アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

薬変えて生き返ってるのかもしれない

2024-03-29 02:20:00 | 病院、病気
2024年3月28日の夜 深夜だ

7日間夕方になると38度以上の熱で、激しい咳と悪寒と不眠で、死にそうになり、最後は死んだと思われたんだけど、

信頼してる耳鼻科の先生に事情を話し、
咳を止めてもらうことにした。


新しく処方された薬

ジェナニック200  抗菌薬

エンペラシン アレルギー性鼻炎
モンテルカスト 喘息、アレルギ性鼻炎
カルボシステイン たん
フスコデ 咳止め

フルティフォーム50エアゾール 気管支拡張

半年前にコロナ感染して激しい咳が出た時、
デキストルメタンの咳止めが驚くほど効いて、この薬はいい💊と思ったが今回は効かなかった。

今夜は薬を飲んで2回目の夜で、
日中は36度の平熱で通していたけど、今測ると37度

悪寒は全くない、、

咳と熱が良くなったとはいえ、
さっきまで呼吸がうまくできなくて
吸入薬を吸うことができなかった。

まだまだだ。

あいまいな呼吸器疾患だ。
油断はしていない。覚悟はしてる。



夕方咳き込むのでたくさん咳をしたら、石が出た。このたび、三回目の石だ。
これが出したくて咳き込んでいたものと思われる。

撮影してるうちに、飛び跳ねて消えてしまった




今、夜中の2時なんだけど全然眠れない。
少しうとうとして、たしかうなっていた自分を見てたんだけど、普段通り眠れない。

何日か前は驚異の20時頃眠くて寝てたから、治ってきたのかな。

薬のせいか、、、


そして、脳の集中治療室に入院した101歳母は、回復して、車椅子に座ってテレビを見ていたそうだ。

救急車で運ばれた時は、手もだらんとして動かせない左半身がマヒしていたし、言葉を出す時も口が半分しか動かない状況だったけど、とにかくベッドから起き上がり、
看護師さんたちを驚かしたようだ。

しかし、用心しないといけない。

しかし、1人で母の介護をしていた私はだらんとした日があることを知っている。

栄養失調かな、失神かな、

今は、会いにいけないけど、
危篤の知らせが来たら会えるよ。
もう感染症がうつってもいいのかな、、

しかし、危篤の知らせが来ても驚いて会いに行くことはしなくても大丈夫の覚悟ができている。

だから、最後に着る服を持たせたのに、持ち帰らせるってどういうことよ。

じゃ、誰が持って行くのよ

縁起とか神とか仏とか祈りとか気だとかストレスだとか、そんなものは無いのよ。

健康食品は薬じゃ無いの!
健康障害は出るの!
自己管理が大事なの!

観光バスであるお寺に集団でやってきて、タスキをかけた黒服のおじさんたちが丁重に出迎えるシーンをよく見るんだけど、
何かがあって神にすがって、信じ込んでいる姿は気の毒だ。
寄付はいくらしたんですか、、
本気で聞きたい、、テレビ局で取り上げてくれないかなぁ


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朝起きたら私は生きていた

2024-03-27 23:18:00 | 病院、病気
2024年3月27日水曜日です。

3/20から出始めた咳と熱は、医者に通っても治らず、毎晩38度以上ですごい悪寒。
30日に大切なイベント参加のため、信頼している耳鼻科に再度行ってスプレーの咳止めを出してもらう計画を立て、早朝に家を出る。

雨なのでチャリにも乗れず時間がかかって新宿に着いた。



朝早くからパチンコ屋に行列。
お金を賭けてお金を稼ごうとしてる人々の生き方は嫌いだ。

ご飯の店には昼でもないのに外国人が行列していた。きっと外国雑誌に紹介されてたんだろうけど、隣の中華屋も美味しいよ!


