暇つぶしです

私が思いついた事を書くだけのブログです。

言っている事とやっている事が別なのだよ

2011-10-09 23:01:00 | Weblog

 『言っている事とやっている事が、別なのだよ』。

 

 しばらく前、日本の知識人の人達は、日本の携帯電話が、ガラパゴス携帯だと言って悲観的に言っていました。日本の携帯がなぜ、ガラパゴス化したかと言えば、日本の携帯の規格が世界の他の国々と違う規格を採用したからでした。

 『じゃあ、世界と同じ規格にすれば良かったのか』と思っていたら。最近発表された報道によれば、日本の携帯会社は、また、世界の先進国と違う新しい規格を採用したようでした。

 『言っている事とやっている事が違うのだよ』。

 

 私は、正義を信用していないが。日本人も信用していないようです。堺屋太一さんも、『風と炎と』という、昔の本の中でこういう事を言っていました。『新しい時代の帝国となる国は、前の時代の価値観の帝国からは評価されない事をやっている国である』と。

 

 日本悲観論者はこの話を忘れているらしい。堺屋太一さんも、忘れているようであるが。

 

 大前研一さんのある本は、ベストセラーだったはずである。100万部売れたかは知らないが、数十万部は売れていたと思う。MBAの資格を素晴らしいと言い、AAAの高利回りの金融商品を買わない、日本人は馬鹿だと言っていた本である。

 でも、日本人は結局、この意見に従わなかったのだよね。本は、ベストセラーだったにも、関わらず。

 

 増田悦佐さんは、『知的エリートがいない故に日本の市民は偉大で、日本は強いのだ』と書いているが。単に、言論が信用されていないだけではないか。というか、『言っている事とやっている事が別なのだよ』。

 

 言論は、『日本の携帯のガラパゴス化はダメである』と言っていながら。実際やっている事は、『ガラパゴス(孤立)規格の採用』。一体何をやっているのか。

 

 もちろん、悪い事だと言って非難している訳ではない。言論人の言う事と、実際に、その選択をしている人との判断が全然違う。なぜ、言論人は、実際にその判断をしている人が、なぜ、その選択をしたかについて、書かないのだろうか、と思っているだけである。

 

 軽い言論。日本では、『新聞の社説なんて誰も読まない』と言われているが。なぜ、こんなに言論が軽いのか。それが悪い事だとは思わないが。

 

 増田悦佐さんの『マネジメントの日米逆転が始まる』を読んで思った事は。欧米人は言論が先で、行為はそれに付随するものである、という論理がある。でも、日本人は、行為が先で、言論は、はっきり言えば、狼の遠吠えみたいな所がある。誰も信用していない。

 『日本人とユダヤ人』という本の中にこういう話が出てくる。『国民が一致して反対している安保を強行しと、新聞は書いているが』と。本当に国民が一致して反対している事をすれば、その政権は、次の選挙で負けるはずである。でも、私の知る限り、安保強行で、その当時の政権、自民党政権が次の選挙で負けたという歴史的事実はないから。新聞上の言論は、『国民が一致して反対している』であったとしても。実際は、国民は反対していなかったということであろう。

 なんで、言論がこんなに軽いのだ? むしろ現実がAだから、言論はBになるという感じがする。

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