アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

私の大失敗

2010-02-27 00:06:00 | 介護
2年に一度、仕事の大事な会があるために
この時期はとても忙しいです。
おまけに確定申告の時期と重なって
もう、死にそうです。

そんな忙しいときに、瀕死の犬の世話もあるし
母のお世話も、仕事も家事も旅行計画も・・・株も。

忙しすぎて、後回しになるのが一番弱っているイヌの世話です。
なかなか食べてくれないゴハンを食べさせているときに一日2回の注射です。

死んでしまうかもしれないなと、思いつつ。。。
だから、2年前に、父ジェンギンスは死んでしまったのでしょうか

わたしが、仕事と家事と介護と犬とトリとハムスと税金と大事な会と、そんなことをしていたから、ジェンギンスは死んでしまったのでしょうか。

大事な人の介護は集中するべきだな。

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そんなこんなで わたしは、土曜も日曜も休む暇も無く仕事の予約が入っています。

今日の土曜は、午前中から始めて、食事も食べずに午後3時半に仕事が終わりました。

買わなければいけないものがあったので久しぶりにチャリでスーパーマーケットに行きました。(食品以外のスーパーは近所には無いんです)

母が5時にデイから帰ってくるので、お茶の用意をして、チップスターのおやつを置いて
電気をつけて、置手紙をして出かけました。

5時40分頃帰宅したら、
母が  「 口が変な味がするの。 すごく口が変なの 」
     「 どうしたんだろうね 」
     「すごく、苦いの、なにがまずいんだろ」

何を言ってるのかと思いましたが、
わたしは、顔面蒼白になりました。

漂白剤です!!

とうとう私は認知症です!!
母の急須があまりに茶しぶだらけだったので
漂白剤を入れたのを思い出しました。

もう、びっくりです。

たしか、記憶では
急須にそば茶をいれて、すぐに飲めるようにテーブルに置いたし。。

漂白剤を捨てたのだろうか?
そのまま入れたまま出したんだろうか?
急須をいつものようにゆすいだだろうか?

いつもの動作だから記憶がないの・・

とにかく、母は漂白剤いりのそば茶を飲んだ。

でも、変だから飲まなかったといっています。
でも、すぐに口をゆすいだり、水をどんどん飲んだりは
していないの。。。
何が、苦かったかも気がついていないの。

とんだ失敗です。
母は喉が変だといっています。

すぐに牛乳をあたためて飲ませました。

そんなに飲んでないから大丈夫だと
母は言ってくれています。

あの時、いつものように急須をさかさまにして水を切る動作を
わたしは、しただろうか?

なんてことだ、すっかり漂白剤を入れたことを
わたしは忘れている。
ひどい!

これが認知の始まりだったら困ったことだ・・

30分後に 母と一緒に夕食を食べた。
大丈夫そうです・・・
母と食事を食べるのは久しぶりだ。

家族のチョコパンとマクドウウェルが2人でスキーに行ってしまったのでわたしはお気楽なのです。

弁当つくりや朝食夕食の支度がなくなって、快適なのに
母は、「 誰もいないと寂しい、寂しくてたまらない」といいます。

寂しい人っていうのは暇人なんだな。

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次の失敗。

口を滑らせてしまった!!

「15日から2泊ショートステイらしいわ」 と母がケアマネに聞いたらしくそういいました。
「そうね、わたしは旅行に行くから。。」

ああ、言っちゃいけないことだった。

延々、母の文句が続いた。
明日までには忘れていますように。。。
ぜったい、覚えてる!

★ あんな監獄みたいなところは、何もおもしろくない
★ あんなところに居たらぼけてしまう
★ 夜中は、だれも居ないし、何の音も聞こえない
★ あんたが居ないのに、私が居なくてどうする!!
★ 私が居なかったらチョコパンたちがかわいそうだろ!
★ 私が居なかったら無用心だろ!
★ キャンセルしてちょうだい
★ 早く言わないと、あたしだって予定があるんだから
★ あんたは何日留守にするのよ
★ わたしは何日泊まるのよ

「 だって、チョコパンたちに、いっぱいおにぎりを買ってきちゃうでしょ」
「 ぼけたら施設に入れてっていったじゃない」
「 お母さんが居るほうがかわいそうだよ」
「 お母さんが居なければ玄関は閉めっぱなしだから」
「 生き物はチョコパンがせわをするよ」
「 この間は、ひと月も入院してたじゃない」

