
意識不明だった私の右手も徐々にできることが増えてきた。




石垣島で鳥になる1/6
電子レンジの扉は重くて開けれないけれど、スイッチは人差し指で押せるようになった。
電気のスイッチは指先に力が入らなくて押せないけれど、関節を使って押せるようになった
話をする時、負傷した右手はだらりとしていたけれど、だんだん右手で動作できるようになってきた。
ピアノを弾いてみたら指先は動くので、1つの音なら弾ける。ショパンのノクターンぐらいなら弾けるけれど、音が重なって2つの音を出す事はできない。でも疲れてしまうので、ほんの少しの時間しか弾けない。
今心配なのは、負傷した親指が半分しびれていて、動くんだけれど感覚がない。麻酔してる指みたいな感じ。爪で押せば痛みは感じる。
私は毎晩頭にスポンジのカラーを巻いて寝ていたんだけれど、負傷してからは右手が上に上がらないからカラーを巻けなくて、でも昨日あたりからカラーを巻く手伝いができるようになったから頭をセットすることができる。くるくるドライヤーは全く使えない。
✳️昨夜寝る時、痛み止めを飲んで寝たんだけれども、午前3時激痛で目が覚めた。
傷の痛みみたいで、手術の日を思い出した
手が動くようになったから、ぶつけてしまったのかもしれない。そういう痛みだった。あまりに痛くて、退院の時に渡されたプリントを初めて読んだら、膿が出たら病院に行くこと。熱を持ったら病院に行くこと。ギブスがきつかったら病院に行くこと。消毒は自分でしても良い。そんなことが書いてあったので心配になって包帯を取った。

手術の次の日は包帯が血だらけだったけれども、包帯は綺麗だった。あみあみの白いのはスポンジみたいだ。スポンジの上に透明密着テープが貼ってある。化膿はしてないみたいなのですごく安心した。
ギブスの当たっていたところが赤くなっていたりして、ギブスを取ったらスッキリした
親指の根元が赤くなっているので、これを保護すれば、指の感覚が戻るのかと期待している
包帯を巻き直したら痛みもなくなって安心した。痛み止めを飲むつもりで起きたけど、大丈夫そうなので、新聞紙で保護して寝た。

午前4時過ぎに眠ったから、朝はゆっくり寝てようと思ったけど、誰もいない。隣の部屋でテレビがかかったので(目覚まし)起きてしまった。
元気なんだから少しの買い物をしたり散歩したり母の見舞いに行けばいいのに。何もしたくない。手術のストレスがすごく大きい。そのストレスの半分は麻酔科医が点滴の血管を探せなくて、強くさしたり、ぐるぐる針で私の腕の中をねじ回したりしたせいだ
昨日仕事中に聞いた話では、帝王切開の麻酔が効いてない時にお腹を切られたので叫び声を上げたと言う人がいた。そっちの方が悲惨かもしれない。

クリスマスツリーが出しっぱなしになっていて、片付けられないから、小学生の子供たちが片付けてくれた
クリスマスライトを片付ける動作を見ているだけで、発達年齢がわかった。
今日もこれから6時半までお仕事だけど、切り替えが重要なので身支度をする。
もし仕事がなかったら、寝たきり老人でうつ病になりそうだ。

石垣島で鳥になる1/6
桜が見れるよう🌸頑張ります。
骨折してたって大きなワインは持って行くんだ‼️