アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

姉も面会

2007-07-30 11:02:03 | 介護
30日土曜日



私と母と姉も面会。



わたしは夕べとっても眠くなって夜11時半に寝ました。非常に早く寝たわけです。

次の日はさぞ、楽な体だろうと思ったら、とっても疲れていました。

長い睡眠はとっても体に悪いことが分かりました。不眠症には1日4時間の睡眠が丁度良いのです。



それで、面会には行きたくないと思いましたが、だるい体に鞭をうって行くのです。

仕事で疲れている姉も今日は行ってくれるというので病院で待ち合わせました。

母も、父との別れが近いことを悟って

なるべく会いに行こうとしているので

連れていきます。



到着すると、靴が脱ぎ捨ててありました。

靴は濡れていました。

看護婦さんにそれをいうと

「 お昼のみそ汁を床に置いて、靴をつっこんでいたわ 」って言います。

ジェンギンスはズボンも濡れていました。

新しく入った男の介護士さんに、トイレ誘導を頼んで、ズボンも取り替えてもらいました。

わたしも、着替えを手伝おうかと言ったら、そうして欲しいというので、一緒にトイレで着替えさせました。

トイレ誘導は一人はたいへんです。

でも、暖かいタオルでお尻を拭いてくれて、助かります。



そして、外へ車椅子をジェンが押して出ました。

ちょうど、日陰になって良い季候でした。 さっきまで30℃以上の暑さでした。

姉とも一緒になり、ベンチでしばし、のんびりしました。



姉が持参したカステラ、作ってきたおじやを少し。 アップルレモンティ。

そのうち、雨が降ってきたみたいなので

病院の待合室で過ごしました。



トイレ誘導も私がしましたが、

出ると訴えたのに

出ませんでした。

母が付いてきて、ああだこうだ言うから

うまくいかないことも有ります。



母にとってはジェンの世話が生き甲斐みたいで、えらく、世話を焼いていました。うるさいったらありません。

あれだめ、これだめ、あれダメ、これダメ。



3時半過ぎて、太陽が上がりました。

車椅子に座らせて、散歩に行くことにしました。

姉にとっても、外周は初めてです。

病院の外回りを半周しました。

緑の多い良い街でした。

母も沢山歩きました。



水曜木曜にはできる限り面会に来ていることを姉に話したら、

「 どうして? 」っていう感じで、考え方の違いを実感しました。

「 よく、面会にきてみると、介護士さんの至らない点やしてあげなければいけないことがわかってくるし、今日だって、ズボンは濡れたままだし・・」



「ズボンが濡れていたって、本人に不快感は無いんでしょ? だったら、それで良いのよ。介護士さんもそれを分かっているから、取り替えないのよ 。

施設にいれたら、お任せしていれば良いのよ 」 



みたいな感じで、

それでいて、今日もジェンギンスに

今までのお礼を述べていた。



割り切った考えのできる姉が

うらやましくもある。

ふつう、これなんだ。

だって、他の家族は、帰るのも早いし、

そう来ないし、未練がましく帰るのは家だけかも知れない。



きょうも、ジェンとただ一緒にいて、

夕方5時を過ぎました。





帰る時こう言いました。



私 「 じゃ、仕事があるから行ってくる  

    ね。 もうすぐ御飯だから、ここ

    で、待っててね 」



母 「 御飯作ってくるね 」



姉 「 ちょっと、旅行に出てきます 




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7月18日 今月最後の日記です。

2007-07-19 10:33:22 | 介護



しばらく旅に出ますので

7月の日記の書き込みは今日で休憩です。



旅に出るに当たっては、

ジェンギンスは、病院に入ってくれたから問題ないのですが

だんだん、母の様子が変になってきたので

冷や冷やしています。



今朝は9時半になっても、真っ暗で起きてこないから

死んでるかも知れないと思ったり、

具合が悪くて苦しんで居るんじゃないかと思ったり、



でも、母の寝ている部屋を開けるということは、かつて

したことがないし、寝ている母に声を掛けたこともないから

遠慮して、心配するのです。



まえまえから、呼び鈴を用意しなきゃとおもっているのに、

つい、持っていかずにいますが、

具合の悪い時ベルをならしてもらうことは、今にも有りそうなので

用意しないといけません。



心配するうち、母は起きていました。

ホッとしました。

もしかしたら、具合が悪かったのかも知れませんが

母は、言わないのです。

すごーく後になって、「 もう、起きれないかと思ったわ 」とか言うのです。



水曜は私が1時には仕事を始めるために

母とはあまり会いませんが

どうやら、今日はナント!

