アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

月日がながれすぎる

2011-03-29 00:02:00 | 介護
気になっていたけれど、ずっと日記を書いていなくて、
だからと言って、何もなかったわけじゃない。

毎日がストレスの連続であったけれど
歩行に異常が出てきた母にとって
老い先が短い人生を快適に過ごさせてあげなければならない。

・・とはいえ、やさしくしてあげれないほど
口やかましい。
《説教ばばあ》 なのだ。
チョコパンやマクドウウェルと会話をしていると
《説教ばばあ》が割り込んできて自分の思い通りになるように
命令支配するのだ。
自分の考えが一番正しいに決まっているから
言うとおりにしろ!というのだ。

ボケたからじゃなくて、母は昔からこういう人だったのだ。

わたしはこの母に育てられて
そうとう、心がゆがんでいたのだ。
いまごろ、気がつくなんて
そうとう母のマインドコントロールにはまっていたんだけど、
多くの人を傷つけて生きてきたらしい。

例) ものすごく昔いじめられた人が死ぬ時に
  「いままですごくいじめちゃってごめんなさいね」といったとしたら
  なんて答えますか?

  私は「 ほんと、わたしはあなたにいじめられてどんなに苦しんだことか」
   と、答えたいのです。

家族にはなしたら、それはダメだっていっぱい言われました。

わたしには、生涯に渡ってゆるせないことがいくつかあるのです。


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チョコパンと2人でジェンギンスの墓参りに行きました。とてもかぜの強い日でした。 チョコパンは長いことジェンギンスと話をしているようでした。

墓石をふいて、お線香つけて、花をいけて、お水をあげて・・チョコパンが全部してくれました。

私にとっても、チョコパンにとっても、家族が亡くなったのははじめてで、初めてのお墓です。
お墓参りの作法をしっているのは、母の田舎に毎年行って墓参りや、仏壇にお線香をあげることを学んだせいです。 おかげさまでした。

すっかり歩くことに自信を失っている母はコタツでじっとしています。
チョコパンが近くのコンビニへ誘い出してくれました。

母は自分のお昼に カルビ弁当 を買いました。
肉が好きみたいです。
そして、八百屋さんに寄って
チョコパンはレタスや芋やキノコやかぼちゃを大量に買って来ました。
安かったらしい。

チョコパンのお陰で母を歩かせることができてよかった。
母も安心して歩けたことだろう。
デモ、チョコパンにはちゃんと働いてほしい。
限界が近づいています。
私がキレそうです。
放射能が漏れそうです。大津波の予感です。
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リハビリパンツを都庁へ

2011-03-20 01:52:00 | 介護
昨日の土曜日は、都庁で個人の災害援助物資を受け付けていたので
家族で持参した。

母が毎日使っているリハビリパンツだ。
ちょうど10袋を注文したばかりで家に山積になっていたので
6袋のサルバパンツを寄付することができた。
介護施設のお年寄りがどんなに困っているかの映像をみて
悲しくなるほどひどい現状だ。

食べ物はまもなく届くのだとおもう。
衣類は不足しているらしいが、お国があとあとの廃棄処分をしたくないために
寄付を拒否しているのであげることができなくて残念。

消耗品ならいくらあってもいいだろうと思った。
お金は配られるわけじゃないと思うので
品物がいい・・と思った。

父ジェンギンスが、来ていた介護つなぎの洋服を4着持参したかったが
新品に限るらしいので持参はあきらめた。


都庁では、オムツ専門に置くところがあってそこはオムツが山積だった。
たぶんそれぞれが、お年寄りのいる家庭とか赤ちゃんがいる家庭だと思う。
これが無いと不自由であるといういたわりの心を持った人たちで
わたしは嬉しかった。

テレビでは東京の子連れのママが
「 オムツが買えないと困っちゃいます」なんてインタビューに答えていたけど
これだけの人が東北の人たちの苦しみを考えて
寄付しているって言うのに・・・甘ったれたやつらだ。

