アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

かたづけばかり

2008-04-27 02:05:41 | 介護


夕食後、母の左足がとても痛いというので、靴下を取ってみたら
随分むくんでいるし、頭も痛いと言うし、
目はいたくて、パチパチしてつぶっているし、

やる気なくしてるし、
病気が治らないとひがんでいるし、

ジェンギンスが死んで、寂しいとかいうし、
。。。あんなに!いじめにいじめ抜いたくせに

否定ばっかりするし、
拒否ばっかりするし、

今日の土曜は母のデイサービスの日です。

自分で支度をして活き活きして出かけてくれました。
朝食は、50年続いたトースト生活が終わったみたいで

私が夜おにぎりを作っておいたので自分で暖めてたべてくれます。
土曜は、わたしはゆっくり寝かせてもらっています。

でも、8時45分のお迎えには間に合ってお別れを言えます。

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ジェンギンスの片付けと母のゴミ屋敷の片付けは
母の居ない時にしかできないので
少しづつしかできません。

今日は9時間片づけました。

まずは、母の出しっぱなしの洋服をハンガーにかけて
洗濯干しの洋服掛けを外から持ってきて
部屋に設置しました。
セーターだけで50枚ありました。
これは、部屋に出しっぱなしの分なので、
洋服ダンスと、押入タンスと、整理ダンスに入っている洋服を
あわせたら、かなりです。

母は、昔から片付けをしない人だったのです。

父が死んだら、ゴミ屋敷になると思っていましたが
なりました。

『 何もすることがない 』
というので

『 部屋を片づけてよ 』

『 いやよ、あんたがしてよ あたしは、だるくてなにもしたくない』

やる気無しです。

セーターも漬物もパンもどんどん買ってくるし、、、

みかんを異常にたべるし

テレビはどれも面白くないし

不満で不満で、
ぜんぜん笑わなくなりました。

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ごはん、ごはん、と
食欲もないのに御飯の時間になると食べるので
わたしは、一日中御飯の支度です。
わたしの仕事が遅いので、母は一人で3食食べています。

でも今日は、7時まで待ってもらって
3人でお好み焼きをやいて食べました。

鉄板を出したのは、4年ぶりです。
いままで、どんなにゆとりのない生活だったのかが
伺えます。

賑やかに、お好み焼きで楽しい夕食にしようと思っていたのに
母は、ぜんぜん楽しそうじゃありませんでした。
2切れくらい食べて終わってました。

テレビを見ても、

『芸がない 芸が無い 』 とうるさいです。

そのうち 頭が痛いというし、
やばいことだと、わたしもチョコパンも感じました。


次の葬式も
私が全部やるんだな と思いました。

ジェンギンスが死んだ直後に
葬儀屋に電話してる自分が居ました。

葬式のとき、お料理の追加注文を
している自分が居ました。

自分でやらないと気が済まない
性格なんだから
だれにも、文句われないからそれでいいんだ。

すべて、わたしの思い通りにことが運んでいるのだ。

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それで、今日母のベッドを移動した。
これで、押入も開けることが出来るし、洋服ダンスもあけることが
出来るようになった。

でも、わからんものが
山積みです。

9時間片づけて
ゴミとなったのは
洋服が段ボール箱ひと箱だけで
それも、買ったばかりの着れる物ばかり。

母の新しい着物も
山ほど捨てます。

母を大事にしなきゃと
何度も自分に言い聞かせます。

動けて、口が達者なときは
まったく、一番世話が焼ける時期です。
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癌保険支給金は

2008-04-19 01:54:58 | 介護
ジェンギンスの思い出が凝縮されたタンスを粗大ゴミに出しました。
ジェンギンスはこのタンス一つに、自分の物をきちんと整理して居ました。

一人で働いて、そして自分の医療費は自分でだして、そして、妻が生きていけるだけの
年金を残し、おまけに、最後は癌という病名で亡くなってくれたために、さらにお金を残してくれました。

ジェンギンスが亡くなってから、お金の手続きばかりです。
だから、お金の話しばかりになってしまいます




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いろいろな手続きにはしって、最近はその手続き終了の知らせが届きます。