アメ横へ化粧品を買いに行ったというのです。

バスと地下鉄を使って駅には到着したようですが、化粧品やさんのアーケードが水曜は定休日だったそうで、とんだ無駄足となりました。




でも、アメ横には相当の化粧品屋さんがあって、ビルの方へ行けば売っているのですが、その知識と知恵と意欲がもう薄れてしまい、迷子になりながら帰宅しました。





寝ている時のベルも必要ですが、

母こそ!ドコモの探知機を持たせないといけません。

月々40円という安さに最近変わったので

助かります。 

介護保険の補助が出ているのです。

ジェンギンスは、コンナ物!って捨ててしまいましたが、母は今なら手提げに入れて持ち歩けます。

いまが、チャンスなのです。



夜は、9時半にどこからか帰ってきました。

友達の家に行って来たけれど、留守だったというので、

「年寄りは、コンナ時間に寝てる人が多いんだからもう、寝てたんじゃないの?

 それに、夜10時近くによその家に訪問したら、頭がおかしくなったって、疑われるよ」

と、私は母に言いました。



母は、「 コンナ時間だとは思わなかった」

といいます。



昨日の朝は、デイに行く前に居眠りをしていて、気が付いたときには

朝なのか夜なのか、これから寝るところなのか、さっぱり分からなくなってしまったのです。 母の寝ぼけは、長時間なのでこちらも驚きます。



寝ぼけは、1年前から有ります。



たまにしか家に居ないチョコパンが

「 お婆ちゃんに、何度も同じことを聞かれた 」 と何回も言います。

ほんと、お喋りなだけあって

よく喋るお喋りは、いつも同じ事を言っています。



目の敵にされている私は、

ほんと、苦労していますが

母も、苦労しているようです。

お互いに同居生活が苦労なのです。

母に文句を言われ続ける私と

私のやり方が気に入らないストレスのある母です。



ジェンギンスが居る時は

母は私に

「 わるいね、ありがとね、ぜんぶしてもらってありがとう、おかげだよ 」と低姿勢だったのですが、

ジェンが居なくなって、主となったいま、

独裁者となりました。



まあ、年寄りと暮らす苦労は

分かち合えるひとにしか分かりません。

これは暮らしてみると、わかるんだ。



親って言うのは、もう昔の親じゃない。





しかし、喧嘩もしたことが無く

平和に仲良く暮らしております。

至れ利つくせりしています。



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先日の土曜日は、私が一人でジェンギンスの面会に行きました。

雨だったので、外へも出れず、

みんなの居るロビーで

蒸しパン半分、おはぎ、ココアを飲みました。



そのうち、チョコパンがチャモロ君とやってきました。

チョコパンが 「 なんか、くさいにおいがする 」と英語で言っていましたが、

気にせず、体にかゆみ止めの薬を付けて、

背中のシャツを持ち上げたら、

便が着いていました。



あたらしい介護士さんにお願いして

トイレに連れていきました。



ジェンはとっても抵抗しました。

逃げようとするのです。



私と、新入社員の介護士のお兄さんで

シャツを取り替え、体を拭いて、

私たちは、汗びっしょりになりました。



便器に座らせると

まだ便を沢山しました。

顔は、ゆがんでいます。

お腹が痛いみたいな顔です。



しばらく座っていても立ち上がらず、

当分してから、無理にたたせて

支度をしました。



トイレ中がもうたいへんで、

わたしは、父だからもう平気になりましたが

新入社員の介護士さんは

たいへんでしょう!!

