アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

ホッとする土曜日

2006-01-28 22:40:50 | 介護


私の家では両親以外の家族が
スキーに行ってしまった上に
仕事もデイサービスも無い土曜日で
ホッとする。

でも、私は午前のアルバイトがあって
朝ごはんの支度をして急いで出かけた。

昼過ぎに帰宅して
コートも脱がずにうどんを作って
両親に食べさせる・・・
自分のお腹が空いていたので
卵や山芋、やさいを入れておいしく作った。



ダイエットしている自分にとって
うどんダシに結構砂糖を入れることが
気になったが、おいしく作るには
仕方が無い。

つゆを飲まなければいいんだと思いつつ
全部飲むのが自分のルールだ。



~~~~~~~



母が言った。

母 『 いずれ私たちは死んで居なくなるけど

  あんたはそのうち一人になってしまう。

  どうするんだ? 』

私 『 自分は一人で暮らしたいって

    言ってるくせにどういうことよ。

    わたしは、一人になりたいよ』


私って大きなボランティアをしているなぁ

さて、ジェンギンスは
夕方からそわそわしていた。
何処かへ行かなければならないけど
よく分からなくてイライラしているようだ。


夕飯の照り焼きバーガーもそこそこに
そわそわだ。
サンドイッチみたいにはさんであるものは
バラバラにしてしまうので苦手になったな。
いくら、『 口でそのまま噛んで!かじって!』と
いっても、うなずくだけで手でちぎって食べるから

バラバラだよ。



そわそわしている最中に、
スーザンは

『 ご飯がいいの? ご飯がいいの?』

って、いまにもセブンイレブンに行きたそうだったけど、留まらせた。



時間を置いて

『 おじいちゃん!夕飯のサンドイッチだよ』

と差し出したら

『すいません』と恐縮しながら食べてくれた。

特性パンプキンスープも全部飲んでくれた。


私が見届けた8時間の間、コタツテーブルに
座りっぱなし。
トイレも行かない。


昼に皮膚科に連れて行ったそうだけれど
病院はやっていなかったらしい。
昼休みに連れて行ったんだな・・
行く途中、足が痛くて歩けなかったらしい。



近所のお年よりは
父よりも体が不自由なのに
一生懸命散歩して、関節が動く努力をしている。
向上心のあるお年よりは偉いと思う。
涙ぐましく偉い。


バップフォーの膀胱が長い時間我慢してくれるという薬は、この3日程、効果が無く夜中に4回は起きるらしい。

昨日は、母があまりに眠れないので
ワインとデパスを夜中に飲んでぐっすり眠ってしまったので、ジェンギンスが夜中に起きてもわからなかったそうだ。

朝起きると、あちこちの扉が開け放たれていたそうで、母は、放尿跡をさがしたけれどどこも濡れていなかったとのことだ。



あぶないあぶない


お昼のうどんを食べるジェンギンスと

介護に疲れて眠りこけるスーザン




コメント

歳をとるって大変なことです

2006-01-27 22:32:33 | 介護


今日は金曜日。

わたしは午前の仕事が始まったので
朝食・昼食・夕食下ごしらえの準備を万端にして
午前に家を出てしまう生活となった。

今日も『お先に行ってまいります。向こうで待ってますからご飯を食べたら来て下さい』 と適当な言葉をかけて家を出た。

都合により、いつもの昼には帰らず、自分の本職の始まるギリギリの時間に帰宅したら
居ないはずのジェンギンスは家に居た。
デイサービスを休んだようだ。



理由は

『 ひと月に一度近所の病院で診察を受けないと

  先生の機嫌が悪いし、薬を出してくれないから』 

と、母のスーザンが言う。



大学病院は3か月分の咳止めが出ていると言うのに、ひと月に一度の診察って本当か?

大学病院の診察料は140円なのに

近所の医者は、それがまた、ビックリするほど何十倍も支払っているんだからこれでいいのかと思う。

薬は大学病院でもらえるんだから

近所の医者の言いなりにはなりたくない、と私は思うんだけど、ケアマネージャも口をすっぱく、そう言ってくれるんだけど、

昔ながらの近所の医者とは縁が切れないようだ。



医者で失敗した話を掘り返しても

いっこうにいう事を聞かない母であるが、

その母は、どうも、最近おかしいんだなぁ。



医者で失敗した話というのは、

父は大昔、胆石でたいへん病んでいたんだ。

モルヒネで痛みを抑えていたんだ。

その医者は神様を信仰している人で

手術をしてはならないと言う医者だったそうで、

母は、その医者の言うとおり、切らなかったわけだ。



母の実家の医学に詳しい人々から

『切れば済むことだ』と言われても

耳に入らず長期の痛みに苦しんでいたのだ。



医学知識に乏しいことは、悲惨だ。



そんな、失敗をよく繰り返す母であった。

母の弟も腎臓病で亡くし

母は当時その病院でよかったのかと苦しんだらしい・・・2年前にこの実家を私が片付けていたら

古い本が出てきて、母のそういう手記の記事がでていたんで母の悲しみを初めて知ったわけだ。



何があっても、母には逆らえないのだ。

強者だからね。

母の年寄り親戚一同リーダー各の強者なのだ。



話はそれたが、

私が、仕事に間に合うように帰宅したら

『 どうしてギリギリに帰ってくるのよ!』と怒られた。

