アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

もう、大変なんです

2014-04-26 10:58:00 | 介護
4月5日の私のお仕事のイベントが終わったから、どれだけ楽になるだろうかと思ったけど、
ちっとも暇なんかありません。

次から次へとやることが降ってきます。
どんどんどんどん降ってきます。

携帯メールと、フェイスブックメールと、パソコンベールとラインメールと母の電話と自分の電話と携帯電話が 同時に来たんです。 本当です。 一気に私のところに押し寄せたんです。

そんなものが来ても、本当は多忙で憂鬱になんかなりませんが、
母の重みがあることで私が苦しいということが
今週、よくわかりました。


本日、デイサービスの準備をして玄関で待っていましたが、なんと!
お迎えが来なかったのです。 忘れられちゃっていたのです。

でも、新入社員の間違いだろうから、わたしはだれにも言いつけず、誰も責めないことにしました。 そして、母はデイサービスを休んだので今日の土曜日は家にいるわけです。

それで、済むはずが・・・

母の怒りの文句が始まっちゃったのです。長時間にわたって文句がとまりません

「 なんで迎えに来ない!!  社長が悪いんだ! あそこは病院が経営してて社長は一回も顔を出さないから、上が悪いんだ! もうあそこは辞めよう! あそこは夜だって泊まれないし」

そして、一回午前中に母は昼寝をしましたが、起きてくると

「 どうして私は今日デイに行かなかったんだっけ?
・・・なにっ! 迎えが来なかった? 
わたしは、あそこと喧嘩したことがある、、、もう来ません!って喧嘩したことがある」

・・・喧嘩なんかしてませんよ、寝る前にきっとそれは母が考えていた事なんだと思います。

せっかく、デイを嫌う母を休ませてあげたというのに
文句ばかり並べて・・
こちらの精神がまいってしまいます。
母が喜ぶとおもってやすませたのに、この心労は寿命を縮めます。


ああ、また言ってる・・

「 デイは今日来なかったわね。  わたしは喧嘩でもしたかしら?
時々私は何を言うかわからないわよ、すごくきついことを言う時がある 」

・・・けさ、相当怒っていたから、脳みそにその記憶があるんだな・・・


昨日は 私が新宿の大学病院診察付き添い・ 歩く気力のない母は往復タクシーだ。
帰宅すると、わたしはお湯を沸かしお昼を準備し(病院の売店で買った)、薬を取りに行き、、、
専業主婦じゃないので一つ一つが大変だ。 他にしなければいけないことや頼まれ物やお仕事のしなければいけないことがたくさんあるのに。

キッチンの茶碗も数日洗ってない。


病院診察のあと、売店に寄ってお昼のサンドイッチと夕飯の親子丼を買いました。
大好きなヨモギまんじゅうを勧めても 
「甘いものは食べないわよ」と拒否されました。
甘いものしか食べないくせに・・・

月曜は歯医者に付き添って、
付き添ったが、あとが大変で虫歯を削ったせいで、痛い痛い と言い続け
そればかりか、
「 あの若い医者は下手だ! 若い医者はやっぱりダメだ! どうしてあんな歯医者にいったのか? ダメだ 下手だ 」
・・・

ほんと、病院の付き添いも食事の支度もすればそれで終わると思ったら大間違いだ。
文句の嵐だ。

母が言いたい放題文句を言うのは

私が優しいからだと私は本当に思った。

だって、病院の付き添いの人を見てると
腹が立つくらいキツイ付き添いがおおいいんだな。
認知の人はみんないじめられてた。

ポロシャツを2枚着てきてしまったおじいさんは
おばあさんに、とことん馬鹿にされてた。

ああ、なげかわしい~

結婚相手は上品で優しくて馬鹿にしない人を選ぶことが重要です。
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母の苦悩がつづく

2014-04-17 09:22:00 | 介護
わたしがシンガポールに行っている1週間は、いつものショートステイに母は行っていました。

ここのショートは問題なくいつもすごしていましたが、
今回は何かあったようです。

一人のスタッフが意地悪だったそうです。

帰る日に母が自分で荷物をバッグに詰めたら、
意地悪を言って、荷物を出されたというのです。

持ち帰ってもなんでもないものをバッグに入れたら、意地悪を言われてだされてしまったそうです

母は、そうとう嫌な思いをしたらしく、この3日間そのはなしばかりなんですが、
一眠りするとそれが、夢なのか現実なのかわからなくて混乱しています。
そして、何が起こったのかの記憶もなく、ただ、嫌な思いだけが残っているようです。

自宅まで送ってくれた運転手さんが
「 やめないでね、気にしないでね 」と言ったらしいのです。


母の荷物を点検すると、たしかに、むこうの備品であるリハビリパンツが入っています。
母には、何が備品でどれが自分のものかわからないので、これはしかたがありません。

とにかく、老人を馬鹿にしたと、文句を言い続ける母です。

たぶん母が悪かったんだろうけど
老人を傷付ける言い方はして欲しくないもんです。

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ショートから帰って、早速母は寝たきり老人となっていますが、
外で起きた事故には敏感で
一度目は事故現場のそばで見ていて、
二回目は杖まで持って外へでていくのです。
隣の家の人に 「 危ないわよ 」と注意されていました。



交通事故多発の自宅前なので私も事故には慣れているけれど、
今回の大量出血・意識ほとんど無しには体が震えました。
自転車の単独事故かしら、それにしては重症で命の危険も感じました。