★ 入院してたときはあんたがいたでしょ
 ・・・いいえ、ホントはグアムにいってました・・・


逃げだしたいくらいでした。

ああ、言うんじゃなかった。

それにしても、ちゃんとした人がいる楽しいショートステイ施設は
無いもんでしょうか。

渋谷区でテレビがあるのは、母が行っているところくらいです。

1人で生きて行けない人は
1人で泊まる事ができなくて困ります。

一人旅なんか寂しくてつまらないという人は
施設の生活も向かないでしょうね。

わたしは、いまショートステイに行って
食事と洗濯と掃除してもらって
お部屋でおせんべいを食べながらテレビを見たいです。
できることなら、ビデオを見たいです。
眠いと思ったときに寝てみたいです。
おもしろい雑誌も欲しいし、漫画も読みたい。

。。。ってことは、おもしろいものを持参するべきだ。

でも年寄りには、おもしろいものがないのです。


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三回忌法要

2010-02-15 09:18:00 | 介護
アルツ・ジェンギンスは、壮絶認知にて認知療養病棟に入院中、胆管癌を発症し、胆管癌告知されてからわずか3ヶ月で、亡くなりました。

ちょうど2年前です。
その、3ヶ月間は毎日病院に通って、父ジェンギンスと過ごしました。
でも、仕事をして家事をして母の介護をしながらの病院通いは大変でした。
父だけの介護に集中できたら、もっともっと健やかな最後を過ごさせてあげれただろうと、後悔もたくさんあります。

無理に無理を重ねて介護をしましたが、まだまだ無理をしてもよかった。
死ぬ苦しみに比べたら、自分のわがままな無理なんて大したことありません。

きちんと生きた父ジェンギンスの3回忌法要です。

お坊さんの法要は頼まず、家族だけでお墓参りに行きました。



今日は母も連れて行きました。
このごろ、だるそうじゃなくて調子がいいのです。

家から新宿までタクシー → 特急電車 → タクシーでお墓まで

両親が買っておいてくれたお墓が八王子という田舎町にあるのでなかなか行けませんが
みんなでこうやって揃って出かけるいいチャンスを作ってくれました。

墓石を磨いて、ほうきで砂利の上を掃除して、花を取り替えて、
お供えして、線香をあげて、拝んで

マクドウウェルは、上村愛子の実況中継から目を離せずほうきを持って掃除していました。チョコパンから「 墓参りに集中しろよ ! そんなシーンは家に帰れば何回も見れるわ! 」といわれ続けていました。


ほんと、うんざりするほど家に帰ると上村愛子でした。

墓参りをして、すこしお墓を散歩しました。
昨年12歳とか14歳で亡くなっているというお墓があって、悲しみを誘います。
子供の命が消えるのは一番悲しいです。

大きな竹やぶがあって、私たちは珍しくて当分眺めていました。
家に竹やぶが欲しいと思いました。
ゆずの木があって、ゆずがいっぱいなっていました。
取ってはいけないと母に言われましたが
チョコパンが、「とれた」といってひとつ頂きました。
ゆずの木が家に欲しいと思いました。

このお寺には、大きな池もあって、チョコパンはこんな家に住みたいと
言っていましたが、ここにお嫁に来ればいいのです。

ゆずの木も、竹やぶも、池も鯉も、大きな家も、それに
いまの仕事をやめることができるのです。
ここの副住職さんは、イケ面で有名で素敵な人です。
とてももてるというから、無理かな。

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墓参りが済んで、徒歩で駅まで行き、
いつものお蕎麦屋さんでお食事です。

天ざる大盛、小玉子どんぶり、小天丼2つ、小きつねうどん、小カレー南蛮、小ざるうどん・・こんなに食べました。

私が頼んだ小カレー南蛮は、期待はずれの味だった。それに、天丼とカレーは合わなかった。
食事代は母が出してくれた。
いつもこういう時は母が出してくれる。

これは、親の手本だな。きっと、将来私も、出すだろう。
そして、母がいままで、親と弟2人の最後の看病を一生懸命していた姿は、私の介護の手本となっているんだろうなと思っています。

