アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

ある事件

2015-01-21 01:10:00 | 介護
1月の溜まっている出来事をここに書こうと思っていたが、
考えもしなかった事件が起こった。
ひとごとだけど・・

体調がずっといいなんて、日記に書いた途端に金曜日の夜から頭痛が始まっていた。
土曜日になっても痛くて、ロキソニンを飲んだけど効かないから、イミグランをのんだ。

とっても頭が痛いときに電話がかかってきたのだ。

趣味の仲間のオジ様が金曜の夜に、ビジネスホテルで急死したらしい、土曜の朝にチェックアウトしてこないことから発見された。

1月4日まで私とはメールをやりとりし、その人中心の椿姫演奏も立派にできて彼は非常に喜んでくれていた。

趣味の仲間とは15日にもメールをやりとりし、無くなる直前も仲間の女性と電話をしていたのだ。

1時間の電話のあと、挨拶もなしに電話がぷっつりきれてしまい、
その後息絶えたようだ。

そこまでは、お気の毒な話で済むことであるが、続きがある。

遺体を引き取る人がいないのだ。

おじ様の妻は8年くらい前に亡くなって、その後独り者のいとこと同居していたが、
そのいとこがつい2ヶ月前に亡くなってしまっていた。

おじさまに子供がいたのかいないのかは、誰も知らないっていうところがミソだ。

オジ様がなくなっていたことで、警察は通話履歴のあった私の仲間の女性に電話があって身元を教えることができた。

身内がいるのかいないのか、とにかく引き取り手がいなくて、現在も警察に安置してある。
警察は果たしてドライアイスを使ってくれてるんだろうか。

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そこで人生を考えさせられた。

KO大学を卒業して、りっぱな会社の役員で、きちんと清潔に生きてきたおじ様は、
自分の終末の身の振り方をきっとまだ考えていなかったんだろう。

そのうち、老人ホームにでも行こうとしていたんだろう。

まにあわなかったんだ


身内が生きているうちに亡くなる人はそれでいいけど、
生き残った最後の人は、こういう結果になるのだ。

兄弟がいればまだなんとかなった
子供がいればまだなんとかなった

子供っていうのは2人でも3人でも必要であると思った。
そして、叔父叔母いとこ・・を増やして
協力して生きていくもんなんだな。

天涯孤独で、あの財産をだれが処理するんだろう?
財産はだれが管理して分配するんだろう。

そのうち最後は老人ホーム・・なんて甘い考えだ。
それは健康な人のことで、

たいていは病気でなくなるんだから
病気になった時の始末や
支払い、
最後の処分・・

死に支度を早くしなきゃ!
ずっと、思っているのに
そんな暇もない。

いつも言ってるけど、

母の死に支度を本気で風呂敷につつまないといけないな。


父の時は葬儀社にも電話をしてお坊さんにも電話して風呂敷に着物と足袋を用意してあった。


父の介護は、明るい介護だったなぁ
ものすごく大変だったけど

ボケてなければよかったのになぁ

珍しいくらいの大呆けだったなぁ


デパスやハルシオンや睡眠薬を飲まなければ
父はあんなにボケなかったと思う。

母は、デパス愛用者だったけど、やめてから目眩もなくなり
とっても普通になってきた。

とにかく、自分が将来天涯孤独で突然亡くなった時のことを
考えておかないといけないんだ。

あなたも、あなたも、あなたも。

いまや、親戚はすくないんだから
最後に残るひとが本物の ババ となる。
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体も心もくさってきた

2015-01-17 00:09:00 | 介護
たいへんだ、このブログを40日も書いていない。

この40日間は、心は腐っていたがなぜが体調がすこぶる良かった。
頭が痛くなくて下痢をしないのだ。
お酒も飲める。

何があったのか不明だ。

ただ、神経のない歯が40日くらい痛い。
歯肉が死肉みたいで、なんか腐ってる気がする。
歯科医には行っているが、マウスピースを作るんだって。
だけど、痛いんだけど・・

ここで口の中が腐っているので
頭痛の原因の腐ったものがが排出されたんじゃないかと
思える。

頭痛がないので、いろいろなことができるようになった。
明るい未来に向かって動けるんだけど、

心は腐ったままだ。

ほんとうに、昨日までうつ病もどきだった。

昨日母が4日間のショートステイにいったので
うつ病もどきが治った。

あ~~~

生きているのが嫌だ。
人間と一緒に生きていくのがつらすぎて苦しい。

まったく、本気で、心が苦しい。


現在を生きるのもつらいけど、
過去の自分を振り返るのもくるしい。

あんなことをしなければよかった
あんなことをいわなければよかった

そんなことばっかり。

ひとつ、後悔していないことがある。

わたしのお金を何回も何回も盗んだ女の子の親に報告しなかった・・・
これは、本当によかった。

盗みグセなんて、人に言われて治るもんじゃないし
親におこられてなおるもんじゃないのだよ。 

・・・ここまでが前置き。


12月は多忙だったため毎週末母にショートステイに行ってもらった。
すこぶる私の体調は良くなった。




庭の紅葉は素晴らしい紅葉だった。
これもこれも、わたしが高枝切狭で首が痛くなるほど剪定したからだ。


12月初めに、友達3人で原宿のメキシコの店に行った




趣味の会でオペラやジブリを披露した



母をさんぽさせ




クリスマスツリーも飾った


母に年賀状のサインをかかせた



クリスマス時期はケーキがまずいので、小さいのを買った。



久しぶりの一同で忘年会。
母は化粧をして、セットして、いいお洋服を着て、アクセサリーもつけた。
見違えるほど綺麗になった。

母は、いつかしら認知症が治った。
すごいことだと思う。
歩けなくなったから・・治った。
ボケ行動ができなくなってしまったのだ。

以上12月の日記でした。
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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。