アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

じぶんのボケに気付かないもんでしょうか

2010-01-24 01:14:00 | 母の介護
今日は日曜日です。

毎日寒くて、暖房の入った部屋以外は凍えています。
外に出るのもいやでいやで、メリーの散歩はもう何ヶ月も
逝っていません。

そんなに寒いのに、
母は必ず買い物に出かけます。
このごろ新宿にバスに乗って行ってしまいます。
厚手のカーディガンだけで行きます。

今日は、新宿でジャムを買ってきました。
北海道の物産展をやっていたらしくて
目にいいからと、カシスのジャムです。

母の目はつぶれるんじゃないかと思うくらい
まぶしそうでほとんどつぶったままなのです。
いったい、どこが悪いのでしょうか。

医者の言うには、もう油が分泌されないから
乾いて痛いんだって。

目がクシャクシャだから、キレイだった母は
もうキレイじゃありません。
かわいそうです。

お化粧して髪をきれいにしてあげることは
私のお勤めなんでしょうか・・・
わたしは、母に何もしてあげていないです。

弱気の母なら
いたわってもあげるのですが
相当の、ヒットラーですから
反抗する気持ちしか生まれません。

わたしも家族も毎日叱られています。

今日ジャムを買ってきたとき、
『 1200円もするジャムだよ、高いのを買ってきたねぇ
  目に良いって・・・目のナニにいいのよ? 』
と、母を責める私です。

そばにいたマクドウウェルが、母をかばってくれました

『 いいの!! 目にいいものを買ってきたの!!』と
私を怒ってくれます。

母にとってマクドウウェルは救いです。

お仕事から帰宅した娘のチョコパンは

『 ジャムを買ってきたの?
  素敵だね!
  ジャムを買ってくるなんて外国みたいだね。

  いつも高いジャムが欲しいと思っても高くて変えないんだよ。
  おばあちゃん、いいものかって来たね。

  ヨーグルトに入れて食べるよ。 』

・・・なんてできた孫でしょうか。

私の家では、ジャムを食べきったことはこの80年間ありません。

母は、夕方の買い物で食パンを買ってきました。
ジャムを買ったことを覚えているらしい。

それにしても、
スーパーマーケットに行って
同じものを買ってくるんだな。
帰宅直後にはもう、買ったものを忘れているので
そうとう、記憶できていないんだ。

食べ物に関する記憶の脳みそは壊れやすいらしい。

それにしても、
12月には回復しないかと思われた具合のわるさでしたが
なぜか、今月は元気です。

元気で外出しています。
食事も食べてるし。
甘いものも買ってくるので胃も悪くないらしい。
ありがたいことです。

元気で長生きは歓迎です。

母にはいま、病院の薬を一切飲ませていません。
なんか、飲んでも飲まなくても同じだ。

血圧だって飲んでないけど、高くない。
うつ病のくすりなんか、絶対飲ませない。
悪い事ばかり考えて暗くなっていたって、鬱の薬はのませません。

鬱の薬を飲んでいて、認知症にならなかったひとって
いないでしょ?
全員おかしくなっちゃってるでしょ・・・

飲まなくてもおかしくなっちゃテルけどね。

だから、認知は何しても何をしなくても
かかるもんなのね・・
年寄り病だから、認知になるのは当たり前なのね・・・

優しくします。。。
残り少ない母の人生をやさしくしましょう。

後悔しないように癌張りなさい!!
と、自分に言い聞かす。


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週末です

2010-01-23 00:48:00 | 介護
前までは週末をとても楽しみにしていましたが
家族のチョコパンが土日にお勤めがあるので
早起きはかわらず、お弁当作りも毎日、あげくに
私の仕事も土曜午前中から入っています。

ホットでできる日がありません。

でも、火曜木曜土曜は母がデイサービスに行ってくれるので
家にいる気遣いと昼食準備から解放されています。


今月の初めに、セブンイレブから何回もカルビ弁当を買ってきて
とうとう、返品させたわけですが、

今日も、わたしは返品に行きました。

新宿の薬屋から買ってきたリハビリパンツです。

母はこのごろバスに乗って新宿に行ってしまいます。
病院にいくときは、タクシーしか乗らないのに
なぜか、バスに乗って新宿に行くのです。

コートを着ないで行ってしまうので
困ります。

どうやら、なにか良い事を期待して行くみたいですが、
買うものも無く、疲れて帰宅です。
先月まではアンパンや蒸しパンを買ってきて困ったんだ・・・
今月は手ぶらで帰ってきます。

。。。。
それで、今日はでっかい黒い袋を提げて帰宅しました。
リハビリパンツ一袋を買ってきたのです。

ええ~!!
リハビリパンツは、ダンボールで取り寄せていて、
よそのお年寄りに安く譲ってあげてるっていうのに
なんで!! なんで1700円もだして買ってくるのよ!!

