アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

大腸カメラ検査記録

2015-06-04 10:09:00 | 介護
大腸カメラ検査

婦人科も内科エコーや血液も異常なしであるのに、2か月間の右下腹痛と40年間以上続く、下痢がちな腸を検査するために
とうとう、大腸カメラ検査をすることに決心しました。

結論から言うなら結果は異常なしでした。

前日処置からの詳細日記を書きます。


2015年6月3日(水曜)


本日の苦痛と明日のポリープ切除入院に備えて、
90歳の母はショートステイに預けました。

大腸カメラ前日なので、今日から検査食です。
1500円で検査食は購入しませんでした。
スケジュール表を守って飲食します。

9:00  レトルトの卵かゆと日本茶

レトルトの粥は初めて食べました。
自分で作るおかゆよりも、とろけそうにやわらかかった。
それに、おいしいし、そして、一人分がこんなに少ないということを知った。
いつもこんなちょっとじゃなくてたくさん食べているから、わたしは、太ってきたんだな。

10:00  ポカリスウェット200CC

12:00 冷やしつけうどん一人前 薬味なし 紅茶夕方までに500CC

今日はほとんど食べないつもりだったけど、友達がどうせ下剤で出すんだから食べなさいよというので、昨日からの減量でおなかもすいたので、うどんをよく噛んでひと玉食べました。


13:00  ポカリスウェット200CC

15時から19時半までお仕事 
仕事が長引いて、この辺はスケジュール通りにいかない。

20:00  レトルト卵かゆ  紅茶

20:45 大腸検査前処置用下剤 マグコロールP 
      50g中クエン酸マグネシウム34g含有 50g


この粉を150CCの水に溶かす。

塩味がする。 濃いポカリって感じだ。 薬だと思うと飲みにくい。 チクチクする。
泡立っている。 

飲みにくいから氷を入れた。  
220CCまで薄めた。
15分かかって飲んだ。 

21:00 いつ下痢が始まってもいいように、シャワーを浴びて待機だ。

21:30 副作用を感じる。
      体が遠くでしびれてて、口の中がジンジンする
      2か月間痛い右下腹部は相変わらず痛い。

      微妙な震えや動悸もある たいしたことない。

      いつも減らない体重は 1キロ減っていた。

23:00 水200CC おなかが少し痛くなってきた。

午前2時45分  マグコロール飲んでぴったり6時間後から始まった。

====ここからマグコロールによる排便日記======

① 2:45 便意を感じてトイレへ急いだ。
      第1回目だというのに、最初から水様便が勢いよく飛び出した。
      3回いきんで、3回水様便が飛び出した。 5段階中1レベルの濃い色

②     濃いお茶なみの濁った水

③     ぐるぐると腹が鳴り、思いっきり飛び出す

④     お腹が鳴る

⑤ 3:05 カレーなべを洗った水ってかんじ

⑥ 3:45 水洗トイレの水の中では全くの水様だけど、便器をよくみると小さなカス交じり

       5段階中レベル2の濃い色

腸の中が空っぽになっていくというのに、いつもの2か月続く腹痛はある。

約1時間で落ち着き、外が明るくなってきた。 体重500g減った。


      少し寝た


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午前5時35分  支持された5時よりも遅く下剤開始だ。

   
    
    

ニフレック配合内用剤
経口腸管洗浄剤 137.155g


ボトルの中に粉が入っているので水を入れて、2リットルにした。

飲みにくいというので、溶かすために水道水を入れて振ったあと、
冷蔵庫で冷やしたミネラルウォーターを加えた。

午前5時35分から6時50分まで1時間15分間かけて1リットル一口ずつやっと飲んだ。

午前8時4分 飲み始めから2時間半で2リットル飲み終えた。

昨夜飲んだマグコロールよりも薄味で塩のあじがするポカリだ。

一口飲んで、うんざりだ。

そんなこんなで、平気で飲める方法を開拓した。
ネットで、『はいてしまった』『飲めなかった』『気持ちが悪くなった』という皆様を馬鹿にしたくなった。 絶対ある種の能力のない人だと思った。


息を止めて、ぐびぐびと口に流し込み、まだ息を止めたまま飲み込む。
この段階でまだ息を止めたままだと、味やにおいは感じない、
飲み込んだらいきをとめたまま、ほんの少しでいいから
お茶をのんで息をすると、まるでお茶を飲んだ感覚となるのだ。

