アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

母は忘れていない

2011-11-30 03:07:00 | 介護
午前3時を過ぎました。
最近は、午前4時に寝ることが多いです。
不眠症だから、寝なくても平気です。
寝るのが大嫌いなんです。
このまま朝まで起きてていいならどんなに楽しいことでしょう。

さて、水曜日。

母は朝から義兄の入院のことは忘れていませんよ!!

起きたとたんに、心配してわたしに質問攻めです。

それで、母は病院に行く気満々でありました。

チョコパンに連れて行ってもらうと決まっているようで
「 まだ、起きてこない、チョコパンはどうしてる? 」と
聞きっぱなし。

なんと

化粧をし始めました。

すっかり、化粧なんかするのをやめた人が、化粧です。

びっくりだ。

やっと、自分より弱い人が見つかったんだろうな・・
自分よりかわいそうな人ができたわけです。

チョコパンと母はバスで出かけて行きました。

朝日新聞とコンビニに売っていた面白そうな本を持たせました。
母はみかんをもって行こうか、などと口走りましたが
まだ、食事はだめです。

昨日の手術24時間後の兄は、

糖分のないお茶などが許可されました。
導尿の管を抜くときがすごく痛くて、その後排尿したら
死ぬほど痛かったそうです。傷がついちゃったんでしょうね・・

全身麻酔で尿の管をいれたから、痛くてもそのまま差し込んで
傷がついたのかもしれません。

38度の熱もでて、お腹には膿の袋をつけて、あかい膿がでています。
血尿もでているのです。

手術後48時間後の兄は、
おかゆが出るようになり、少し歩いてみたそうです。
テレビは見る気がしないらしい。
まだ、お腹のハリと痛みが取れないようだ。


チョコパンと母は、結構あっという間に帰宅しました。

わたしは仕事だったのですが
仕事の後は、たいへん珍しく、クラシックのコンサートに
チョコパンと出かけました。

チョコパンはヨーロッパのテレビで クラシックチャンネルをずっとかけて心を癒していたそうで、マクドウウェルさんと音楽の都を旅して来たので
すっかり、クラシックに浸って帰ってきてくれました。

さっそく、2人で近くのホールへ出かけました。

予約した席は P席というオーケストラを舞台後ろから見れる席です。
指揮者の顔が良く見える正面の席でした。

コンサートで眠くならなかったのはこれが初めてかもしれません。
ずっと聞いていることができました。

オーケストラのすぐ上で鑑賞



会場全体がこちらから見渡せます


ティンパニの上のパイプオルガン席で、横1列しかない席です。



休憩時間には、おしゃれにスタンドバー的なロビーで
コーヒーを頂きましたが、
イテテテテ・・
午前3時半にして、トイレ通いの腹痛です。
コーヒーのミルクにヤラレタ!
コメント

母、脳活性化でうるさい

2011-11-29 09:07:00 | 介護
火曜日。

母がデイサービスにいきました。
ホッとしました。

昨日からの24時間はいろいろあったのです。

有難いことに私の偏頭痛はすっかり消えていました。

朝9時に母と大学病院に検診のため到着したら、
腹痛と熱で具合の悪い義兄が一人で玄関に立つていました。

最終の結論からいうと、義兄は大学病院到着から六時間半後に、
別の病院でドロドロにとけた虫垂の摘出手術をしました。

義兄は、虫垂炎で手術が必要だと解って
大学病院に急いできたのですが、
紹介状がないので、総合診療科にまわされ、
さらに、紹介状とデータを前の病院からもってくるようにいわれて、
自宅近くに取りに戻り、あげくには、今日は大学病院での手術はできないといわれ、
小さい病院に回されて、緊急手術となりました。

若い窓口のお姉さんは、患者をみてきちんと判断しなきゃいけません。
仕事上の未熟で命もあぶないわけです。
そして、人の未熟に振り回されない強さも
私たちには、必要です。

世の中には文句を言って怒鳴っている人がよくいますが、
その気持ちもわかります。
使えないヤツがたくさんいるのです。

さて、玄関で兄が困っていても、母が居るので私は、助けてあげれませんでした。
母の診察が終わり、内科外科で兄を探してもいなくて、
コンピュータで見てもらったら、総合診療科にいることがわかり、でも兄はデータを別の病院に取りにいってそこにはいなかった。

