アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

救急で除夜か!!

2012-12-31 21:35:00 | 介護
散々な大晦日を迎えています。

私自身の咳き込みや声枯れ、右下腹痛はやや回復の兆しであろうけど、自分のことより母です。
脇腹の激痛で身動きできないため、金曜に整形外科でレントゲンを撮り異常がなかったものの、激痛は増すばかり。
身動きできず、食欲もなく、寝返りどころかベッドに寝ることもできない。

わたしは動けない人の介護は無理!

本日の大晦日に、かかりつけの救急病院に電話。

「 骨に異常があったとしても安静しか処置はありません。
ベッドに空きはないから救急車を呼ぶか、シャープの何番に電話して受け入れ病院を探すのが一番です」 と断られる。

もうひとつの救急病院に電話、

「おそらく、来てもらっても近所の病院と同じ診断結果になって、シップだけの処置になります。
今日は整形の当直しかいないし、内科はみれないし、来てもらっても・・・」と断られる。


かかりつけの大学病院に電話。

整形外科では断られたが、かかりつけの老年科の当直の先生が診てくれることになった。

私が電話で搬送先をさがしていると、身動きできない母が病院に行くとわかって着替え始めたからびっくりした。
待って!と言ったっていうことを聞かない。

身動きできないため新宿の病院へ車椅子で搬送なのだ。
車には乗れないから。
介護タクシーを呼ぶ余裕もない。

母のしたくと自分のしたくに時間がかかる。
母の目を拭かないと・・・母にマスク・・帽子!
入院セット・・座布団・・毛布・・手袋・・

ひ~~~たすけて~~~

痛がる母を車椅子に乗せて防寒して新宿へ。
徒歩30分かかった。
わたしは、汗びっしょりになってしまった。



救急外来は混んでいなかったけれど、1時間以上待った。



診察室のベッドへ移れないほど痛がった。
だからあっちを向いたままで点滴。

しかし点滴はただの水分だって。
痛み止めは入れてないし、栄養も入ってないんだって。

一昨日まで左脇腹の痛みだった母は、今日は右脇腹を抑えると飛び上がるほど痛がる。
しかし、しばらくジッとしてると痛みを忘れてる。




血液検査とCTの結果がでるまで処置室で点滴。
となりは吐き気の男性。 反対は歯が腫れて顔全部が2倍に膨れ上がったおじさんだ。


結果 血液検査異常なし。 CT異常なし  シップと胃の薬だけでた。


水分だけの点滴を途中でやめて、帰宅準備。
トイレに行きたい母だが激痛で起きれない。
看護士さんも参ってるし。
こんなに痛いのに痛み止めが出ないんだ。
シップが痛み止めだそうだ。

そして、始めてのトイレ介助。 ひ~~~




防寒して帰宅。
新宿渋谷の道はボコボコ。
盲人用のボコボコも母の激痛には耐え難い。

大晦日の新宿副都心はひっそりと暗かった。


都庁前。


人も車もまったく少なくひっそり・・・


家にやっと入れて、椅子に座らせ、昨日から何も食べていない母に、みかんの缶詰やりんごジュースを振舞った。

今朝作った煮込みうどんも少したべれた。

私が病院につきそう間
チョコパンが大晦日の買い出しをしてくれた。

私が体調不良により買い物もできなかったので

トイレットペーパー
コメ
野菜
飲み物

今夜のおかず  チョコパンのおかげで助かった。

今夜はブリの照り焼きを作ってくれた。
魚嫌いの母も食べてくれた。


どうなるんだ・・・

このブログを書いていたら新年になってしまった。
どんだ幕開けだ。

いまから、煮物を作る。
おせち料理は手作りで欠かしたことがない。

お屠蘇の習慣や茶碗蒸しをつくったりその他いろいろはできてないけど
最低限のお重におせちを詰めるという習慣だけは娘に伝えたいのだ。

しかし、昔私の母は、あずきを煮たりナマスをつくったりきんぴらを作っていたなぁ


あっ!! わすれた!!  お餅を買うのをわすれた。
あす、買おう。 最近のスーパーは24時間営業だから味がない


       謹賀新年




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初車椅子(母)

