PTSD (2021年4月5日)
何でもかんでもすぐに『PTSD』(心理的外傷)と言う人がいるが。
本来、PTSDというのは、第二次世界大戦後、第二次世界大戦後に行った兵士の中に精神的に不安定な人がいる、ということで。PTSDと言われるようになった、と。
ドイツの強制収容所に入ったユダヤ人とかでなっているけど。
本来、PTSDというのは生死に関わる危機でないとならない、と。
物理的暴力と言語的暴力とでは物理的暴力の方が人は怯えるけど。
だけど、世の中を動かす、自分の考えを実現させる方法としては、物理的暴力は弱くて、言語的暴力の方が強い。
アメリカの黒人は平均IQが平均的アメリカ人より低く、そのため自分達の正しさを主張するのに、物理的暴力を使うが、だが、それゆえに、世の中を変える力が低くて、結局、『自分達が希望している事があるのに、世の中は自分達の思う通りにはならない』と言っている。
でも、それは物理的暴力を使うからだと思う。
本音を言えば。
「なぜ、知的障碍者が職員を殴っても問題にならないのに、職員が知的障碍者を殴ったら、問題になるのか」と思う。
でも、黒人は配慮して欲しいのかも知れない。
『みんな優しくして』と。
『生産性がない』とか『生産性がある』という話はおいといて。
知的障碍者施設では職員配置が、障碍者:職員=2:1みたいな。
普通の小学校とかなら、生徒数:職員=20:1とかなのに。
「効率が悪い」。多くの人手が必要、と。
高齢者介護も人手が必要だけど。
「小学校の生徒には未来はあるけど。高齢者には未来がない」みたいな。
医療はね。日本の場合みんなみてくれる。
でも、介護施設は入りたくても、入るのが難しかったりする。
病気を治す事には、未来があるが。介護には未来がないから。
(続き)
安直に『PTSD,PTSD』言うな、と思う。
そんな事言うなら、私の職場のほとんどの人はPTSDだと思う。
ほとんどの人が、「また、利用者に殴られたら、どうしよう」というPTSDになっている、と思う。
アメリカの黒人が信用されるためには、まず、『物理的暴力を使う』と言う事を止めないといけない、と思う。
(続き)
利用者には『優しくしてね』と言う。
だけど、職員には、厳しく言う、トップとかがいたりする。
何で、そうなるかと言えば。『職員はお金もらっているから』と。
だけど。
『お金くれ』という人と友達付き合いする必要はないよね。
だけど、『それが仕事というなら』相手がダメな人でも、付き合わないといけない、と。
消費者と働く側とでは立場が違う。
相手が消費者なら、ダメ人間でも付き合わないといけない。
でも、その人が仕事を求めているなら、ダメ人間は採用されないし、職場で非難されても、『自分が悪いでしょう』となる、と。
(続き)
IQが低いというのは、『物理的暴力を使う可能性が高い』という事なのだよね。
で、IQが高いというのは、『言語的暴力を使う可能性が高い』という事なのだよね。
で、「物理的暴力の方が傷つく」のだけど。
でも、世の中を変える力は、「言語的暴力の方が高くて、物理的暴力は低い」と。
DVは傷つくが、別にそんな事をしていても、幸せにはなれないだろう、と。
聖帝王城さんは『口は悪い』が。
世の中の分析としては正しいと思う。
現に『糖尿病を治す』という奇跡を起こしたのだから。
物理的暴力を使っていても「奇跡は起こせない」が。
言語的暴力を使えば「奇跡は起こせる」と。
(続き)
「大丈夫。どんな事でも、正当化しようと思ったら、正当化出来るから」と思う。
物理的暴力は「正当化出来ない」が、言語的暴力は「正当化出来る」から。
(続き)
「児童養護施設で働けば、心穏やかに仕事が出来ると思っていたのだね」というのがあるが。
で、その人はその施設の職員の悪口を書いていたけど。
「児童養護施設に入っている子どもは、聖者と考えるのは間違いで」と思う。