母は、ジェンギンスが家に居るせいでどこへもいけずストレスの塊だった。

早く誰かに帰って来てほしくて待っていたようだ。



でも、ジェンギンスが家にいるなんて知らなかったから、どうしょうもないし、私は、涼しい顔をしているけれど、すごくハードな生活をしているのだ。



まあ、いつものように逆らう事も無く

『 犬の散歩はわたしが夜行くからね』と言い残したが、

押さえのきかない母は

スキー準備で忙しいチョコパンにジェンギンスを任せて、メリーの散歩に行ったようだ。



そうだ、昨日はジェンギンスが夕方久しぶりに

家をウロウロして、2階の部屋にはいりこみ

パソコンや書類をいじるのでスーザンは困惑していた。

わたしは仕事中で場を離れる事ができないので

スーザン任せにしたのだ。



だから、私の仕事が終わったとたん

スーザンは、家出をした。

もう、我慢ならなかったのだ。



私自身は父の介護というより

母の介護以外の全てを引き受けている。

掃除、食事、 生活・・・

母は、父だけをみていれば良い様に

しているつもりでも

母は、なお、ストレスがたまるようだ。



母は、一人になりたいと言います

私たちが邪魔になってきたんでしょうか・・・

私たちは引っ越しても構わないのですが

とにかく、ここに引っ越してくるにあたって

500万円以上のお金をかけてこの家をリフォームしたんで、そこだけがどうしましょう・・ってかんじです。

解散したいです。

家族一人一人解散したいです。

人と一緒に暮らすことは重荷です。


チョコパンが今日もからかう。

お陰で、ジェンギンスは笑うし冗談をかっ飛ばす。



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歳をとるって大変なことです

2006-01-27 22:32:13 | 介護


今日は金曜日。

わたしは午前の仕事が始まったので
朝食・昼食・夕食下ごしらえの準備を万端にして
午前に家を出てしまう生活となった。

今日も『お先に行ってまいります。向こうで待ってますからご飯を食べたら来て下さい』 と適当な言葉をかけて家を出た。

都合により、いつもの昼には帰らず、自分の本職の始まるギリギリの時間に帰宅したら
居ないはずのジェンギンスは家に居た。
デイサービスを休んだようだ。



理由は

『 ひと月に一度近所の病院で診察を受けないと

  先生の機嫌が悪いし、薬を出してくれないから』 

と、母のスーザンが言う。



大学病院は3か月分の咳止めが出ていると言うのに、ひと月に一度の診察って本当か?

大学病院の診察料は140円なのに

近所の医者は、それがまた、ビックリするほど何十倍も支払っているんだからこれでいいのかと思う。

薬は大学病院でもらえるんだから

近所の医者の言いなりにはなりたくない、と私は思うんだけど、ケアマネージャも口をすっぱく、そう言ってくれるんだけど、

昔ながらの近所の医者とは縁が切れないようだ。



医者で失敗した話を掘り返しても

いっこうにいう事を聞かない母であるが、

その母は、どうも、最近おかしいんだなぁ。



医者で失敗した話というのは、

父は大昔、胆石でたいへん病んでいたんだ。

モルヒネで痛みを抑えていたんだ。

その医者は神様を信仰している人で

手術をしてはならないと言う医者だったそうで、

母は、その医者の言うとおり、切らなかったわけだ。



母の実家の医学に詳しい人々から

『切れば済むことだ』と言われても

耳に入らず長期の痛みに苦しんでいたのだ。



医学知識に乏しいことは、悲惨だ。



そんな、失敗をよく繰り返す母であった。

母の弟も腎臓病で亡くし

母は当時その病院でよかったのかと苦しんだらしい・・・2年前にこの実家を私が片付けていたら

古い本が出てきて、母のそういう手記の記事がでていたんで母の悲しみを初めて知ったわけだ。



何があっても、母には逆らえないのだ。

強者だからね。

母の年寄り親戚一同リーダー各の強者なのだ。



話はそれたが、

私が、仕事に間に合うように帰宅したら

『 どうしてギリギリに帰ってくるのよ!』と怒られた。

母は、ジェンギンスが家に居るせいでどこへもいけずストレスの塊だった。

早く誰かに帰って来てほしくて待っていたようだ。



でも、ジェンギンスが家にいるなんて知らなかったから、どうしょうもないし、私は、涼しい顔をしているけれど、すごくハードな生活をしているのだ。



まあ、いつものように逆らう事も無く

『 犬の散歩はわたしが夜行くからね』と言い残したが、

押さえのきかない母は

スキー準備で忙しいチョコパンにジェンギンスを任せて、メリーの散歩に行ったようだ。



そうだ、昨日はジェンギンスが夕方久しぶりに

家をウロウロして、2階の部屋にはいりこみ

パソコンや書類をいじるのでスーザンは困惑していた。

わたしは仕事中で場を離れる事ができないので

スーザン任せにしたのだ。



だから、私の仕事が終わったとたん

スーザンは、家出をした。

もう、我慢ならなかったのだ。



私自身は父の介護というより

母の介護以外の全てを引き受けている。

掃除、食事、 生活・・・

母は、父だけをみていれば良い様に

しているつもりでも

母は、なお、ストレスがたまるようだ。



母は、一人になりたいと言います

