アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

いろいろ・・

2016-09-24 00:09:00 | 介護
母が8月2日に、「 年齢が年齢ですから、治って帰れるとは思わないでほしい。
だからと言って、こちらも手を抜いて治療するわけではなくて、一生懸命治療するけれど、治るとは思わないで、亡くなるということもかんがえておいてくだい 」

などと、死の宣告を受けた母であるけれど、いまのところ回復中だ。

しかし、ほんと、90を超えてすっかり老衰状態だ。
老衰っていうか、もう必死で生きてる感じで、
母が生きているのは、私のおかげ以外の何物でもない。

その大昔、わたしは母のおかげでここまで成長できたのだけれど、
いまは、逆転だ。

こうやって、人々は命をつないで歴史を作っていくのだ。

「 命つないで 」っていうドラマを見たな。 13時のよろめきドラマの時間にいいのをやっていたことがあるんだ。

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8月22日祭日

母がデイに行ってくれて、夕食も食べてくるので私はホッとしてゆっくりできるとおもっていたら、デイから電話で、 おでこに汗をかいていて、おなかが痛いと言って、夕食もいらないというので今から送ります・・・

って言うんで、母は夕方早くに帰宅した。

わたしは、三味線のワークショップに行くはずだったので、すぐさま夕食の準備だ。
昼にチョコパンが残していったチャーハンでいいや。

チャーハンをあたためてテーブルに置いて私は出かけた。





母の三味線を2丁持って新宿歌舞伎町へいって、三味線を習ってきた。
チョコパンも行った。

弾き方や持ち方を教えてもらって、新感覚で三味線を弾いた。

「東京音頭」 手が腱鞘炎になりそうだった。 
ウクレレっていう楽器がどんなに楽ちん楽器であるかと思い知った。

夜10時に終わって、母も気になるし早々に失礼し、久しぶりに夜の歌舞伎町を歩いた。

あ~~好きだな~、歌舞伎町。

青春の思い出だらけだ。

~~~~~~~~~

母は、熱もなく、いつものようにダルダルで、

「 あたしは、デイの人に連れられて早く帰ってきたの?
  なんで? どこか悪かったの? 」

って、ブースカブースカ言って早く帰ってきたくせに何も覚えちゃいない。

暑いと いったらしいけれど、
だって、真冬の支度をしているんだから、時々は暑いんだろうよ。

寒い寒い寒い寒いっていいっぱなしで、ほんと皆さんのご迷惑をかけているので、
存分に厚着させているんだ。

父のホスピス病棟で何人か見送ってきた私にとって、

「 寒い 」 は死の合図だと思ってる。

足が紫になるのも死の合図だと思ってる。

そこまで知ってるなら、

いま、母を大事にしないといけないんだろうな。

なんか、 だんだん枯れてきた母をかんじるなぁ~~~

このまま、自然に枯れていけばいいな、

~~~~~~~~~

さて、母は、


咳は出る、
痰はない、
さむがる、
熱はない、
焼酎梅を食べたがってたくさん食べる。
食欲は落ちてる、

問題はすっかり歩けなくなってる。
なんとか、トイレに行って、なんとかデイの車まで行く。

寝たきりになったらわたしは、面倒見れないよ。
すっごく嫌なんだ。


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母、回復中

2016-09-19 23:35:00 | 介護
2016年9月19日、敬老の日

母のためとか、自分のだるさとかでほとんどの付き合いを断って
家にいるようにしているんだけど、
何かと多忙で、次から次へと用事ができてしまって
外出も多い。

この3連休も月に一度の習い事や年に一度のハワイのコンサートだった。

9月13日火曜日に、定期検診で大学病院へ行った。
この1年は姉が付き添ってくれていたが、痰のひどい咳が出るので私が付き添って状態を先生に説明した。

診断; 肺炎の咳がのこっているんでしょう。抗生物質を長い期間続けましょう。
    入院していた病院のCTのデーターを送ってくれればカルテに載るから比較してみてみましょう。 血液検査をしましょう。 胸の音はたいしたことないです。


9月14日水曜


母が10年前まで使っていた三味線の皮を張り替えた。
三味線やさんが、玄関で組み立ててくれて説明してくれているとき、
母がトイレに入りたい!と言って玄関にやってきた。

そこに座らせて、三味線を見せた。 なんだかんだ三味線やさんに話しかけていた。







夜、母に三味線を持たせた。
なんだかんだ、注釈ばかり言って、なかなか弾こうとしない。

だったら、私が弾くから歌ってくれと言って、
いろいろ曲名を言っても、

そんなもん、あんたに弾けるわけないだろ!と
ダメ出しばかり!!