この事故現場に花が置かれないことを祈るばかりです。
今は、大量の血痕だけ

事故にあった人が車にひかれないように、二人の通行人が道路で声を出して車を止めていたのには感動しました。


 
ベッドから起きて一人で見に行く母。
わたしは何も言っていないのに、事故を感じ取った母です。
災難に敏感な母であります。


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シンガポールに行ってきた

2014-04-14 18:26:00 | 介護
女友達と二人で初めてシンガポールを訪れました。

2年に一度の大きなイベントが終わり、お疲れ休みに旅行に行く習慣があるわけですが、体調悪くて行きたくなかったし、一緒に行く友達が、どうも・・価値観が違うのでもう懲り懲りかとおもっていたのものの、彼女は楽しみだにしているというので、行ったのだ。

2年経つと、何の価値観が違うのかわすれてしまうけど、思い出したわ。

★ 買い物の違いかな・・・

わたしは、観光地で観光地らしいものを買い、観光地らしいものを体験したいのだ。
彼女は、孫の洋服とかブランドものを見るのだな。 それも、私がズーーと我慢して待っていると、かならず何も買わずに帰ってくるんだ。 


★ わたしは、どこにでもあるブランドショップとか普通の洋服屋は見たくないんだ
 彼女は、シンガポールらしい現地の屋台みたいな食事には目もくれない。
そして、極めつけは 「 チャイナタウンなんか行かないわよ、中華だったら日本で食べればいいわ」 って・・だって、シンガポールの観光地なのに。

★ シンガポールらしい、リトルインディアとかに行っても嫌がっている様子だ。
  ここで、本物のカレーが私は食べたかったよ! 黒い男の人が怖いらしい。

★「 こわい、こわい、こわい、こわい 」 ばかり言って、すぐそこのトイレへ行かせても入らないで戻ってくるんだ。 地下鉄に離れて座ることもイヤみたいで、彼女の隣の椅子が空くと
「ここあいたわよ、早く来て」 って私を呼ぶの。

★お土産を買うとき、別行動にしたんだけど、今回も彼女は何も買わずに2時間後に集合場所に現れた。 お土産は一度で済ませて観光したいな

★どうしても行きたいっていう立派なホテルへ地下鉄で出かけた。
彼女の目的は、そのホテルの紅茶をひとつ買うことだった。

~~~~~~~~

そんな愚痴はことしもまもなく忘れるからいいけど


旅行へ行く前に頭痛で抗生物質までのんで頑張った。

鎮痛剤を定期的に飲んで、ときどき偏頭痛の薬ものんでなんとか頑張って出国した。

ところが、どうも腹具合がわるく、
痛みのある下痢ではなく、いつもと違う下痢が2日ほど続いた。
腹痛がないからよかったものの、トイレに行けば下痢がでた。

これは変だと自分を診察し、、、薬を一切やめた。 きっと副作用だと判断した。

そして、やや治った。 ふ~~~

6日間のうち、最初の2日は 頭痛と下痢 最後の2日は頭痛

結局、わたしの人生は、3分の2が頭痛と下痢らしい。


~~~~~~~~~

本日14日月曜日、シンガポールとマレーシアから帰国。

家には誰もいなくて、充分休めた。
あすは、午前に母がショートから帰ってくる。


生きてるだけで忙しいな



知らない人に写真を撮ってもらった。




チキンライス食べた。
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あたまいたい~

2014-04-07 12:43:00 | 介護
2年に一度の大きなお仕事のイベントが無事に終了しました

こんなに頑張ってい良き日を迎えましたがスタッフへのお礼や経費で赤字であります。

出演した子供や大人は、大変マナー良く、きちんと立派な態度でした。
これが私の自慢です。

演奏中は立ち歩かない!
お辞儀は深くきちんとする!
幼児を騒がせない!

とにかくきちんとできたのが嬉しい。

~~~~~~~~~

イベントの前日からいつもの頭痛がやってきて
偏頭痛の薬を飲もうが、痛み止めを飲もうが治らない。
がっかりだ! この頭痛。
大事な時にはいつも頭痛。

今日で4日目だから、
耳鼻科で別の薬を処方してもらった。

飲んで30分・・・まだ痛い。


多忙のイベントが終わったからどんなに楽になるかと思ったけれど
頭痛を持ちながら、母の世話はたいへん苦しい。

階下に降りてくれば戸が開けっ放しで閉めて回り、
電気ポットには何回も水をいれ、
お菓子の補充をし、
3食の準備・・

自分の洗濯
人の洗濯

一人暮らしがしたい

ひとり暮らしっていうのは一人で暮らすことではなくて
他人と関わりたくないっていうことです。

わたしにもう誰も何も言わないでくれないかな。


うんざりだ


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なんにもできない母のショートステイの準備をしないと

旅行に一緒に行くなんにもしない人の分の手続き一切をしなければいけない

唯一、母の歯医者は姉が連れて行ってくれる・・

インコのピーターはホームステイに送り出した。

頭痛い・・

あと1時間はんでお仕事だ。


薬を飲んで2時間たった・・・やや楽になったので動けるようになった。
だから、花の種を蒔いた。
ボトボトおっこちてくる椿の掃除は、となりのビルのお掃除のおじさんにやってもらった。

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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。