アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

入院3日目

2009-10-28 14:48:00 | 母の介護
わたしは、本日夜成田から出発します。


いま、病院へ行って来ました。

母 『 あら、もう帰ってきたの?きょう帰ってきたの?』

   『 今日これから行くんだよ。』

母 『 じゃ、いままで何してたのよ』

   『 毎日病院来てたでしょ。
     昨日も、2回来たよ 』

母 ・・・・・・

下着のセットを持参したら、もうロッカーにないし・・・

びっくりしたのは、リハビリパンツ10枚くらいがもう無いの。

一回ごとに取り替えてる様子。

母 『 だって、ぬれちゃうんだ 』

大きなパットをパンツの中に敷いてあげたので
何回も、「 中の紙だけ取り替えれば、パンツは1日一回取り替えるだけでいい」と言ったけど、返事はあいまい。

こまったこまった・・・

~~~~~~

母はまた熱が出たらしい。
母がそう言っていた。
アイスノンのぬるいをしていたから、きっと発熱したんだ。

今日は、ベッドで横になって静かでした。

外の眺めがいいと喜んでいます。

甲州街道が近いので、街道のネオンが綺麗です。
取り分け、富士急ハイランドのジェットコースターのネオンは綺麗です。
都会に生まれた喜びは、ネオンです。

りんごのすり下ろしを置いてきました。
母が欲しがった、梅もおいてきました。

あれ?昨日昆布の佃煮とつけものは何処に行ってしまったんでしょうか。
勝手に食べて、制限されたんでしょうか。

なんか、ボケちゃいそうだったなぁ。

でも、いっそう呆けた方が幸せだ。
見栄も外聞もプライドも無くなるんだ。

そこで、介護の手が入っても過去の栄光を考えずに上手くやれるわけだ。

そうできてるんだ・・・

今15時。

17時の新宿発成田エクスプレスで空港に行きます。

今回は、なにが待っているでしょうか。
超ハードスケジュールを楽しんできます。

フラも踊るし、
星も見るし、
空も飛ぶし、
海を飛んだりもする、

あとのことは、よろしくお願いします。


ペトロビッチ・アレクサンダー・みるき~
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重病になって無くてよかった

2009-10-27 22:33:00 | 母の介護
あさから飛び回った。

天気が良くなってホントに良かった。
チャリで飛び回る1日。

洗濯をたくさんして、
打ち合わせ電話やメールをして、

10時 母の病院。 5万円支払って
          午前中の面会禁止を無視して
          バスタオルやアイスノン用のタオル5枚持参。

午前中の病院は、ウソコの香りに満ちあふれていました。
なぜかというと、ポータブルトイレが多いのです。
新鮮な香りに気絶寸前でした。
介護士さんが一つ一つ蓋をあけて点検し、洗っていました。

母は、ベッドに寝てましたが、話しもできて回復してるんじゃないかなぁ。
今朝は熱も下がったと言っています。
病院に来た時、38度だったことは、忘れられないらしく覚えています。
アイスノンは、拒否されて、よそにホッパラかされていました。

大汗をかいたそうで、自分でパジャマや下着を着替えてありました。
パジャマを一組しか置いていなかったので、あとで、持ってこないとなりません。

介護士さんが、午後に身体を拭いてくださるということでした。

リンゴのすり下ろしたのをテーブルに置いて、そうそうに退散しました。

~~~~~~~~

11時半、 東京駅、チョコパンの会社の海外団体専用チームと話し合い。
      このチームの、良い仕事ぶりにはびっくり。
      雑談によると、この部署はとても働きやすくて、楽しくて、誰もやめない
      し、誰も泣かないそうです。
      日本一忙しい本店で働くチョコパンたちは、さすが、選ばれシ戦士達だ。
     
1時    帰宅。 外出前のチョコパンが洗濯を干しておいてくれた。
          茶碗も洗っておいてくれた。
          メリーの散歩は、メリーのどろどろ汚れが恥ずかしくて
          数分で帰ってきたらしい。

      母の下着たちをまたまた洗濯。
      病院に持参するもの用意。

2時    チャリで病院へ。
      母は、半身起きあがっていた。
      リンゴは食べてあった。
      トイレに歩いてみるというので、支えて4メートル歩いた。
      大丈夫そうだ。

      身体はまだ拭いてないと言っていた。
      
      その後、介護士さんが来て言いました。
      「 身体をふかないでいいというので辞めました。
        明日にしますね 」

       デタ! いい、いい、症候群!