特急電車に乗って、そして、徒歩で無事に家まで帰ってきました。


みんなで一緒にお墓参りができてよかった。


家にかえると、風邪を引いて今日これなかった姉が
母のために、養命酒とウコン茶をテーブルに置いてありました。

そして、仏壇に父の好きだったカステラと栗饅頭が備えてありました。
きっと、お線香を上げにきてくれたんですね。

ジェンギンスは、久しぶりに大喜びしていると思います。

うれしい一日となりました。

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命日だな

2010-02-13 01:48:00 | 母の介護
バレンタインデーは、父ジェンギンスの命日です。
ちょうど2年前に亡くなりました。

この2年はあっという間に過ぎました。
記憶に生々しい介護です。

2年前の2月11日に私は父ジェンギンスの見舞いに行って、耳掃除をしてあげようとしたらジェンギンスは、手で耳をふさいで嫌がりました。
病院に隠れて、スープを飲ませたり、ウコンを飲ませたり、ヤクルトを飲ませました。


この写真は、2月11日、珍しく母が見舞ったとき、ジェンギンスは
母の顔をじっと見たのです。 最後のお別れです
一生のお別れの悲しい写真です。

父が突然なくなるなんて思わないから
12日と13日は、忙しくて病院に私は行かなかった。
「誰も病院に行かないなら、私が行く」と母が珍しく言ってくれたけど
不自由な母を1人でタクシーに乗せるという面倒くささが先にたち
病院には行かせなかった。

チョコパンが二日間とも行ってくれたのが心の救いだ。
もう、やばいよ と言っていたら
14日の朝、病院から急変したと電話があった。

私はそのとき過呼吸になった。

父の死を考えるより
すべて計画していたことを実行しなければいけないという
義務感で頭がいっぱいだった。

用意してあったジェンギンスの最後の着物を用意し、
ジェンギンスが帰宅したとき寝かせるスペースを考え、
それを甥に指図し、

父の死を確認して、用意してあった葬儀屋に連絡し、
・・・
先生の話も聞く暇もなく、、

父の介護と死に関するすべての手配は
全部私1人でやった。

誰にも手伝ってもらわなかった。
病院も施設も葬儀屋も全部1人で決めた。
だから、全部自分の思い通りだった。

昨年は一周忌法要で
お寺さんに、とんだ迷惑をかけてしまったことがあるので

今年の3回忌は家族だけでお墓参りをします。

父は2月の一番寒い時期に亡くなったので
毎年、寒いな。

母も明日は墓に連れて行こうと思う。
母は1年半もお墓に行っていないからな。

毎日寒くて寒くて
本当に寒くて、

寒いのは嫌いだ。

もっと嫌いなのは、
グジグジグジグジ、口うるさいやつだ。
ダメだしばっかりして、証拠をみせろだの、
説明しろだの、やり直せだの、
そういう、偉そうなやつは
大嫌いだ!!


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大学病院検診日

2010-02-08 01:33:00 | 母の介護
2ヶ月に一度くらいの割合で定期的に大学病院の診察に母は行きます。

まず、眼科

母の目はいまや、つぶれ状態。
どんどん悪化して目を開けることができません。
どうして、開けられないのか
母に聞いてもわからないのです。

目が痛いの?
まぶたが痛いの?
ごろごろするの?
粘膜が変なの?

ナニを聞いてもわからないというのです。
それで、目を閉じてピクピクさせています。

いままで、眼嶮下垂の手術を何回もしてまぶたを上げたけどダメ。
目玉の皮のたるみをとる手術をしたけれどダメ。

診察のたびに、目に傷は無いか?
目に石灰化したできものは無いか?
まぶたに傷ができていないか?

いつも見てもらっていたんだけど、
今日は、とうとう
病名がでた。

結膜結石


毎回石灰は無いか?って聞いて、無いって言われてたのに
きょうは、

「 石がすごいんですよね、100個もありますから
  コレをとったら、目がなくなっちゃうくらいあります。

  いま、飛び出ているのだけ10個くらいとりました。

  ほら、見てください。

  あれ、 顕微鏡で見るとすごく大きいんだけど
  見えないかな・・(ぜんぜんみえません)」

なんで?
なんでこのひと月あまりで100個も石ができたんでしょう。
そして、たしかに日に日に母は目の不快を訴えて
目がつぶれてきています。

そして、10個石を取ってもらった母は
目が開いて歩いていました。

〔 いままで、このへんに痛いものがあったけれど
  それが取れて楽になったわ〕

ええ?今まで、わからない わからない っていってたくせに
なにか、あるみたいだとか、言ってよ!!
 