22歳くらいでしょうか。

偉すぎます。



この大変な施設に配属されたのは

いじめとも言えます。

いつもいつも、このお兄さんだけが

一生懸命手を抜かずに走り回っています。



ありがたいです。



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さて、私は今月いっぱい旅に出ます。





行方不明のかずのり君も

まだ見つからず、

このサイトで「赤羽で見た」という情報もいただき、都営線以外の場所にも居る可能性が分かってきました。

気に掛けてくださっている皆さまには

感謝します。



ご家族は、いてもたっても居られないほど心配しています。

知的障害のかたの行方不明捜索願は

他にも出ています。

人々協力があれば助かる命を

私たちの小さな協力で救ってあげたい気持ちです。



では、8月までごきげんよう。



MAHALO




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チョコパンが面会

2007-07-13 10:39:29 | 介護


7/11 チョコパンが面会




病院へ行く途中の川の横で

なんと、蛇がいたそうです。

東京でへびなんて、わたしは見たことがありません。

それも、こんなに長いのは、動物園にしか居ません。

近くの保育園に侵入していったので

チョコパンは、園の先生に声を掛けたそうですが

あまり、驚いていなかったようで。。。



私がとっても忙しい水曜日は、ジェンギンスの孫であるチョコパンが面会に行ってくれました。

おじいちゃんに会いたいから会いに行くのだそうです。

病院のそばのスーパで、おじいちゃんのために飲み物を選び、柔らかい食べ物を買って病院へ向かう姿が想像されます。

たまに、カフェでベーグル食べてとココアを飲んで、優雅を楽しんでいる青春がうらやましいです。

帰りには、ドーナツを買ってきたり、昨日は

カツオのたたきを買ってきて夕飯に食べていました。

平和だなぁと感じます。



そして、夕方病院から帰宅して

プンプン怒っていました。

腹をたてていました。



何があったかというと。



職場体験で中学生が病院を訪問して居たらしいですが、

いつもナースステーションの奥にずっと居て

患者のお世話はしない婦長さんが

その中学生を引き連れて、病棟を案内していたのですが、



いつもは全く患者に無関心なのに



「 ●●さん、美味しいですか 」

なんてジェンに声を掛けてくれちゃったりするし

「 ××さん、立って少し歩いてみましょうか」 なんて、拘束を解いたり、

患者さんに、やさしく声をかけて歩いていたそうです。



それが、普段全く世話をしない婦長さんが

中学生が居る時にだけそう言う態度だったので、ショコパンが怒る!怒る!



それは、そう言うモンダよ。

致し方ないことだよ。

と、母と私はなだめたのでありました。



いつも、そんな風に婦長さんが優しく患者さんに接してくれていたら、

この病棟のきつい女性介護士は

もっと改善されるかも知れません。



責任ある仕事はたいへんです。

危険が多い命に関わる仕事は

たいへんだと思います。



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さて、ジェンギンスは元気だったようです。

プリンを食べて、蒸しパンを半分食べて、

ボール遊びをし始めたら

「 コンナ所で、遊んじゃいけないよ 」とジェンギンスが言い始めたので

もう、ボール投げはすぐに中止したようです。

職場体験の緊張した雰囲気が合ったのでしょうか?