私たちが邪魔になってきたんでしょうか・・・

私たちは引っ越しても構わないのですが

とにかく、ここに引っ越してくるにあたって

500万円以上のお金をかけてこの家をリフォームしたんで、そこだけがどうしましょう・・ってかんじです。

解散したいです。

家族一人一人解散したいです。

人と一緒に暮らすことは重荷です。


チョコパンが今日もからかう。

お陰で、ジェンギンスは笑うし冗談をかっ飛ばす。



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トイレが風呂にみえるらしい

2006-01-24 22:27:27 | 介護


最近、父ジェンギンスをみていて

もう、お気楽に日記に書く気力もなくなるくらい

限界を感じてきた。

私の限界というより、母の限界だな。



深夜の付き添いは重労働だ。

でも、一生連れ添うべき夫婦だから

いくら、施設があるとはいえ、捨てることはしてはならないという考えがある。



いくら、家族の生活があるとはいっても、

尊敬するべき親を見放すことは、たいそうに

辛いのだ。



しかし、



限界が来ていると感じ、

自分自身はある年齢でこの世を去る決心が固まった。

自分の密葬の予約のことや、献体そしてさまざまな臓器の提供や、支払いいっさい・・・準備には相当の時間がかかると思われ、人に迷惑のかからない死に方なんか全然無いと思われ、

さまざまな考えをしていたら、眠れなくなって

そしたら、階下が夜中に騒々しい。



ジェンの声も、スーの声もきこえるし、穏やかじゃない。

寝たかと思えば、又聞こえる。



わたしは、寝ていないのに

苦しんでいたので降りていかなかった。



朝聞くと、



ジェンギンスがトイレに起きたので、誘導したけれどトイレをお風呂だと言い張って、

服を脱ぎだしたと言う。

そして、便器に手を入れたら冷たくて

『 水じゃないか!』と怒りだして、

さらに、トイレかなにかを探すけれど

見つからず、玄関でしそうになるをの

母は止めて、

そのうち、トイレには行かず眠ったが

再び起き上がって、なんとかトイレを済ませたらしい。



朝起きたら、玄関に飾ってある置物が

グチャグチャになっていた。



どんな、騒動があったのかと思われた。



しかし、

大学病院からのバップフォーの尿意を我慢する薬は効果が有るらしい。

飲んで2日目から夜中に起きる回数が減ったと

母は喜んでいる。



しかしだ、

どうも、夜中に異常行動があるように

思われる。

これは、副作用症状だ。



薬は長期にわたって

沢山飲んでいるから

飲み合わせが悪いに違いない。



バップフォーは飲ませたいので

どうか、異常行動が治まってほしい。





肝臓のウルソ2錠

気管支拡張剤 1

痰きり 一日2回

ハルナール 1

バップフォー 10㎎×2

尿量調節 一日2回



この10錠を飲んでいる。

9月から飲み続けている。



バップフォーが加わってから

夜中がおかしいんだな~

精神異常がある。



==========



今日も、一日見ていて

もう、終わりだな~と思った。



そしたら、夜私たち家族に

丁寧に頭を下げて挨拶するし

恐縮して足をそろえてお行儀よくしてるし。



あああ~~かわいそうなおじいさんに

変身しちゃったよ。



時々、かわいそうないいおじいさんに戻るから

家族は吹っ切れないんだ。



神様は人を、うまい具合に

おつくりになったものだと思う。



父は昨日デイサービスに行く途中で

凍結した雪に滑って転んだ。

不覚にも、わたしが父のそばに行こうとした

1メートル前で転ばれた。

でも、無事だった。

母が氷の上で支えていた。

大事故になるところだった。



今日は、氷道を避けたので

バス停まで10分の道のりを

1分で着いた。 横断歩道を渡らないと

近いのだ。



夜、スーザンが風呂に入っている間に

スーザンの引き出しを開けて、スリッパをしまったり

下着を取り出したり、床に散らかっているものを

押し込んでいました。

『 ばあちゃんに怒られるよ~』と言ってもきこえないらしい。

スーザンが風呂から上がってきて、

激怒するかと思ったら、『 よしよし 』って感じで

無事済んだ。





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泌尿器科に相談

2006-01-20 22:18:04 | 介護
2006年1月20日


とにかく、今一つだけ願いをかなえてくれるとしたら、ジェンギンスの夜間頻尿を取り去って欲しい。

これさえなければ、そう苦労はないのだ。

わたしは、夜間に面倒を見ていないから
私自身は逃げている形だと思うけど、
歳をとった母のスーザンが気の毒でならない。

1回や2回の夜中のトイレ通いなら、まだ!
我慢が出来るかもしれない。

しかし、数回以上にわたってトイレに通う挙句に
トイレの場所はわからず、漏れそうにもなるから
いそいで誘導しなければならないし、
トイレの後は、寝る場所も、体を横にして寝る動作もわからないので、それに付き合うのは、たいそうに大変な事なのだ。

排尿の自覚が死ぬまであると思われる。
死ぬまで、トイレに歩いて行くと思われる。



