アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

あすもあさってもいなりずし

2010-05-27 19:42:00 | 介護


いいよいいよ、いなりずしが何日続いたって、元気でいてください。
トマトもきゅうりも冷蔵庫に入りきれずお陰で野菜を取ってます。

テレビの前の 「 おすしを買ってこないこと 」っていう立て札も役に立っていません。 母に立て札のことを言ったら、「いなりずしは寿司じゃない。稲荷ずしだ 」っていわれました。
言い訳の多い、負けていない母です。おかげさまです。

今年は町会の班長で、今度は町会費 一軒1800円を集めて、町会の総会の委任状を書いてもらうという厄介な仕事が回ってきました。

生きがいのない母にやってもらいました。
昔さんざんやっていたように、箱を持って近所を回っていました。

奥さんが亡くなった家には、かわいそうな話を聞きに行く楽しみがあります。 おばあさんが入院している話とか、そういうことは記憶から消えないようです。 世間話をして、脳が活性化されたことでしょう。

昼間も夜も留守の家があって、それはしつこくこだわっていました。
一日中、その一軒のことが気がかりらしく、文句をたれているので、昨夜、私が集金して来ました。 ああうるさいうるさい。。。

むかし、警察署の行事で子供たちを芋ほりとか芋植えに連れて行って、子供たちに作業をさせるんだけど、行動が遅く、覚えもわるく、待っていられないくらいだった。でも、やらせなければいけないのだ。

今回の母の集金も、自分がしたらすぐに終わるのに、母にさせなければ生けないのだ。

昔は50代で寿命だった人間の社会だけど、人間50代を過ぎると、だんだんだめだね。

だけど、死んで欲しくないから、長生き対策をしている人間たちです。
生きているってくるしいけど、死にたくない。お別れしたくない。
楽に死ねたとしても、じゃあ、今日でみなさんさようなら。。なんて勇気がなくてできないな。



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今日も明日もいなりずし

2010-05-24 16:25:00 | 介護


今日の夕飯も、昨日の夕飯も、明日の夕飯もわたしのゴハンは稲荷ずし。

いいよいいよ、元気で何よりです。
でも、元気じゃない。

昨日は、お昼の残りのゴハンを暖めて夕飯にしようとしていたから、夕飯はあるから待ってもらおうとしたら、「 あたしは、おなかが痛いからそんなにいらない 」と胃を押さえていた。

だったら、6時前の早い時間にご飯なんか食べなくて良いと思って、おなかが痛いなら今食べなくてもいいんじゃないの? って聞いたら、
おなかがすいて痛いのかもしれない といっていた。

母は、土曜にショートステイから帰宅しました。
それ以来、なんかおとなしい。

でも稲荷ずしは買ってくる。どうして買ってくるかっていうと、お昼を食べていないから買ってくるのです。
どうして稲荷かっていうと、近所のスーパーでこの何ヶ月か、美味しそうにいなりずしが並んでいるのです。

母は稲荷が好きじゃないから、1つ食べるのがやっと。
だから、わたしの夕飯だ。

その、母が帰宅した土曜日。

チョコパンに呼ばれて代々木公園に私は1人で行きました。
ラオスフェアだったかな。ベトナム料理の祭典をしてました。
チョコパンの会社のテントも出て、同僚がいるって言うから行って、なんかに登録して
ラオスビールをもらいました。

0033の国際電話にも登録して、日傘をもらいました。

ベトナムの黒い人たちは元気が良かったです。
なんか、明るいの。
ぜったい幸せそうなの。
日本でレストランを経営していると儲かるんだろうな。

マンゴを食べたり、ビーフタコスを食べたり、バターチキンカレーをたべてラオスを味わいました。
帰り道の代々木公園のバラ園は、とっても綺麗でした。
母を連れてきてあげたいと思いました。
生きているんだから、いまのうちに孝行しないと。

今度の日曜は連れて行ってあげよう。


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大学病院検診の日

2010-05-17 01:31:00 | 母の介護
母は2ヶ月に一度大学病院に通っています。
父も通っていました。
どこも悪くなくても通うのです。
先生も、次は2ヵ月後に・・って言うから通院は続くのです。

いつもは面倒くさい通院でしたが、こんどは違います。
もしかしたら、検診日の前に救急で診てもらうことになるかもしれないと、私も母も思っていました。

母は、目の奥が痛くて、その痛みが頭にまで響いて頭痛が毎日続くというのです。 眼科先生からいつも緑内障発作が起こるかもしれないといわれていたので、それが心配でした。

