アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

背中のコリとか

2013-10-22 01:55:00 | 介護


チョコパンがおばあちゃんを見て笑いだすのです


笑いが止まりません! 大笑いです!

入れ歯を外した母がいたのです。
それは、それは、おばあちゃん顔になってしまっていたのです。

~~~~~~~~~~~

母の世話より自分の心配ですが、、

母は、無事にショートステ3泊より帰宅しました。
これからは、家族の付き添いがないという形にしてもらったので、もう私と一緒の入所退所はありません。 荷物も点検なんかしなくていいとお願いしてあります。

ショートステイに行くのは、荷物の記録表と薬の袋詰め(名前と飲む日にちを書く)の準備が大変なんです。 だから、この準備はだれにもお願いできることではありません。

おまけに、母の下着は大量にばらばらにあって、おまけに大量に着込むのでもう大荷物です。

大荷物でショートにでかけたにもかかわらず、家には大量の母の洗濯物がたまっていて何回も洗濯機をまわします。

母は、寒くて寒くて大変です。

あ、それよりも、今朝起きたら電気ストーブがつけっぱなしだったのです。
あやうく火事になるところでした。

電気ストーブは、家具に密着してつけているので、長時間のつけっぱなしは家事になります。
こわいこわい~

毛布で寝ていたわたしがやっと布団を出したところなのに、
母は、厚い羽毛布団を2枚とホカホカの毛布と、ホカホカのシーツで寝ています。

それにもかかわらず、
『 ちょっと! 冷房つけてんの? 』ってベッドの中から声を出します。
布団に入っていても寒いということは、体から熱が発しないってことなんでしょうね。
冷え性じゃない私は、布団さえかけていれば寒くないので母の気持ちがわかりません。


さて、わたしの体調は、どこかへんなのです~~
今日はだいぶ良くて、 背中のへんなコリと痛みだけです。


午前中は、子宮がん検診に代々木のクリニックへ行きました。
ここは、いいわ~
すぐに超音波で検査して画像を見ながら説明してくれました。
内膜も厚くないし、筋腫の跡があるけれどそれはもうほっといて大丈夫とのこと(筋腫なんて今までなかったけど・・・) まっすぐだって・・・なにが?

細胞診で先生は途中で私の細胞を調べに行ってしまった。。。
そして、再検査にならないようにもういっかい細胞を採取した。
何をこそこそ調べているのかと心配だったが、
細胞をたっぷりとったということです。

見かけは異常なしでした。
ちょっとホッとした。

肝臓の血液検査の値が悪いことや、微熱が続くことを先生に聞いてもらいましたが、どうも婦人科とは関係がないらしく、ポカン ?って感じでした。

だめだ、婦人科で肝臓の話をしても・・・

誕生日検診でもういっかい検査して、エコーだな・・・(自分で診療計画を立てる)

午後は、整形外科で肩と背中のマッサージ2回目。
一回目は、土曜日に駆け込んだ。
次の日に外出の用事もあったし、そうとう背中が痛かったのだ。
火曜の今日が2回目 (7月の分は別勘定)

気持ちがいいというより、指圧の痛みに必死で耐えた。
激痛かった。
早く指をどかして!!って感じだ。

となりのベッドでは 『 イタイ イタイ 』て大声あげてる人もいる。
わたしは、どんなに痛くても大声はだせません。

施術後は、とくに体も楽になったわけでもないような・・・
490円払って今日は早めに終わってもらいました。
火曜は、3600円くらい支払って40分だった(初診料含む)

最初の10分は保険で490円
次の10分 1000えん
次の10分 1000えん
次の10分  500えん

・・・あまり長くても痛いだけだ・・・

家に帰って熱をはかったら平熱だった
血圧を測ったら、 めずらしく 普通だった。

このまま維持できますように・・・


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頭痛復活

2013-10-17 00:51:00 | 介護
2013年10月17日 木曜日

もう10月か・・
夏が終わると今年も終わりだ。
新年がくると、すぐ夏だ。

4月5月6月7月の4ヶ月は 偏頭痛で毎日苦しんでいたけれど、
8月9月は 偏頭痛がきえてしまい快適な日々をおくりました。(咳は出たけど)

それが、  片頭痛復活

13日日曜日の朝から、頭痛が始まった。
痛かったけれど外出の予定があったので薬を飲んで出かけて気が紛れて夜に帰宅した。
次の日も次の日も痛くて・・・
薬を飲んで外出し、気が紛れて帰ってきた。

熱を測ったら、 微熱だ!
血圧を測ったら、190とかあって驚いた。
何回測っても測るたびに違うので、病院の待合室まで歩いていって測ったら正常だった。

熱も右脇と左脇で1度違うから正常なのかどうかがわからない。

午前中はだるくて具合が悪いけれど、夜は元気だ。
なんでだろう。

どんなに具合が悪くても、 母の朝食、昼食、おやつ、お茶、夕飯、次の日の立札準備・・は欠かせない。

今日の木曜日は、頭痛なのに掃除に明け暮れた。
掃き掃除や拭き掃除や掃除機やペットの世話をしたら、腰痛だ!!

信じられない!! 腰が痛くてまっすぐ立てない。
買い物もお爺さんあるきでソロリソロリ~

もうおしまいだと思った。

思い起こせば9月に内科の先生が
『 微熱があるなら、婦人科検診をうけなさいね 』 と言ったのだ。


子宮がんの友達が、腰が痛くて長い距離も歩けず途中でベンチにすわった。。。といっていたなぁ~ 
しかし、私の今日の腰痛は掃き掃除のせいだと思うんだけど・・・
いつも掃き掃除はしてるけど・・・・

こまったこまった。