支給されないと心配された癌保険は


★ 死亡理由が胆管癌だったので死亡保険が下りました。
  でも、65歳以上なので、契約した金額の半分です

★ 癌と診断確定された診断給付金がおりました。
  でも、65歳以上なので、契約した金額の半分です

★ 問題になった入院給付金は
  審査の結果
  療養病棟から治療病棟に移ったころから給付されることになりました。
  
  癌と診断されたときから入院給付金がおりればいいなと思っていましたが
  治療を開始した日からだと言われ、

  それって、末期になった時なわけで ほんの少しの期間なわけです

  施設に入所しているお年よりは、癌になっても治療はしないので
  治療と言えば、最後の苦しみをとる治療なわけだ。。。

  保険会社も、なんとか支払わない努力をしてます。

 21年間私は、ひと月に1万円づつ掛け捨ててきましたが、
 今回はその掛け金ぶんが下りてきたってかんじです。

 結局、保険なんて、掛けなくて良いんじゃないかと思いました。
 今回は癌になったから、戻ってきたものの
 癌にならなかったら、大金をカケスてるのです。

 あげくに、もしも死因が肺炎だったら
 死亡給付金は下りないわけで

 そりゃないですよ。

死ぬにも、計画たてなきゃならないじゃないですか。

死因は癌と書いてもらわないと
キガキジャアリマセンヨ。

癌保険は、考えていた金額より3分の1のものが下りた。

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渋谷区から葬儀費用7万円が支給された。

なんでも、たすかるわ。

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あとは郵便局の保険がどう下りてくるかな。。。
アルツ入院で一回保険金をいただいているので
今回癌ということで頂けるなら、たいへん有り難いです。

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母には遺族年金がおりるし、
もう、節約はしなくていいからと
きょう説得しましたが、
もったいながって、贅沢は出来ないみたいです。

ジェンギンスは、生涯節約して何も贅沢しませんでした。
家族のためにだけ尽くしてくれました。

この10年間、わたしはジェンギンスにいい洋服を着せました。
いい下着を着せました。
いいパジャマを着せました。

お肌のお手入れも死ぬ間際までそして、死んでからも
整えました。

これは、ちょっと満足。

そして、いまそのいい洋服は、ざくざくにカットされ
毎日この家のために雑巾化されています。

バーバリーの雑巾、
カルダンの雑巾

最後までこの家のために尽くしてくれている感じです。

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母、大学病院検診

2008-04-17 10:34:23 | 介護
父の病状が深刻化している時に、
母は、たいそう具合が悪く入院していました。

母には父の病状を詳しく知らせていなかったので
そんなに早く死ぬとは思っていなかったでしょうが、
とにかく、母は父と一緒に病んでいました。

突然父が2月14日に亡くなり、
葬式に参列出来るのかと心配しましたが
だれもが、悲しまずに無事に葬儀を終えました。

この頃の母は、

①  昨年2度にわたって手術した眼瞼下垂手術がうまくなく、
   目をパチパチ パチパチして、不快を訴えます
   近所の医者に2箇所も行って、睫毛を抜いたり
   目の縁の炎症をとったり、いろいろしても、パチパチ
   ヒクヒク とゴロゴロするらしいです。
   左目です。

②  左足が痛い

③  左腕が痛い

④  少し歩くと、足の付け根の関節が動かなくなってしまう

⑤  ふらつく

⑥  だるくて、だるくて、横になったことのない母が
   部屋でゴロゴロいつも寝ています

⑦  拒否ばかりする

⑧  否定ばかりする

⑨  テレビのチャンネルを異常に変える

⑩  どのテレビを見てもつまらない

⑪  かわいそうなテレビは見る。

⑫  お笑いのふざけた人をバカにする

⑬  犬に餌をあげたことがどうしても覚えられない。
   これは、明らかに異常事態なのです


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4月16日水曜  大学病院の検診日

いつもの老年科と泌尿器科だけど、泌尿器科はパス!

一人で行けると言うけれど、わたしも当然付いていきます。
バスだと40分もかかるから、タクシーで5分くらいで到着です。

チョコパンが近くのホテルに面接に行くというので
一緒に乗って途中のホテルで降りましたが、
「いらっしゃいませ」とお出迎えのかたにドアを開けて頂き、
気持ちの良い朝を迎えました。

病院に到着したら、いつもは気が付きませんでしたが
警備みたいなおじさんが
「気をつけておりてください」ってちゃんとお迎えしてくれました。

1階受付で、泌尿器科をキャンセルしたり眼科予約をしたり
あっちでたのみ、こっちでたのみ
やっぱり母一人じゃ出来ないわ。

この日、いろいろなお年寄りをみて、
ひとりで来ている人は無理がいっぱいありました。

「1時半からはじまりますから、1時半までにここに来てください」 と言われていたのに
ずっとお昼も食べずに1時間も待合室にいて、
「1時半までここにいるように言われたんですがまだですか」 って質問してたし。