実際は、親に嫌われる知的障害や発達障害の子どもが多くて。親も知的障害や発達障害の人が多くて、そのせいで、子どもを虐待して、で、その子どもも知的障害や発達障害の人が多い、と。
『子どもの発達障害が分かった時に、親に発達障害があると分かる事も多くあり』と。
で、そんな人を金持ちの人が直接面倒を見るという事は出来ない。
金持ちはそういう人達を支援する団体にお金をあげる事は出来ても、金持ちがそういう人達の面倒を見る事は出来ない、と。
なぜなら、そういう子どもの面倒を見る事は手間がかかるから、と。
その「児童養護施設で働けば、心穏やかに仕事が出来ると思っていたのだね」の人だって、アルバイト並みの時給で働いていたらしいし。
結局、『アルバイト並みの給料で、そんな大変な仕事が出来るか』という事だと思う。
『介護施設で働けば、心穏やかに仕事が出来る幻想』みたいなのがあるが。
そんな事はない、と。
実際は『家族が面倒を見られないから』そういう施設に入所している訳だから。
その人が消費者というなら、ダメ人間、犯罪者に近い人間であっても、受け入れられても。
自分が働く側になるなら、ダメ人間は受け入れられない、と。
その矛盾があると思う。
(続き)
『それが仕事なら』「嫌な人とも付き合わないといけない」。
『それが友達なら』「嫌な人と付き合う必要はない」。
働く側としての権利、義務と。
消費者としての権利、義務は違うのだ、と思う。
だから、大勢の人が言う『お金が欲しい』というのは、『消費者になりたい』という意味、と思う。
(続き)
「ポリティカル・コレクトが嫌い」。
政治的公正さというのが嫌い。
「それはつまり消費者意識、消費者としての権利の話でしょう」と思う。
よく、女性が主張しているけど。
結局、働く側としての立場を理解していないみたいな。
消費者ならわがまま言っても良いけど。
働く側なら、わがまま言えないみたいな。
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何でもかんでもすぐに『PTSD』(心理的外傷)と言う人がいるが。
本来、PTSDというのは、第二次世界大戦後、第二次世界大戦後に行った兵士の中に精神的に不安定な人がいる、ということで。PTSDと言われるようになった、と。
ドイツの強制収容所に入ったユダヤ人とかでなっているけど。
本来、PTSDというのは生死に関わる危機でないとならない、と。
物理的暴力と言語的暴力とでは物理的暴力の方が人は怯えるけど。
だけど、世の中を動かす、自分の考えを実現させる方法としては、物理的暴力は弱くて、言語的暴力の方が強い。
アメリカの黒人は平均IQが平均的アメリカ人より低く、そのため自分達の正しさを主張するのに、物理的暴力を使うが、だが、それゆえに、世の中を変える力が低くて、結局、『自分達が希望している事があるのに、世の中は自分達の思う通りにはならない』と言っている。
でも、それは物理的暴力を使うからだと思う。
本音を言えば。
「なぜ、知的障碍者が職員を殴っても問題にならないのに、職員が知的障碍者を殴ったら、問題になるのか」と思う。
でも、黒人は配慮して欲しいのかも知れない。
『みんな優しくして』と。
『生産性がない』とか『生産性がある』という話はおいといて。
知的障碍者施設では職員配置が、障碍者:職員=2:1みたいな。
普通の小学校とかなら、生徒数:職員=20:1とかなのに。
「効率が悪い」。多くの人手が必要、と。
高齢者介護も人手が必要だけど。
「小学校の生徒には未来はあるけど。高齢者には未来がない」みたいな。
医療はね。日本の場合みんなみてくれる。
でも、介護施設は入りたくても、入るのが難しかったりする。
病気を治す事には、未来があるが。介護には未来がないから。
(続き)
安直に『PTSD,PTSD』言うな、と思う。
そんな事言うなら、私の職場のほとんどの人はPTSDだと思う。
ほとんどの人が、「また、利用者に殴られたら、どうしよう」というPTSDになっている、と思う。