東北の人の寒さと飢えを考えたら
米もパンも牛乳もいらないです。
私たちには電気もガスも水も豊富にあるんですから
どうにでもなります。


今夜の夕飯はてっぱん。 お好み焼きです。
最近の夕飯は、ザルそばだったり、うどんだったり、ラーメンだったり・・・
ほとんどご飯を炊いていません。

昨夜は都庁へ行った帰りに天丼弁当を新宿で食べました。


食べている最中に、大きな地震がきて
チョコパンがあせっているのです。

どこかで震度5でした。
同時に2箇所で地震警報がでたのです。

日本沈没かもしれませんね。

わたしは地球がいっきに爆発して
みんないっせいに死んでしまうなら
それが一番幸せだと思っていましたが、
日本の半分が破壊されただけで
苦しい人がたくさん出て、悲しむ人もたくさん出るような
中途半端な滅亡はダメです。

人の深い悲しみはあってはなりません。

母のことを書こうと思っていましたが
長くなるので一言だけ・・

○ 散歩中2度目。歩けなくなり人に寄りかかってしまったそうです。

○ 口は達者でリーダーだから、もううるさくて。
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不安な日本

2011-03-15 10:09:00 | 介護


3月11日の大地震の日に帰宅したら
お人形の首がすっ飛んでいました。

このお人形はわたしのいとこが30年前に作ってくれたのです。
ずっと、この男の子のお人形だけが私の家に飾ってありました。

数年前、とつぜん男の子の横に女の子が来ていたのです。
わたしはたまげました

どうやら、姉がいただいた女の子のお人形を
捨てれずに家にだまって置いていったらしいのです。
あいつ~

男の子と女の子は仲良く私の家で暮らしていましたが
このたびの、地震で首がすっ飛んだのです。

身代わりですね・・・
だれかの首がすっ飛ぶ身がわりですね・・・

ありがとう・・えっと、
男の子の名前は・・ま まさおくん。
ありがとう、まさお君。

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地震では、CDとお札が散乱したけど
あとは、結構そのまま保ってくれた。

友達のブログをみると、食器棚の戸があいて散乱していたけれど
食器は大丈夫だった。
それもこれも、不満だらけだった松下電工のシステムキッチンの
お陰もある。
不満だらけの松下電工のキッチンは地震でロックがかかるので
扉が開かなくなるのです。

すばらしいシステムですが・・

ロックの解除のしかたを調べてないから
扉があきません・・・

松下電工じゃない食器棚もあるんだけど、
これも食器が飛び出さなかったのは
さすが、10万円もした食器棚だからでしょうか・・・

食器棚は、やはり昔ながらの横スライド(ごめん下さいみたいな)
がいいんですね。
よのなか、見直しが必要です。

避難用の荷物もまとめました。

母用の手提げには
紙おむつ、尿パット3枚ずつ。
目薬、ハンドタオル、私の名詞、財布1万円ほど、
鉛筆、紙、テレフォンカード アメ

私とチョコパンは
紙おむつ・尿パッド・・・必需品です
ホカロン、アメ 飲み物 

重いったらありません。
これじゃ、津波を背にしてにげれません。

ハンドバッグには、通帳印鑑現金たくさん・・
必需品をいれました。

昨日買い物に行く時
このバッグを持っていくべきじゃないかと思い、
避難ハンドバッグを持参して買い物へ。

財産持参して夕飯のお買い物です。
だって、いつ津波が来るか解りませんから。

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母は、日曜からショートステイに行っています。
家の中は、のんびりくつろげる雰囲気です。
自由な時間がながれます。
わたしの心の病気が癒される3日間です。

心の病気といえば、
医薬品が不足している東北に
うつ病の薬を差し上げたいほど家にはあまっています。
なんだったら、糖尿病のインスリンもあるし、

極めつけは、洋服が富士山くらいあります。

ほんとうに、洋服を送ってあげたい。
毛皮のコートが2着に、パーティドレスも20着くらいあります。
こんなものを送ったらいけません!
ほんとうに、母の洋服もわたしの洋服もたくさんあります。
・・・まいにちメリーの敷物にしたり、
新品のままゴミに出してしまっていることが悔やまれます。
だけど、 本当に送ってあげたいけど手段がありません。