社会福祉協議会というところで、市販の2割だけ(300円くらい)で
購入させてもらえるってから、そこからたくさん取り寄せてるのに。。

どうして、覚えてくれないんだろ。
どうして、押入れを開けて探してくれないんだろう。

冷蔵庫の中もちっとも見ないから

いまや、

ヨーグルト、漬物、キムチ・・・・
毎日ヒトパックずつ増えていくこれらに
吐き気を覚えます。

それで、1680円のリハビリパンツは
私がチャリで新宿まで行って返品してきた。

そうだ、母は自分で買った宝くじの当選金をもらってきました。
5000円くらいかな、私にくれました。
昨日も母はわたしに1万円くれました。

母は貯金通帳をもっていて
昨日もお金を下ろしてきました。
なにしろ、ひと月に9万円の買い物をして
それをわたしが捨てるんですから悲しいもんです。

いまに、買い物ができなくなってくるんですって。。
お金のことがわからなくなってくるんですって・・・・

母はいま、日にちがわからなくて
新聞をみて確認しています。

父ジェんギンスと同じ行為です。
でも、父ジェんギンスは
16年間のアルツ人生のうち、最初の3年目でこの新聞確認が
始まりました。 
アルツを自覚する苦しい時期でした。
心苦しむ時期でした。

母も、自分がおかしいことはわかっているんですって。。。
わかっていても、おかしいんだな・・・
記憶の記名力がどんどん衰えて。。。

電池切れになっている探知機を
かばんに入れておかないと、
ひどいことになる予感がする。・・・


積極的に介護に協力してくれる同居していない兄弟姉妹というのが
いるならば、
そんなえらい兄弟姉妹に会ってみたい。

たいていは、同居している人にまかせっきりで
口だけはなんか言ってるかもしれないけど、
くちなんか、だれでもいえるわ!

それは余談で、世間の話で。。

父ジェんギンスが、アルツが酷くて
拒否ばかりで、意地悪やいやみの多い人間だったとき
クソジジィ!!もうどうにでもなれ! って思いました。
もう、すごく大変な介護の毎日でした。

今思えば、病気の脳みそに対してもっと優しくしてあげたかったと思います。

それなのに!!
母が、毎日毎日、口うるさくて、あれしろコレしろ!とわたしに命令して支配していると、わたしは母にぜんぜん優しくできません。

もう、ため息しか出ません。

父が亡くなって私が壮絶介護から解放され、すっかり楽になったはずなのに
ゆとりの無い毎日です。



いま、午前1時半。
夕食の片づけをいまからして、
朝食の用意をいまからして、
そのあと、自由時間になるので
自由にして、
今日も4時に寝るのです。

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元気で留守がいい。

2010-01-20 09:58:00 | 介護
毎日がどんどん過ぎていきます。

しなければならないことがたくさんあるのに、忙しいのに、
じゃあ、なんで忙しいかって言うと、ご飯の支度ばかり。。。。

イヌがいなくなればいいと思っても、
母の食事の支度がなくなればいいと思っても、
毎日のお弁当がなくなればいいと思っても、
家族のご飯の支度が大変でも、

死んじゃ、困るんだ。
それは寂しすぎる。

だから、元気で留守がいい。 


このブログをつい書いていないと
話題は山ほどありすぎる。

本が10冊かけるほど毎日話題は豊富です。

★ 昨日母がデイから帰ってきて話してくれました。

『 デイにきている人とも話したんだけど、ショートステイはケアマネが勝手に決めちゃうの? その人もケアマネに毎月勝手に決められちゃって行きたくないのに行かされてるんだって。 あんなところ、なんの面白さもなくて、それにけっこうお金がかかるんだって? 行きたくないわよ~  ああいうところはお客が来ないと赤字でこまってるんだからね。 だから私たちをどんどん行かせるのよ。 』