そこからだ


母の天下が始まった。
母の命令。命令。命令 指図指図指図・・・

母と家に帰って来たとたん、
「 病院におまえは戻れ! 」「いってみて来い!」

母が1人じゃ何もできないせいで、義兄の診察を助けてあげれなかったのに
もう、うるさいったらありません。
義兄の具合の悪さは母の脳みそに叩き込まれましたが、
病名やいきさつは記憶できていないので
もう、何回も聞いてきてうるさすぎます。

わたしだって、わかっていますよ。

兄の入院セットを用意して、おまけに母の昼食も用意して
家を出ました。

そこへそんな事態を知らなかった姉から連絡があり
中野区の病院へ回されたと知らせてくれました、
私はチャリで病院へ駆けつけました。

血液、レントゲン、心電図、CT検査に同行し
入院手続きを私がして、
術前説明を一緒にきいて、
病室に案内されたとおもったら、即手術室行きです。

もしかしたら、癌があるかもしれない話や
膿が広がっていたら水でおなかの中を洗い流す話を聞きました。

無事に手術が終われば病室にすぐにもどるけれど、
先生から話がある場合は、手術室横の部屋に来てくださいと
言われました。

悪い場合は2時間かかる場合もあると聞きました。

午後2時に手術室に入り午後4時近くになっても手術がおわらなかったので
わたしは、ドキドキしました。
そして、4時に終わったときき、手術室横の部屋に行くようにいわれた訳です。

結論は、 虫垂がどろどろになるくらい悪化していたとのことで
     癌ではありませんでした。
     
もう、心配しましたよ。

そんな大事な時ですが、わたしは仕事の都合がつかず
先生の話を聞かずに帰宅。
娘のチョコパンに手術中にきてもらったので
後は任せました。
姉も、私と同様 予約していた人と連絡が取れず仕事を途中でやめることができませんでした。

携帯電話を持つ人は責任を持って、気が付いて欲しいもんです。

チョコパンのお陰で、術後も見守ってあげることができて
良かったです。


大学病院で偶然義兄にあわなかったら、
兄は孤独な手術をしていたことでしょう。

人を頼らないで自分で何でもできる義兄を尊敬しました。

わたしは家に帰って、母の夕飯を数分でつくり(ご飯に冷凍中華丼をかけた)
即仕事ですが、母は、また同じ質問を何回もしてきました。

結局、母の質問は夜まで続き、
次の朝も続き、
今日の夜も続き、


母は覚えられないのです。

「 どこの病院に行ったの !」 中野の母が良く知っている病院なのに

「 そこは、共産党の病院だろ」 違うよ、勘違い

「 すぐそこの歩いていけるところだろ」 違うよ

「 盲腸だったの?」 だから、そうだって!

「 大学病院でなんでわかんなかったんだろうね 」 誤診じゃないよ!


「 チョコパンも病院にいてきたの?」 
おばあちゃんもうその質問は20回目だよ




びっくりするくらい永遠にこの質問が繰り返されるので
わたしは言いました

「 ねえ。 さっきから同じ質問をずーっとしてるんだけど、覚えてないの?」

母は、めげずに強気です

「 あたしは、もう90なんだから覚えられなくて当たり前だ 」

・・

明日の水曜日は母はずっと家にいますから
どうなることやら・・・

母の脳みそは、スカスカになってきたことが
話を聞いているとわかります。
ときどき、ありえないことを口走ることがあります。


多忙だったので喉の痛みも忘れていました。
思い出してみると・・のどが重いです。



大学病院じゃないので予想外な手術室でしたが
この病院には新米の腕を磨くための先生がいないので
安心です。
コメント (2)

リハビリパンツを履く

2011-11-27 02:00:00 | 介護
リハビリパンツを履いているのは、私です。

理由・・・わたしはモニター生活で年間10万円ほどいただいたりしていますが、このたび介護している私にリハビリパンツのモニターが依頼されました。

私がはくのではなく、母が使用するモニターでその漏れの状態などのアンケートを記入するのです。

父のときだったら、私が取り替えていたから漏れの具合や使用状態の善し悪しの判断がつきますが、母は自分で取り替えているので、どれぐらい漏れたかどこから漏れたか?と聞かれてもそれは、私にはわかりません。