~~~~~~~~~~

以前から相談している大学病院泌尿器科の
診察日となった。

3ヶ月前に、家族だけの診察で良いといわれ、
私一人が行って来た。
まえまえから、強気で先生に気持ちを訴える事が出来なかったが、今回ばかりは
もう、家族に死者が出そうなくらい困窮しているので、大きな覚悟で診察に臨んだ!

~~~~~~~~

いつもは両親を連れて行く大学病院だったけれど、私一人なので、10分で病院に到着した。

一人だとはやいわ~~

早足で診察券を機械に入れて、
すばやく泌尿器科へ到着。

どういうわけか空いていて、即診察室に入れた。
わたしは、極困りの内容を伝えた。
夜間頻尿付き添いの母がもうだめになりそうだと伝えた。

もう、この頻尿を止めて欲しいと訴えた。
テレビで宣伝してる夜間頻尿の薬を買いたいぞ!
と訴えた。

医者の言葉



『  薬局で売っている、頻尿の薬はダメです。
   中途半端で効かないから、絶対やめたほうが
   いいです
   夜間頻尿を止めること自体はできません。

   歳をとると、夜間に尿を沢山作るのです。 
   だから頻尿になることは避けれないのです。

   残された処置としては

   1.尿道に管を入れること。

   2.手術をして、筋肉を切ってしまい、

   尿意をまったくなくしてしまうことが出来ます。
   それでは、
     別の薬を出しましょう。
    なぜ、今までこの薬を出さなかったかというと
   この薬は、腎臓に働きかけて、尿を作らなくし

   てしまうのです。って確か言ってたと思うんだけど・・

   全く、出なくなってしまうことがあるのです。

   そういう、悪い状況が生まれてくるかもしれません。
   これは、女性の尿漏れにも使われている薬です。
    いままで、1時間に一回だったものが、一時
   間半に一回くらいには減るかもしれません  』

といいわけで、わたしはこの薬に期待するわけです。
ただ、尿が出なくなってしまったらたいへんです。

その辺は、注意深く見ていかなければなりませんが、 わたしは、ジェンギンスがトイレに行く姿を
ほとんど見たことがありませんから、
どうしたらいいものか・・・

デイサービスでも、まったくトイレには行かないようだし。
夜だけがジェンギンスのトイレタイムです。

~~~~~~~~

二日ほど、服用しました。

バップフォ~~
母が近所の医者から出してもらって飲んでいる薬と同じでした。
母は20ミリグラムを一日1回です。
父は10ミリグラムを一日2回です。

母のいう事には

『 ときどき、トイレに行ってもぜんぜんでなくて
  うなってもでないことがあるわ。』

ええ~~
それって、いけないことですよ!

昨夜は、夜中の1時半過ぎに就寝して
早朝までトイレには起きなかったそうです。
4時間ほど持ったわけです。

薬のせいでしょうか・・・
さいきん、ジェンギンスは怒らなくなったし、
家の中を元気に戸締りして歩く事がなくなりました。

今夜は、家に帰りたいけれど帰れなくて困っていました。
仕事もしたいそうです。
・・・あさは、何もしたくないくせに!

仕事の打ち合わせで、人と会わなければならないのに、日曜はジェンギンスがいるので家に来てもらうことは断って外で打ち合わせです。

さんざんです。


 あさ、デイサービスに行く前にお茶をのんで
テレビを見ているジェンギンス。
午前中は比較的素直なときが多い。
でも、ときどき、拒否が強くて何もかも
受け入れないときがある




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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。