アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

週末

2009-08-30 01:12:00 | 母の介護
8月29日土曜

母は1週間ぶりで、楽しみにしているデイに行きました。
頭を染めて、金曜日にカットまでしたので、つややかで
綺麗な頭になりました。

母を見送ってから、わたしも1時間だけお仕事。

チョコパンも仕事だし、母も居ないし
もう、毎週土曜は仕事の予約が入っています。

たった1時間の仕事ですが
終わると、すっかり怠惰なじかんが流れます。

かたずけも買い物もしないうちに
夕方になってしまい、
心が苦しいです。

暇じゃないのに暇だと
眠くなったりするのです。

母が帰宅近くになって
頑張って起きあがって
買い物に行ったりシマス。

まるで、わたしは怠惰な生活は
してません。。。。ってかんじで
母をお迎えしました。

自由な時間が欲しいと思った
1~2年前ですが、
自由を得てみると
怠惰そのものです。

夕食は
ヒレカツを揚げました。
生サケのホイル焼きと
サラダと冷や奴も作ります。

暇な専業主婦は
御飯を作ることが楽しみなわけです。

夜チョコパンがお仕事から帰宅し、
夕食後にお散歩に行こうというので
歩いて新宿副都心へ行きました。

副都心の近くに長年すんで
歩き慣れた街ですが
何度来ても、素敵です。

超高層ビル群の下を
真っ暗な夜にあるくのは
良い味です。

知らない階段とかがあって
一人じゃ恐いけど
二人で下りてみたりしました。

新宿副都心は
道路が1階2階になっているので
複雑なんです。


都庁の前を走る真っ直ぐの道路がすばらしかったんだけど
シャメじゃつたわらないなぁ~


真っ暗な夜空にそびえ立つ都庁もすごかったんだけどなぁ


山や川や海のある街もだ~~いすきなんだけど
高層ビルのまちもだ~~い好きです。
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8月30日 日曜日

娘のチョコパンはお仕事で早朝よりご出勤。

わたしは、やる気をだして
食器棚の掃除です。
みごと6時間も掃除しました。
そのうち3時間は、食器棚の引き出した引き出し一つを
戻すことに費やしました。

ありえないとお思いでしょうが
引き出しを戻すことに3時間です。

10万円した食器戸棚は
引き出し一つが10キロもあって
とにかくもてないのです。
右のレールと左のレールが
一度にいれれ無いのです。

重くてもてないのです。

おかげで、フローリングも
引き出しも傷だらけになってしまいました。

6時間かかって2つの引き出しを
そうとう綺麗にした。

生きていると
汚れだらけ・・・
カビは生えるし・・・
やってられません・・・

母は、その間
寝たり起きたり、ヨーグルトとダンゴを買ってきたり


そうそう、
土曜に母と二人で投票に行きました。
いっぺんに3枚の用紙をわたされたので
混乱しますよ。

それに、自由民主党 と 民主党
って、  間違えちゃいますよ。
間違えたまま、提出してきました。
どうせ、民主党に入るんだから
間違えたままで投票しました。
清き1票じゃありません。


母には、ピンクのかみや緑の紙を
一つ一つ見守って書かせました。
政治のことは私よりはるかに強いです。
政治を語らせたら、正常です。

今日は暇だったくせに
夕飯は御飯を炊かずに
讃岐ざるうどん と 買ってきたにぎり寿司です。

チョコパンの分も用意しておいたのに
残業で夕食はパスされ、にぎり寿司はメリー行きです

明日で8月は終わりです。

9月からは半年間少し痩せます。
たくさん痩せることは、しないつもり。
3月まで 禁カロリー
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ケアマネ訪問

2009-08-27 15:11:00 | 母の介護
母の新しいケアマネージャーとは、一度しか
お会いしたことがありません。
いつも仕事中に訪問してくださるので
母任せです。

