アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

100.5歳 特養から電話

2023-08-24 01:30:00 | 特養入所中


2023年8月17日に母は特養入所

8月20日日曜日、大事な外出先でスマホに特養から着信あり。午前も午後も。

有名なお客様の接待中につき、家にLINEして特養と連絡とってもらった。

家で母を見てあげれないから特養に預けたのに、まだ母が追いかけてくる。

左足のふくらはぎに、腫瘤ができて腫れているから春山記念病院に連れて行くらしい。

救急車を呼んでも家族が来るまで発車しないって誰かから聞いたけど、
私は、予定を入れてるので付き添えないよ、、



日曜の勉強会

夕飯に凍ったパインのサワー


そして、仲間が意識失って搬送

家に帰ると母の布団


壁を見れば母のカレンダー

母の夕飯もたくさん残ってる


母のレンタルベッドと手すりはそろそろ引き取りだ。毎月1700円くらいだったかな。
消毒して綺麗にしてお返しする。

新宿中央公園では盆踊り。
三橋美智也の炭坑節に続いて、ダンシングヒーローにはびっくりした。
若者も外国人もノリノリ!



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100.5歳 特養入所日

2023-08-19 08:37:00 | 100歳介護
2023年8月17日木曜日

100.5歳の母は、自宅から徒歩10分の特養に入所しました。

歩けなくなってトイレに1人で行けなくなったら入所させることを20年も前から決めていました。

この9ヶ月間よろよろに歩いで私の助けを借りてやっとのことでトイレ通いをしていました。

2ヶ月間はヘルパーさんが1日3回来て手伝ってくれましたが、ほとんどお断りして私が上手にトイレ介助しました。

私のお陰で清潔な母でした。

人の作ったものが食べれなくて、人の手に触れなくて、人が触ったものが食べれなくて、
冷凍したものが気持ち悪くて食べれない私が、人のトイレ介助ができるわけなくて、
それを9ヶ月も耐えて、最後はもう倒れそうで介助の限界まで頑張ったから、入所の後悔はない。

毎月の入所金は15万だと入所する前日に知らされた。
思っていた金額の2倍だった。
個室のユニット式だから他より少し高い。

私が毎日必死で働いている全額を施設に支払うこととなった。


特養入所記念写真

1番よく見てくれた孫とお別れ

コウタも連れていく。

最後の朝ごはんは目玉焼きも作った。

ご飯作っても起き上がる力のない母


起こして朝ごはん。
寝返りできないから身体は汗をかいている。
その点施設なら温度調整できているから快適だろう。朝の脱水で、OS1飲ませてたら、最後の日になってマズイと聞かされた。


コロナ発生で部屋にはいけないのでエレベーター前でお別れ。

私『今日は泊まってきてね‼️』
姉『面会に行くからね‼️』

母はきっとこう思った、、明日帰るんじゃないのかい‼️
お盆で歯医者が開業してなくて、施設の歯医者にお願いするので、少し欠けている入れ歯の写真を施設に渡した。

母を見送り、午後3時過ぎて朝も昼も食べてない私は、施設の向かいのイタリアンレストランで遅い食事をしようと姉を誘ったが、
コロナ禍のうちは外食をしないと言う徹底ぶりで、
私と娘だけで丸亀うどんを食べた。

カボスおろし冷やしうどん(だったかな) 520円、暑い日はコレがイイ。

✴︎テレビ届けなきゃ
✴︎テレビ台持って行かなきゃ
✴︎ヤクルト持って行かなきゃ
✴︎22日後にゼリー飲料がなくなる
✴︎120日後に入歯洗浄なくなる
✴︎九月の終わりに毛布持参
✴︎九月の終わりに半袖撤去

母へ。
ずっと長生きしてもイイし、すぐに亡くなってもいいよ。
生きててくれてありがとう❤️




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100歳 明日特養入所

2023-08-17 02:42:00 | 100歳介護
訪問訪問訪問で怒涛の9ヶ月間だった。

母を助けてくれる皆様の訪問訪問訪問で私の方が先に死ぬところだった。

8月7日月曜の訪問看護師さん2人の訪問を最後にこれで終わった!私は生き残れたと思った。



月曜はみんなに見送られてデイに行く母。
手を振って出発していく母を見るのもあと一回。



デイから帰って蒸し暑い中お外を眺める

お嫁に来た時はバスどおりじゃなかったらしい



火曜は外に連れ出してお外を眺める
8月は私の仕事が少なくてよかった。
何回も外に誘うことができる


記念写真

家で食べる最後の夕飯は鉄火丼。
でも、食べさせてあげる人がいなくて、かわいそうだった。3口食べさせた私はお仕事。
夜8時に残りをあげたけど食べなかった。


水曜8/16は最後のデイサービス。
日が当たりすぎ


傘をさして日よけ

夕方母を待っていたら🌈虹が出ていた


最後のデイを終えて母帰宅。
花束を💐いただいた。

デイから帰宅して、お買い物。


東京オペラシティのなか。
100円ショップへ、、




ある日は、オペラシティのビルを眺めながらお散歩



ある日は図書館の中に入ってみる。


夜は、特養入所の契約書類の嵐



こころディさんからいただいた花をアレンジ。
心温まる贈り物だった。

こころデイサービスさん、母のお世話をしてくれて本当にありがとうございました。
母を笑顔にしてくれてありがとう。
たくさん声をかけてくれてありがとう。
楽しいイベントたくさんありがとう。
今までプレゼントもたくさんいただいてありがとう。