まずは、食料や洋服を日本の国民から急遽集めて
明日にでも送って上げれないものでしょうか。

送料は私が負担してもいいから
私の家の洋服をおくってあげたい。

さて、きょうは税金提出。

母の分は昨日役所に提出してきた。
母の医療費はマクドウウェルの名前で申告して
数万円が戻ってきます

介護しているご家族はみなさん
確定申告でお忙しいことでしょうが
けっして、年寄り本人の名前で医療費申告をしてはいけないのです。

ああ・・
11時。 絶好の株の買い時がやってきています。
1000万円を得るちゃんすです。





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地震のときは電車の中

2011-03-12 15:44:00 | 介護
昨日は大地震でした。

東北地方の被害は多大でお気の毒です。
お役に立ちたくてもなにもできないところが
悔しいです。

わたしは、山手線の電車に乗っているときの出来事で
あたらしい体験をしました。

電車が急ブレーキで急停車bussymbol5explosion

直後に大地震で右左に大きく揺れました。
山手線8号車車内は立っている人も多くやや混んでいます。
いつもは座らないわたしが、なぜか座っていたことは
幸いでした
車内はキャーexclamation2という悲鳴とどよめき。

車内アナウンスは若いおねえさんの車掌さんで
しどろもどろで焦っています。

とにかく、落ち着くまで原宿と代々木の間で停車。

余震も多く電線が大きく揺れています。

私の隣には渋谷にある私立の小学生5年生2人と2年生2人が
うるさいったらありません。 ひとつの座席をつぎつぎに交代して
騒いで、喋って、緊迫した車内でみなが緊張しているのに
こいつら、うるさいよexclamation2

向かい側にすわっている渋谷にある私立女子小学生は
静かに座っている。なんていう落ち着きだ。

1時間経っても電車は動かず余震が続く。
外は安全なんだから、下ろしてくれないかと
私は願った。 だれも、怒り出さないから偉いな。

東京の電車にはトイレの設備もないし、
立っている人も疲れがでて、若い人は床に座り始めた。

電車の電気も空調も止められ、だんだん車内があつくなり
コートを脱ぐ人も多勢だ。
窓を開けて涼しい空気も取り入れられた。
(窓側の人の協力をアナウンスされたのだ)

70歳くらいのお年寄りがたっていたけれど
だれも席を譲らない。
わたしも譲らない。
だって、これから先何時間待つかわからないし
トイレに行きたくなったら座っている人の勝ちになるのです。

そのうち、だれかがスーツケースに座って良いと言って
おばさんを自分のかばんに座らせてあげました。
親切です。

そのうち、別のスーツケースを持っている人が
自分はスーツケースに座り、座席を空けてあげました。親切です。

携帯電話は最初通話ができたようで
あちこちで安否の電話の声が聞こえました。

私は午後4時から仕事があったので
間に合うかどうか心配でした。
チョコパンにメールして4時に予約のひとが来ることを伝えましたが
結局、メールは送られていなかったことと、

電車で感じた以上に地震の被害は大きく
お仕事をするどころじゃなく
予約の人たちはだれも来なかったわけです。

車内の携帯は通じる人と、通じない人がいて
通じた人は、各家からのたんすが倒れたシャメとか
たんすを手で押さえている状況が送られてきてました。

小学生はたいへんうるさく、わたしは腹が立ちました。
この子達のご家族はどんなに心配していることかと思いましたが
私の携帯も通じないので連絡してあげるわけにもいきません。
通じたとしても、このクソガキを助けてあげたかどうかは
解りません。
このクソガキが電車も動かず公衆電話もできずタクシーにものれない
代々木駅でおろされたあと、どうなったかは
クソガキであったがゆえに
わたし親切をいただくことができなかったわけで
不幸せなことです。
ご家族は心配だったでしょう。