でも、話したいことが沢山あるのです。
でも、母の前では話せないのです。

今日は、私の仕事も無いし
同席する覚悟でした。

11時ケアマネがいらっしゃいました。

・・
母がどこかへ行ってしまっていませんでした。

丁度よい機会です。

母の物忘れが進行してきた話。
何度も買い物に行ってしまう話。
薬屋さんで目薬や胃薬をいくつも買ってしまう話。
ショートを3泊に増やしたい話。
4人部屋のショートを利用したいけれど送り迎えができないという話。

ケアマネからは、ショートステイのことなど「娘はなにも言ってくれない」と伝えていたようです。

ここまで話して、母が回覧板を持って
帰ってきました。
回覧板を回せばいい物を、
一軒ずつのお宅にお年よりの生年月日を聞いて
回っていたようです。

これは母の親切で、
字の読めない訳の分からないお年寄りばかり
住んでいるので、母が 敬老の日の為の
生年月日を記入してあげていたのです。

母は永遠のリーダーですから。。。。
かわいそうなお年よりの家を訪問して
気の毒がっている母です。

元気に(胃も腰も結局大丈夫だったようです)
帰ってきて
ケアマネとお話ししました。


○ デイサービスをもう1日増やそうか。
○ 4人部屋のショートステイを試してみて、送り迎えはヘルパーに頼めば良い。

お話しした部屋に、捨てるに捨てれないアナログテレビが置いてあったので
このテレビを必要な人は居ないか?と聞いたら、
壊れたテレビを買換えずに我慢している人が居るというので
もらってもらえるか聞いてみてくれるそうです。

洋服も困っている人にあげたい
着物もあげたいと 言いました。

生活保護を受けているお年よりも沢山いるので
欲しい方は居るはずだと言うことです。

でも、ケアマネージャーがその仲介をするのは
ちょっと大変なことであると教えてくれました。

自分の仕事の範囲ではないのに
品物を動かすのは確かに忙しい思いをさせてしまいます。

直接差し上げると、それなりにいろいろあるし、
ただより高い物は在りません。

ケアマネがお帰りになる時
協力して頂こうと
冷蔵庫のコーヒーゼリーを2パック持って行って頂きました。

「今日だけですよ」 とおっしゃいましたが

内の冷蔵庫のなかの理解をもっているかたに
この安物のコーヒーゼリーを
賞味期限内に食べて頂きたいのです。

お陰で冷蔵庫に透き間が出来ました。
ヤクルトも家族で必死で飲んでいます。
最近のヤクルトにはストローがついていますが
ストローで飲むととっても飲みやすいです。

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夕方今日もメリーの散歩に行きました。
一人で行くといったけれど
追いかけてカシオのお庭で遊ばせました。

犬好きのおばさんとまた一緒になったので
そうそうに退散しました。
犬の話が長いのです。


私の家の隣のアジア料理店です。
ここの前を通る時は、店の中を覗いて
インド人のお兄さん達と挨拶を交わします。
みんな、いい人です。

母は、なんか顔色が悪かったです。
白かった。

白髪も目立ったので
夜染めてあげました。
デイを休んだので1週間もお風呂に入らないと
臭くて迷惑だから、フロをわかしてあげました。

母は1週間入らなくても臭くないと言い、
みんなの方が汚いから平気だと言いましたが、
そんなことはありません、
若い介護士さんが平気でいるはずがない。

母は白髪を染めて風呂に入って綺麗になりました。

マクドウウェルが夕食を食べていたら
急に買い物に行ってしまいました。
「行かないで!!認知症のように何度も買い物に行かないで!」
と、制止しましたが、いってしまい、
マクドのために、巨峰を一房買ってきました。


帰宅して

母「  まったく、呆けた ××さんがまた歩いていたわよ。
  旦那が後ろから付き添って、しょうがないわねぇ。
  いっつも、歩いてるのよ 」

私 「 それを見ているお母さんも同じように歩いてるよ」

母 「 わたしは違うわよ、××さんは、埼玉まで歩いて言っちゃうんだから」


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歩けることもあとになって思えば幸せなんです。
今日も無事に終わりました。
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骨が痛いって・・