3時    仕事が始まるので早々に帰宅。
      
      もう、洗濯物を干せないので夜コインランドリーへ行くように
      下着を積み上げた。
      会社で言うところの、残業だ。

      やりきれない仕事が山積み。

3時半   メリー散歩。
      私は考えた。
      父が悪かった時、私は病院に毎日通って、もうメリーの散歩も注射も        出来ないことはできないとほったらかしだった。

      メリーは激やせして、瀕死だったけど、父が死ぬまで耐えてくれた。
      父の死後、わたしはヤットメリーをよみがえらせることに集中出来た。

      今回も、メリーは犠牲となって瀕死だ。

      メリーはみるき~家の、歴史を刻んだ生き証人だ。

8時まで仕事して、コインランドリー。

      ひ~~~大変だけど、新しい出来事だから、マンネリ化せず
      活き活き動けます。
      何回も病院へ行くことは、イヤじゃない。

あす夕方5時の成田エクスプレスでほんの少しだけ遊んできます。
あとのことは、チョコパンと、マクドがやります。
一番頑張ってくれるのは、母です。

ありがとうございます。


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母 入院

2009-10-26 01:33:00 | 母の介護

グアム行きまであと2日。

母の腰は立たないし、
もう、どうしましょうって感じで、

土曜に近所の医者で大腸ポリープの大きいのも発見されたことだし、
昨年大腸ポリープ切除でひと月入院した病院へ
行くことにしました。

入院希望です。


大雨の中、気丈な母は頑張ってタクシーに乗り、
病院へ行きました。

待合室で計った体温が38度!

熱が出ていたんだ。
気が付かなかった。

そう言えば昨日、ジュースを美味しそうに飲んでいた。
喉が渇いていたんだ。
そういえば、枕がぬれるほど汗をかいていた。
ストーブを付けたせいかと思った。

腰が抜けてフラフラだったのは高熱のせいだったのか。

診察室で診察もせず、即入院となりました。

熱の原因は分かりません。

私は、雨のなか、飛び回りました。
パジャマと湯飲みと割り箸だけは、一応持参しましたが
あれやこれや、寒がりの母に毛布や肩掛けやホカロン。

かなりの大荷物を持って大雨の中を歩きました。

グアムへ行く荷物の5倍くらいありました。
手が引きちぎれました。

私は、朝、昼、晩、の食事を食べる暇もなく、
体重を量ったら、気持ちよく見たこともない数字が体重計に
現れました。 お陰様でございます。

3時から8時まで私は仕事だったので
夕方6時にはマクドウウェルが病院に行ってくれました。
夕飯も食べずに眠っていたので、そのまま寝かせておいたとのことです。

夜7時にはチョコパンが病院にいってくれましたが
部屋にはいると、ベッドに起きあがろうとして苦労していたところで
すぐに背中をかかえて起こしてあげたようです。

冷たくなった夕飯を少したべたそうで、
チョコパンの介助無しでは食事は無理だったので
看護士さんに、一人では食べれないことを伝えてくれました。

お椀を持つ手もガクガク震えて、見てられなかったと言います。
今朝、家で飲んだ牛乳のマグカップもブルブル震えていました。

母は、そうとう目が回るらしい。

チョコパンが居る時検温がありました。
介護士さんが何も言わないので
テーブルに置いてある体温計を見たら
39度1分だったそうです。
本人には伝えないようにしているので黙っているように
指示がありました。

インフルエンザの検査では異常なしでした。

高熱です。
良いタイミングで入院出来ました。
家で高熱がでて、フラフラ歩けなかったら
どうしたらいいのか解りません。

なぜ、熱が出ているのでしょうか。

母が訴えていた膀胱炎でしょうか
3ヶ月咳の出ている肺炎でしょうか
大腸カメラによる刺激でしょうか
風邪の症状はありません。
インフルがどこかからうつってきたのでしょうか。

母の誕生日は1月です。

ひとは、誕生日ころ死ぬのです。
今回、1月を乗越えれば、あと1年大丈夫です。

チョコパンが支えながら、母は冷たい夕食を食べ、
食べたらすぐ眠ってしまったようで、
すぐに寝れるんだと母も言っていたそうです。

寝ても良いから、起きてくださいよ。

メリーも、母以上に危険な状態です。
この二人は、急激に危機がやってきました。

わたしは、ひとつの身体しか無いので
雨に濡れて泥まみれになって庭にいるメリージョンソンを
救うことが出来ません。
食事拒否のメリーをなだめて食べさせて、その間に注射する
時間もありません。

とにかく母は
入院してくれて良かった。

食事も出して頂けて
健康管理もしてくださる。
点滴もしてくださる。
ポータブルトイレも用意してくださった。

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明日は、11時にチョコパンの会社の丸ノ内支店に打ち合わせがあるので
私はどうしても行かねばならない。