『 お金なんて安いもんだよ、千いくらくらいだし、毎日買い物をしてくる額に比べたらやすいもんだよ 』

『 そんなに買ってくるわけないでしょ』

★ 母の認知は徐々に進行していますが、まだ1人で置いておけるし、自分でご飯を温めて食べてくれます。
 ヒットラーのリーダ的存在も変わりません。

  早朝に玄関の鍵を開けて、部屋の電気をつけ、ストーブをつけておいてくれます。そして、母はもう一眠りしています。

 仕事は休みか? もう帰ってきたか?もう逝ったのか?2階に誰かいるのか?・・・
・・・・
知りたがり屋の母は家族の質問ばかりです。
質問されたくないような質問も平気でするので、昨夜はテレビの音を思いっきり大きくして母の声を消しました。

笑って母の質問に答えていたマクドウウェルも、テレビの音を大きくしたことに満足していました。

私たちは、よその家の噂話ばかりしている専業主婦には絶対なってはいけないのです!!
この間行った葬式だって、専業主婦たちのおしゃべりで持ちきりでした。
近所のおばさんが亡くなって悲しんだのは、わたしとあと、同級生の男の人でした。


その亡くなったおばさんですが
数年前に夫が亡くなってからすっかり体も心も弱って、84歳でなくなりました。
最後の5年間は、息子1人が会社を辞めて24時間付きっ切りで介護していました。

デイもショートも一切行かず、一時も離れずに介護に明け暮れていました。
恐るべき介護でした。
すばらしかった。
5年間24時間です。
先日その息子が母を尋ねてきました。

母の励ましがあったから介護できたって。
一番大変だったときに母が話を聞いてあげたんだって。

母の知ったかぶりっこのおしゃべりも、役に立っていたのです。

~~~~~~~~~~~~~

鼻血が10日前に出た私ですが、
鼻はまだ痛いです。
ガーゼの押し込みすぎだと思いますが、
ガーゼのせいじゃなかったら、これは病気です。

鼻血をしんぱいしてくれる人々がいて、、、
自分も心配になってくるのです。

なんか、体調変な気がする。
あたまがいつもと違う重さだったり、
あれ?背中が変に痛い...


とにかく、

父方のたくさんいる従兄弟たちは、
みんな早死にです。
恐ろしく、50才になるまえからぞろぞろなくなっていきます。

私が一番若くて。
次に若い人はいま、亡くなる病気です。
その次に若い人は、お風呂から上がってすぐ亡くなりました。
次に若い人は、去年亡くなりました。
次に若いのは私の姉です。
次に若いのは元気そうです。
次に若いのはおととし亡くなりました。

恐ろしいです・・・

たたりかな?
一人のいとこの家は、
おじいちゃんもおばあちゃんもおとうさんもおかあさんも
妻も妹も全員死んじゃったのです。
ありえない寂しさです。
母いわく、『こんなに全員が死ぬのは、アスベストしか考えられない』
なにかあるね。

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誕生日やショートや

2010-01-13 11:54:00 | 母の介護
毎日24時間あるから、いろんなことがあります。

もう、なんでもやりすぎて多忙です。
多忙なのにその合間に飲みにもいきます。

私の鼻血・・病院の止血以来出血は無し。
    一週間入れておくはずのガーゼはあまりの苦しみのため
    出産の苦しみをしながら抜きました。
    7本も入っていました。

これが鼻に入っていたガーゼです。一番上に横になってるのがボールペンです。

これだけの量が私の片方の鼻の穴に押し込まれていたのです。
死ぬ苦しみで、頭痛もでて大変でした。
そして、勝手に抜いたあとは楽になりましたが
ガーゼによる傷ができていて、大きなかさぶたが
鼻の奥にあります。
取りたいです。取ったら大出血です。

ガーゼ全部を取って楽になったので
母が買い込んできたヨーグルトや梅をごっそりお土産にして、
千歳烏山の焼き鳥屋さんで、キレイなお姉さんとふたりで
焼き鳥を食べました。
目の前で焼いてくれて、焼き立てを食べるって言うことは
とてもおいしいものだった。

韓国海苔にくるまれた辛い葉っぱに包まれたおにぎりとか、キャベツのなんかだとか
珍しいものを食べさせてもらった。

食生活の違うお姉さんと食事をすると
珍しいものが食べれるのだ。

鼻の苦しみがいっぺんに去っていきました。
ありがとうbeauty
~~~~~~~~~~~~~~