2009-08-26 00:00:00 | 母の介護
昨日は吐いたという母でしたが、
今朝は、腰のあたりの骨が痛くて
歩けないと言います。

もう、歩けないっていうのは
一番困ることです。

脳みその老化と共に
寝たきりになってくれるのは
それなりに楽ですが、
まだ自分を捨てていない母にとって
歩けないのは、お互いに困ります。


下着のシャツのまま動けずに座り込んでいる母でしたが
大丈夫だと言ってくれるので
助かります。

人を頼りにせず、自分で頑張ってくれるところが
母の良いところです。

しばらくしたら、母が貯金通帳をもって
外出したそうにしていました。

入院と言うことになったら
保証金とか必要だから
下ろしてくると言うのです。

お金は大丈夫だから
歩けないのに銀行は行かなくて良いと
説得しました。

たまたま、今日は早朝から夕方までわたしは
仕事の予約がいっぱいです。
病院へも付き添えないし
困りました。


「 病院に行くなら、タクシーでいきなよ。

  入院はさせてくれないと思うよ

  パンツの中に、トイレに置いてあるパットを
  敷いておけば、間に合わなくても大丈夫だから。
 
  パンツの中にオシッコをしちゃっても
  紙を取り替えるだけでいいんだし、
  パンツは濡れないからね 」


忙しいので一度にたくさん言ったから
ポカンとした顔の母でした。

わたしは考えた。
もしかして足が痛いのは
転んだのかなぁ~

今朝起きたら
ねずみ取りのベタベタ(ネズミホイホイ)に
母がつかまっていたからなぁ

ベタベタの上に足を乗せた人がいて
そのベタベタ糊で廊下を歩いてあって
家中ベタベタ・・・

ネズミというのも
本来、家には居ないんだけど
玄関から侵入すると、
家をうろつくんだ。
 
夜中に暗いキッチンで
私がパンを食べようとしたら
足下を何かが走ったのだ。
次の朝、ネズの糞が廊下に落ちてた。
ショックだった。



絶対お前を殺す!!

~~~~~~~~~~

それで、お昼休みとなり
母の様子をみると
薬屋からシップを買ってきてある。

痛いけれど大丈夫だと
言います。

夕方の仕事が終わって
母の様子を見ると
薬屋からシップを買ってきてある。

夕飯のお膳立てをして
わたしは六本木に
お出かけしました。


六本木の街を少し歩きましたが
豪華な料亭とか
豪華なクラブとか
それはそれはあこがれる生活レベルの
お店が沢山ありました。

わたしは道を間違えたので
こういうお店を利用する身分では
無いことが残念でした。

たまに、こういう店に連れて行ってくれるという
ボーイフレンドがいますが
ろくな奴じゃありません。

さて、アロハなお店に到着し
アロハの音楽を聴きながら
アロハな仲間達とアロハなお酒を飲んで
おいしいアロハな食事をすこし食べました。



その日によって自分のテンションが
違うのですが
今日の自分は、ハイテンションでした。
楽しかったです。
お誘いを断らないで良かった。

夜11時帰宅。

私 『 ただいまぁ~ 』

チョコパン 『 おかえり~ この不良娘が! 』

チョコパン 『 おばあちゃんも、言ってみ、
        チョコパンと同じことを 言ってみ 』

私(もういちど)『 ただいまぁ~ 』

チョコパン 『 おかえり~ この不良娘が!
        お婆ちゃんも、言いな! ほら 言いな! 』

母  『 いやだよ、そんなこと 言えないよ 』
チョコ 『 大丈夫だよ、いいなよ。言ってみ 』

私(もういちど)『 ただいまぁ~ お婆ちゃん』

チョコ 『ほら、ほら』

母  『 おかえり、この 不良娘が、、、
       
     言えって、言われたんだよ~ この子が言えって・・』


わたしもチョコパンも大笑いしてるのに
母は、困っていました。
言ってくれて良いのに。
父ジェンギンスだったら、もっと
いろいろ言って笑わせてくれた人だったな

わたしの留守中、姉から電話があったそうです。
徒歩数分のところに住んでいるのに
母と姉は1年以上のご無沙汰でした。

母はチョコパンと一緒にいる時
とっても楽しそうです。