朝早いから病院は待たないだろうと思ったが、診察が終わるまでに3時間待った。

悪寒が激しいこと、嗅覚がないこと、
怪しい症状なので今一度、セットになっちゃってる、インフルとコロナの検査をした。、、、陰性、、、検査料はいらないって言ってくれた。

新しい薬と、スプレーの吸引薬が出た。期待の薬だ。






アレルギーがないのにアレルギーの薬が2種類も出た。

私の仕事は娘に全て任せ、私は早々に寝たくなって夕飯も食べずに、薬を飲んで寝た。

熱は38度以上
悪寒はするけどこの日は、体を温めず、脇の下や首に保冷剤を入れて冷やした。


そして、意識不明の中で恐怖の悪夢というか、激しい具合悪さに襲われた。
だけど、半分意識がないのでどうなってたかわかんないけど、死にそうになって唸ったと思う。朝起きたら死んでるかもなと、意識のない状態で考えた。

すごく具合が悪かった、、でもどこがどうだか意識不明なのでわからない。

午前2時半頃目が覚めた。
電気がつけっぱなしだから、家族は私のことを見にこなかったんだな、、と思った。

人に頼らないときめてるので、氷枕も飲み物もみーんな自分で用意してる。
病院も1人で行く、、、内科と違って私が行く耳鼻科は付き添いが来てる人は居ない。
みんな、1人できて1人で判断して帰っていく。

午前2時半には確か悪寒も消えて用意してあったお茶や水を飲んだと思う。

そして寝たら、すぐ寝て、朝8時に目覚めた。 生きていた。なんか、気持ちが悪い気がした。

今まで乾いた咳だったのに、咳をすると痰が出るようになっていた。
濃い痰が出ると治る証拠だと老母がよく言ってたけどホント‼️かな。

朝まだベッドにいるうちに痰がたくさん出た。

そして、ゲホっと口の中に痰の塊が出たんだけど、長年の経験で、これは怪しい🤨、この痰は普通じゃないと直感。

生魚の内臓みたいな塊が出た、勿論🩸血も混じっている。小指の先くらいの塊。

ああ、とうとう肺がんらしき痰が出たもんだ‼️と思ったけれど、

この生魚の内臓はこの頃よく見ている。
鼻の奥からでてくるのだ。
鼻をかむと、ハナと一緒にびっくりする塊が出る。

カラカラに乾ききった鼻の穴で乾いた鼻水が固まって結晶になった感じかな。

無理やり取ったりするから血も出る。

血の混じった🩸痰が出た時、鼻の中にティッシュを入れてみたら血がついた。

うっかり喉に回っちゃったんだと思いたい

3/27日水曜は、なんとなく治ったような気がして、イベント後のパーティ会場を探しに行った。

夕方、1時間15分だけお仕事に参加しピアノを3回弾いた。
その間、咳も出なかったけど、夜は咳が出た。
せきがでるとき、肺だか筋肉だかが痙攣してすごく動くのはなんなんだろう。