3人の中学生が飴を配って、ジェンも食べました。

その後に、CCレモンを飲んだモンダから

酸っぱくて、「 熱い!」といって

ふーふーしながら飲んだそうです。



ジェンギンスのご機嫌もよく、チョコパンは早々に

帰宅しました。

腹を立てながら・・・・



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特養申請と介護度みなおし

2007-07-13 10:37:04 | 介護



自分だけで生きているのは楽なことですが、ひとの分まで生きるのは

たいへんです。



今日はジェンギンスの特養申請をしてきました。



わたしの住んでいる渋谷区は

特養申請の有効期限が1年間です。

だから毎年申し込むのです。



7月30日が締め切りなので

今日の金曜に急いで出してきました。



昨年に引き続き2年目の待機です。

昨年は、順番が10番ということで

これはすぐに、特養に入所できると思っていたら、10ヶ月待ってもまだ順番が来ません。

入所者120名、毎年30名が退所するのに、どういう訳か順番が来ない・・・・



きょう聞いてみたら、

男性は元もと少なくて。。。。ということだ。



あと、身体拘束について聞いた。

基本的にしないって。

家族が頼み込んだらつなぎを着せてくれるかと聞いたけど、

その頻尿の度合いにもよるし、対策会議も開かれるって。



これが普通だよな。

ジェンの病院は、どうしてあんなに

拘束するんだろう。

日本でも有名な認知症センタのある

この病院。。。

人気の高い有名なこの病院。。。



話は変わるけど、

日本でも有名な眼科の病院で手術を受けた母は、まったく手術前と変わらず、

たいそうなお金をかけて手術したにもかかわらず、

ドウしてくれるんだ。



と、言うわけで

特養入所を待っています。

渋谷区が提携している多摩市や八王子市はすぐに入れるということで、

今すぐにでも入所出来ますが

遠い駅からさらにバスに乗り継いで徒歩5分。



面会に行きたいので

遠いところはこりごりです。

おおぼけだったら、遠くていいかなぁ・・・

いやいや、そんなことはない

どんなかたちでも生きていれば

苦しみがあるんだから、それを取り除くのが、生きている私たちの使命だ。



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そして、今日は母の介護見直しの面接。

二人の人が面会に来ていました。

わたしは、特養に行ったり、犬の散歩をしたり、買い物をしたりで立ち会いませんでした。

その代わり、最近の状態や病院結果やクスリ名をノートに書いてお見せしました。



かかりつけの医者にも同様に紙に書いてわたしました。



母は要支援1なので

週に1回しかデイサービスにいけません。

楽しいので2回行きたいと母も言ってくれるので

どうか、要支援2にすすんで

デイに2回行かせてあげたいです。



どういう訳か、体操の最中に

寝ている母ですが

家に居たのでは、体も精神も衰える一方です。



病院にも相談員さんにも

介護度を上げたいと、はっきり言っておきました。





さて、明日から世の中は連休ですが

わたしは仕事をします。



禁酒禁甘禁量禁せんべい禁乳



みるみる体重が減っています。



体重減らすのは簡単なんだけど

体壊すんだよね



あすは、じいちゃんのところへ

会いに行きます。

けっこう、楽しみだったりします。



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七夕面会

2007-07-07 10:53:47 | 介護


7/7 七夕面会


里見まんじゅうをあげたら

美味しくて美味しくて

ちょうだいなって、手を出すのですが

制限しました。

今度は一番最初にあげてよろこんでもらおう。



7日土曜は、母と私が一週間ぶりに面会に行きました。

水曜には、チョコパンが面会してくれたのでわたしは、木曜も家で用事をすることができました。



7日は七夕ですが、今年は雨もなく

暑さもほどほどで、良い季節です。

七夕の願い事も、そんな考えをする暇やゆとりがありません。

こころで願う余裕もありません。



長年生きていると

奇跡のおこる神社を見つけることができます。

ほんとうなんだから・・・

癌が消えたり、危篤がなおったり・・・

親戚が病気になるたびにお参りすると、どういう訳か長生きするんだから・・

そろそろ、あの神社に行かなきゃならんが、行く暇が無い。

たくさんのひとの奇跡を起こさないと・・・



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この頃、母も一緒に面会に行きます。

急に死んでしまうことがあるから

いけるうちに行くんだそうです。

どっちが先に死ぬのかは、不明です。



支配者の母とのお出かけは

それはそれは、神経が参ってしまいますが、さいごまで支配してもらいましょう。



私は今まで多くのひとと付き合ってきて

今日思った。

!!!自分の自慢話はしない!!!



~~~~~~~~~~~~



さて、1時40分に病院に到着し

1階の待合い椅子で体を休めてから

3階に上がります。



ジェンギンスは、おとなしくみんなと一緒のテーブル席に座っていました。

男性席です。

まわりのおじさん達に挨拶すると

話もできないお年寄りが、お辞儀をしてくれます。

エリートのおじさんは、声をだして笑ってくれました。 半年前あんなに一日中歩いていたのに、いまでは拘束されて歩けません。

面会に来ている間は拘束を外してくれるので毎日面会に来たらいいのですが、とうとう不自由な体になってしまい、それより、太っていた顔が痩せてしまって気の毒でした。