結石ができる原因は何でしょうか?
母の目に100個も石ができたとしたら
考えられるのは、目薬の差しすぎしか考えられません。

ドクドクドクドク 目薬をさしています。
自分でやってくれるから
わたしは楽をしていますが、
母は、上を向けずに、ほぼ正面を向いたまま
差しています。

デイサービスで目薬を差してくれるとありがたいんだけどな
デイサービスで母の手足のつめを切ってくれるとありがたインだけどな。

~~~~~~~~~~~~~

姉から3回忌法要はするのか?ってメールが来ました。

しません。

家族が心からジェンギンスの魂を敬い
生前の思い出を心に刻み
私たちに残してくれた教えを忘れず
立派に生きたジェンギンスを尊敬し
こころから、こころのそこからジェンギンスの死を悲しみ
私たちに残してくれた心の財産に感謝し

そうやって、義理や行事としてではなく
ジェンギンスの3回忌法要を家族の心で執り行います。

==============¥

母は4月12日に、右目の手術をします。

結膜結石 と 結膜弛緩 です。

少しでも良くなるなら、楽にしてあげないと

PPPPPPPPPPPPPPPP

次は老年課に逝きました。
からだのこわばりもとれ調子がいいです。

先生は薬が効いているとおもっていましたが
反対です。
薬は、飲んでいません
飲んでいないから、こわばっていないんでしょう。

院外処方で薬を頼んだのに
院内で出た。

院内はこまるよ・・・
ウツのジェイソロフト とか 捨ててるくらいあるんだ。
院外だと、断れるのに院内じゃ断れない、無駄が買い物です。


眠くなった・・・


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ショートステイのこと

2010-02-07 16:56:00 | 母の介護
母がショートを利用してちょうど1年です。

認知の進んだ父ジェンギンスのときと違って
介護で困っているからショートにいってもらうわけではありません。

とっても困ってはいませんが
母がいないと、私はとっても楽です。
気分も、仕事も楽です。

仕事をしながらの3食の食事の支度がなくて
同居の気遣いがなくて
うるさく言われなくて
気を遣わなくて
叱られないで

=====
ショートステイはちっとも楽しくありません。
それが、かわいそうです。

あんなにおもしろくないところへどうして行かねばならないのかと
母は不満を訴えます。

初めてショートステイさせたのは
渋谷の繁華街のそばにある渋谷区では一番新しい
ユニット式のショートステイ専門フロアがある特養です

友達いない
さびしすぎる
外が静かすぎる
個浴はいやだ
ご飯がまずい

と、文句をたれまくるので

近所の特養を申し込んで3回くらい泊まってみました。

大文句!"!の嵐です。

いちいち監視されている
夜中に立つたびにスタッフが来る
夜中に7回も起きたって記録に書いてある
昼間もたちあがると、なんのようですか?ってうるさい
テレビが無い
何もおもしろくない
トイレの水が出ないときがある(いつもでない)
いちいち、トイレに何回行ったかって聞かれる

と、今度は、近所の特養をめちゃくちゃ悪く言い出しました。

前のショートが良いって言い出しました。

それは、そうです。
あたらしいユニット式の施設が一番いいとおもいます

=========

人の上に立たないと気がすまない母が
わかい介護の兄ちゃんや姉ちゃんにバカにされた態度をとられるのは
とっても嫌なのです。
母には尊敬した態度で接しないとダメなのです。

もう、2度目のトイレが流れず監視付の施設はキャンセルしてもいいのですが
たとえば、来月わたしがラスベガスに行く1週間とか
7月に2週間いくハワイとかの時に
母を預けたいので、すると人気が高くない施設のほうが
予約がとれやすいのです。

いま、午後5時。

母の夕食の支度をしないと・・・
また、カルビ焼き弁当をかってきちゃうからね・・
今日は2個かってきました。

一個は母がお昼にたべて、
一個はメリーが食べるでしょう。

母は、家族が仕事に行くか行かないか行ったのか家にいるのか
覚えることができません。

夜から朝まで
『明日お休みなの?』『2階にだれかいるの?』
『ちびはもうおきたの?』『玄関の鍵かっていいの?』
と聞きます。

ぼけているところもあるけど
この家で一番のリーダーです。

この家のすべてを支配しています。
命令です。


ああ、食事食事!!
たいへんたいへん!!
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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。