これで、解決だ。 2リットルもへっちゃらだった。


====ここからは25回の下痢記録=====

7回目の下痢はニフレックを飲んでわずか2分後にやってきた。

つまり、ニフレックのせいではなく夜飲んだマグコロールの下痢なんだろう

⑦ 5:38 6回目に出たものより濃い色の水がシャーーーっとでた。

⑧ 5:53 お腹がグルグルいって、濃い色の水がシャーーーー

5段階中のレベル2の薄い色


お尻が痛くなってきたので下半身シャワーを浴びる。
2階のトイレはウォシュレットがないので、ここより先18回の下半身シャワーを浴びた。

したがって、ここからは、下着も身に着けず、バスタオを腰に巻いて過ごすことになった。

バスタオルが冷たくなってきて何回も寒い思いをして、バスタオルを取り換えた。


⑨ 6:10 さっきより少ない水 少し色が薄くカスなし

5段階中レベル3の薄い色

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ニフレックによる下痢がここから始まった。飲んで50分後だ。

⑩ 6:20 腹痛とともに激しい下痢 間に合わない勢いだった。 まだ茶色

⑪ 6:44 ジャーーーーと一発噴射 まだ茶色 カスなし 変なくさい

5段階中レベル2.5の色

薬の副作用なのか、両手が冷たくなってきて指先が白く冷たい。

⑫ 6:54 ジャーーーーっと一発噴射 透明感ある濃いお茶色

5段階中レベル3の薄さ

⑬ 7:05 少ししか出ないと思って力を入れたらツーーーーと細い穴から強い水が噴き出た。
だいぶ黄色くなってきた。

⑭ 7:20 ドバーーーーっとふきだす 最後はアワのかんじ だいぶ透明

手の指先がしびれてきた 寒い

⑮ 7:40 ドバーーーー と アワ  すっかり透明

おしりがしみる。痛い。 

トイレと下半身シャワーの繰り返しだ。 冬のカーデガンを着た。 

⑯ 7:55 ドバーーーー  お尻からおしっこをしている気持だ 透明なお茶だ

⑰ 8:00 すっかり透明

ここで、洗濯・ゴミだし・庭水やり・支度で動き回った。

⑱ 8:20 いきむとお尻の穴から水がでる 透明

⑲ 8:22 いきむと出る

⑳ 8:32 シャーーーー

21回目 8:40 シャーーー
22回目 9:00 薄い透明  きれい
23回目 9:05 きれいになった
24回目 9:25 少し
25回目 9:35 たくさん

10時までに病院に行かなければいけないというのに
まだ、水がたくさん出る

途中で出るといけないので、母の尿漏れパッドを下着に敷いて
禁止されている自転車で10分くらい走って病院へ。

下痢のために体力がなくなっているとか、
睡眠不足だとか、そんなものは感じなかった。
一人で生きている根性が備わっていたと思われる。

下剤の途中で倒れようが何があろうが
一人なんで、自分がしっかりするしかなかった。


★ 一回ごとにお尻を洗ったことは最高によかった
★ 腹痛を伴う下痢じゃなくてよかった
★ トイレに行けば必ずたくさん水が出たのでよかった
★ トイレに行く苦労だけはあるけれど、下痢は苦痛じゃなかった
★ 夜中の長時間が嫌だったかもしれない
★ 自宅での下剤処置で大変良かった
★ 下痢に通う間は、下剤を飲む作業があるので横になる暇もなかった


====病院到着====

あと一回トイレにいきたいきもしたけれど
多忙につき結局行かなかった。

①血圧測定  到着して動悸がしているときの一番低かった物を提出

②検査着に着替えて準備室でただの点滴

ポリープ切除後の入院室は2人部屋をお願いした。

③徒歩でカメラ室へ

④横になって寝た。

⑤先生が来た。あ、この先生は、この町の小っちゃい病院でありながら腹腔鏡手術をする先生だ。

⑥先生に、右腹が痛いことと下痢症であることを伝えた。

⑦胃カメラをした時と同様、眠ってしまう点滴を入れた。

胃カメラの時は看護士さんの説明が終わらないうちに、意識がなくなったのに
今回は、待っても待っても意識があるし。。。。

脳みそを見つめつづけたところ、意識にイギリスパンが来ただけで
結局さいごまで普通だったと思う。

少しはぼーっとしていたんだろうか、いつも間にか何も感じない間に
お尻にカメラが入っていた。


そして、モニターを見ながら進めていくんだけど、
先生も、介助の二人の女性も、一言も言葉を出さず終了です。


何の説明もなく、先生の独り言もなく、ときどきお腹がいたかったけれど
その説明もなくとにかく静寂のなかで終わったのです。

画面を見る限り、
ああ、そうとう悪いなとわたしは思いました。
そんなでかいポリープは、切りきれないだろうし、
その真っ黒いものは相当悪いできものでしょうと思いました。

その黒いものは、便ではなくて、なんだろ? 進んでいく奥の暗いところだったのだろうか?