2012-12-28 01:43:00 | 介護
12月28日となりました。

   

仕事も家事もそんなに無いのに
超多忙。

午前3時   就寝
午前7時半  起床

午前9時   チョコパンご出勤
       12月より某公共放送局にお勤め開始。
       8時半の朝食に合わせてラーメン作って朝食に出す。

午前10時15分  マクドウウェルさん、また日本出張で来日して今日帰国
        9時に朝食のラーメンを作ってだす。

午前11時   ケアマネ訪問日

 母は体調悪く起きれず寝たまま対応。
 ケアマネには、「もう92だからしょうがないのだ」と論じていた。
 「 これだけ喋れればまだ死なないわ」とからかわれていた。

 母は昨夜、夕食も食べずベッドに変な格好で潜っていた。
腹痛がすると言って、顔面蒼白。
長いトイレから出てきたと思ったら、顔面蒼白。

それなのに、気持ち悪くない 下痢してない お腹痛くない ナイナイナイナイ
否定や拒否ばかりで、本当の病状がわからない。

ただ、目に見えておかしいのは

立ち上がったり、体をねじると 「 痛い!!」といって左脇腹を押さえ込みます。
そうとう痛そうです。

・・・・わたしの右下腹痛に似てたりもする・・・

===============

ケアマネに「歩けなくて病院も行けない」と言ったら
車椅子を貸してくれるというので、
さっそくお借りした。

母は内科に行きたがったけれど
肋骨がおれてるかもしれないので、近所の整形外科へ行った。

行きは、根性で全部歩いて行ったけれど
帰りは、100%車椅子に頼りきっていた。
母は、楽を覚えてしまったぞ。

レントゲンの結果   異常なし
視診         転倒、打撲の形跡なし

シップだけの処置となった。

お腹のぐあいは、母の言うには[便秘]だと訴えるけど、
はたして、下痢か便秘か全く不明。

消化剤 整腸剤 軽い下痢止め が処方され
薬局から帰るやいなや
すぐに飲んだ・・・・・私が
だって、右のお腹が痛いんだもん。

母は食欲もなく、ベッドに潜り込みます。
お腹の薬をのませ、脇腹にシップもしました。

今夜、トイレに起き上がった時には
悲鳴を上げるほど痛がりました。
それは、脇腹ではなく、へその周りを抑えています。

皮が痛いんだって。  
私には、そんな経験がないけれど
皮が痛いって、、、なんだろう。

病院では、母に至れり尽せりしてあげた。
まるで、すごく優しい娘になっていた私。
他人が見たら、素晴らしい母子愛だな。

さて、年賀状作成だ。
まず、年賀状買ってくるのと
もしかしたら、プリンターのインクもないかもな。

ああ。忙しかった。
お仕事少しして、
おじやを作って母と食べました。


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体調崩したわたし

2012-12-26 11:14:00 | 介護
風邪をひいたらしい。

21金曜日に友人たちと新宿つな八総本店で、天ぷらコース5250円を食べに行って、相手に聞こえるように大声で喋っていたら、声が出なくなってしまった。

それ以来声はかすれ、せきこみはあるし、右腹が相当痛いがお腹の調子は良い。
右下腹が痛いために、歩行もしにくく、寝返りもできない、椅子から立ち上がるのもお腹が痛い。

