アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

母 救急入院

2021-12-16 19:40:00 | 介護
2021年12月12日日曜日 朝ベッド下に崩れて身動きできない母を救急搬送

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レントゲンで大腿骨骨折はないものの、背骨の圧迫骨折があったものの、
レントゲン後に母を車いすに座らせ、そして、立たせて 立てるからと
乗れないタクシーに乗せて、降りれないタクシーで帰宅。

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そこから 悲惨な戦争が始まった。
動けない、トイレには行きたい、着替えれない、シーツ取り換えできない

ご飯食べたくない、水分はゼリー飲料を少しずつ飲ませる
うどんがゆ4口くらい食べた。

寝たきり老人、テレビも見ず、ラジオを聴かせることもできず、途方に暮れる

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次の日12月13日月曜日  変わらず寝たきり老人 全く動けず、パンツを取り替えてあげた。





もう、悲惨。  腰が痛くて、動かせず、服もシーツも取り換えできず、
ズボンも履かせることができない。

トイレには行きたがるけど、ちょっとも動かせず、パットを入れたリハビリパンツにしてもらうんだけど、水分をとっていないのに受け止めれないほどの水分を含んだパンツ・・・



姉も朝から大学病院に診察お願いしたくて電話して断られ、けっきょく昨日帰された外科病院へ再度救急搬送。




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対応する先生により、考えが違って、 なんで、入れ替わりたちかわり誰もいない救急診察室にいろんな先生がパソコン画像を見に来るんだろうか

3番目に来た元気のいい先生が、かってに昨日のレントゲン画像をみて、
「 いま、MRIとってるところだけど、 これ、入院でしょ、 いいね? 入院の準備するよ」

とMRIの結果も待たず決めてる。




平日の外科病院はけが人でいっぱい。 PCRをこの奥で受ける人がたくさんいた。


今回の転倒で 胸骨圧迫骨折があるそうで、古い圧迫骨折も確かにあるが、
昨日救急搬送で見つかった圧迫骨折は、今回できたものだって。

月に一度の5000円の注射もすることになった。

毎月注射をするって、いったいどこで?
インフルエンザの注射も通えないっていうのに、どうしましょう。

母は、検査着だけで、寒さの中救急ベッドに横になってます。
目もつぶって顔色も悪くすっかり死人の形相。




午前に10時40分に病院に到着して、入院が14時でお昼も食べず出してもらえず
さらに死にそう。


コロナで面会もできず、母とは1階でお別れ。
介護の必要な母をこの病院ではどう見てくれるんだろうか。


12月14日火曜日

病院から電話で、入院の手続きするのを忘れたと言うので、
5万円と抗菌目薬と、胃の薬とつゑを持って行った。

新宿駅から10分歩いたところだった。
暇な時には韓国街に遊びに行けそうだ。

母は、相変わらず腰が痛くて起きれず、リハビリはベッドの上でしているそうだ。
食欲もないので水分の点滴をしてるそうで良かった。

98歳という年齢開示で、先生も看護師さんもほったらかしにしてるんだろうな。
いままで、いっぱい食べて一人で歩いて、ひとりで支度して、一人で自由にテレビを見て
家族のためにカーテンあけて、電気付けて、だんぼうつけててくれた母だけど、

帰ってこれるかな。





病院の検査検査でわたしも母も昼を食べずに午後になってしまった。
ビョインから出てみたら、右も左もわからなかった。 この病院はどこにあるんだろう。


母が居ない夜。ふたご座流星群を見るために作った屋上で星を眺めた。
久しぶりに近眼鏡をかけたせいか、とても星がきれいだった。
あまりの寒さに、姉が洗濯して干してあったシーツとおねしょマットを体に巻いた。


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母救急搬送

2021-12-12 17:34:00 | 介護
平穏に暮らしていた日々が続いていて、きょうは
2021年12月12日日曜日。

休日なので朝起きていたけれど私は3階の寝室でのんびりしていた。
午前9時半すぎて1階の母の部屋にいったら、

母はベッドの下で崩れていた。

〇 上半身を起こしてすわらせたら、痛い痛いと言った。
〇 ベッドから落ちた・・・と言っていたがそれはわからない。
〇 座らせて体をさすっていたら、痰がゲボゲボしてきたのでバケツを出したら吐いた。
〇 チョコレート色の濁った水をたくさん吐いた。 
〇 パジャマのズボンにも吐いた形跡がある。
〇 救急車を呼ぶにしても、汚れた衣服を着替えさせないと!!
〇 ぐったりしている母を床に寝かせて困惑していたら、寒いと言った。
〇 電気ストーブを部屋に向けて、心の準備して着替えさせた。
〇 呆然としてるので下着はびっしょりで体も冷たい。
〇 私一人じゃ下着も着せてあげれないので下着は着せないでセーター着せた。
〇 服を全部取り替えて、床に寝かせていたら、娘のチョコパンが下りてきた。