母に「 リハビリパンツのアンケートが来たから、感想を聞かせて」 とお願いしたら、
「 あんたが適当に書きなさいよ」と拒否されました。

アンケートなんて適当に書けばお金をいただけるものではありますが、
それじゃ、会社の誠意にお答えできないじゃありませんか・・

だから、

私が1週間履いてみるのです。

もう、3日履きましたよ。

* ブカブカしてでかいお尻になるので、上からシェイプパンツ(引き締めパンツ)を履きました。

* トイレに行きたくなっても、もう急いでいかなくても大丈夫

* くしゃみや咳をいくらしたって、安心です

* 使い捨ての下着というのはなんて便利なんでしょう。

* しかし、ここで排尿する勇気はまだない。そのうちしてみなきゃ。


もしも、災害が起きて避難しているならば、このパンツを使用してゴミ箱に捨てればいいでしょう。 数回分は吸収してくれるのです。
数回した後は重くなりますが、災害時ですから我慢しますよ。
そのためにも、モニターに答えて、一日分をもれない設計にしてもらいましょう。

抵抗のあったリハビリパンツですが、
こんなにブカブカ膨らんでいないモノだったら、
わたしもぜひ使用したいくらいです。

使い捨ての紙パンツ。。それもちょっと厚手になっていたりすれば、中年にはたいへんよろしいと思われます。

先日男子の友達が、「最近、もれちゃうんだよ~」と言ってましたから、
こんな製品が普及してくれたらいいなとおもいます。

でも、今回は介護用のモニターだから、普通の使い捨てパンツの話は聞いてくれないでしょう。

====

昨日と今日(日曜日)は、偏頭痛で寝込んでいました。

いつものように、もしかしたら治るかもしれないという期待で、
普通の頭痛薬を飲んでみたけど、やっぱり治らないから
偏頭痛のイミグランを飲んで、1時間半経つと、頭痛が消えました。

のどは、相変わらず痛いし・・・

今までは痛いだけで元気そのものだったけど
今日は、だるくて寝込んだ。

そんな自分がちょっと心配になりました。

明日の月曜日は、母の病院診察付き添い。
頭痛があると、だるくてたいへんなんだな・・

調子が悪い時の介護はつらいんだけど、だれも代わってくれる人がいないから無理をしましょう。
無理はすればするほど、後悔のない介護となるでしょう。

コメント (6)

文句の嵐・嵐・嵐

2011-11-20 14:45:00 | 介護
日曜日。

第3日曜日は私が月に一度だけ趣味のサークルに出かける日です。

朝から夜遅くまでの時間なので、母が寝ているうちに朝食・昼食・おやつ・夕食を作って、それに誰がいつ食べるものが張り紙して、
おまけに、他の人が食べるものにも張り紙をしておかないとだれのだかわからないので、
とにかく張り紙だらけにして、外出します。

それを数年続けてきていました。

しかし、母も年をとってきたので、9月からショートステイをこの期間に入れてもらうようにしました。
9月10月とわたしは安心して出かけることができました。

しかし、ショートステイに対して文句の嵐だったので、11月12月はショートを取りやめました。


だけど、ケアマネが提案していくれてこのたびの日曜日にデイサービスに行くようにしてくれました。

いつも行くデイではなく、小さいお家のデイです。
1時間80円で延長もできるので、夕飯もたべさせていただき、午後6時までお願いしました。
家族の外出時間や勤務時間にあわせて帰宅できるという、家族にとってはとても有難い施設です。


予定外の日曜日にいつも行くデイでないところに予約を入れたとわかった鬼の母は、想定外の文句の嵐でありました。



わたしが外出するその朝に、
何時間文句を言われ続けたことでしょうか・・

あんたが出かけるからってどうしてあたしがデイに行かなきゃなんないのよ。

1人でゆっくり自由にしていたいわよ。

ご飯の支度なんてじぶんでできるわよ できないよ

あんなところに行ったら一日中すわりっぱなしよ。おさんぽさせてくれるし

トイレだって1つしかないし風呂だって小さいし・・泊まるわけじゃなし

だれとも話す人なんかいないし・・たくさんいるよ

お店に行って好きなもの買ってたべるわよ 寿司はすっぱいしご飯はかたいでしょ


延々、わたしは文句言われて、母は自分のことだけじゃなく、世話をする私のことも考えてほしいよ。
つまり、母は、何も私に世話をかけていると思っていないわけだ。
私が介護で苦労していることを、微塵も感じていないわけなのだよ。