3週間前に健康診断を受けていたので、その結果がてら病院で診察。

お腹を押しても・・・痛くない。

だから今の段階では盲腸や婦人科の炎症ではないと言われた。
風邪のための抗生物質がでたので、あちこちの炎症をとってくれることに期待した。

筋肉痛? 咳による筋肉痛かな? でもお腹が痛いんだ。

昨夜は、大きな咳き込みで何度も夜中に起きて、
寝返り打つたびお腹が痛くて何度も起きた。
午前の仕事が終わったら今度は婦人科に行こうと決心して寝ていた。

そして今日、ちょっと楽になっているような気がする。
だから、婦人科には行かないことにした。

1月3日には、仲良しの友達と思い出作りの旅にいくので治ってくれないと困る。

あすは、動脈硬化の検査だ。
コレステロールが高いって言われた。
よく聞く言葉だな。
食べたいだけ食べているからな。

~~~~~~~~~~

そして、その咳き込みや腹痛で動くのもたいへんなんだけど
食事の支度という家事があって、
何がつらいって、家事が辛いのだ。

食事の支度をイキイキできる人は元気な証拠だと思った。
あちこち外出できる人は元気な証拠だと思った。

病気になった人の心配なんかしてる場合じゃない、
自分が危なくなってきた。

身辺整理しないとな。
たとえば、古い下着をすてるとかの・・・・


私が死んだら、
いたちさんに知らせること。
理事長に知らせること。
フェイスブックに載せること(私の携帯やパソコンから家族が書く)
このブログに載せること
通夜、告別式はしないで火葬のみ。
お香典の一切は受け取らない。
お線香をあげに来るのも禁止。
お仕事関係は・・連絡表をつくらないと・・

お墓にはいるまでの手続き・・
いろいろあるな・・
死んでから、いろいろあってこまったな・・

咳と腹痛が早く治りますように。


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12月14日金曜日

2012-12-14 09:21:00 | 介護
多忙を極めているうちに、12月の中旬となりました。

日曜日は都知事やなんやの選挙です。

お願いしますと頼まれたところには入れないことにしているのと、
政見放送をみたら、あまりに頼りない喋り方っだりで文章で判断しちゃいけないもんだと実感し、気に入ったひとが変なことをいいだしたりと、

あげくには、投票券に印刷ミスがありこの地域一帯はおそらく半分の人は投票しないであろう事件が発生しているんだ。 おどろいた、こんなミスがあるんだな。
よくみんな黙ってるなと思うけど、すなわち気がついてないから(うちの家族も知らないでいる)選挙に参加する人はすくないでしょう。

12月1日はお仕事のイベントで、大きな仕事がひとつ終わりました。
12月2日は家族だったマクドウウェルさんが日本出張を終えてオランダに帰りました。
12月8日には一泊で常盤ハワイアンセンターヘ行ってお兄さん達と水着で混浴三昧。
ウオーターシュライダーまでしてきました。

その間、7月のハワイ行きのことでものすごく多忙で、全て決まったとおもったらホテルの予約が取れなくて1万円値上げしていいかとか言ってきちゃった。

契約したのにそれはないだろうと・・・だんだん怒りがこみ上げてきちゃったから自分としても困るんだなぁ・・・私をおこらせると首が飛ぶよ。

~~~~~~~~~~~

限りある介護とは分かっていながら、
母の世話は想定外の人生で、

でも私の周りにはいろいろ抱えて生きている人がいっぱいいる。

障害だったり、病気だったり、介護だったり、貧乏だったり、普通じゃないものを抱え込むと人生が変わるな。予想できない人生の狂いだ。

幸せそうな顔をして生きていてはバチが当たるような気がする今日この頃だ。

母の使用しているトイレ掃除が苦しい。
母の足の爪を切らなければいけないことが苦しい。
母の使用したパンツを捨てることが苦しい。

あすからのショートの準備をしないと。。。

ショートに行くから楽だなんて思っちゃ大間違い!
これから怒号がとぶのです。
文句野郎です。

普通にして長生きしてほしいいんだけど。

さて、爪を切ってあげよう。
そのあと、わたしはシャワーを浴びよう。

決心だ・・・今年の二文字は 決心 だと今決めた。

足の爪を切る決心。
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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。