そして、電車は2時間近く明治神宮の横に停車し
乗客を下ろすというあんないが
若い女性の車掌さんによって告げられました。
全車両に大声で伝えた車掌さんに拍手です。

先頭の1号車の左側の扉3箇所にはしごがかけられ
1人ずつゆっくり下車です。

私は8号車だからのろのろ歩いて
長時間かかって1号車へ。

とちゅう、赤ちゃん連れのママは行列に並ばないで
最後に降りると言ってました。
並ばないで椅子に腰掛けたままのひともいました。
この電車が動くまで待ちたいという人もいました。



細いはしごで降りるのは結構むずかしいけれど
わたしは若いので大丈夫。
スカートを履いていたので多少の抵抗があったけれど
災害時に何をいうか。
助けてくれるおじさんにバッグを持ってもらって
頑張って降りました。

はしごがもっとあったら
もっと早い救出なのにな。

1000人くらい乗っていた電車ですが
車内から出てくるのに時間がかかるから
線路はすいています。



線路から垣間見える外の様子はただ事じゃありません。

ヒトヒトヒト・・
車車車・・
赤色灯赤色灯赤色灯・・
ヒトヒトヒト・・
ヒトヒトヒト・・



代々木駅まで線路をスタスタ歩き、
線路の赤い丸い石で足をひねり、
それでも、帰宅を急いだ。
予約した人々が私の家に来ているはずだと思っていたのだ・・・

代々木駅では改札を素通りした。
人々は精算があるのか並んでいた。
この災害時にも、皆様は精算ですかeq

代々木駅前は、ヒトヒトヒト
駅の中もヒトヒトヒト
タクシ乗り場は行列。
公衆電話も行列。
新宿駅が近いんだから、あるきなさいよみんな~
代々木駅は、京王線も小田急線も地下鉄も各線が結構近いのです。

わたしが、案内してあげたいところですが
わたしも急いでいたのでボランティアができません。

止めてあったチャリにのって、家路を急ぎます。
途中の住宅街にある公衆電話も使用中で電話ができず
家に帰るしかありません。

さてさて、
家に到着。 

玄関にはチョコパンのバッグが置いてあります。
ジュースや紅茶 ホカロンなど
逃げるとき持参するものがまとめられているところが
すばらしい。
まずは化粧品を用意したそうです。

母は1階のコタツに座っていたそうです。
母のことはわかりませんが
とにかく、大揺れの記憶は薄く、
外には1人で避難したらしい。

それも、母は ガスストーブをつけっぱなしです

ひどいと思いませんか!
チョコパンが揺れがおさまって階下に下りてみたら
ストーブがついていて母は外に脱出していたんだって。

チョコパンは、グランドピアノの下にもぐってピアノの足を持っていたそうだけど
あまりにゆれるので頭をピアノで打ちつけたようです。
腫れています。
揺れながら、もうお終いだと思ったそうです。
揺れる間、周りではいろいろなものが転落し恐怖だったとのことです。
別の部屋からは何かが大きく落下する音がきこえてきたそうで
ピアノが部屋を移動したら、自分がつかんでいる手を離すべきかどうなのか
迷ったみたいです。

ドラマだったらピアノにチョコパンが掴まったまま
2階からグランドピアノが飛んでいく
ってところです。

ピアノに避難している時
そとから

「塀が崩れたぞ」 って聞こえたそうで

チョコパンは 「 ああ~~ それはうちだよ~~」と嘆いたそうです。
だって、私の家は築50年以上経っているし
真っ先に崩れるのは私のいえだと日ごろから話していましたから。