午前中のガスファンヒーター点検はキャンセルだな。

母の所へ朝寄って、
タオルを置いて、
保証金5万円を支払って、

熱が下がっていますように。
元気に歩けますように。
いつもの口達者な母に戻りますように。
買い物に行く母に戻りますように。

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2009-10-25 15:10:00 | 母の介護
今日は日曜日。

私は、グアム行きまであと3日となり、死ぬほど楽しみにしているというのに、
母が変です。

夜、母の妹から電話がありました。
こんなに体調の悪い時に電話が来て、参ったなぁと思って話をしたら、
胸騒ぎがして、心配になったというのです。

昨年父が亡くなった時も、
胸騒ぎがしたと言って、何十年ぶりで電話を掛けてきた人がいました。

そういう事って、あるんだ・・

わたしだって、霊がいる部屋は解るんだよ。
すっごく、あの気持ち悪さが襲ってくるの。
前住人が自殺したお風呂に入った時のあの気持ち悪さが。

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母は、金曜日にショートステイから帰宅しました。
元気でした。

昨日土曜日には、膀胱炎だとか便秘だとかでデイサービスを休んでいました。

そして、土曜日に病院へ行くと言い出しました。

母は主治医がいないので、駅前の入院設備のある病院に行くと言いますが、
お願いだから今回はすぐ近所の病院へ行ってくれとお願いしました。

なぜかというと、6月にそこで血液検査をして、大腸癌・乳癌の疑われる腫瘍マーカーの値が悪く、精密検査をするから来るように言われていたのです。
乳ガンのエコー検査をする事になっていましたが、もう4ヶ月も経ってしまいました。
元気だった証拠です。

母は、入院出来る病院に行きたいようでしたが、近所の病院に行ってくれました。
出掛けに、診察券や保険証を探して、もう大変です。

私は、土曜も日曜も昼まで仕事の予約があり、付き添えません。
母一人で行かせました。

私の仕事が12時過ぎに終わっても、母は帰宅していません。

そして、クタクタで帰宅しました。

大腸カメラを入れたそうです。
センセイはどうしても大腸癌を疑っていましたから。

浣腸をしてから大腸カメラを入れ、大きなポリープがあったそうで、
でも、便が残っていて取れないとか・・
何処で、このポリープを取るべきか先生は独り言で悩んでいたそうです。
自分が取ろうと決心もしていたそうです。

11月18日に大腸ポリープ切除の予約を入れてありました。

母は、クタクタです。
家に帰るとすぐにベッドに寝てしまいました。

私は出された便秘薬とか、真面目に飲ませて、

今日の日曜日。

母は、腰が抜けたと言って、フラフラになってしまいました。

ベッドから起きて、よろけながらトイレに行きました。
私は後ろから支えてあげたのですが、
出てきて、母は自分の部屋でリハビリパンツを取り替え出しました。

私は見ちゃ悪いので、様子だけうかがっていました。
母は立っていられず、その辺の衣装箱に座って、ズボンやズボン下を取り替えています。
それが、かなりの時間を掛けているんです。
あきらかに、おかしい。

手伝おうか? と声を掛けると
大丈夫 と答えるのでプライバシーを守ってあげるためにそっとしておきました。

あまりに、時間がかかって取り替えているので
私は、メリーの散歩に出ました。

30分過ぎて帰宅すると、母はまだズボンをはけずに衣装箱に座ってズボンを取り替えていました。

そのうち、支度が終わって寝てしましまいました。
脱いだリハビリパンツは、いまも畳の上に置きっぱなしです。
私が踏み込んでいない世界なので、どうしたらいいもんか・・・

私は、今日昼で仕事がおわり、ずっと母と過ごしました。
トイレに行く時、後ろから身体を支えました。
フラフラで、力が入らないようです。

母に、だるいのか? 気持ち悪いのか? 頭が痛いか? お腹が痛いか?
って聞いても、何処も悪くないと言います。

『 わたしは、もう90になるから、いつ死んでもいいんだ。
 もう、お父さんのそばに行きたい。
 (身体が変なのは)年のせいだ。
 わたしは、何処も悪くない。 歳をとったのだ 』