しょうがないから、
わたしが、三味線弾いて、へたくそに歌ってみたら、
母も適当に歌っていた。

だけど、所詮 先生気質が抜けなくて
指導ばかりだ。

母は、三味線が重くて手が震えてしまってもてない状態だった。

なかなか弾こうとしないのを私とチョコパンは見たとき思った、、、、

ボケてる!!

弾き方忘れちゃったのかなぁ?

「 チョコパンも、三味線弾くからおばあちゃん教えてよ!!」と言ってみたが、
それは、手ほどきのテープがあるからそれを聞けばすぐ弾けるようになる!

そればかりだった。


母が得意だった  岡崎5万石 という曲を
わたしも、弾き歌いで完成させたいなと 決心した。

9月15日木曜

そして、3日くらい抗生物質と痰を切る薬をのんだら、痰が落ち着いてきたので、木曜日からショートステイに行ってもらった。





そして、

9月19日敬老の日

あさ、帰宅


帰宅して小雨の中を散歩

とにかく、母はもう歩けなくなってきているので歩かせるのだ。
その1歩が大事なのだ。



少し歩いて、 バーの椅子で休む。


ショートステイの記録では、 3日のショートステイだとと言い聞かせて行かせているのに、
スタッフが 「 5日ですよ 」と言ったので母の機嫌が悪くなったらしい。

だから!

母には3日間のショートステイだと言ってあるのだ!!! と何度スタッフにメモしても
こうやって、 母に5日だなどと長めに言ってしまってさ、、、

母から責められるのは私なんだから、スタッフも伝達をしっかりして家族の希望を忘れないでほしいもんだ。

若いのも、未熟なのも、ほんと駄目よ。

医者も弁護士も教師も、いくら熱血だったとしても
経験を積まなきゃ、ベテランにはなれないと思うよ。

もちろん、経験を積んでも、ベテランになれないもたくさいるけど、
年とってもだめなひとは、若いころどんなにダメな人だったんでしょう。


母の咳は、痰が無くなっていました。

よかったです。


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朝‼️

2016-09-14 07:27:00 | 介護
9月14日 朝の7時です。

不眠症の私がスヤスヤ眠っていたら、
夢と物音が混ざる時があって、
目覚めて目に飛び込んできたのは、
母が階段の踊り場でへたり込んで、そして、
チョコパンの部屋のドアをへたりこみながら閉めているのだ。

何してるの⁉️
なんで階段上がってきたの⁉️

と、私は思わず言った。

母[戸が開いてたから閉めにきた]

私 [チョコパンがいるし、いいの閉めなくて]

母 [チョコパンなんかいないわよ]

と、ドアを開ける

私 [階段なんか上がっちゃダメでしょ❗️]

と、身動きできなくてへたり込んでる母に言った

チョコパン [ いいよ、上がってきてもいいよ]

と、優しい声が部屋から聞こえてきた。

とりあえず階段の踊り場から下に転落しちゃいけないので、私の部屋に招き入れたが、
一人じゃ立てないし座ったまま這ってきた。



手伝って立たせて、ソファまで連れて行きやすませた。

私は貴重な睡眠途中だったので自分のベッドに横になった。
1分もしないうちに物音がするので、立っている母を支えて階段を下りることになった。

急な階段を上ってきた母の足は相当参っているようで、もう歩けないのだ‼︎

両手で手すりを持たせ、一段ずつ降りたが、途中で限界が来て階段に座った。

休めばいいものを、母は座ったまま階段を下りてる。




私は母を追い越し、下から支えた。

母を階下のいつものリビングに座らせた。


[階段なんか久しぶりに上がったから、こんなに急な階段だと思わなかった]と、元気に言い訳を続けてる。


私は、こりゃ困ったな。
今後も階段を上がるようなことがあったら大変だと思って、階段を上ってみたら、

階段をあがる動作は、片足で全体重をかけるということなので、非常に大変だとわかった。

年寄りは両足ですら中腰になれずドスンと、椅子に座るというのに、
母は、よく上まで上がってきたモンだ。

上がってきた階段は、私がドアを解放したままなので途中から手すりはなくなって危険な状態だし、
危なかったなぁ。

私はベットに戻ると、
貴重な睡眠途中のチョコパンが部屋から出てきて、

[呆けた⁉️ 呆けたの?]

