かえって興奮ふらつき錯乱が現れていることは、適切なアドバイスが欲しいところなのだ。

そして、近所の有名な精神科へ予約の電話をした。

痴呆は扱っていないと言われた。

痴呆というよりもう2週間歌を歌っていることを話した。
そのことだけでいいから、これはどういうことなのか教えてくれないかと、受付のお姉さんに訴えた。
看護婦さんに聞いてくるといってくれた。

『 痴呆を扱う精神科へ言ってください 』 と言われた。
長年精神科をやっていれば、ずっと歌を歌っている人の一人や二人は見たことあるだろうが、教えてくれなかったな~
わたしが受付嬢だったら、もうちょっと親切に答えちゃうがな。

すると、若い女医さんのところだろうか。。。
しかし、スーザンが嫌がる。
とっても自分の病院へ来ることを勧める先生なので嫌な思いをなんか経験したようだ。

インターネットで病院を調べると、痴呆病棟もある病院を見つけた。
見つけたというより、3年位前に東京医大で上手く入院できなかったのでその時研究して勧められた病院だった。

当時は、まだ今ほど痴呆らしくなかったので、鍵をかけてしまうような病室ではまずいと思ったのでそのままになっていた。
でも、いまはこの病院が適切ではないかと思える。

私が働いているのでなかなか行動ができないことが
どうしょうもない。

精神科はお預けとなった。

そして、歌はひどく大声で歌ったりする。
結局寝るまで歌ってる。

今日はバスで中野まで行ったのだけど、バスでも歌い始めたそうだ。 叱ったら、やめたらしい。 2回歌ったそうだ。

家族はほとんどだれだか理解できていないけれど、チョコパンだけは、名前を読んで話してる。
唯一の家族だ。
チョコパンがいなくなると、私をチョコパンだと思って話しかけてくる。 

きょうは、風呂入れに成功した。
ひょんなきっかけで、どこかに帰ろうとして廊下にいたので、お風呂場へ追いやったら服を脱ぐ羽目となった。
スーが指導して風呂に入れるんだけれど、湯船の入り方とかわからないらしい。
風呂は、いつ入ったかわからないほど昔に入った。
デイサービスで入れてくれなかったら、浮浪者極まりない。

夜、杏酒のお湯割を飲ませたけど、口に合わないらしい、4口くらいでやめた。
それに、機嫌も悪くなってきていた。
私たちに、帰れといっているようだった。
私たちが2階に上がって、電気のついているのが見えたとき。 すごく怒っていたな。 スーザンもたいへんだ!
私たちは何を言われたっていいのに、わたしたちをかばおうとするので気の毒だ。

人間て はかない 。

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ずっと家で歌ってた

2004-12-23 16:08:38 | 介護

12/23 ずっと家で歌ってた

歌うときは手も動く。身振り手振りでご機嫌


今日は祭日だったので朝は目覚めるまで寝ていられる。
9時半過ぎにゆっくり降りていったら朝食中だった。 トーストをペロッと食べてあった。快調らしい。
 
休日はたいていオニギリを持って代々木公園へ行くんだけれど、今日は冷たい風が吹いていて、これでは外でオニギリも食べれないだろう。。。
中野アーケード街へでも行こうかとスーザンが言っている。 
そのうち、昼になったので麻婆豆腐ご飯をあげたけど、朝食の続きっぽいので数口しか食べなかった。 食べたがらないのでチョコパンが無理やりスプーンで口をあけさせていた。
そのうち、メリーを家に入れてかわいがっていた。
困るよ!

歌は、歌ってるさ。 
うるさいから、デイサービスで貸してくれたアルファベットのパズルをやらせた。
ジェンギンスは昔かなり難しいのまでやりこなしていた人だったけど、今のパズルのやり方を見ていると脳みその衰えが激しくつたわってきた。

パズルをするときも歌は止まなかった。
私は、パズルを一生懸命しているジェンを見て、どうしてだろ結構イライラした。 ありえない!と思った。 同じ形を同じ形の穴にはめる行為ができないなんて・・・
脳が赤ちゃんに戻っているんだ。
恐ろしいことだ。
昼過ぎに、さて!帰るかな と言っていた。
寒いのに、外に付き合うのは嫌だなと思ったけれど、口だけだった。

夕食はすき焼きだ。
昔、ジェンにすき焼きの作り方を教えてもらったことがある。 砂糖はたくさん入れるんだということが今でも教訓として残っている。
でも、今日のジェンは、何もわからず食べていた。
肉は硬くて食べれないし、人生面白くないだろうな。

歌がちょっとおさまったかと思ったら、どうやら異常精神が始まっている。
なんにでも反抗する。馬鹿にする。話にならない。
それに対してスーザンが横から口を出す。
そして、また投げやりな言葉が続く。

早々に退散。

きょうは、一日どこも行かないジェンギンスだった。


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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。