結局眼科では、緑内障発作ではないといわれ、4月12日の手術も綺麗になっているという。 ホントかな? こんなに目が痛いのに。

次はいつもの老年科。 頭痛の説明をしてすぐにCTを撮ってもらった。

緊急のCTだけど、1時間待ちだったので、母と地下の売店に下りて、お茶を飲んで草大福を半分ずつ食べた。
母に、何を食べたい?ってきいたら、草大福だって。
母は昔から草もちが好物です。

そして、CTの結果は、特に頭痛の原因になるものは無いって。
ただ、脳梗塞が気になるらしい。でもそれは昔からあるのです。

認知はその脳梗塞のせいで出ているそうです。
その部分の脳梗塞は、物忘れと、尿漏れになるらしい。

病気のせいで物忘れをしているんだから、物忘れをあきれて見ていちゃいけないんだ。母の物忘れをかばってあげなければいけないのだ。
・・・母と離れていると、やさしさは生まれてくるんだけど、いつも物忘れと付き合っていると、もうたいへんなんだな・・・

とりあえず、頭痛は大丈夫らしい・・・
しかし、目はつぶれ状態だ。ちっともよくならない。
美人だった母も目がクシャクシャでつぶれちゃってもう見れたもんじゃありません。かわいそうに。

わたしは、午前中のアルバイトを今月引き受けたので超!多忙です。
母を病院からタクシーで連れて帰って、そしてすぐ五反田へ向かいました。

母の薬は、母に取りに行ってもらいました。
病院からは、ウツの薬や、めまいの薬や、高血圧の薬がいっぱい処方されていますが、胃の薬と、バイアスピリン以外はあまり飲ませていないので、鉛筆で消して薬屋さんに持っていきます。
欲しい薬だけもらっています。

うつ病の薬は薬屋さんになれるほど家にたまっています。

近所の薬屋さんは、たいてい在庫がないので、次の日にもう一度取りにいくのですが、母は忘れずに取りに言ってくれました。
イチョウエキスのお陰でしょうか。
おしゃべりも、よくしてくれます。

母がうとうとして、夜目が覚めたとき、
「 ちょっと、玄関の電気をつけておいて!みるき~の仕事のひとがくるから 」と急に言い出しました。

寝ぼけて時間の勘違いをしたのですが、こうやって母は、いろいろなことに気を回しながら暮らしてきたんですね。
いつもいつも夕方になると階段と玄関の電気をつけてくれるのは母です。

こんなに年を取ったけれど、

玄関の掃き掃除をして、鳥の世話をして、自分の食事は自分でレンジで暖めて1人で食べて、自分の洗濯は自分でして、自分で取り込んで、しまって、
洋服も自分でか買ってくるし、海苔巻きも買ってくる。
毎日きゅうりとトマトも買ってくる。緑の漬物とインスタントラーメンも豊富です。

母が生きていてくれるのはありがたいことです。
ずっと、いまのままで居て欲しいです。
そして、すぐに
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寄付金集め

2010-05-14 01:43:00 | 母の介護
母の認知は、そうでもない・・・と今日感じた。

この町内に戦後から住んで、もう60年も経つだろう。
わたしじゃないよ、父がここに住んで60年。

2丁目町会があって、班長が15年に一度回ってくるの。
そして、今年はうちが班長で、町会費を集めたり、ねずみ殺しを配ったり、寄付を集めたりするの。

今までは母が町会の仕事をバリバリリーダーらしくやってくれていました。
さて、昨日赤十字の寄付金を各家庭から集金するようにと、町会から言われて、集金袋が渡されました。

これからは、私の仕事になるのだろうかといやな気持ちがしていましたが、
ド暇な母に、強制的にやってもらうことにしました。

一軒ずつ回って、100円~300円の寄付をもらって、封筒に入れて、一番上の紙は領収書として、その家においてくるのです。

母はちゃんと、箱に入れて一軒ずつ回ってお金を集めてきました。
領収書も渡ししてあります。
封筒にちゃんとお金もいれてあります。

絶対に、わからなくなるだろうと思っていましたが、
できてるし。。。
各家で、どんな話をしてきたのかは怖くて聞けません。
きっと、何回も同じ話をしたり、いい加減な会話をしてきたことでしょう。