と、

呆けた顔して心配してた。
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ちょっと覚悟

2016-09-11 13:59:00 | 介護
母は、だんだん弱ってきました。

朝起きて、雨戸をあけて支度もして、一人で置いてあるパンも食べるけど、

昼に起きて昼ご飯を食べてお茶ものむけれど、

夕飯を食べてテレビを見て雨戸を閉めてパジャマに着替えて寝るけれど、


人は誕生日頃亡くなりますが

母の誕生日は1月です。

あと3~4か月か、、、ありえる。

40パーセント老衰状態です。

食事以外は横になったり眠ったりの老衰状態。


そこで私が一番きになっているのが、


遺影の写真をよういしなきゃ、
亡くなった時に着せる着物を用意しなきゃ、

葬儀屋は決まっている。
家族葬だからその点らくだ。

東京の親戚の甥や姪はみんな亡くなってしまったので
政ちゃんだけに連絡する。

私のいとこ・・・父方の親戚はみんな死んでしまってる。

火曜日に大学病院に診察に行く。
それまで、達者でいてほしい・・・亡くなるってことじゃなくて
病院に行ける体力を持っててほしいということだ。


ちょっと、覚悟できて来たけど
わたしは、地上げ屋に脅されていて頭がそっちにいっちゃってるんで
多忙で困った。


世の中には金に目のくらんだ欲の深い人がいて本当に哀れだ。


わたしをこの土地から追い出して
1億円を手に入れようとしている哀れな奴が出現して本当に困っている。

ここで、名前を言ってやりたいよ!


それで、母は、ちょっと老衰気味です。


熱 37度2分

痰が大量にのどにあります

食欲 あまりない

トイレ 適当に行っている

本人の自覚  体調は何でもない

おしゃべり 適当にできる 命令する 言い訳もできる




7月にハワイに行ってきた。
ジュラシックパークを撮影したあたりで車を降りて写真を撮った。

これからいろいろみるき~家が変わっていく気配がする。


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母、痰が出る

2016-09-08 23:46:00 | 介護
2016年9月8日(木曜)

治っていた母の咳とたんがぶり返してきたので、
母を連れて行かずに、入院していた病院へ薬を処方してもらいに行ってきた。

あえて、母の担当医ではない先生の日に病院へ行った。

だって、あの先生は、咳が出ているのに聴診器もしないし、のどもみない、映らないというレントゲンを何回も撮って、鮮明に映っているCTは月に2回撮れないから比較できなくて、
病名が分からないというし、

やたら、非定型抗酸菌症 についてこだわってこだわってこだわって、
いったいこの先生には過去になにがあったんだろうかと
皆がそう思った。

病室の入院患者さんも、変だ!と言っていた。

そして、今日病院へ行ったら

これだ!



これはニュースなので、家族と親戚にこの写真を送ったら、
それぞれが

「 やる気なかったもんね 」 「やる気なしおだった」 と同じことを言っていた。

肩書はすごくご立派で安心して母をまかせたんだけど、
看護師さんが記入する 食欲と熱と検査の値だけを見て診察をしていた。


きょう、話を聞いてくれた女医さんは、
母の診察をしていないので、なんともいえないけれど、
とりあえず薬はだしてくれて、
抗生物質が効いていないようなら、痰を取らなきゃだめだと言っていた。

まずは、家族が痰をとれるよう習わないとダメだって

・・・・母の年齢を見て、寝たきりだと思われたようだ。

母は、高熱があろうが、肺炎であろうが、

朝起きて、支度をして、雨戸をあけて、家族に命令して、
顔をあらって、タオルを雨であろうが外に干して、そしてそれを取り込んだことがなくて、
テレビのチャンネルを持ってベッドに入り、

寝たり起きたり寝たり起きたりを24時間繰り返し

18時になると、用意してある夕食を温めにキッチンに行く。

=====

きょう、私の仕事が19時過ぎまでだったので
階下に降りて来たら、

電子レンジの中に夕食がはいったままで、
母はもうパジャマに着替えて寝ていた。

どうやら、温めた後に、お昼に用意しておいたおにぎりをたべたらしい。

あ~そうだった。
夕飯がうまくいかなくなったので、
火曜木曜土曜は、デイサービスに夕飯をお願いしているんだった。

90過ぎの人に、夕飯を一人で食べさせるのが間違っているんだろうな。

母のためには、夕飯の食費を節約しないで用意している私にとって、
1食ゴミ捨てに捨てる心境はむなしいもんだ。


じゃ、わたしが食べればいいと思うかもしれないけれど、
こんなに、太っているのに、
たべれないんだなぁ~

たとえば・・・

お店で出される水がのめないんだよ・・・
コップが気持ち悪くて飲めないんだ・・・

そんな、こんなで、こんなに太っているのに
食べれないものが多くて。 

~~~~~~~~~~

昼から母に抗生物質を飲ませてる。

この、大量にのどにある痰が切れますように。
変な痰です。
普通じゃない。

1時間に1回くらい、大量痰の咳がでるけど、痰はのどにあるまま。

窒息して朝死んでたらどうしよう~
あ、きっと苦しくて母は起きれるだろう。
眠りが浅いから、起き上がることだろう。

私と同じ、1時間おきに起きてる・・・

母はボケてるから1時間おきに起きてることに気が付いていないけれど
わたしは、そのたび考え事してるんで、結構夜はつらいです。



今年の朝顔は、薄いブルーと団十郎。 

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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。