終わった時だけ、看護士さんが終わりましたと言ってくれました。
カメラを抜くことも気が付かないくらい感じないで終わりました。

ぼーっとしていたのかしら?

先生は、後ろ向きで無言でカルテを書いています。
カメラの前に私が心配していた右腹や下痢腹はどうだったのか聞きたかったけど
我慢した。

~~~~~~~~~~~~~~~

看護士さんに支えられて歩いてベッドの部屋まで行き、1時間ほど寝ました。
となりのおじさんのいびきがうるさかったです。

着替えて診察室で説明です。


あれ? 今日の外来担当の違う先生だ。


癌もポリープも炎症も憩室も何もなく異常なしだそうです。


カメラを見た先生に詳細に聞きたかったんだけど
異常なしのことばで終わってしまった。


二人室入院 というカルテに挟まれたカードも無駄となり
入院道具もただの重い鞄となりました。

良かったんだけど
腹痛の原因は結局わからなかったわけだ。

頭痛の原因がみあたらないMRIと同様に
腹痛の原因がみあたらない大腸カメラとなったのです。


いつもの、片頭痛のイミグランと

セレキノン ブスコパン が1週間処方された。

1週間ためしてまだなおらなかったら、『僕のところにまたいらっしゃい』と
ご指名された。


自転車で遊んで帰ろうと隣の駅までいったけど
だるくて、帰宅して、のんびりした。


母もいなくて、仕事も無くて、家族もいなくて、用事もないなんて
一生のうちめったにない。

すっごくゆっくりできた。
用事がないのに仕事を休んだことは初めてなのかもしれない。

そして、家に帰ってすぐ排便。

黄色い粘液と血液だった。


大腸がんかな?











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知的障害

2015-06-02 22:53:00 | 介護
知的障害の人を私の手で切ったことが気になって、
知的障害の子供を持つ親友に電話した。

知的障害児は、相当なるスパルタで教育しないといけないと聞いた。
両親が亡くなって一人残された障害者は、それなりの施設に入り、
半端ない制裁を加えられるんだから、いまやりすぎの位にスパルタでしつけをしておかねばならないとのことだ。

なにか、人にしてしまったときは、相当なるお仕置きで教え込むそうだ。

そうか、

わたしは甘かったのか。

障害者が居心地のいい環境を作る努力しかしていなかった。
わたしの大事にしているノートをかってに使われようが、
ほかの部屋を覗こうが、
勝手にしゃべろうが、
質問攻めにあおうが、
おならをしようが、
コンビニで買ってきたコーヒーをグビグビのんでごみ箱に捨てて帰ろうが、
子供と同じことをしたがろうが、
時間より30分早く来ようが、
30分遅く帰ろうが、
独り言をずっとつぶやこうが、
パニックを起こそうが、

わたしは我慢した。
つまり、それらがとっても嫌だった。

我慢しないで注意し続けたこともある。

女の人の体にさわるな。
女の子の写真を撮るな。
イヤホンをしてる時大声で歌うな。

このような障害者には国で無料で付き添いをつけてくれるシステムがあると初めて聞いた。

付き添いがいたとしたら
問題はなかったはずだ。

親が、知的障害者を放任したことによる問題があった。

親が知的障害についてわたしに説明がなかったことと
3年間どれだけ私が苦しんだかの説明をわたしが親にしていなかったことが

大問題だった。

~~~~~~~~~~~~~

うんざりしているところに
今日は、母がその人と同じように
何回も何回もわたしに質問をしてきた。

そうか。

わたしは、もうこの認知症の症状にうんざりしているんだ。

もう、本当は限界なのかもしれない。


しかし、母もすごく歩けなくなってきた。
猫背で表情も悪く目つきもわるくなってきた。

顔も体も気持ちもお化けのようだ。
お化けの世界に80パーセント逝っちゃってる。


わたしが大腸カメラ検査でもしかしたら入院なので
母を明日から3泊あずけるんで
メモに、  3泊ショートステイ  と書いておいたら、

いつも偉そうな母がわたしの漢字の間違いを指摘してきた。
すっごく馬鹿にして、偉そうに指摘してきた。

だけど、  っていう字は サンズイ でいいんだ。
母は ニスイ だって言うけど サンズイだとおもう。

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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。