アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

入院3日目 ボケてる

2020-07-27 21:44:00 | 介護
高熱入院3日目。  今日の熱は37度。

朝10時に担当医との話があると言うので、大汗かいて病院到着。

先生と連絡取れず、会えたのは10時40分過ぎ。

20台の若い先生が20台の研修医を2人連れてやってきた。
若いから話しやすい。

右の膀胱が腫れてるので、抗生物質で治療中。
今日の血液検査でも炎症値が良くなっているのでこのまま治療を続ける。
2週間の治療と考えているけれど、よくなれば早く退院と言うこともあります。

食事もはじめれたら始めましょう。 水は少し飲んでも構いません。

と言われたので(言わせた・・) 持参したポカリを10CC 飲ませた。

母は、元気だった。


心配なのは、


「すごい霧ね、何も見えないわ」
「 今朝はすごい霧だったわよ、何も見えなかった。今もよ。。。」
「田舎の Kさんは帰ったの? 今までここにいて帰ったけど、すごくぼけてたわよ」
「田舎の人はみんなぼけちゃったわね、 Kさんはボケたんでしょ? 」

田舎の話が延々と続いて、なんともよくしゃべっていた。
道が崩れて5人が死んだ・・・って九州の雨のことかしら?

父の強烈認知症介護の経験があるので、 母のこんな思い込み話なんか、全然大したことない。


私が帰ろうとしたら、 「テレビがそこにあるの?」 と天井を指さす。
どうしても人が映っているんだって。

天井に人が見える話は、老人から何回も聞いてる。

父には、本当にたくさんの人がお迎えに来ていた。
私の知らない名前の人もいたから、本当だと思う。
お迎えに来ているひとに、わたしはあいさつしたもの。(父が指をさして教えてくれるから)
父のところに来た人も、父の田舎の古い友達だった。

みんな、親や兄弟じゃなくて、友達がくるのかな? 
私のところには誰が来てくれるんだろう?


CDも聞けるラジオを持参して音を出した。 ラジオって電波悪くて雑音がするんだ。
初めはヘッドフォン付けて聞かせてたけど、 小さな音なら隣に聞こえないので
FMラジオをかけたまま帰宅した。 

「ぽかり10C飲みました。 ラジヲは昼すぎにけしてください 」とメモしておいた。


そして、事務員から宣告されました。


「 コロナの為面会禁止です 」



病棟で待つ部屋の景色。 これなら花火も飛行機も良く見えるわ。




壁に貼ってあった献立表  ご飯は ⇒  めし 




思い込みのお喋りが盛んな母。 ポカリを飲ませたら少ししか飲まなかった。丸2日ぶりにのどに通ったポカリはを 【 甘い 】と言っていた。




長年の眼瞼下垂でまぶたは閉じているはずが、ぱっちりと開いていた。




面会禁止とは困った。 家族が世話をしなかったら、母は生きていけないはずだ。
この大学病院は 介護士さんがいるのだろうか?
私が知っている病院は 看護師さんと介護士さんがいて身の回りの世話は介護士さんがやってくれるんだけど、この病院は事務員さん以外 同じ白衣を着ているので どの人が介護士さんなのかわからない。