そんなお仕事をして、元気になっているだろうと思いましたが、調子が悪いです


とにかく、4月12日に手術した目が痛い!
目玉の奥から痛くて、頭も痛いという。
ドキッとする。
それって、よくない。
絶対、よくない。

何回手術しても、どんどん悪くなるばかり。
どんどんどんどん悪くなる。

母は、「 あの病院はダメだ 」というけど
どこに行っても解決しない目だ。
母の姉も、同様の目をしているんだ。遺伝かな。
わたしも、こんなにクシャクシャにつぶれてしまうんだろうか。。。

目がつぶれる前に、わたしは破産するんだ。

どうしよう・・・さいきん お金がありません。。。
本当にどうしよう。

====

7月に12日間ハワイに行きます。

世の中には親切な人がいるもので、
とても美しくて上品なかたが、メリーの面倒を見てくれるというのです。
わたしは、10日間家族が留守だと、猛烈に悲惨な悪臭のごみ屋敷となる玄関でとうてい、上品なその方にメリーの注射を頼むことができません。

それなのに、汚くてもいいからメリーに注射をしてくれるというのです。
あげくに、「お母様がショートステイに行きたくないというならば、わたしがお母様にお声をおかけしますよ」といって下さるのです。

わたしは、父の壮絶介護をしているとき、
本当に大変で、だれか、私を助けてくれないかと思いました。
このブログの友達は、助けてくれるって言ってくれました・・・
ああ、いい人はたくさんいるんだ・・・

で、

母は監獄のショートステイには行きたくないという。

家に居させてあげたいけど、
火が心配。
買い物が心配。
曜日がわからないから、デイ日もわからなくなるだろう。
デイのお迎えの時間も記憶できないし。。。
階段が危ないのに2階に上がってくるし、

母が家に居てくれれば
鳥のえさと水を替えてくれる。
玄関を綺麗にしてくれる
ごみを捨ててくれる
メリーーにえさをあげてくれる
戸締りをしてくれる

いやいや・・難しい。




こんなゴハンが続く私の夕飯、
でも、やせない。
おなかがいっぱいにならないから
甘いものやお菓子をいっぱいたべて、
わたしは、もりもりもりもり、ぶよぶよぶよぶよしてきました。
でも、

それは、ゆるせない!!
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母の日

2010-05-10 01:00:00 | 母の介護
昨日は母の日だった。

母というのはこの家には1人しかいない。
なんとも、口うるさい母で、ああだこうだと教育してくるんだ。
世の中の全てを否定して、もうあきれるくらいうるさくてたまらない。

今日は、ビタミン剤が買ってあった。
胃の薬の新しいのが封を切って飲んであった。

「 また買ってきたの?たくさんあるよ。」
って言ったら、
母は、ムッとして言い返してきた

「しまっちゃったら、わからないわよ」

・・・・・たしかに、たくさんの目薬や胃の薬はしまってあるけど、買ってきたことを覚えて、しまってあるところを覚えてくれればいんだけど、
無理なんだな。。。

これだけ口うるさく現役で教育してくる、母であるのに、買い物に関しちゃ、記憶喪失だ。
主婦だった人は、ぼけたら買い物をするだろうな。
わたしこそ、ごっそり買うんだろうな。
でも、わたしは、母みたいに年金が無いから、貧乏だよ。

母は、階下にいるせいもあって、暖房をつけてじっとしています。
ビタミン剤を買ってきたところを見ると、だるいんだな。
目だって、痛いというし。。。

これで母の命が限界に来たとき、どうやって死ぬんだろう?
たおれるのかなぁ
気持ちが悪くなるのかなぁ
起き上がれなくなるのかなぁ
熱の出る日がおおくなるのかなぁ
母には、植物人間でずっといきていてほしいなぁ
父も、植物人間で今頃生きていてくれたらよかったなぁ

生きててくれるだけで、支えになってくれているもんです。



チョコパンとマクドウウェルがケーキを買ってきてくれていました。
なんてやさしいんでしょう。
夜みんなで、また、丸ごとケーキのままフォークで食べました。
他人には見せられない光景です。

夕飯は自宅で焼肉です。
どういうわけか、すごく久しぶりの自宅焼肉です。
それもこれも、チョコパンが就職して残業ばかりで土日出勤だから、家族団らんが無くなっていたのです。

団欒の復活です。
失業の団欒です。




日曜日に家にいると、家族が楽しく団欒できます・・
これも大事です。
でも、家族を捨てて外出するのも大事です。

両立です。

むかし、年賀状に 「勉強とクラブを両立させます」なんていう決まり文句を書いたもんですが、いまじゃ、家庭と遊びを両立させますです。
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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。