わがまま放題。

怒鳴ったり怒ったりするわけじゃなく穏やかに話してくれるからまだわたしも気持ちが楽だけど、とにかく苦労です。

観念した母は、車のお迎えが来るとニコニコして乗っていきました。

むこうでも、ニコニコして皆さんとお話していたようです。

=======
母は夕方6時に帰宅し、チョコパンがお迎えしました。

チョコパンからメールが私に来ました。

: 夕飯を食べたとは思えないほど間食してる

: 食べるのがとまらない

: あまりに食べるからピザを作ってあげたが、作る間も間食にてがのびてしまう

: ピザはぺろりとたいらげた。

: お前の母親は、でかけるから私を預けたのか! という

  母は昔からわたしが出かけるのは【男と会っている】と思っているのだ。
 だから、母が私をいじめるのは今始まったことじゃないわけだ。

私がただいま~~って帰ってくると、母はいたって普通です。

わたしがお土産に買ってきたドーナツも、いらない(いただきますという言葉だと理解してる)と言いながら食べていました。

こうして、まいにちまいにち、文句と命令と束縛と言い訳と注釈のなかで暮らしているのです。 

元気で歩いてくれるからたすかります。


コメント (8)

口が錆び付けばいい!

2011-11-16 00:43:00 | 介護
母がボケたからではなく、うちの母はヒットラーの支配者だから
何でも自分の思うことが正しいと主張する。

スポーツ観戦してても、失敗すれば舌打ちしてバカにする。

原発の事故も、「日本はできないくせに偉そうなことをしたからだ!」と言う

政治家もバカにする。

朝の連続テレビ小説のヒロインも毎度毎度バカにする。

母と会話していても、素直な会話ができない。

人の話を聞いて感心することができないのだ。

「そんなこと自分は知っている!」みたいな返事をするので会話で共感しあうことができないのだ。

それでいて、話すことと言ったら
隣のおばあさんが、喉に食べ物を詰まらせて死んだということばかりだ。

お年寄りが介護施設で急変して具合が悪くなるのは、食べ物が詰まったせいだというのは、常識である。
亡くなるのは運命だと思う。
そんな運命を迎えたくなかったら、そうそうに入れ歯をはずして、普通食はやめるのが重要ポイントかもしれない。
・・・なんて考えたが、

わたしは今日そのことをいいたいのではない!

とにかく言い訳ばかりの偉そうな母であるが、

自分のことを、「 もう死ぬ 」「 体が錆び付いている 」「体が腐ってきた」
と、グダグダ グダグダ 言っていたら、

呆れたチョコパンが言った

「口も少し錆び付いたほうがいいんじゃないの」

うまいことを言うもんだと、母の前で笑ったものですが、

本日、チョコパンと私は真剣に母に怒りました。
本気で、母に対して腹が立ちました

今日、庭の花梨の実を収穫しました。
母も外で立ち会ってチョコパンと3人で、キャーキャーいいながら
10個の大きな花梨を木から振り落としたのです。
楽しいひと時でした。

その花梨を欲しいと言う人がいたので、母に3個その家に持っていくように渡しました。

帰って来た母の話を聞いて腹が立ったのです。

その家は、おばあちゃんと中学生の二人暮らしで中学生の両親は病気でなくなっていません。

その思春期の感受性の強い中学生に、その子の親が死んでしまっていないということを口に出して話してきたと言うのです。
母の気持ちとしては、親がいないから励ましたというのですが、
どんなに触れられたくない事実でしょうか。
絶対に他人から言われたくない事実です。

わたしとチョコパンは、
「 何てことを喋ってきたんだ !!」
と、母を叱りました。

ヒットラーの母が、非を認めるわけがない。

「自分だって親が早く死んだんだ」と言い始める。。。

母には、父親が60歳過ぎるまで長生きしていたし、兄弟もだくさんいて家族で生きていたんだから訳が違う。
その中学生はまもなく中学生にして孤独を迎える恐怖があるのだ。

まったく、人の心をわかっていない母で腹がたつ。


「きっと、今頃花梨はめちゃくちゃにつぶされている」とチョコパンが言った。

ありえる
コメント (2)

アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。