あいにく、お仕事がたいへんで
なかなか一緒に過ごす時間がなくて
寂しそうです。

私じゃ、どうも駄目らしい。。。



犬嫌いの原因は,↑ こんなふうに
ブラシで綺麗に掃除をしたところへ
無理ヤリ柵をこえて歩くんだ

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母 胃が悪い

2009-08-25 00:00:00 | 母の介護
今日は火曜日なのでデイサービスに母は行く日です。

でも、休みました。
朝起きて、雨戸を開けようと外にでたら
急に気持ちが悪くなって
思わず吐いたそうです。
でも、出る物もなかったらしく
母の言うには、
「 広告みたいな紙の切れ端が
  3つくらい出てきたそうです。」

何でしょうね?

昨夜、麩菓子をたべましたが
それが胃の中で乾燥して
紙になってしまったのでしょうか?

母は昼過ぎまでベッドに寝ていて
午後2時すぎに、わたしが用意してあった
焼きお握りを食べていました。

精神的に病気になっていますが
一過性の感じです。

夕方、母は具合が悪い1日だったのに
スーパーへ買い物に行ってくるなどと言いだしたので
今日もメリーの散歩へ一緒に行きました。

買い物へ行ってくれても良いけど
もう、これ以上何も要らないんです。



遠くに見えるのはオペラシティの高いビルです。
オペラシティホールは3階にあるので
あとの高いビルはオフィスとレストランが少し。


私です。
母に撮影してもらいました。
この撮影に10分くらいかかりました。
シャッターを押すとブレるのです。
やっと成功した一枚です。

メリーは4人の人に声を掛けられました。

『 がんばって~
  ガンバってよ~ 』 って。

ヤットヤット歩いているらしい。
そんなに瀕死に見えるんでしょうか
だとしたら、犬に対して冷血な私は、
もっと優しくしてあげないと
いけません。

==============



夕飯は母と一緒に細うどんを食べました。
ヤマイモとお餅も入れました。
美味しかったです。
母も、一杯食べました。
胃は大丈夫そうです。

夜は、退屈な歌謡番組を母のためにかけてあげました。
そのうち、山崎まさよしの映画をやっていたので
つい私がみてしまいましたが
死ぬ番組なので母も見ていました。

そして、私は 山崎まさよし が
好きになってしまいました。

母に、「 ほら、この歌を歌っている人は
     いま、死んだ人だよ うまいでしょ 」

と解説して上げました。


===============


呆けることより
具合が悪くなるのは
本当に困ります。
どうしたらいいのか、不安になります。

具合が悪くて苦しむことは
かわいそうです。

ポックリ死ぬことは
良いことです。

即死が幸せです。
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私も認知かと・・・

2009-08-24 00:00:00 | 母の介護
昨夜、仕事から帰宅したチョコパンがシャワーを浴びていました。
わたしは、マクドウウェルと映画をみていました・・・

チョコパンが言いました

『 卵をいつまで茹でてんの? 』

『 ギャー! 忘れてた、30分も茹でてしまった!』

わたしはマクドウウェルに言いました

『私は物忘れをするようになってしまいました。
 もうこれからは、よろしくお願いします。』

マクドウウェルが、にやけた顔で言いました。

『 もう、もう・・・
  若年性じゃないし』

わたしは、棒高跳びを越えられた時のように
ほえました。

~~~~~~~~~~~~~~~
さて、きょうは月曜日。

朝7時に 朝食のにぎり寿司を2人前作って
     昼食の卵サンド・メンチカツサンド
     (朝から揚げ物してる偉い私)
      チリドッグサンド を3人前作って
     母のお昼定食を用意して
     お湯わかして、水筒に冷たいお茶入れて、
     烏龍茶作って
     メリーの御飯と注射・・
     美味しい紅茶を入れて、果物を切って・・