バタバタしてて2回目のスプレーをする暇もなく、昨夜は19時、今夜は23時にスプレーした。

今夜の熱は、37度。
悪寒はない。

そして、医者が2種類のアレルギー薬を出したわけがわかった。

嗅覚が戻った👃‼️
タイガーバームの匂いも、洗濯の匂いも、フェイスクリームの匂いも感じる。

すごいなぁ、私の信頼してる耳鼻科の先生は。検査結果によってちゃんと薬を使い分けてる。

姉は内科に行ってレントゲンを取りなさい!とうるさいけど、

私はちゃんと大学病院を予約してあるよ。
4/11日。 入院するかな?
入院の用意は半分してある。












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激しい咳と熱が続く私 母は脳梗塞

2024-03-26 06:40:00 | 病院、病気
救急搬送された母は集中治療室で呼びかけに答え生きている

私の方がはやく逝ってしまうかもしれない状況だ。

3月21日から軽く咳が出始め、毎日夕方から悪寒と発熱と咳き込み。

悪寒の対処は、水枕にお湯を入れたのを抱え、足元に電気あんかを入れると、相当温めてくれてまもなく悪寒は治る

熱も出てるけど、ロキソニンが効いてくる。

咳は薬を飲んでも出る
痰は絡んでない。

肺癌の憎悪する咳、、というに相応しい咳だ。

匂いを全く感じなくなったので2000円でキットを買ってきてもらって調べたら


コロナじゃなかった
嗅覚がないし9月のコロナの時と全く同じ症状なのにコロナじゃなくて残念。
コロナでなら治るのに

3月18日頃口から石が出たけど3月23日頃にも同じのが出た。出ても体調に変化は無いから用無しだ。

土日は仕事をキャンセルして完全休養したので家族がお茶漬けセットを運んでくれた

今は、
3月26日火曜日の午前6時半。
3時間半くらい眠れた。
熱は37度まで下がってる
咳込み激しい。咳のために頭が痛い
肺も苦しい

このまま人生を終わりにできたらどんなに幸せかと思う。

後のことは心配しないで!
と逝ってくれたら思い残すことはない。

そのためにも書き置きを書かなきゃ。

死ぬ間際になっても忙しすぎる!
何もしたくない!
じーっとしている幸せな時間を持たないまま死ぬんだな。

なんとかならないのかなあ、この咳。
吸入薬を医者に頼もうと思う


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101歳母 救急搬送

2024-03-24 00:32:00 | 100歳介護
3月23日土曜日


最高に具合の悪い夜を2回迎え、仕事も休んで寝ていると決めていたところに母の施設から電話あり。

朝から反応がなく、食べず飲まず、体もだらんとしているので救急車を呼ぼうと思うがいいか? と言う問い合わせ。


もちろんお願いしたけど、お願いしない家族もいるんだろうな。

声の出ない私は必死で声を出し、自分はとても具合が悪いのでいけないけど娘がいけると思うと返事をした。

娘が支度をしてる間私は母が天国に行く時の服装を用意した。


何年も使用していた紙のパンツじゃなくて木綿のパンツを履かせてあげたいのだ。
そして、いつも着ていた金の着物。

今の病室に最後まで置いておきたかったのに、姉から縁起が悪いと言われて、娘は持って帰って来た。

反対意見を出す人は困るんだ。また、急いで持っていかなきゃならないじゃないか。



今日なくなるとは思っていないけど、母が帰って来て床が硬くて痛くないようにクッションを敷いた。掛け布団は毛布か夏掛けか?25万円の羽毛布団かな? もう古いし。

遺影だって用意してある。
葬儀屋も決めてある。
葬儀屋にメールも出した。

あとは、お寺さんが大変だ。
1番お金を払わなきゃだからな。

支払ったお金によりいい名前がもらえるってひどい話だ。


救急車に乗った母、脳外科の病院を探すのにすごく時間がかかった。
だから、娘も間に合って救急車に乗って行った。

動画が送られて来たり、私が声をかけたりした。お陰様だ。

中野区にある評判のいい病院の脳の集中治療室に入院できた。

鼻に管で栄養を送ってくれて、脳梗塞の血管の流れを良くする薬を入れてくれてるようだ。

CTの結果脳梗塞だって。

3年前の転倒から母は、歩くのも話すのも不自由になったけど、この時もきっと脳梗塞だったんだろうな。

運ばれる前に赤い水を吐いたし、
私一人で気が回らなかったな。
救急隊の人は、過去の病歴の質問で怒りだすし。


今回は施設のケアマネと娘と後から駆けつけた姉がよく見てくれた。

鼻チューブをしたくない姉は反対したらしいけど、病院側でつけてくれた。
ありがたい、、

水も点滴も与えないほうが楽に死ねると言ったら医者とは大違いだ。

自分の体調悪化で入院の準備が何もできず、そして気がつきもせず、
月曜まで母には不自由させている。

そして、体調悪化3回目の夜を迎え、
ちゃんとした体温計で熱を測ったら38度超えていた


これは全然ダメ!
私のかかりつけ医でもこれは捨てたらしい。
表面温度しか出てこない。
コロナをいいことに、大儲けした企業が多いことだろう。
他にも、色んな装置がおくられてきたし。
アベノマスク一段二段も引き出しの邪魔者だ。