揺れがおさまって、2階のベランダからそっとこわごわ
下をのぞいて見たら
なんと、塀は壊れていなかったそうです。

うちより軟弱な家があったらしい・・・

そして、外へ避難したら
母も近所の人もいて、

母は 「めまいだかなんだかわからないわ」と
とんちんかんなことを言っていたそうです。

揺れるからブロック塀につかまろうとすると
「塀からはなれなさい」
「道の真ん中にきなさい」

と、適切なアドバイスが飛んだようです。

わたしは電車で大きな揺れを体験したけど
家にいた人は恐怖の時間だったようです。
地震体験車みたいだったようです。

わたしは、部屋に入って
いろんなものが落ちていてびっくりしました。
札束が散乱しているのをみて
なんて金銭にだらしが無いのであろうかと
かき集め、通帳も印鑑も急いでバッグに詰め込み
いえにあるお菓子や
マクドウウェルが転勤する荷物のなかから
いろいろ取り出して
玄関に避難荷物を用意しました。

懐中電灯もどれもこれも使い物にならないので
仏壇からろうそくとライターを取って
テーブルに用意しました。

クレジットカードがどこにあるかわからなくて
日ごろのだらしなさを嘆きました。

母は、とんちんかんで偉そうです。

天災を嘆きます。


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雑用

2011-03-11 09:34:00 | 介護


朝、玄関を開けて外に出るとこうだ!
生きているお年よりは元気になるとこれだよ!

メリーが燃えないごみをとっちらかした。
届かないようにすこし高いところにおいていたから
余計に大きくとっちらかった。

あさは、メリーのグチャグチャから始まる・・・うんざり・・




そして母の朝食は、いちご・ゆで卵・パンプキンパン・紅茶。
今朝、私が7時にご飯を食べる部屋に行くといつものようにストーブがついていて
お部屋が温かくなっている(これはたいへん助かる)
それで、母が隣の部屋でギロッ!!とベッドから私を見て
「 今日は何曜日? 」 って聞いてきた。

ああ~~、私が曜日のメモをテーブルに置き忘れていたんだ。
母の混乱が続いていたことだろう。

昨夜は、
「 明日は何日? 」
「 11日金曜日だよ 」
「 明日は10日? 」
「 11日金曜日だよ 」
「 明日は何日? 」

この会話が、続いた。
なんと、即の質問なのです。
3分前の会話や1分前の会話じゃなくて
5秒前の答えを覚えていないんです。

母がなぜこんなに質問したかというと
日曜日からショートステイだというカレンダーのメモを
発見したからです。

「日曜からなら、たいへんだ、近いじゃないの」
って、言うけどなにも母があせることはない。

準備をするわけでもなく、掃除をするわけでもなく
洗濯も片付けもなにもしないんだから
幸せ者です。

わたしもこんな皇室のような暮らしがしてみたいです。
母は、幸せな人生を送っています。

お金に不自由なく
家も死ぬまで心配ない。
死んだ後も心配ない。
娘が何でもやってくれる。
病気になっても誰かが見てくれる。
買い物もできる
トイレットペーパーは一日1個以上使い放題
リハビリパンツは1年分を3ヶ月で使い切るほど使い放題

不幸なのは、
目が毎日痛くてつぶれてる。
世の中の不平不満が満ち溢れている。
何もかも面白くない
文句野郎

わたしも文句野郎です。

今朝のテレビはコント55号のことばかり。
昨日見ちゃったからどれも見たことのある映像ばかり。

今朝の連続テレビ小説は
マラソンで優勝したというのに
バックに流れる音楽が寂しすぎて
俳優さんたちの喜びがまったく映えなかった。
音響効果の失態だ。

目が見えないピアニストの話題も
わたしは嫌いだ。
身体障害者がテレビに取り上げられるのは嫌いだ。

どれも母好みの番組だ。
母は、なんどもなんどもコント55号をみてます
今日も見続けることでしょう。
そして同じコメントを言うことでしょう。

そして、沖縄発言や辞任問題については
バカヤロー とお元気であります。


水曜日の道歩き転がり症状は、いまのところ落ち着いています。
でも、また買い物に出かけたらどうなるでしょうか。
転ぶから杖をもつという記憶ができないし、
長距離があるけないという記憶もありません。
それでいて、プンプン文句野郎だから
扱いがたいへんです。



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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。