心落ち着くお見舞いができなくて残念。 高層ビル群のなかを帰宅する喜びが無くて残念。


そして私は、母のものを片付けているだけで時間が過ぎてしまって
いつまでたっても母の為家族のために生きている。




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入院2日目 コロナ陰性

2020-07-27 13:42:00 | 介護
7/25に大学病院個室に高熱3日のため入院。

肺炎ではなく腎炎の疑い


面会が15分間だというので病院にいきたいとおもっても
母の布団を洗ったり、ケアマネに連絡したり、
母関連の用事に明け暮れた。

夕方やっと動けそうなので自転車で病院へ。

リハビリパンツとスリッパ持参。

到着してみると、四人部屋に移動していた。

新型コロナPCR検査陰性。
ということは、私も陰性なんだろうな。
自分がコロナかと心配をし続けたけどきっと陰性だ。



寝る時はミトンを使用し、管を外さないようにしているそうだ。
納得する。 導尿とかはずしたら大変だ。

100円ショップでスリッパと時計を買って持参した。

個室なのでラジオを買って持参したのに、個室じゃないから聞けなくなった。

全てデジタル化の病室だ。 手書きの名札など無いのだ。





新築きれいな病院。4人部屋 洗面はあるけどトイレは隣の部屋だ。





寝たきり老人の顔して寝てた。
ベッドの背もたれを上げてもらった。

母は、ボケたことを言った。

「 あーこーは帰ったの? 」

あーこー と言うのは母の田舎で55年前にウロウロしていた聾唖者の人だ。
私が田舎に遊びに行くと、ときどき あーあーと家を訪れていた。

そんなことを母は思い出しているらしい。





今日も 💖 がわたしを応援してくれてる。






都庁本庁舎は 青色だった。 きのうは何色だったのか見てない。


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7/25母高熱入院

2020-07-26 10:59:00 | 介護
2020年7月25日土曜

95歳を過ぎている母は3日間38度以上の発熱があるので大学病院に入院しました。

昨日の朝9時半から夜9時までの出来事は、私一人で! 私一人で! 戦った。

誰も助けてくれなくてものすごく大変で母がかわいそうでたまらなかった。

昨日の12時間のドラマは、述べるのに12時間かかるのですべてを記せないことが悔しい。
私だけしか知らない光景が私だけの苦しみになっているのが悔しい。

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7月21日火曜 4泊のショートステイから帰宅。 ぐったりしているけど何でもないという母。

7月22日水曜 寝ていたけれど声を掛けたらすぐ起きてデイサービスへ。熱もなく風呂に久しぶりに入る。食欲は昨日同様ない。

7月23日木曜 祭日 いつも朝起きているのにベッドで寝ている母。 そのまま寝かせて、何か食べたらすぐ寝てしまって、夕方まで起きずに寝ていた。
夕方18時に熱を測ったら38度。  カロナールを飲ませてすぐに平熱。

7月24日祭日 治っていると安心していたけれど、2日前にショートステイから帰ってから歩くのがフラフラ。
急にボケが来たと思った。 パンツも重くなるまでほったらかしで、私が声掛けして取り替えた。おしっこの匂いじゃなくてすごい悪臭だ。  朝昼平熱 16時 38.4度  カロナールを飲ませて平熱



大好きな冷やし中華も2口しか食べない。 チョコパンが冷えピタとかゼリーとか買ってきてくれた。

母は上手く歩けなくてぐったりしているのに、気持ちはいつもと同じ元気で
「どこも悪くないわよ」と言う。のども痛くない。 頭も痛くない。 気持ち悪くない だるくないって。


7月25日土曜
 朝やっぱりベッドに寝たまま。 熱を測ったら38度。

* いつも入院している救急病院に電話したら今日は診察日じゃないと言われて断られた。

* 救命救急相談に電話してみてくれる病院を教えてもらって、タクシーで近くの救急病院へ。

雨だったからタクシーに乗せることが大変だった。




発熱のため別室の待合室で待機して、そこへ先生が来て診察しないで言った。

「 熱中症でしょ、 この時期は熱中症が多いんだから。 どこの病院にかかってんの?
大学病院なんかに行かないでこの年齢なんだから地域の病院で見てもらいなさい。

一応血液検査して、家に帰っていいです。  コロナの人周りにいないよね? 」

熱中症か・・・と思っているうちに 炎症反応がすごく悪いということで、レントゲンを撮った。 そしたら、すごい肺炎ですぐ入院が必要だということになった。

「 ここの病院は入院できないから 」 なんで? コロナ感染予防だな!

先生から東京医大病院に電話して頼んでみてもらうことになった。(看護師さんが電話した)


救急車で搬送されるもんだと思っていたら、「 タクシーつかまえて乗って行って 」と言われた。

タクシー呼んで大学病院まに到着したところまでは悲しいことはなかった。

病院でタクシーを降りたら、いつもいる介助してくれるスタッフが居なかった!
私が、車いすを取りに走って出入り口に行ったら 鍵がかかっているし!!

雨の中母を柱につかまらせて立たせて待たせた。
一生忘れられない母のかわいそうな光景だった。

私は走った。 病院の入口がわからないのだ。 走って、走って、人に聞いて
救急出入り口を見つけ、 車いすを組み立てて、走った。

母は、柱につかまって立っていた。 周りの人が見ていた。 ヒソヒソ見ていた。
あのさ、母は倒れそうなんだから、誰か助けてあげてよ!!
だれか、母を支えてよ!! と 私は走った。  悲しかった。