38度を超えて、ヒリヒリして寒い私だけど、今日見つけた電気あんかを使い寝たら暖かい、、
おまけに家族がお湯を入れた枕を持って来てくれた。
癌の温熱療法に使用できそうだ、、

すっかり悪寒を感じず暖かい。
でも、ずっと熱が38度以上。
頭と喉は冷やしてるけど高熱だ。

匂いを感じない!


ハワイで買ったメンソールのクリームはやや甘い匂いがした。顔につけるといい感じに気持ちがいい。

とにかく最悪の体調3日目だ。

母どころじゃないのだ。
母には会えなくても後悔はありません。

今まで育ててくれてありがとう。
心の底から感謝しています






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急激な体調悪化

2024-03-23 07:11:00 | 病院、病気
3月22日金曜日

昨夜は激しい悪寒で寝て、朝は寝汗で起きた。
普通に起きてトーストを食べ午後からお仕事。

1時間間違えて早く来た人がいて、
初めて声を出したら、声が出なかった!

のどは不快感があり、咳も出てるけど、声が出ないとは知らなかった。



コロナの時配布された体温計を取り出して熱を測ったら36.9度 微熱だな

声が出ないけど18時半までお仕事して、
夕飯を軽く食べる。
身体中がヒリヒリしてるから発熱だと思ったけど、熱はない。

コロナの時と同じ症状、、
でも昨日陰性だった。

珍しく明日のお仕事を全てキャンセルした。

そして、夜から大変なことになった。

夜10時、異例の速さで就寝準備。


薬、飲み物、アイスノン、セーター着用、全部自分で用意してベッドに入った途端
今までに経験したことのない悪寒!
マラリアみたいに家が揺れるほどの悪寒。

暖房つけてセーター着てこらえる。
ひどい唸り声で寝ている自分を感じる。
そのうち、

右胸、、つまり肺がんのある胸がすごく痛い‼️

息を吸うと特に痛いからそっと呼吸した。

意味不明の胸の痛み‼️

悪寒で朦朧としてる中の痛みだから、痛いところの確認もせずじっとねていた。

気胸か? 
夢の中で、咳のため肋骨が折れたと考えていた。その回答に満足していた


少し寝て気がつくと何時だがわからないけど暖房がついていたからまだ午前2時半前だ。
毎日タイマーで消えることになっているから。 

そして午前5時に目覚めた。
お仕事が休みなんだから昼まで眠るっていうことは夢だな。眠れたことがない。
眠ってみたい、、、今に、ずっと眠れるけど死ぬと目覚めないんだな、、そこが問題だ。
なんだか生き返ればいいのに。

⚪︎悪寒は消えてる。
⚪︎体のヒリヒリもない
⚪︎36.5度
⚪︎頭が痛い、、肺がん転移なら脳の浮腫
⚪︎右胸息をすると痛い、胸がぎっくり腰になった感じ、ズキッ!と痛む、、肺がん
⚪︎オレンジの痰がでた、、肺がんの症状
⚪︎咳をしたいけど頭や胸に響く
⚪︎声は出るかわからない

19日までは痰が一滴も出なかったのに、昨日から溢れるように出る。
真っ赤な血は混じってないけどオレンジ色が出る
咳も出る
右胸がぎっくり腰のように痛い、、ぎっくり胸だ。

5月9日の診察を待たずに病院に行く覚悟はできた

遺書の準備ができてない
入院の準備も途中だ
旅行の準備はすごく早くするくせに、大事な遺書はまだかいてない

困った



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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。