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100歳介護 急に大ボケになる

2023-08-12 00:13:00 | 100歳介護
2023年8月9日水曜日

一つ前のブログで、母は穏やかだと締めくくったはずが、たった一晩で急変した。

朝起きたら母は起き上がってカーテンを開けてあった。
靴下を履いてない!
だの、
寒いから上着!
だの、すごい活性化していて正常な母に戻ってる。
智恵子抄が頭をかすめる。
父が亡くなる前に起き上がって新聞を読んでいたことも頭をかすめる。




デイから帰って外でしばらく夕涼み。
ここでは、母の異変にまだ気づかない私。


家に入った途端、母はよく喋るし、
入れ歯を入れたり外したりの繰り返し。
そのうち、1人で歩いて洗面所で長いことウガイ。

歯磨き粉ではまで磨き出した。


歯は、痛くないという。
口も痛くないと言う。
『ガムを買ってこい』と言うから小さなガムをあげたら、コレじゃないと腹を立ててる。

母がすっかり認知症の人。
目が見開いている。
何かを疑うような目つき。

おしゃべりが止まらない。
何かを言ってるけど、よくわからない。
自分でも口がうまく回らないことを気にしてる。

水分を飲ませようとしても、手を跳ね除けて拒否する。
トイレに連れて行くと、戸を閉めてプライバシーを守ろうとしてる
正常であることがおかしい!

17日の入所を早めたいと思うくらいボケて手に負えなかった。

いつもは8時に眠るのに、
テレビをつけろ!と言って美空ひばりを12時近くまでみていた。目を見開いて。

そして、美空ひばりのことを、整形してるだの何のかんなと言っていた。

そういえば、美空ひばりはうちのそばの病院に隠れてきていると若い頃の母が言っていたな。

次の朝は、いつもの母に戻って、ぐったりの朝だ。

ご飯食べても体が右に傾いてしまう。
傾いたことって気が付かないもんなんだろうか?
それが不思議。



8月11日祭日は、デイの後車椅子で図書館に行ったり、幡ヶ谷の商店街に行ったり、長い散歩をした。
高級パンが売り切れだってので、駅の向こうまで行ってパンを買った。

帰りはもう7時で夕焼け空の中を帰ってきた

弁護士事務所からいつもの会報がきて、
私の弁護士が退職したことを知った。

ボケたのかな?
難しい内容のことを言う人だったけど、
よくわからないからお任せしていた。

弁護士って、テレビドラマと違って
証拠を見つけてはくれない。
私がテレビに出てる弁護士のように、70年前の証拠探しに奮闘したわけだよ。

1番使えなかったのは、女の裁判官だった。
私の敵である悪党を抑えることができなかった。
裁判所の弁護士がこんな裁判はやり直せ!と怒ってたもんだ。

今まで生きてきて嬉しいことはいくつかあったけど、

人を殺したいほど憎んでいるのは、
1人だけだ。
罪にしないから人を殺していいと言われたら、惨殺したい人が1人います。


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100歳介護 入所まで10日

2023-08-08 16:37:00 | 100歳介護
決心がつかなくて伸ばし伸ばしにしていた特養入所を決めました。

目を離したすきに転倒したこと、
そして、介護で開けっぱなしにしてたトイレドアを閉めたら、🐹ハムスターがトイレに顔を突っ込んでて、ドアでギロチンしちゃった事が、私を決心させた。




マイケルのお墓 先祖代々

車椅子で美容院へ


美容院の帰りに氷川神社



住職さんが写真撮ってくれた


ありがたいお言葉


帰宅して、ゲロ掃除。
うちの前は、ゲロ場か!!



久しぶりの足湯で母の角質をとった


朝はこんな感じで、身体がふにゃふにゃ。



お昼にラーメン🍜


ある日は、セブンイレブンにお散歩

ある時は、スーパーマーケットにお散歩


ある日のデイに履いて行った靴下。


アルレルトは生きている




ゼリー飲料通の私。
水分の少ないゼリー飲料はこれだ!
こぼれなくていい。




9ヶ月のつきっきり介護だったけど、
一生で1番苦しい毎日だった。

可哀想すぎる私。

母は穏やかで落ち着いてる。
心穏やかで良かった。




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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。