車いすに座らせ、 トイレに行かせて、診察を待った。








コロナ感染が考えられるので 先生も看護師さんも母の診察のために何十枚もビニールの服と手袋を捨てた。 部屋に入るたび来て部屋を出るたびに捨てていた。




この診察室で横になれたのは良かった。 朝から夕方まで車いすに座りっぱなしだった。




再度 血液検査と CT撮影へ。 下の写真は14階入院する部屋へ行く母。




炎症反応がすごく悪いらしい。 なんかその他も悪いって。
肺のCT画像は、以前と比べても悪くないという。 午前に撮影したレントゲンはすごく悪かったので画像は提出してあるんだけど、先生はそんなものは相手にせず、CTで判断していた。

そして、肺ではなく、 腎臓が以前5センチだったのが7センチに肥大しているので、腎不全などが疑われるらしい。

入院決定 
13時に大学病院に到着して18時20分入院病棟へ。  待たされた~~
母にはポカリを30ccのませたけど、私は飲まず食わずの上に冷やし中華下痢による睡眠不足だったし、 だけど、 私しかいないの。 たくさんの顔が思い浮かぶけど助けてくれる人はいないの。 私だけが母をみるの。

今見てる韓国ドラマだと、母の検査を待つ母にやさしい誰かが飲み物と食べ物を持ってきてくれたり、 交代するから少し休んだらいいよ と優しい人が現れるんだけど、 現実はそうもいかない。


   
14階の入院室へ、 18時にコロナ検査をした母。 結果が出るまで個室。
いくらなんだろ? そんなこと知るまでもなくお願いした。

元気な口調で入院室に入ったのだが、
導尿の管をつけられてしまい、母は寝たきりとなった。
呼び出しブザーを押すこともおぼえられないだろうから、
どうなるか心配だ。


待っている間、ひ孫の動画が送られてきて、母はすごく喜んで見ていた。

今日も明日も見せてあげたい。
面会時間は15分間だけだ。

無音の中に母はねているのでラジオを買おう。 

このだるさを乗り切って、母のところに行かねば! だるい。 コロナかもな。






傘も持たずに朝家をでたけど、雨も止んで徒歩で帰宅。
都庁の向こうで 💖 、そして、20時の花火打ち上げの音。

ハートと花火が応援してくれた気がする。 私をだ。 心が疲れちゃったから。


帰宅して、韓国ドラマでは 「 お疲れ様 」と言って暖かいチゲ鍋の夕飯が用意されているんだけど、現実は、誰も助けてくれず、冷凍チャーハンをむなしく食べた。

温かい家族をたくさん作ることは大事なことだと思った。



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コロナ感染かと思った・・・

2020-07-23 13:29:00 | 介護
7月23日(水) 祭日。  何の日か知らない

世の中は連休らしいけど、わたしには休みなんかない。
母は、昨日4日間のショートステイから帰ってきてぼ――――っとしたままで
おかしくなっている。
わたしは、母の匂いがするだけで、気が狂いそうだ。
だけど、私しかいなくて、母のいいことも悪いこともすべて私のせい。

あれもこれも、なんでもかんでも母のことは私のせい。 

最近、わたしの首から上がコロナっぽくて感染したかなと思った。
もしも感染だとわかれば、 ニュースに出てしまう。

・音楽教室感染源
・国営放送局感染者出る
・老人介護施設感染者出る

ニュースに出るのが怖くて病院に行けなかったけど、具合が悪いので新宿のコロナ感染地域の病院へ行った。

PCR検査はしなかった。 ホッとした。 感染となったら感染した原因は不明ということに絶対する。 立ち寄ったところも、内緒にするところがある。   隠すことがいっぱいある。


鼻とのどとアレルギーの薬を出してもらって、ちょっと処置してもらったら頭の重いのがとれた。

近所の薬剤師さんが、この薬ならいつもの内科ででますよ・・・と言ったけど、
内科と耳鼻科は処置が違うし検査が大きく違うから、首から上が調子悪い時は耳鼻科がいい。

毎回、あの長い綿棒をのどまで突っ込まれるけど、宿命だ。 我慢するのだ。




母の髪の毛をカットして白髪も染めた。




昔 宝くじで当選した100万円のすべてを独断で歯につぎ込んだ母であったが、
その高価な差し歯が取れた。折れたのだ。 40年前にしてインプラントみたいな埋め込みの歯なのだ。  大雨の中、車いすで私が濡れながら歯医者へ。