アメリカの黒人が信用されるためには、まず、『物理的暴力を使う』と言う事を止めないといけない、と思う。
(続き)
利用者には『優しくしてね』と言う。
だけど、職員には、厳しく言う、トップとかがいたりする。
何で、そうなるかと言えば。『職員はお金もらっているから』と。
だけど。
『お金くれ』という人と友達付き合いする必要はないよね。
だけど、『それが仕事というなら』相手がダメな人でも、付き合わないといけない、と。
消費者と働く側とでは立場が違う。
相手が消費者なら、ダメ人間でも付き合わないといけない。
でも、その人が仕事を求めているなら、ダメ人間は採用されないし、職場で非難されても、『自分が悪いでしょう』となる、と。
(続き)
IQが低いというのは、『物理的暴力を使う可能性が高い』という事なのだよね。
で、IQが高いというのは、『言語的暴力を使う可能性が高い』という事なのだよね。
で、「物理的暴力の方が傷つく」のだけど。
でも、世の中を変える力は、「言語的暴力の方が高くて、物理的暴力は低い」と。
DVは傷つくが、別にそんな事をしていても、幸せにはなれないだろう、と。
聖帝王城さんは『口は悪い』が。
世の中の分析としては正しいと思う。
現に『糖尿病を治す』という奇跡を起こしたのだから。
物理的暴力を使っていても「奇跡は起こせない」が。
言語的暴力を使えば「奇跡は起こせる」と。
(続き)
「大丈夫。どんな事でも、正当化しようと思ったら、正当化出来るから」と思う。
物理的暴力は「正当化出来ない」が、言語的暴力は「正当化出来る」から。
(続き)
「児童養護施設で働けば、心穏やかに仕事が出来ると思っていたのだね」というのがあるが。
で、その人はその施設の職員の悪口を書いていたけど。
「児童養護施設に入っている子どもは、聖者と考えるのは間違いで」と思う。
実際は、親に嫌われる知的障害や発達障害の子どもが多くて。親も知的障害や発達障害の人が多くて、そのせいで、子どもを虐待して、で、その子どもも知的障害や発達障害の人が多い、と。
『子どもの発達障害が分かった時に、親に発達障害があると分かる事も多くあり』と。
で、そんな人を金持ちの人が直接面倒を見るという事は出来ない。
金持ちはそういう人達を支援する団体にお金をあげる事は出来ても、金持ちがそういう人達の面倒を見る事は出来ない、と。
なぜなら、そういう子どもの面倒を見る事は手間がかかるから、と。
その「児童養護施設で働けば、心穏やかに仕事が出来ると思っていたのだね」の人だって、アルバイト並みの時給で働いていたらしいし。
結局、『アルバイト並みの給料で、そんな大変な仕事が出来るか』という事だと思う。
『介護施設で働けば、心穏やかに仕事が出来る幻想』みたいなのがあるが。
そんな事はない、と。
実際は『家族が面倒を見られないから』そういう施設に入所している訳だから。
その人が消費者というなら、ダメ人間、犯罪者に近い人間であっても、受け入れられても。
自分が働く側になるなら、ダメ人間は受け入れられない、と。
その矛盾があると思う。
(続き)
『それが仕事なら』「嫌な人とも付き合わないといけない」。
『それが友達なら』「嫌な人と付き合う必要はない」。
働く側としての権利、義務と。
消費者としての権利、義務は違うのだ、と思う。
だから、大勢の人が言う『お金が欲しい』というのは、『消費者になりたい』という意味、と思う。
(続き)
「ポリティカル・コレクトが嫌い」。
政治的公正さというのが嫌い。
「それはつまり消費者意識、消費者としての権利の話でしょう」と思う。
よく、女性が主張しているけど。
結局、働く側としての立場を理解していないみたいな。
消費者ならわがまま言っても良いけど。
働く側なら、わがまま言えないみたいな。
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