トイレ誘導も終わっているようなので

すぐに外に出ることにしました。

車椅子を押して歩いて行くことが出来ました。

カンカン照りもおさまって曇り空です。

蒸し暑くもないし、丁度良いです。



お庭中央の、いつものベンチで

座らせますが、座ることができなくて

苦労しました。座ることが分からないって、ひとには通じないかも知れませんが、動作を指図するのはたいへんなのです。

立つのも、座るのも、介護者の都合で動かしてはならないわけです。



後々のことを考えて、ベンチではなく、車椅子に座らせました。



私のために持参したおにぎりを

結局たべさせ、

バナナ一本。

ヨーグルト。

そこまで食べて終わりにしようとしましたが、ジェンの脳みそは

食べるスイッチが入ってしまいました。



話すことも動作も食べることです。

わたしのカバンもあさろうとします。

カセットレコーダーをかじったり、吸い込んだりしています。



小さな里見まんじゅうをちぎって

あげました。

すごくおいしい!!といって

夢中です。

ちぎって母も食べました。

母もすごく美味しいと言います。

じつは、わたしも好きです。

50円の里見まんじゅうは美味しいです。

でも、わたしは間食はしません。

禁酒禁甘禁量です。



空は、暗くなって雨が降ってもおかしくない空気でした。

すると、ジェンギンスが

「 雨がふりそうだな 」 なんていうので、これはすばらしい判断力だと関心しました。



とにかく食べたがるので車椅子で外周して、食べ物のことを忘れさせます。



外の公園まで行ったら、またいつもの

「Uターンして帰るよ!」と母の支配がでてきたのっで、

「 おかあさんは、ここから病院にさきに帰ってまってて、わたしは一回りして庭にもどるから 」って言ったら

一緒にくるというので、きょうは大きな坂を下ったりして、なんかヨクわからないけど、次の病院の門から入って、

知らない病院の敷地をあるいてやっと

病院に戻りました。



そしたら、母がブー垂れてました。

ダカラ・・・やっぱり先に帰っててくれないとジェンの散歩もできません。



私より5倍遅くあるく母は

ひとより5倍長く歩くのですから

それは、疲れます。

それにあんなにゆっくり歩いたら

わたしは必要のない筋肉をつかって歩くことになるので、非常に疲れる歩き方です。

長生きってつらいです。

人間は75歳で死ぬって言う法律が

あと300年くらいしたらできるでしょうか。

一夫多妻の法律改正が、あと300年くらいしたらできるでしょうか。

家族は大勢で協力し合わないとうまく生活出来ないです。



~~~~~~~~~~~~

さて、外周から帰ってお庭でくつろごうかと思ったら、母が病院に帰るって支配するから、ジェンの病棟に戻りました。

2時間以上時間が経過しているのですが、さっきのお年寄り達は

何の変化もなく同じ場所に車椅子に座ってあげくに立ち上がれないように拘束されています。



新しく入ったおばちゃんは

「 包丁ありませんか? 」ってベルトを切りたくて声を出しています。



いままで歩いていたひとを拘束するって・・・安全優先とはいえ

ドウなんだろうか?

「 じゃあ、転んでもいいんですか!

 ここは畳とは違うんですよ! 」

看護婦のきついいいかたが、耳から離れません。



この病院施設は良いのか悪いのか

分かりません。



昼間のトイレ誘導は非常に有り難いです。

暖かいタオルでお尻を拭いてくれます。

たっぷりのパットでお尻を固定してくています。

ショートステイのお尻拭きは、薄い紙だったから、あれじゃ、お尻も綺麗になりません。

この病院のトイレ誘導装置セットは

すごいモンダと思っています。

なにがといえば、お尻拭きタオルの充実でしょうか。

いままで見てきた幾つもの宿泊施設は

ただトイレに連れていくだけだったから。



お尻拭きタオルの充実と

床を拭く雑巾の充実はびっくりです。

ほんと、始めてみました、あの

堅くなった雑巾の束。

専門の業者がつくっている雑巾なんでしょう。



さて、病棟に戻ってしばらくすると

ジェンはトイレに行きたいと言って

立ち上がりました。

わたしが誘導しましたが

途中で親切な看護婦さんに会って

トイレに誘導してくれました。

カーテンのトイレをみるなり、プライバシーを守るために勢いよくカーテンを閉めてしまったジェンギンスです。

走るように便器に腰掛けていました。

呆けていると思っても、ちゃんとズボンを下ろしてトイレに座れるのです。



親切な看護婦さんは、根気よく

カーテンの隙間から見守ってくれていました。

たくさんの便もでて、良かったです。



これこそ、付き添いが居たせいで

トイレに行きたいときに行かせることが出来ました。

ジェンが立ち上がっても、介護士さんはトイレに行きたいことを察してくれないでしょう。

心の叫びは、家族が分かってあげれるのです。

週に1.2回しかトイレを察してあげれないつらさが襲ってきました。

かわいそうなジェン。

かわいそうな拘束されたお年より。



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5時になり、ジェンも健やかにしているので、帰宅しました。



母が帰りに言いました



「 このちょうしだと

 

 お父さんは



 こんどの正月まで



  ・・・・・・



  。。。。。





 生きてるよ 」


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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。