~~~~~~~~~

母は、あすから3泊でショートステイ。
『 あんな監獄みたいなところなんにも面白くない!!』といつもの嫌な言い方で言われた。


私の仕事も、趣味も、習い事も、つきあいもやめてしまったとしたら、
介護と家事に専念できて心地よいだろうなと思う今日このごろだ。

到底やめれないと思っていた趣味や習い事はやめてもいいと思えてきた。。。
宴会も、もういいや。。。。
仕事は、やめたくない。 

いろいろヤメて母の世話に専念できるなら、してあげなければいけないことが沢山あるんだ。


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散歩拒否

2013-10-07 15:21:00 | 介護
2013年10月7日(月曜日)

デイサービスはお休みです。
休みなら休みで、朝の見送りのお仕事が私にはなくなるので、楽といえば楽です。

ただ、ずっと家にいて、昼食の時間に用意をしなければならないということがあります。

今日も、午前に買い物に出て、12時になったので一回帰宅して昼食のお好み焼きを出した。

『 ずっと寝てるから食べたくない.・・』 といつもの拒否。
『 そんなにたくさんいらないから、取り分けておいてよ、もったいないから』
・・・何年この会話が続くことだろう。

わたしは、昼食を出して今度は夕食の買い物へ。

母は寒くて電気ストーブをつけています。
外は、汗が出るほど暖かいので、
昼食後に散歩に誘いました。

『 私は、寝て起きたところでだるいから行かないわ』
『 デイでたくさん歩いているから、散歩になんか行かなくていいわ』
『 あたしは、もう90なんだから歩かなくたっていいのよ』

・・・いつもの拒否だ。

私に用事がなくてずっと一緒にいると、大変です。
普通だったら、一緒に暮らせないな。
普通だったら、部屋を別にするな。

ごはんを食べなくて、おせんべいやお菓子をずっと食べている母です。
先月なくなったhiroさんがいつもこれで悩んでいたのが思い出されます。

ご飯拒否でお菓子ばっかりたべる年寄り。

人ごとだと、それでいいじゃないか・・・とおもったりしたもんです。



ふすまの向こうで電話帳を眺めている母。
電話したくても、電話機をかえてしまったので、母は電話ができません。
電話を取ることもできません。


子機だけの電話なんです。

現在15時30分。

母は、寒くてベッドに潜り込んでしまいました。
そのうちいびきが聞こえてくるのです。

しょうがありません。。。
口達者で元気そうでも、そうとうな老人ですから

さて、お仕事です。
母の夕食は、母が自分で温めて食べます。


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墓参り

2013-10-01 20:10:00 | 介護
2013年10月1日 都民の日で東京都の人は休日です

今日は火曜日なので私の仕事は休みです。
体調も戻ってきたし、母もデイだし、気になっていた二つのことをしました。

1 姉の義母の見舞い・・・有料老人ホーム

2 父ジェンギンスの墓参り


姉の義母は、有料に入って数年経ちます。
時々顔を出すと、喜んでくれて私を励ましてくれました。
でも、脳梗塞で何度か倒れるうち、もう口も聞けず、寝たきりで、うまく動けません。話もできず、通じません、ものを見ることもほとんどしません。