たくさんのお年寄りが迷っていました。
間違えたところでずっと待っていた人も居ました。
でも、口答で早口で伝えるだけの教え方は
絶対無理です。

年寄りの気持ちがみんなにはわかっていないなぁ~

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そんなことより

アルツハイマーの新薬の貼り薬が出来たのだと知りました。
どんどん開発中でぜひ試したかったです。
今の薬剤による間違った医療は、どのくらい経ったら改善されるのでしょうか。

向精神薬を使わない介護の日がきっと訪れるでしょう。
それでも、薬を使いたい医師と介護者がいるでしょう。

人の考えって、それぞれで、みんな自分が正しいと思っているから
つきあいって、むずかしいです。

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それで、

母の左足、左手、左目がおかしいので
緊急にMRIを撮ると言われましたが
1週間後に撮ることにしました。
血流を見るそうです。

犬の餌に関して、絶対に餌をあげていないと
毎日強気で訴えます。
私が用意した餌をちゃんとあげてあるのに
何も上げていないって、毎日毎日言います。

でも、これは最近始まったことじゃないとも思われます。
だって、家のメリーは昨年まで
人に笑われるほど肥満児で糖尿病にまでなってしまったのです。

これは、母が何回も何回も何回も餌をあげ続けていたからです。

わかりません、
母の異常なリーダーシップと命令と批判と餌あげは、
病気なのか先天的な性格なのか・・・

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眼科へ予約無しでしたが
あまりに目の異常をうったえるので
大学病院眼科で診察です
これで、6件目の眼科診察です。

前回2回の手術記録をみせたら、

「 この先生に手術をしてもらえたんですか、
  最高の瞼の権威ですからね、
  じゃ、センカンドオピニオンということで診察しましょう。」

「 そういう事じゃなくていいです 」

「 そう言うわけにはいきません、この先生の手術をぼくたちで
  やり直すことは出来ません。
  いまの、不快を取り除く診察を今日はします 」

不慣れな新入社員の長い視力検査のあと
診察をして

黒目に傷がある。
目玉は正常。
白目の表面もゆがんでいる。
瞼は問題ない
睫毛はない

傷がなんで付いているかはふめいだけれど
睫毛が当たっているのかも知れない。

角膜萎縮・・って言ったような
角膜潰瘍かな・・すぐ病名わすれるんだ

白内障の薬とかいまは全部やめて、
傷を治して、状態を見ることになった。
傷が治らなければ、手術でどうのこうのって言ってた。

眼科医の詳しい説明を初めて聞いた。
どこの医者も同じだったってことで
私が今まで付き添っていなかったから
母は医師の説明が分からず、痛い!痛い!しか言わなかった。
まず、傷を治療だ。

あさ、9時半に家を出て、帰宅は2時になってしまった。

久しぶりに介護で走り回った。

2時半から仕事だったから
その30分で

母の昼食の御飯をよういして
母の夕食のうどんを煮て、とろろ芋をすって、
メリーの夕飯をよういして
仕事の準備して
夕方送るメールの送信予約して

泣きたいほどたいへんだった。

メリーの注射もしてないし
夕飯の買い物もしてないし
椿の落ちた花もそうじしていないし
階段の雑巾がけもしていないし
自分の食事をする時間もなく

すぐに仕事となった。
今日はスチュワーデスさんが来たけれど
スチュワーデスオーラが出ていた。
濡れた唇と笑顔と上品な言葉遣いと綺麗な座り方。。
旦那様はパイロットだそうで、
なんとも幸せそうでありました。


ダイエット効果がすぐに出る私は
いま、やせているので、あんなにうごいていたのに
もう体操していません。
でも、尿漏れ対策に筋肉を使え!とチョコパンに言われたので
今日から必死でやってみたりしてる親子です。



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郵便局手続き

2008-04-16 01:25:01 | 介護
仕事と家事の合間に、走り回ること半年・・・

今日は午前にビデオリサーチのアンケート回収。
その後、ずっと郵便局で手続きに3時間以上。
仕事の前に、火災保険口座引き落とし出来なかった分の集金と証書書き換え。

最近は午後4時から仕事が始まるというのに
ギリギリ駆け付けます。

夕食準備をするのが、まことに面倒くさい。

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郵便局手続き

① 死亡保険金請求 5契約分
② 入院保険金請求 5契約分
③ 母の入院保険金請求 4契約分
④ 生存給付金請求  1契約分
⑤ 母の保険死亡受取人変更 父→私
⑥ 保険金口座変更  2件分
⑦ 契約者変更 5契約