救急車を呼んだ。

〇 かかりつけの大学病院は整形外科がないからと断られた。数年前もそうだった。
〇 数年前は動けたのでタクシーで女子医大に連れて行ったけれど、今回は動けない。
〇 救急付き添いのワクチン2回接種は重要だった。
〇 母の接種も重要で、私の仕事も母のデイも感染者の有無が重要だった。
〇 私が最近繁華街の飲食店に出入りしていないことも重要だった。

〇 交通事故救急で有名な新大久保の外科病院に搬送。

大腿骨骨折なし。
背骨の圧迫骨折はいつのものか不明。

足も動くし、立って歩けたら家に帰って大丈夫。
立てるなら入院はできない。 



秒殺で重症の母は帰宅だ。

タクシー呼んで、看護師さんに手伝ってもらって乗せて、
おろす時は姉を呼んで手伝ってもらった。

入院すると思ったから靴も持参してない。

帰宅して、ベッドに寝かせ、トイレに行きたくても立てず、
母は、グースカもう6時間寝てる。

姉は内臓を心配していつもの大学病院に知らせたがっている。

私の仕事が無ければいくらでも見てあげる覚悟はできた。
でも、信頼のもとに成り立っている仕事をしているので仕事をしないわけにはいかない状況だから、母をずっと監視していなきゃいけないとなるとすごくこまる。

あすは、姉が私の仕事の間見ててくれる。

突然降ってきた悲惨。

苦しい介護だ。


知り合いが沢山通って見ていた。



救急車の中。 たった10分のっただけなのにすごく遠く感じた。
娘のチョコパンは、付き添いことわられ下車させられた。




秒殺で帰宅。 タクシーを待つ母  ここでやっとお茶を母に飲ませた。

私のジャンパーを着せて、靴は無く、自宅で床に敷いていた黄色い毛布のまま救急車に運んだのだ、
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みるきの病院通い

2021-12-04 13:21:00 | 介護

高齢者になってきたみるき~は、世間によくあるとおり、趣味で病院に通っています。

高齢者が良く飲んでいる血圧の薬とコレステロールの薬を飲んで1年6か月。
この1年6カ月は頑固な頭痛が消えて生きた心地がしていますが、それに伴って右下腹腹痛が始まり、治らない。

右下腹痛は、 胃カメラ、大腸カメラ、造影CT2回 血液検査6回 婦人科検査をしても原因は見つからない。

2021年6月の血液検査でガンマ―GTP90 8月91 11月51

どの医者にも「お酒のみますか?」って聞かれて、果たして自分はお酒を飲むのか飲まないのかわからない。 「飲めるけど飲まない努力をしてます」としか答えられず、
この6月から8月にお酒を飲んだのか記憶にない。 記憶にないほど飲んだのかもしれない。


「セレキノン」という下痢や便秘、過敏性腸症候群に効く薬を大学病院から処方されてるけど、
その薬が処方されたにもかかわらず、どの薬局にも無くて、結局、大学病院近くの薬局でその代わりに出された薬が 「モサプリド」。

納得いかない!! モサプリドは便秘にも効く胃薬で、下痢をして腹痛のある私には向かないと思われる。 次の日薬剤師さんと話もしたが、処方が正しいというこじつけ言い訳しか言わなかった。

90日分270錠もでちゃって、、、、もったいないなあ。


11月の健康診断では、 尿検査で血液が出てるって! 血液検査で腎臓は何でもないらしい。
微小結石があるのは潜血反応と関係ないと言われた。
右下腹痛も肝臓のせいじゃないと言われた。

痰に石が混じって最近たくさん出るのは、腎臓結石のせいだと娘が言った。

喉がムズムズしてヒリヒリして咳っぽいときに出た固い痰の中には石が入っている。
きっと、みんなも気が付かず、石を吐き出していると思う。








診てくれる病院の先生に、そのたび、「 わたしは肺から石が出ます 痰に石が混じります」って言うと、どの先生も スルー

「口から腎臓結石が出ます」って今度言ってみよう。
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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。