     朝の戦争ですが、
     今までは母が起きてこなかったから
     母の朝食は全てが終わってから
     用意していました。 でも最近起床してくるので
     忙しさの戦争に、母の朝食までが加わりました。

     牛乳あたためて、ヨーグルトを用意して、
     今日は葡萄パンを人肌にあたためて

そして、9時に全てが終わり、株タイム。

    株やりながら、フラダンスを練習して、スチールギターを
    練習して、かたずけ物はいっさいしなくて、

    そんなことをしてたら午後1時で、あわてて階下へ
    昼食をだしに下りていった。

母は、通帳を探しています。

『 通帳を探すのは呆けた証拠だとわかっているけれど
  絶対に無い。
  いくら探してもないし、キャッシュカードもない』

わたしが探したら、枕の下から通帳は出てきました。
カードが無いとうるさいので、
『カードなんか盗まれたって大丈夫なんだ』と言っても
お金をおろされているかも知れないというので
銀行までひとっ走りしてきました。

お金はおろされていないし、カードは落とし物には無かった。

カード紛失の手続はまだしないで帰宅しました。

母は、気が気じゃなかったらしく、テレビも見ないで
私が用意していったお昼を食べていました。

安心した様子でしたが

『 わたしは、すっかり覚えれなくなってしまった。
  もう。脳みそが駄目になってきた。
  ぜんぜん覚えていないことがある・・』

って、落ち込み始めました。

こうなると、かわいそうなのです。
強気でうるさい口を叩いている時は
こちらも、何いってんの~!と言えますが
こんなに、物忘れを嘆かれると
気の毒の固まりです。

そしたらさ、ちょうどテレビで
東京タワー のドラマをやってて

もこみちのマー君が
『 おかんは、死ぬまでここにおればいい。
  ずっとここで一緒に暮らせばいい 』

って、悲しい台詞を言ってるし・・

どんな状態になったら母を施設に入れようかと
私が考えていた所に
“ 死ぬまで一緒にくらそう ”なんて台詞を聞いたら
胸が熱くなる思いでして、
わたしも母にそんなことを言って
安心させてあげたいものだと思い、
こんど機会があったら

“死ぬまでここにおればいい
 ずっとここで一緒に暮らせばいい” と言ってあげよう。

 
夕方2回目のメリー散歩に母が出ていったので、追いかけて一緒に
散歩をしました。
何で付いてきたの?二人で行くこと無いじゃない って
言われました。

===========

夕べの話に戻ります。

母がいつものように買い物をして帰宅。
カシューナッツを買ってきて言いました。

「 マクドウウェルの便が堅いっていうから
  たべさせてあげてちょうだい 」

わたしは、大音響で映画を見ているマクドの部屋に行き
便が堅いのか?と尋ねました。

そんな話は聞いたこともないそうです。

母は、「じゃあ、夢だったんだ 」と言い。

年をとると夢と現実の区別が付かなくなることを
演説してくれました。
そこま講義できるくらいなら
呆けないでくれ!とマクドと話しあいました。

今は、まだまだ大丈夫な母です。

父の16年間のアルツハイマー人生の一日目にも
到達していないくらい初期段階です。

早々に病院受診して
へたな向精神薬を投与されて
精神病になってしまう老人が
多いんじゃないかと
私は、思ってます。

認知症による物忘れだと
診断がついたなら
自然にまかせてノビノビと
生きていた方が
幸せだと思う。

私が認知症になったら
家族に多大なる迷惑がかかります。
施設に入るお金もないし
リフォームして閉じこめておくしかない。

張り紙をして

「 みるき~さん、自覚は無いでしょうが
  あなたは認知症になりました。
  家族は仕事で留守です。
  危険なので、この部屋から出ないように
  鍵を掛けました。
  外に出ようとしないで、ここで待っていてください」

このようにお願いします。

ご迷惑をおかけして
申し訳ございません。


  
    
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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。