母の趣味で小刻みに保険に入っているもんだから
名前と住所だけでも100回も書いた。
あげくに、適当な受取人や
適当な契約者になっているから
全て変更です。
税金対策が全く成されていないのだ。

歳を取ってきたら
自分の名前は世の中から消していく手配をするべきだと
学んだ。

今日の用意した書類

@ 保険証書 13枚 こんなに契約してるんだ。
@ 死亡届・死亡診断書
@ 生まれてから死ぬまでの戸籍謄本
@ 委任状
@ 代表者選定届け
@ 相続人印鑑証明
@ 契約関係者変更請求書  8枚
@ 保険金支払い請求書  9枚
@ 入院証明書 病院で書いてもらった診断書
@ 入院詳細コピー ( 前もって状況説明 )
@ 私の健康保険証
@ 印鑑

こんなに沢山用意して、3時間かかっても終わらず、
今日でなくて良いものは、延長戦だ。

事務作業はたいへんであっても
もしも、お金が下りるとしたら
たいへん、たいへん助かる。

いつもいつも母が
「 死んだら、保険がおりるから
  それで石を作ってね
  葬式代は下りると思うから
  それで葬式が出来るからね 」 って

しつこいくらい言っていたことが
実現しようとしている。

しかし、私は文句を言い続けた保険であったが
ひどく、助かります。

葬儀の100万円
墓石の155万円
戒名の 64万円
妙薬の 10万円
休職代 50万円
入院費 170万円
49日   6万円

この一年4ヶ月で600万円くらいかかったんだ。。。。

サラリーマンの強みだな。
どんなに年をとっても
どんなに動けなくても
ジェンギンスの息が続く限り、家の家族のじゃ一番の長者番付。

死んでからも、なお
母に生きていけるだけの遺族年金を残しているわけで。

サラリーマンは強いな。

普段給料が低いと思われがちだったのに
ここに来て急上昇。

それに比べ、
サラリーマンの妻の国民年金受給は
納得がいかない。
働かずに年金をもらおうって、、、
浮かばれないとおもうよ。


明日は、母の大学病院検診。

この頃母の事は書いてないけど
なんだかな。。。。


今日私は朝と仕事中の2回
鼻血が流れてきました。

生涯経験したことのない鼻血です。
白血病かとぞっとしました。

あと、わたしは、 吐いた経験がありません。
私が吐いた時は
さよならです。


郵便局書類の山
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生きてるだけで忙しい

2008-04-07 00:24:12 | 介護


★ 墓の権利書き換えは終わった。
★ 年金の書き換えは終わった。
★ 公共料金も終わったはずだ。
★ 香典返しも終わった。

★ 葬式支払いは終わった
★ 墓石支払いは終わった
★ 入院関係支払いは終わった

土日はもう、すべて片付けようと努力したが
激しい頭痛で何もできなった。

洋服ダンスの ジェンギンスの背広とコートと
ジャンパーとズボンを捨てた!
近所の東京都のリサイクルセンターでは
スーツやコートは受け付けていなかった。

貧しい国で着てもらいたいと思ったが、
販売するのだと聞いて、寄付したくなくなった。

したがって、捨てた。
半分くらい拾ってくれた。

ショ-トステイが続いたから、
新しいパジャマもたくさんあって
捨てるにはもったいない品物ばかり・・・

あ~あ 死ぬってむなしいです。

それで、今生きている母は
毎日することがなくて、だるくてだるく
ごろごろしていますが、
後、数年以内の命ですから
そろそろその、山積みのものを
整理してくれないものでしょうか・・・

有り余る着物や帯や、その高級な楽器を
残された私たちは
どうしたらいいのですか。

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今日は1時間という時間を決めて
郵便局の作業をした。

たくさんの通帳があるものの、
暗証番号がわからず、
そんな手続きで時期がすぎます。

大学の授業料を振り込み、
機械ではできず、窓口で。。。
公共料金を振り込み。。。
水道代は1万円をこえ、
電気代は2万円をこえ、
ガス代は2万円をこえ、
・・
破産だ!!

ニュージーランドドルを100万円分貯金した。
アメリカドルを50万円分交換した。
これで、1年に30万円は利息でもうかるのだ。

こうやって、あぶく銭で生きている私です。

それで、

わからなくなってしまったのです、
ジェンギンスのお金と
自分のお金と
もう、
ごちゃごちゃになってしまいました。

ジェンギンスの墓石代金から
ちょっと100万ばかりお借りして
でも、墓石代金を払うときに
自分の仕事のお金をつかいこみして
そんなこんなで

わからなくなってしまいました。

あーーあ

人生やり直したいです。
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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。