コンナ事ばかり、言っています。

夕食は、とろろ掛け御飯と、かに玉スープです。
起きてきて、やや食べてくれました。
でも、またすぐに寝て、
時々大汗をかいていました。

寒い寒いって言うから、電気あんかを布団にいれて、ガスストーブも付けているせいです。

しかし、私も今日はまことに寒くて、とうとう昼にストーブを付けたのです。
ストーブを付けたら、私の身体も落ちつきました。

=========

一体ドウしちゃったんでしょうか。

わたしの考えでは、
下剤の飲み過ぎじゃないでしょうか。

ずいぶん飲んだし・・・
浣腸して下剤の必要がないのに、下剤を何回ものんでるし・・・

あす、回復していますように。
心からのお願いです。

健康が一番です。
何回も買い物してきて良いから、元気で居てください。
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ショートステイより帰宅

2009-10-22 08:09:00 | 母の介護
2箇所目のショートステイ2泊でした。

誰だか知らない老人のベッドで寝て、流れないトイレで、紙のないトイレで
話せない人ばかりの施設で、
文句たれの母が、どんなに嫌な気持ちだったかと気の毒に思いながら早めに迎えに行きました。

2階のフロアに到着しエレベーターを下りたら、母が外出用の上着を着て目の前を通り過ぎました。
毎度のことながら、帰り支度が早いです。。
土足禁止なのに、外の靴をもう履いています。
呼びかけたら、『 いま、部屋に荷物を取りに行くところだったのよ』って準備万端です。

もう荷物もカバンに詰めてあって、点検も済んだらしく、家族の立ち会いもなかったので楽でした。

食事もほとんど全部食べて、排便も本日少量あり、夜もよく休み、皆さんと楽しくお話ししていたと、説明がありました。
同室の方とよくお喋りをしていて、その同室の方は普段不安で歩き回ってばかりいるのに母が話しかけていたためにとっても落着いていたそうです。
スタッフの方が感謝していました。

若い介護士さんがカバンを持って1階までお見送りしてくれました。
母は 『カバンを持たせちゃ悪いわよ』と何度も言って、私に 『持て!!』と言いたそうでした。

私『 若いから持って頂きましょうよ』と言ったら、エレベーターから下りる時、
母 『じゃ 年寄りの私から先に降ります』と、わからない冗談を言って降りました。

母と二人で運転手さんが来るのを待っている間に、心配だったトイレのことなどを聞きました。

『 トイレが流れなくてイヤじゃなかった? イヤだったでしょ』

母『 昨日から急に流れなくなっちゃたのよ。
   でも、大丈夫だった。』

『 一回ごとにスタッフを呼んで流してもらったの?』

母 『 呼ばないわよ。
    だれも、呼ばないわよ。 』

『もしかして、流さないでそのままになってるの?』

母 『そう、みんなのがたまってるの。
   でも ウン× は無かったわ。
   時々自然に流れているのね。無くなってたわ』

水洗トイレの無い時代の人々は、平気なんだな。
母も、意外とその点を気にしていません。
安心しました。

誰かのベッドに寝たことも気付いていないのか何も言わないし、
けっこう、まったく神経質では無いんだ。

私みたいに、人が触ったものは食べないとか
人が作ったお弁当が食べれないとか
無いんだな・・

『食事は、どうだった?』

母 『けっこうだったわよ、でもあそこ(デイ)が一番良いね』

『デイサービスは、高いお金を払ったお弁当だからね。
 今まで行っていたショートステイの御飯は、まずくて少なくて冷たくて。。って言ってたけど、ここはどうだった? 』

母 『 う==ん よかったわよ』  ←記憶が薄い様子だ

『夜は寂しくなかった?』

母 『 寂しくないわ。 』

『話を出来る人は居たの?』

母 『呆けた人は誰もいなかったわ。男の人とも女の人とも話をしたのよ』

デタ! ボケを感じない身体!

と、いうことで、意外にも何も文句が出ないの。
やっぱ、個室が駄目なのかも知れない。
個室で一人で寝ることは、不安なのかも知れない。恐いのかも知れない。

そう言えば、わたしもこの何年かで3回一人でホテルに泊ったけれど、独特の孤独感があるよな・・・
一人が好きな私は楽しめるけど、誰かが居ないと不安な母は、知らない施設での個室は恐怖なのかも知れない。

30年前に、父が夜勤で夜家を空けた時、恐ろしく不安がっていたもんだ。
隣に寝ている人がいないと空虚だって言ってた。
父がどんなに、おおぼけで顔に放尿されても、母は父の隣から離れなかったんだ。

ナンだろ? その寄生虫。

近代設備のユニット式個浴のショートステイにするか、
今回の特養施設にするかは、両方利用するうちに様子が分かってくるでしょう。

母が嫌な思いをしていなかったので安心しました。

そして、その夜から忘れていた母の クチウルサ が復活したみるき~家です。



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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。