ある日のデイサービスお迎え待ち。






7月16日 ショートステイ4泊へ 





ある日、メダカが沢山死んでいた。 原因不明 
少し経ったら、別のバケツでも死者が多数出た。 コロナだ。



久しぶりのフラワーアレンジメント教室
夏は花が持たないので緑中心。



毎年、朝顔の種をいただいていた仲間が亡くなってしまったので、
小学生からもらった種。
早咲き用に品種改良してあるらしい。 背が低いのにもう花が咲いた。

こうやって、品種改良・・・人種改良して世の中は進んでいくらしい。
だから、このごろ変な人種が増えてきた。
正常ではない子供が増えてきた。






いつもいつも買い物に行くスーパーの隣の道を歩いてみたら
結構大きな寺だった。 





認知症のテレビを見ていたら、母の担当医が出てきた。
父と母のおかげで先生は立派になられた。


私が幼少のころ着用した着物がメルカリで売れた。
骨とう品3000円。
アンティークドールを作っている人に譲った。
私がこの着物を持ち続けたところで、誰かに着せるにもふるすぎるし、
活用してももらえる人に使ってほしい。






このタブレットで、わたしがすごい勢いで韓国ドラマをみているのだ。


①愛の不時着
②よくおごってくれるきれいなお姉さん
③ある春の夜に
④梨泰院クラス
⑤トッケビ
⑥ユヨルの音楽アルバム
⑦サイコだけど大丈夫
⓼1パーセントの軌跡
⑨ここにきて抱きしめて
⑩ロマンスは別冊付録


ただ単に2時間ドラマではなく、16話のシリーズものだから一つ見るのに25時間必要なのだ。
それを猛スピードで、まるで死を急ぐひとのように見まくっている。

そして、韓国ドラマの評論家になれるほどだ。
単純なラブストーリーをみるだけのあわれな主婦ではないことをわかってほしい。

 
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脳血管MRI検査

2020-07-07 13:03:00 | 介護


2020.7.2
1年に一度の脳血管MRI検査日だった。
結果は、昨年と変わらない大きさで、3.1ミリ。
先生にお願いして写真を撮らせてもらった。
3年前はボケボケの映像だったけど、病院新築して画像がすっかり良くなった。

ことしも無事に検査終了。

昨年もう一つできていると言われて、確かに腫れている動脈瘤は、
なんだかんだ説明されたけど心配ないものなんだって。

腹痛のことを訴えようと途中まで言いかけたところで、
薬の処方の話となって、中断させられて言いかけて終わった。

偏頭痛のイミグランがもう出せない薬となったんだって。
他の薬は出せるけど、体に合うかわからないから、、と言われて、

とにかく、血圧の薬を飲み始めたら、あの頑固な頭痛が治ったみたいなので、
イミグランも必要ない一年だった。

7月2日検査日。


1年ぶりに新築の病院へ。
検温のために並んだ。 検温している検査人は1人だった。
36.5度




病院のエントランスは公園みたいに草木が増えていた。





MRI終了して、帰り道の神社でお祈り。
知り合い全てが元気でありますように!って。
自分の脳血管についてはお願いしなかった。
だって、いまさら、神様がわたしの病気を治せるわけがないのだ。





病院そばのおせんべいやさん。 いつもはコーヒー飲めたり、試食が在ったり、
お買い上げ金額によってぜんざいを無料で頂けるんだけど、コロナのせいで何もなかった。




検査の後は、青山1丁目まで足を延ばしてさんぽ。
大好きなドレスがあった。 11万円。 すごく好きだ。 でも入らない。 がっかりな自分の体形。







病院帰りの楽しみ。 一人ランチ。 

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そして、検査結果の7月7日(火曜)


熱いから、少しおでこを冷やして検温。 36.3度



診察終わって会計の列には、お相撲さん。 まだ痩せてる。これからのひとだな。




外に出て、知り合い全部の健康をお願いする。 検査結果が無事であった感謝も述べたが、お願いしたわけでもない。  縁結びのなんかや、お百度の石とかあった。 効果あるかな?





いい匂いがすると思ったら、神社の中に食べ物の車が2台。
こんど、ここで食べてみようかなと思った。





病院帰りのたのしみ。 青山1丁目で下車して明治神宮外苑散歩。
持参したおにぎりをベンチで食べる幸せ。 一人外苑ランチ!






おにぎり食べて帰ればいいものを、デブだから、いつものカフェでアイスコーヒー飲んだ。
コーヒーだけにしとけばいいものを、デブだから、アップルパイまで食べてしまった。
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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。