行き届いた配慮の有料老人ホームだなぁと今日感じました。

寝たきりの義母ですが、ちゃんと洋服を着ています。
話も通じなくて寝たきりですが、電気をつけて、エアコンをつけて、テレビがついています。
朝と、夜の区別をちゃんとつけてくれているのです。

身動きできない義母は、変な格好をしてベッドに横たわっていました。
動かそうとすると、大声を出して痛がります。

自分の親じゃないので、下手なことができません。

苦しそうな叫び声を時々だすのです。

変なふうに曲がっている足を直そうとしても叫ばれる。
手を握ると痛がって叫ぶ。

時々しか来ないので、様子がわからないわ・・・
毎日見てあげたら、義母はこんな状態にはなっていないはずだ。

どうして、胃瘻なんだろう。
どうみても、普通に食べれるとおもう。

手をマッサージして、唇や口の中を濡らしてあげた。
口の周りを濡らしてあげたら、一気に口の中が潤った。
ああ、毎日世話をしてあげたい。

唇にクリームを塗って、顔のかさかさにもオイルを塗ってあげた。

そのうちおむつ交換の20代のお兄さんが来たので私は廊下に出た。
廊下のロビーで待っていたが、
義母の大きな叫び声が響き続けた。

どこが痛いんだろう。
認知のさけびじゃなく、痛みを訴える叫びだ。
しばらく、叫んで、おむつ交換が終わり部屋に入ると、
ベッドに綺麗にねかせられていて、すっかり落ち着いていた。

そしてすやすやと眠りだした。

体勢がくるしかったのかな・・

そのうち、施設の方がわたしにコーヒーを運んできてくれた。
すてきなお茶碗だ。
きれいに洗ってご馳走様してきた。
歓迎される家族でありたいと思った。

義母がすやすや寝ているので1時間ほどでおいとまし、
次の予定は父の墓参り。


それが、大雨で墓参りどころじゃなくなっていた。

午後2時なので、高幡不動の駅でピザマルゲリータを食べた。
ドリンクバー180円もたのんだので、のみたくないけど
紅茶やコーヒーやスープやジュースを飲んだ。
あとで、何回もトイレに行きたくなった。

迷った挙句、墓参りに行った。
20分位離れているかな。

雨は小降りになった。
線香に火がつかなくて大変だったから、傘なんかもうささなかった。


秋だから、柿の実のフィギアを添えた。

雨だけど、墓石を拭いて、竹の葉っぱが散乱してるので手できれいにして、蜘蛛の糸も取って、お墓をきれいにした。

父のお墓というより、自分の入るお墓だと今日は実感した。

私がお墓に入ったら、だれがゴミをとってくれるだろう、
だれが、蜘蛛の糸を取り払ってくれるだろう、
だれが、墓石を拭いてくれるだろう、
だれが、塔婆を立ててくれるだろう、

45年以上前から大好きだった 『 永遠に 』 と彫られたお墓が無くなっていた。
そして、そこは永代供養 (エイタイってよむんだ!)の共同墓地っていうか、小さな墓地の集まりになっていた。 外国のお墓のように土に医師が埋め込んであるのだ・・・
墓もこれからは変わっていくようだ。

もう、3回忌や7回忌やその他もろもろはなくなることだろう。
本当に、心からお線香を上げればいいのだと思う。
じっさい、うちじゃ、1周忌をやったかやらないか・・・わすれてしまった・・・


さて、必死で自宅に帰ってきて午後5時過ぎに家の前に来たら
ちょうどデイの車が止まっていて母が帰ってきたところだった。

ひ~間に合った。

そして、車をお見送りしてたら、

まただよ・・・
運転手さんが新米で、ほかの車から怒鳴られています。

毎回危なくて見てられません。



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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。