1月12日は母の誕生日です。

亡くなった父と2歳違うので
もう父が亡くなった年齢になりました。

私の両親は年寄りです。
2人とも晩婚だからです。
売れ残った美男美女の結末です。

で、わたしはもうてんてこ舞い人生で
母の誕生日は仕事をしていて気がついたので
なんの用意もしてなくて、

家族のマクドウウェルが、買ってきてくれました。



さすがデパートで買ってきた高価なケーキはおいしいわ~
スポンジがシトッリです。
横になっていた母がトイレに起き上がったのをきっかけに
ケーキの用意をしてろうそくをつけました。
ろうそくの火は、仏壇にあった火消しをかぶせて消してもらいました。
・・・だって、吹き消されたら、わたし、食べれませんよ。

みんなで祝えてよかった。

「来年も祝えますように」って母は火を消すときに願っていました。

ケーキのほかには母の好きな栗饅頭を買ってきてくれました。
どういうわけか、栗蒸しまんじゅうだから
ちょっと違うけどこの気持ちがありがたい。

よく見ると千歳烏山の饅頭だ。
どうも烏山に縁があるらしい。                       

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ショートステイの話は次に続く・・・
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深夜の救急病院へ

2010-01-09 21:14:00 | 日常生活
2010年01月09日16:11 8日の金曜日の夜の真夜中のこと、

家族はスキーに行ってしまい、親もお泊りに行ってしまい、わたしはこの滅多に無い自由を得たラッキーチャンスを喜び、【おくりびと】を見ながらワインを飲んだりプリンを食べたりしてたのです。

午前1時。
鼻をちょっといじったら、突然鼻血が出てきたのね。
30分経っても止まらない上に激流で、あげくに真っ赤なこんにゃく状態のものが大量に流れ出るの。


とにかく1人だったからどうしたらいいものかと相談する相手もいなくて、このまま意識を失って死んだら、3日後にスキーから帰宅した家族が血の海の中で死んでいる私を発見するんだね。

鼻を押さえながら、携帯で止血方法を調べたり、大学病院へ行く準備もして、1時間が過ぎて、とうとう新宿の救急病院に電話してタクシーで行きました。 運転手さんもビックリしてました。
1人で準備するのは大変だった。

午前2時半。
病院では、先生もわたしもビニールの服を着て、タライぐらいの巨大なトレイを持たされて診察。
鼻を押さえていた紙をはずしたとき、赤いこんにゃくが大量に流れたって先生は驚きません。

『初めて鼻血が出て、驚いちゃったのね、
 鼻血が出やすいところが傷ついてますから
 そこからの出血です。
 ガーゼをつめますから、痛いですよ』

麻酔して、10センチ×1.5センチの棒状のガーゼを6本くらいギュウギュウ喉へ届くほど奥の鼻へ押し込んでいくのよ。
恐怖の痛みです。
もう、声が出たもん。なるべく低い声でうなりました。


顔が変形するほどガーゼが顔に詰められたの。

これで、2時間も流れ出ていたものが、止まったの。

いま、ちょうどガーゼ詰めてから12時間が経ちました。

ガーゼによる激痛と不快感が続きます。
食事もしてません。
ズキズキズキズキ異常な痛みです。
痛すぎる。
たかが、鼻血で痛すぎる。

今日のお仕事も宴会もキャンセルしました。

華の一人生活が台無しです。
顔が変形してるから外にも出れません。

一週間ガーゼを入れておくといわれたけど、
取りたい!!
取っちゃだめなの?
ガーゼが痛いの!!


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そして夜になりました。

ズキズキズキズキ痛くて、とうとう一本ガーゼを自分で抜きました。
そして、もう一本かなり奥まで入っているガーゼを慎重に抜きました。

すこししたら、とっても楽になって
台所を片付けれるようになりました。
昨夜の夕食のままですからね・・・

ほうれん草を一束買ってあったので
いためて食べます。

ああ、楽になった・・・

病院にいくときは1人の生活が不安で心細かったけれど
今日一日寝ていて、家族のいない幸せを実感しました。

夕食の支度をしなくて済むから
存分に休んでいました。
母に気を使わなくていいから
存分に休んでいました。

あしたもあさっても1人で自由にしています。

今日のお仕事をやすんだので
明日もあさってもお仕事になりました。
このまま、回復しますように。。。


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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。